帰還
ミランダさんの顔を見た瞬間、ライオルト様が今までで一番大きな声で彼女の名前を呼んだ。私は察してライオルト様の体から腕を離した。彼はするっとユニコーンから飛び降りて、レオン様の隣にいたミランダさんを抱きしめた。突然の行動に慌てているのは抱きしめられたミランダさんのほうだ。
「お怪我はないですか?」
いつの間にか私の近くに来ていたレオン様が、手を差し出しながら聞いてきた。いつもは見上げるので見下ろすのは新鮮だ。
「ありません。途中、助けてくれたお方がいたのですが、はぐれてしまって。」
ありがたく手を取ると、スカートを引っ掛けないように慎重にユニコーンから降りた。ふと、レオン様からミランダさんの柑橘系の香水が香った。
「ミランダさんとはどのように合流を?」
「俺はリチャード殿下から、王太子殿下より賜った検閲の依頼書を一刻も早く砦に届けるよう指示されましたので、モカに乗って一足早くこちらにつきました。砦の騎士たちと馬車を止めて検閲を先に始めていた時に、貴方たちの馬車を追っていた殿下より、ハヤブサにて伝令がありまして、どうやらミランダ嬢がこちらに向かっているらしいと。バージェス公爵一行が到着を待ってから森のほうに探しに行ったんです。」
レオン様は白と明るい灰色のまだら模様のユニコーンの頭をポンポンと叩いた。愛馬のモカも、ユニコーンになってしまったのか。立派な角が生えていた。
「ずいぶんと大立ち回りをなさったようですが、大丈夫ですか?」
「問題ありません。」
彼は即座に言いきった。そのとき後ろからバージェス公爵閣下が声をかけてくれた。
「ああ、よかったモニカ。また攫われたと聞いて、生きた心地がしなかったよ。」
少し涙声だ。ぎゅっと抱きしめられたので、私も抱きしめ返した。少し体から力が抜けたのが分かった。やっぱりここが一番安心する。
「少し油断してしまいましたわ、申し訳ありません。」
そう言って目を閉じた。
時間は少し戻り、モニカがライオルトらと合流したのを、かすかに耳に捉えて、ふうと息をついた。馬車は壊れてしまった木箱の中身を、他の木箱に何とか入れて、ふたが浮いたままそれでも先を急いでいた。ヴォルデはその馬車を森の中からゆっくり追っていた。人狼の脚力を使えば荷を引く馬に並走することも、そこの人間や馬に気が付かれることなく後をつけることも容易だった。モニカを追いかけてきた騎士たちはあえて、この馬車との接触を避けたのだ。そりゃそうか、商品とは言え銃火器を満載した馬車だ。真正面から行って、人質を盾にされてはたまったもんではない。だから検問という形で足を止めさせることを優先したのだろう。指示を出したやつはなかなか頭が切れるようだ。それにしても。この道はあまりにも馬車のわだちが深いような気がした。
あまり往来の激しい道ではない。しかしくっきりと踏み固められた荷馬車の跡が、ここをよく通っているという証のように感じた。
緑色の髪の中年男性の指示に従って、山間の道に入っていく。街道からも、砦からも外れた目立たない空き地だった。そこで馬車は止まった。しばらくして中年男性が下りてきた。懐から出した紙を馬車の下において、中の人物に指示を出していた。
(ああまさか、あれを持っているなんてな。やっぱりこっちにも内通者がいたか。)
やがて青白い光が馬車全体を包んでいった。それは魔力の塊だった。その下には魔法陣が現れ、独特の文言がかかれていた。光が消え失せた後、残った紙はひとりでに跡形もなく燃え尽きてしまった。これは魔王国で陛下が開発した転移魔方陣だ。膨大な魔力が必要なため、魔王陛下しか書くことができない。しかし最近、この魔方陣に酷似したものが出回っているうわさがあった。それが今回のものかどうかはわからないが、調査をしなければならない。
(行先は、魔王国か。)
(面倒なことになったな、どうする?大佐殿?)
独り言に返事が返って来たのだが、ヴォルデは当然のように木々の隙間を見上げた。そこには巨大なコウモリがぶら下がっていた。
「クロス王国の騎士団は、リーフラグの手前にも検問を設置して待ち伏せしているだろうな。港に入れなかったら出国できない。この魔法陣はきっとブラッディオークションに出品予定の連中が、静かの海商会に持たせた保険だろう。」
「でも『本国』にわたっちまったらオークションは意味ないんじゃないか?」
「銃はまたオークションに出すんだろうな。魔王国では需要がなさすぎる。」
小首を傾げたコウモリ男はヴォルデに聞き返した。
「銃は?確かに銃なんて使うのはお前くらいだろうけど。」
「魔力のある人間の買い手は、魔王国にはいくらでもある。お前だってほしいだろ?魔力をたっぷり含んだ血。魔王国では魔力もちの人間は需要が高いからな。牧場に言い寄ればオークションよりは安くても、そこそこの値にはなるだろうよ。男だが、若くて元軍人の魔力もちが二人だ。いい種馬になってくれるだろ。」
「ああ、あの赤毛と青毛の二人、商品なんだ。」
最初からそのつもりだったんだろう。借金で首の回らなくなった貴族に、知り合いの情報などを売らせてからその貴族自身もオークションに出品する。あの中年男性は二人をいけにえに、銃を受け渡す名目でレストに帰ってくるつもりだろう。ヴォルデはにやりと笑った。前世の倫理観で言えば吐き気を催す醜悪さだ。しかし人狼に生まれてしまってから離れることはできない日常だった。
「お前の知り合いに、牧場主がいたよな?いっちょ犯罪者からあいつらを横取りしてやろうか。」
「いるけど。どうすんの。」
「銃はいい品ばっかりだったんだ。俺が押収品としてレストでオークションに流してやるよ。横取りされてもあいつらは、魔王陛下の魔法陣をかってに使用し、違法に入国させた罪があるからな。自己申告はしてこないだろうな。」
「相変わらず性格悪いな。」
ばさりと大きな羽根は広げ、ヴォルデの隣に降りてきたコウモリは、呆れたようにつぶやいた。
「だって、今回ばかりは頭に来たし。俺が居合わせていなかったら、あの子たちがオークションで最悪、牧場に売られるところだったんだから。全員痛い目に遭ってもらうよ。そういうわけで、あっちまでよろしく。」
ああ、はいはい、そう気だるげに言うと、ヴォルデを背に乗せるべく屈んでくれた。ヴォルデは躊躇なくコウモリの背に乗った。そのうち羽を広げたコウモリの下から風が吹き始めた。魔法によって起こした風だ。その風に乗って闇夜に大きな蝙蝠が一瞬にして上空へと舞い上がった。自然の風を羽根に捕えてコウモリは滑るように魔王国へと羽ばたいていった。




