フードの男
森に入ったと思われてしばらく、川のせせらぎを聞いて馬車が止まった。この馬車に乗って何時間たったのか。緊張状態が続いているため、もしかしたらそんなに時間は経っていないのかもしれない。
「馬に水をやるみたいだね、チャンスだ。」
「あ、ではこういうのはどうでしょう?」
私はヴォルデさんにある提案をした。
荷台から人の気配が二人から一人になった時、私たちはその気配のあるほうの木箱の一つを思いっきり押した。上手く上に落ちてくれれば御の字で、しかしそう容易くはいかなかった。ギリギリで避けた人物に向かって、小柄な私がその木箱一個分の隙間から素早く出て、体当たりした。もちろん運動神経の悪い私だ。馬車の荷台で尻もちをついている相手に、体当たりというより、抱きしめるといった具合が正しかった。緑色の髪から、中年男性だと判明した。しかし予想通り抵抗はされなかった。小柄な私はたいして脅威にもならないと判断されたのだろう。すぐに指示を出すべくうなり声をあげたが、私はそれを阻止しようと一層腕に力を込めた。
ヒューマンオークション。
それは人の売り買いをする地下街のオークションだ。目下の目玉商品は魔物だったり、魔人と人のハーフである亜人だったりするのだが、高値で取引される普通の人もいる。それが魔力を人より保有する、学園の生徒だったり、貴族だ。そういう人の子供は魔力が高く生まれてくることが常だった。学園の貴族科の学生は、そこらの魔法科の学生より保有魔力が多かったりするのだ。
「中でも女性は男性の3倍の値段になる。まあ、前世の奴隷取引でも女性のほうが値段が高った歴史があるからね、妥当だとは思うよ。だから二人のほうが商品価値は俺より高い。絶対に逃がしたくないレベルだと思う。」
つまり逆を言えば、ヴォルデさんは逃げ切れれば逃がしてくれるであろうということだ。
フードを目深にかぶった一人が、荷台に来た全員の不意をついて、馬車前方から逃げ出した。すぐに森に入っていった人物を二人の男が追って行こうとした。
「フードの男が逃げていく!」
「男ならほっておけ。どうせ平民男なんて値打ちがつかん。」
私の下から冷静な中年男性の声がした。そうか、ヴォルデさんが魔力がある、ライセンスもちの冒険者だとは知らないのか。それならそのほうが好都合だ。
「なかなか大胆だな、お嬢ちゃん、男を逃がすために体を張ったのか?」
体勢を立て直し、私をひょいと持ち上げ拘束した。確かに私は彼を押し倒し、抱きしめていたのだから大胆な行動ではあった。
「ヴォルデさんは巻き込まれただけですから。怪我もなさっているし、もう、いいでしょう?値打ちにならないなら逃がして差し上げてくださいな。わたくしもミランダさんももう抵抗いたしませんわ。それにこんなところから王都へ連絡するのだって、それなりに時間がかかりますもの。」
恥ずかしさをおくびにも出さずに言ったが、何らかの違和感を覚えたらしい中年男性が、赤髪のファーブルへ指示を出した。
「残りの女を確認しろ。ジェドは荷物の中にあった革ベルトを持って来い。二つだ。」
指示通り、ファーブルが木箱の隙間から中を覗いた時だった。
「ガゴ!」
変な叫び声とともに彼の体が馬車の後方10メートルほどに吹き飛んだ。馬車の外にいた金髪の男の隣を転がり、木の根元に背中を打ち付けて倒れた。
「は?」
金髪の男は馬車のほうに視線を戻した。そのことが幸いした。木箱が不自然に浮かび上がり、そちらに飛んできたのだ。まっすぐ飛んでくるそれを避けるのは容易かった。直撃していたらただでは済まない。なにせあれは男がふたり掛かりで、滑車を使って運ぶような代物で、中身は鉄の塊である銃火器なのだ。それを、その男は片手で持ち上げていた。そして、緑髪の男をじろりとにらみつけた。
「いつまでモニカさんの体を触ってんだ?」
先ほどまでのさわやかな好青年はどこへ行ったのか。地を這うような重低音で、男をにらんでいた。触れていた男の拘束が、びくりと震えた瞬間に離れた。その隙に馬車の荷台に来ていたヴォルデさんの手に救い上げられた。じっとなにかを確認するように私を見たかと思うと、そこでやっとニコッと笑った。ピルルル、頭上で鳥がまた鳴いていた。
「アレ、ずっと付いて来ているね。」
そして片手に乗っていた木箱を軽くほおってから、私の手を引き荷台から飛び降りた。先ほど、フードをかぶって逃げた人とは逆の方向に走り出す。後ろ手は木箱が壊れ、中身が散乱した状態で唖然としていた男たちの姿があった。
「想像以上にうまくいったね。」
ふははは、と笑いながら走っているヴォルデさんは、今まで通りの無邪気な顔で笑っていた。後ろから正気に戻った男たちが追ってきた気配がした。先ほど、最初に馬車から離脱したのはヴォルデさんのフードを借りたミランダさんだ。女性のほうが高値で売れると聞いたときに、ではヴォルデさんの格好のミランダさんなら、見逃されるんじゃないか?と思ったのだ。むろんスカートまで誤魔化せるわけはないが、森に入ってしまえば低木なんかでよく見えないかもしれない。結果的にミランダさんは逃げおおせたようだった。
「そうですわね、ところで、ヴォルデさんは何者なんですか?」
先ほどから気になっていた。あの木箱、何度も言うが、あれは人一人で持てるものじゃない。ヴォルデさんが笑みを深くして、私の手を引いた。倒れると、そう思った時、お姫様抱っこの体勢になり、優しく背中を叩かれた。
ドン!
私たちの側の木が、炎弾によって焼かれていた。これは、前に見たことがあった。セガール様が放っていた魔法だ。ヴォルデさん越しに後ろを見ると、魔銃を構えた赤髪のファーブルが舌打ちをしているところだった。隣にはジェド・バーンも銃を構えていた。
「もう少し走ったらお答えしよう。」
そういうと私をしっかりと抱きなおし、ヴォルデさんは片足に力を込めた。そして一足で木の枝に飛び移った。次から次へと木々を身軽に渡り歩く。
「わ、これも、冒険者のたしなみですか?」
「あははは、そういう事にしておこう!」




