サメの歯
そこでヴォルデさんが胡坐をかいていた足をすっと延ばした。靴のかかとを床にトントンと叩きつけている。馬車のガタガタ音でまぎれていた。目が合うとにこりと笑った。
「二人はここをどんな世界だと認識しているの?」
「えっと、生前プレイしたゲームの認識ですね。しかし最近そのゲームのストーリーから離れた動きが多くてそれに疑問を持っていたころです。」
「システムが違うのか、でも同じところもあって混乱してる。ヴォルデさんはどんな認識なの?」
ヴォルデさんの靴のかかとから紐を輪っかにしたものが出てきた。それを後ろ手で引っ掛けて何やら引き抜く。
「俺の認識は、子供のころにやったRPGだよ。勇者が魔王を倒す定番の奴。まあ面白かったのは覚えているけどさ、その主人公の勇者ってのがなかなか現れなくて、しかも俺の役割もいまいちわからんし、たぶんモブだと思うけど、だから序盤の舞台であろうと思う、レスト王国を旅して、勇者の出現を待ってるって感じかな。」
「RPG…乙女ゲームじゃないんですね。」
ヴォルデさんは腕をパッと前に持ってきた。どうやら無事に切れたらしい。3人しか入れないスペースで後ろを向くように手で合図されたので、隣にいた私は後ろ手を彼に向けた。
「こっちに来たときはどうだった?記憶があるだけ?」
「私は病気で死にましたよ。最後は病院で入院していました。」
「え、モニカ先輩ってそうだったの?私は事故だったよ。」
腕がすっと楽になった。ヴォルデさんが少し耳に口を近づけた。
「これ、サメの歯なんだ。ミランダさんの切ってあげて。」
私はうなずくと、ミランダさんは背を向けてくれていた。白くてギザギザのサメの歯は、前世を思い返しても触るのは初めてだった。
「ところでミランダさんって、あの男たちと知り合いなんでしょ?どういう関係か聞いていい?なんで二人は攫われたのさ?」
ヴォルデさんはわざと大きめの声で話しかけた。サメの歯を上下させるときに思ったよりギリギリと音が立つ気がする。ミランダさんも心得たように、なんてことないように話す。
「正直なんで狙われたのかは分からないわ。というか直接会うのも4年ぶりくらいだし、ジェド・バーンとも、ファーブル・ドレストとも、没交渉だったわ。もともと年が離れていたからね、話したことはあっても仲はよくなかったわ。それだけ、ね。」
「あんまり関係ないかもしれませんが、二人の弟である、セガール様とライオルト様なら、少し関係あるのではないですか?しかもセガール様は昨日、ミランダさんの家にプロポーズしに来ていましたし。」
「え?!プロポーズ?そうなの?」
ヴォルデさんの予想外の食いつきに、ミランダさんは気まずそうに眼をそらした。ロープがようやく切れたので、サメの歯をヴォルデさんに返した。
「断ったの。で、そのまま家を飛び出して、モニカ先輩の家に行って泊めてもらって・・・、あ、セガールなら私がモニカ先輩の家にいるの、知っているんだわ。」
口に手を当てて考え込んでしまった。
「弟の求婚を断ったから、ファーブル・ドレストがミランダさんをさらって、さらって、どうするのかしら。ドレスト家はセガール様がお継になるんでしょう?彼は関係ないではないですか。」
「そう、関係ないし、ファーブルは弟が誰と結婚しようがどうだっていいのよね、きっと。弟と言っても腹違いだし、あんまり仲良くないみたいだし、というか興味ないのよ、家族に。昔からそういう人だったの。いつも二人は二人の世界で遊んでいるって感じだったの。」
「じゃあ、視点を変えて、弟と結婚しないなら、貴族子女は高くオークションに出せるし、お金がないから調度いいやってこと?」
ミランダさんと顔を見合わせた。それが一番ありそうだ。腕が自由になってやっと思考がまとまってきた。
「わたくしは彼らとは個人的に因縁がありますね、恨みを買っているのはそうかもしれません。全くの逆恨みですが。」
ヴォルデさんが少し立ち上がって、人形を避けて、後ろを覗いてみた。すぐ座ると首を振った。私たちは顔を近づけた。この空間ぎりぎりの声で話す。
「なんも見えないね、でもちらっと見えたのは小麦畑と街道かな。」
「おそらく倉庫地帯から王都の外に出るんでしょう。この案山子からリーフラグに行くのではないでしょうか。あそこは港町ですからね、そこから船に乗ってレストに行くのでしょう。」
「ああ、陸路ばっかり考えてたわ。それもそうね。そうなったら面倒だわ。リーフラグからレストはほかに寄港しないでそのまま直行便があるもの。ずっと海の上では逃げるのはちょっとね。」
「ちなみに、二人は泳げる?」
「着衣水泳は苦手ですわ。」
「自信ない。」
「俺も。」
さて、どうしたものか。腕についた白いリボンを触って、思考する。まず彼らの目的だ。なんとなくお金目的な感じがする。そして手慣れていない段取りの悪さ。途中で事故に遭ったヴォルデさんをそのまま連れてくる計画性の無さ。ちらりと彼の頭の血のにじんだ包帯を見た。マゼンダさんがしてくれたので、しっかりと巻かれていた。
「もうたぶん血は止まったよ。」
私があんまりにもぶしつけに見ていたものだから、ヴォルデさんは端正な顔で笑ってくれた。その時唐突に気が付いた。何というかヴォルデさんは今どきのイケメン、なのだ。もともと顔立ちが整っているのに加えて、こちらの世界の住人にしては清潔感があって、こざっぱりしている。距離の取り方も、私とミランダさんとスペースを開けてくれた。そのあたりに前世の香りがして、なんだか懐かしさを感じる。
「なんかヴォルデさんの隣は落ち着きますね。」
「え?そう?」
その時ひときわ大きく馬車が揺れ、私とミランダさんは思わず声をあげた。馬車の振動が小刻みなものに変わった。
「あ、橋の上?に入ったかしら?」
「リーフラグまで何日かかりますか?もしかしたら目的地はリーフラグではないかもしれませんが。」
「2日はかかるわ。でも休憩は絶対取る筈だから、その隙を狙いましょう。」
「そうだね、さっきちらっと見たところによると前の御者台に二人、金髪の男と青髪の男。後ろの荷台のスペースに赤髪の男と中年の男。目的地がリーフラグなら王都から南西に行っていることになるけど…。」
考えうる限りの情報は出しただろうか。ピルルと鳥の鳴き声が聞こえてきた。ここは薄暗いが、馬車の外は真昼間の午後2時頃だ。カラリとよく晴れていて、夏の日差しが照り付けているが、風があれば過ごしやすい。そういえば予定通りなら今頃バージェス家にマゼンダさんたちと戻り、昼食をとってからアリアドネ様を迎える準備をしつつのんびりしているところだった。ああ、楽しみにしていたのに。少しだけ目じりに涙が浮かんできたので、顔を伏せた。いやいや、泣いている場合ではない。眉間にしわを寄せて、やり過ごした。




