馬車の屋根から
「止めてください!」
私とミランダさんはマゼンダさんの隣に座り、御者台と馬車の間の小窓を開けて外の人に呼び掛けた。
しかし二人の男はそれを無視して大通りを進んでいく。しびれを切らしたミランダさんが、小窓から馬の制御をしていない男の腕をつかんだ。
「ちょっと!」
「うるさい、黙っとけ!」
その男は青い髪をしていた。人相の悪い若い男だ。
「ジェド!?あんた何やってんの?」
「うるさいって言ってんだろ!」
そう言って小窓を乱暴に閉じようとした時だった。ドゴン、という音と衣擦れ、人影が宙を舞った。馬車にしては速い速度で走っていたこと、馬の手綱を持っていた金髪の男がこちらのやり取りに気を取られていたこと。それらが嚙み合って人を撥ねてしまった。
屋根の上にドガン、と乗って、人の体重に耐えきれず屋根が抜け落ち、人が落ちてきた。
「いった~~!!」
私たちは御者台の二人に抗議するため、前の席にいたのが功を奏し、怪我一つなかった。しかしこの馬車に轢かれた目の前の男は、ただでは済まなかったはずだ。
「だ、大丈夫ですか?」
私は声をかけてみた。こちらも青い髪の、いや、もっと濃い青だ。フードをパッととった彼の顔を見て、少し驚いた。誰がどう見ても端正な顔立ちの、目を引くイケメンだった。
「あ、大丈夫…」
そう言いかけた彼の額から、血がたらっと流れ出した。私たちは悲鳴を上げて、ハンカチで血を拭きつつ、マゼンダさんがすぐさま額を確認した。
「大丈夫そうですわ。何も刺さってはいません。切ったのかもしれません。」
その間にも止まらない馬車に、ミランダさんは病院に行けと再び前に抗議した。
とめどなく流れる血を何とか止めるべく、トランクを開けた。応急処置の道具は入っていた。保健委員であるマゼンダさんが包帯を巻いて、私は補助として消毒した綺麗なガーゼを抑えながら止血する。なんとか彼の頭に包帯を巻いた後、他の場所を確認した。
「いや、背中は痛かったけど、折れたとか、血が出たとかはないみたいだ。ありがとう。」
ほっとしたのもつかの間、少し小高い道に入ってこの馬車の行き先に心当たりができてきた。大通りから南西、こっちのほうは倉庫地帯があった。商人たちが地方から持ってきた荷物の集積場があり、問屋の市場が数多く、ここから王都の小売りに品物が下ろされていく。あそこなら、馬車が直接入れるような建物が多い。
「えっと、これってどういう状況?」
男性が声のトーンを落とし、私とマゼンダさんに聞いてきた。ミランダさんはあえて、小窓から大きな声で話しかけていた。
「はい、わたくしたちは今、誘拐されております。御者台の二人の犯人の進行方向右の男はミランダさんの知り合いみたいで…。」
そこでマゼンダさんが小声で補足した。
「青い髪で、ミランダさんの知り合いのジェドという方は、きっとジェド・バーンでしょう。ライオルト様の腹違いのお兄様で、バーン侯爵家の令息ですわ。」
「あ、じゃあお嬢さんたちも、貴族の方で?」
「はい末席を汚しております。」
「モニカさんったら、バージェス公爵家が末席なら、わたくしたちの立つ瀬がないですわ。」
「わたくしは養子ですもの。」
「でも、モニカ・Ⅾ・バージェスさんでしょう?」
「まあ、一応そうですけど。」
目の前の彼がキョトンとしていたので、身内ネタはこのくらいにしよう。私とマゼンダさんは簡単に自己紹介をした。
「あ、おれは・・・えっと、ヴォルデです。レスト王国から、魔銃を買いに来たん・・・です。」
「あ、敬語とかはいいですよ。それより魔銃ですか。」
「うん、冒険者をしてて、あ、レスト王国で資格は取ったんだけど、いい銃がなくて、で、直接クロスに来たんだ。いや、こっちはあっちと違って街に魔物が出ないから、ちょっと拍子抜けしちゃった。」
ニカリと笑った彼は20代前半だろうか。ホテルに大きい荷物を置いて、街を散策していた時に、物珍しくキョロキョロしてたら轢かれてしまったらしい。何と運の無い。
「それにしても、いきなり馬が魔物に変わったのか?その周りに魔力だまりでも?」
「いえ、無いと思います。広場には飼い葉桶と水くらいしか。」
「怖いこともあるものですわ。」
顔色の悪いマゼンダさんの手をそっと握ると、何かに気が付いた彼女はポケットからリボンを取り出した。
「モニカさん、これ、手に巻いていて。お守りなの。」
白地に精緻な模様の書かれているリボンを、私の左手首にしっかりと玉結びをしてくれたのだ。視線に気づき、前を向くとヴォルデさんが微笑ましいものを見るように笑っていたのでなんだか気恥しくなってしまった。その時ミランダさんが疲れた顔をしてこちらを向いた。
「なんであいつがこんなことしてるのかしら。確かに最近悪い連中とつるんているとか、ギャンブルに借金があるとか言ってたけど。」
「それに目的も謎ですわ。」
「…、そうね、でもまずここから逃げることを考えましょう。何としても我々がここにいることを、どうやら倉庫地帯に進んでいるようだということを、みんなに知らせねばなりません。このスピードじゃ飛び降りれないし・・・。」
「う~ん、じゃあ止まったら両方の扉を開けるのは?」
ヴォルデさんがいいね、と笑った。
「だったら俺が屋根の上に乗るよ。そうしたら一人くらい逃がせるんじゃない?」
そこで私たちはこそこそと打ち合わせをした。先ほど怪我をしたばかりなのにヴォルデさんは快く応じてくれた。トランクにはシエナ様が絶対にもっていくようにと言って無理やり詰めた、モンキーファストと特殊警棒が入っていたので、ヴォルデさんが特殊警棒を、ミランダさんがモンキーファストをもって位置についた。マゼンダさんが進行方向で右側のドアに手をかけ、ミランダさんが反対のドアだ。少しだけ小高い上り坂の中腹に、道幅の広い石畳のカーブがあった。そこを曲がるため減速した時、私は小窓に声をかけた。
「ジェド・バーン、侯爵令息。お会いするのは初めてですね、降格処分になったとお聞きしましたが、まさかペガサス航空団をお辞めになっていたのは初耳でしたわ。てっきりまだ軍にいらっしゃると思っておりましたのですが、こんなコソ泥をされていたのですね。」




