広場
午前中に第三王子殿下がレオン様とともにバージェス家にやって来た。
夏休みのお泊り会の為だ。
この日の午後3時ころに、今アリアドネ様が滞在されている、ロイ様のご実家のメーファス侯爵家の王都邸から、バージェス家に来る予定だ。それまでにマゼンダさんとライオルト様と合流して、本日の夜のパジャマパーティのために、お菓子を調達しようとしていた。
初めは私とミランダさん、マゼンダさん、ライオルト様の4人で行く予定で、シエナ様は第三王子殿下のお相手をしてもらうつもりだった。馬で移動される騎士の方たちを除いて、馬車も4人乗りを手配していたのに、急に今日になって第三王子殿下が自分も行くと言い出したので、馬車も2頭立ての大きいものに変更になった。名店と呼ばれるお菓子屋さんは狭い路地にあるのが多い。小回りが利きずらい馬車になったので広場か、大通りに置いておくことになるだろうが、そうは言っても仕方ない。ミランダさんと行く予定だったお菓子屋さんの変更を打ち合わせした。昨日うちに一足早く泊まったミランダさんは、今は気持ちを切り替えて、楽しむことにしたらしい。今朝からニコニコで準備していたし、突然の予定変更も口では文句を言っても機嫌はよさそうだった。
「もう、いろいろいったん置いといて、楽しむことにしました。」
そう言ってニカリと笑っていた。せっかくの夏休みだ。確かに楽しまなきゃ損だ。実の弟にアリアドネ様が好きなお菓子を聞けるチャンスだと、前向きにとらえよう。そう思っていたのだが。
私とミランダさん、シエナ様と第三王子殿下の4人が乗った馬車は、異様な静けさとともに、マゼンダさんと待ち合わせをしている通りを目指した。先ほどから、シエナ様と第三王子殿下の会話が続かない。
「リーフラグのお祭りももうすぐですね。」
「ああ。」
「宿が取れたら行きたいですね。」
「ああ。」
「本日は楽しみですね。」
「ああ。」
そんな会話を繰り返していた。この感じ前にもあった。第三王子殿下が『ああ』だけで会話していた事件。ラペット妃の時だ。シエナ様は気まずそうだし、私とミランダさんは下を向いて、お菓子屋さんの小さいメモを見るふりをしながら顔があげられなかった。心ここにあらずとか、そう言うのならいい、しかし声には明らかに棘があって、機嫌がすこぶる悪い。目の前に座っているのでひざを突き合わす格好になっているが、いつ蹴られるかと内心気が気じゃなかった。ここでキレられては一日の気分に響く。どうしようかとまとまらない思考で必死に考えていた。背中に嫌な汗がじっとりと浮かんでいた。
「あの。モニカ先輩。やっぱりここは寄らないほうがいいでしょうかね?」
ミランダさんが、重苦しい空気を換えるために明るい声でメモを見せてきた。それからその言葉の裏の意図もちゃんと伝わってきた。ああ、ありがとうミランダさん、ミランダさんがいなかったらこの空気に耐えられなかった。
「そうですわね…やはり歩く距離が長いですから、ここはやめましょう。明日、時間があったら行くことにしましょうか。アリアドネ様とご一緒に。そうしましょう。」
「そうですね。じゃあ保留で。」
そういうことにしておいて、さっさと合流してお菓子を買って、帰るぞ。その意思がひしひしと伝わってきた。少しだけ視線をあげて、第三王子殿下の顔を前髪の隙間からチロリと覗き見た。そうして目があった気がした。驚いて窓のほうに視線をサッと持って行った。何だかこっちをにらんでいるような…私は何かしただろうか?窓の外で馬に乗っているレオン様が、うらやましくて仕方ない。
やっとのことマゼンダさんとライオルト様と合流し、続かない会話をやり過ごしながらお菓子を買うために広場で馬車を下りた。
この広場には乗合馬車の大きな停留所があった。地方に行く人が乗る長距離の乗合馬車と、王都内を回っている馬車のハブ駅があり、人通りが王都一多い場所でもあった。乗合馬車以外の馬も使える馬繋場、近くには飼い葉や水を売っている店舗などが軒を連ねていた。馬車の出発時刻、清算を行う案内所もあり、人が列を作っていた。王都内の乗合馬車は、広場周りに店舗を出している商工会が、長距離乗合馬車は国がその商工会に委託をして管理している。馬具の店やら、馬用のおやつを売っている人たち、御者から依頼を受けて、代わりに馬の世話をする者もいた。何とも商魂たくましい。今この広場には15頭ほどの馬が、それぞれの御者によって世話を受けていた。レオン様とライオルト様も馬から降りてバージェス家の御者さんに馬を預けていた。私たちは人数的にはなかなかの大所帯で歩き出した。
「それで、どんなお菓子を買いに行くんですか?」
「おいしいと評判のロールケーキですわ。前にマゼンダさんと行って、感動いたしましたの。」
私とマゼンダさんが先導をしているので、後ろを振り返って、ミランダさんの隣を歩くライオルト様に答えた。その後ろには第三王子殿下とエスコートされているシエナ様が、さらにその後ろにレオン様が目立たない護衛時の服装で目を光らせていた。
意外と甘いものがお好きなレオン様とライオルト様が、少しだけ嬉しそうな顔をしたのが分かった。
「あそこはお菓子に合うお茶も一緒に買うことができるのですわ。楽しみですわね。」
朗らかにふんわり笑ったマゼンダさんに胸が高鳴った。可愛い。天使。
無事にロールケーキと、一緒に売っていた焼き菓子をゲットし、馬車のある広場に歩を進めていた時だった。その広場のほうが何やら騒がしい。
「ちょっと様子を見てきます。ライオルト君はここにいてください。」
一番後ろにいたレオン様が、速足で広場に向かった。ライオルト様はさりげなく第三王子殿下と歩く順番を入れ替えた。
「なにかしらね?」
ミランダさんが道をじっと覗く様に見ていると、一頭の馬がこちらに駆けてきた。騎手がいない鞍のみ載った馬だ。ライオルト様が大通りの端にみんなを寄らせ、走り抜けるのを待つことにした。しかしそこで大きな違和感を感じた。すれ違いざま、確かに見えた。
「アンデット、ホース?」
私のつぶやきがかき消された。王都のこんな往来の激しいところには絶対にいない魔物の姿に、しばらく一同唖然とした。頭が馬の骸骨に、鬣のように生えているのは蔦植物だ。店屋の軒の箱を踏みつぶし、店の女将があげた悲鳴とともに我に返って、広場に向かった。あちこちから怒号と悲鳴が飛んでいた。広場からはまた、一頭ペガサスが飛び出して羽ばたき、ふいに空中に飛んでしまい、建物の石壁に頭をぶつけ、落ちてきた。
広場にいた馬たちが、魔物化していた。
バージェス家の馬車をレオン様が引いてきた。どうやらうちの馬は無事のようだが、周りがいきなり魔物化したため怯えて早足になっていた。どうどうと言ってもなかなか止まらず、広場から少し離れたところでようやく止まった。
「御者さんはどうなりましたか?」
「俺が馬車までついたときにはいませんでした。」
混乱を極めた広場を見渡した。列が連なっていた案内所は無人になっていた。逃れられただろうか。馬繋場の元馬たちがロープを魔法でおのおのちぎって暴れまわっていた。
「アンジェリカ…。」
ライオルト様が一点を見据えてつぶやいた。いつも彼が乗っている愛馬は、黒い馬だったのが額に角が生え、少し灰色がかった色のユニコーンになって、馬繋場の屋根の上を行ったり来たりしていた。彼女の鞍についたバーン侯爵家の家紋だけが、アンジェリカだと示す証だった。
「まずは皆さん馬車に乗ってください。奥から詰めて。」
レオン様が何かをぐっとこらえながら扉を開いた。あの馬繋場の下にはレオン様の栗毛の愛馬もいたはずだった。一番近くにいたマゼンダさんを馬車に押し込んで、ミランダさんが私を中に入れた。そのミランダさんを、マゼンダさんと一緒に手を掴んで引いた時だった。外から少しだけ話声がした。御者風の男がレオン様から馬の手綱を受け渡されていた。金髪の若い男だ。しかし、私はその男に見覚えが、無かった。御者台にはもう一人すでに乗っていて、マントについた家門は確かにバージェス家のものだったが、背を向けていたため顔は見えなかった。
そして不意に馬車が発車し、動き出したのだ。不安定な足場にふら付いて、ミランダさんのほうに倒れこんだ。しかし馬車は動きをやめない。大きな振動とともにぐんぐんと速度を上げて行った。
私たちはそのまま呆然と座っているしかなかった。




