好きな色
公爵閣下の銀色の髪。シエナ様の金の瞳。公爵夫人の輝く金髪と空色の瞳。宝石箱の中にいるような公爵家で見るものすべてが美しい。公爵閣下とシエナ様の髪は同じ銀色でも印象が違う。シエナ様の髪は雲間の日差しの銀色で、公爵閣下は夜空の星の鋭さの銀色だ。そして私の一番好きな色は、公爵夫人の瞳の色。あの瞳で見つめられるとそれだけでうれしくなってしまう。夏の色味の強い空ではなく、春の柔らかい日差しの色だ。
しかし、だ。第三王子殿下の手紙にあった、好きな色は何か、という質問には何と答えるのが正解なのだろう。空色はこの間の貴色の件で却下。同理由で青と赤も却下。しかし緑とは答えにくい。殿下の貴色を答えただけで本当の好きな色を答えたリアリティが足りない。すぐに疑われてしまう。オレンジやピンクが無難か。全然好きじゃないが、いやそれこそボロがでるか。じゃあ本当に好きな色を言ってしまうか。空色に銀色に金色です。これは成金娘のわがままに聞こえそうな配色だ。
うーん。その次に好きな色。ああ、紫色はどうだろう。青紫は青っぽいし、夕時の空の色だ。ザ・無難。早速お手紙を送ろう。あ、ついでにシエナ様の好きな色を推察したからその結果も書こうか。よく着ているドレスの色は、ピンクで次点は黄色。手紙のほとんどがシエナ様のことになってしまった。まあいい。最後に自分の好きな色を添えてよしできた。シエナ様のことについてなら筆が進む。普段は無難な内容を心がけて内容がペラペラになってしまい厚さも足りない。本当に彼女は私にとって救世主だ。間違えないように丁寧に息を止めて書いた。もうちょっとで酸欠で死ぬところだった。心臓を落ち着け息を整える。最近本当にすぐに息切れが起こる。運動不足は承知しているが、なんだかおかしい気もする。本で調べてみようか。思いのほか分厚くなってしまった手紙に封をして、夜空を見上げた。
レオンから手紙を受け取ったリチャードはいつもよりも速足で書斎に入り、手紙を開けた。丁寧に封を開けるとこれまた宛先と同じ几帳面な文字が並んでいた。確か自分は彼女の好きな色を聞いたはずだった。何時もより長い返信に心を躍らせて手紙を読み進めるが、どこからどう見ても彼女の大好きな“シエナ様”の生態調査報告書だった。うんざりして最後まで読み進めると最後の最後、私は紫色が好きです。の一文をようやく発見し、思わずにんまりと笑った。モニカが今まで着てきたドレスは濃紺が多かった。後はカーキ色。この間の空色のドレスはモニカに似合っていてそれが逆に悔しかった。めったに着ない明るい色のシンプルだが、レースが程よく入っている可愛らしいドレスが、自分の色じゃなかったのだ。今度は緑色を着てきてほしい。それにしても紫とは初耳だった。
「何、にやついてるの。」
アリアドネから冷たく言われて表情に出ていたことに気が付いた。姉との定期報告を兼ねたお茶会は今回はリチャードの翡翠の宮の温室で行われた。季節外れの植物たちが繫茂しているここは王宮でも美しい庭だった。ここにはリチャード付きのメイドと姉付きのメイド、それからリチャードの専属騎士のロイと、姉の専属女性騎士キュラソーだ。モニカの好きな色が書いてある一枚をひらりとした。
「いいえ、モニカの好きな色が紫だって返信が来たんです。」
「へぇー、ふうん。そうなんだ…。」
いつもより反応の悪いアリアドネに、首をかしげて目線をたどる。藤色の髪を持つ己の専属騎士が背を向けて立っていた。藤色。要は紫色だった。
「この間モニカがロイのこと素敵だって言ってたのよね。」
気にはなっていた。最近やたらとロイとよく一緒にいるような気がする。シエナが公爵家に来てからモニカの様子がおかしいのはそうだが、行動パターンが少し違うのだ。表情が明るくよく笑うようになった。
「最近ロイと一緒にいることは多いように思います。」
声のトーンを落として目線を姉に戻した。
「そうよね、そう。」
初めて顔を合わせたとき、モニカはピンク色の可愛いドレスを着て、公爵に抱えられながら現れた。人形のような女の子だった。それまで婚約者候補の顔合わせを三回ほどしたが、一緒に一,二回遊んだだけで現れなくなった。つたない挨拶を経て、庭に連れ出した。レオンと兄弟以外と遊ぶ機会は全くないため貴重で楽しい。どうせもう来ないのだからやりたいことを全部やろう。そう思っていたが、モニカはその次もその次のお茶会にも来た。前着てきたドレスではなく、動きやすい地味なワンピースに、何が入っているのかバスケットを持ってやってきた。わざわざ自分に合わせてきてくれた。相変わらず表情は硬いし動かないし、どんくさくてよく悲鳴を上げるのだが、うれしかった。いつの間にか婚約が本決まりしていたし、兄上の邪魔もしない最高に都合のいい婚約者だった。二年間楽しく過ごしていたが最近はその婚約について解消の話が出ていた。出しているのは反王太子派の連中で筆頭は母上だ。もう本当に何とかして母上の権力を削がないといけない。現実逃避が佳境に入ったころに姉の声でうつつに戻された。
「あんたがもっとちゃんとしていればそんなことにはならないでしょうけど…リチャードって頼りないし。」
「…そんなに頼りないですか?」
地味に気にしていることをついてくるのは姉の悪いところだ。
「何よ、何かあったの?」
「この間モニカと馬に二人乗りしようとしたら断わられました。ロイに乗せてもらうと言われて。ロイからもモニカを片手で支えられるようになってからと言われましたが。」
「まあそれはロイが正論ではあるわね。公爵令嬢のモニカにケガなんてさせられないもの。」
「でも!二人で乗ってる時くっつきすぎなんですよ。モニカは俺の婚約者なのに。」
「…気やすく公爵令嬢に触るのはよくないわね。そういえばロイのこと頼りにしているとも言っていたわ。もうちょっと何とかならないの?」
「今度、インディゴ蝶を見ようと約束しました!」
「あら、それは名案ね、いいじゃない。ロマンティックよ。」
そうでしょう、と胸を張った。
「モニカが泊まる部屋のコンセプトのために、好きな色もリサーチしたんですよ!」
「うん、いいわね。二年たって聞いたのは遅いけど聞かないよりいいわ。」