幾度目かの賭け
「リチャード。あ、王妃様、こちらにいらっしゃったのですね。」
ケイトに案内されて翡翠宮の後宮の片隅。このプライベートな空間にまで、いつの間にか入ることを許されていたシエナが、優雅な礼をして当然のように隣に座った。王妃が行う王子妃教育という名のお茶会に、律儀に出ているのは素直に偉いとは思うが、本来リチャードが望むのはモニカだったわけで、あまり歓迎はできなかった。それでもシエナはどこ吹く風で、堂々と彼の隣にいたのだ。彼女のお茶が出され、メイドもそこそこ離れた場所に待機して、ここには3人の空間ができていた。
リチャードは口を開く気がなかった。そもそも自分がここで一人で休憩していた所に母とシエナが来たのだ。何か用があって、とかではないので、話す必要性を感じなかった。いや、一つ確認することがあったか。
「シエナ。今日、王太子妃に渡されたお守りは持っているか?」
シエナは手に持っていた小さな手提げをテーブルに乗せた。
「もちろんよ。この中に入っているわ。」
ハンカチ、財布に、ペンとメモ。しかしいつものきんちゃく袋は入っていなかった。
「アレ?おかしいわ、絶対入れたのに。」
口を尖らせたシエナに、それが嘘であると分かってしまった。少し表情がわざとらしい。彼女の嘘は分かりやすい。もともと嘘がつけない人なのだろう。しかしその嘘の付けない人が、付いた嘘とはどういうことか。なぜ、わざとお守りを置いてきたのか。なぜ彼女はそんなことをしなければならなかったのか。いや、もし持ってきていたら、きっとリチャードはその石を取り上げただろう。王妃を使って祈力検査にかけると言わせて、明日返すとうそぶいて。それを避けるために彼女がお守りを置いてきたのならリチャードの行動を先読みしていたことになる。シエナはそこまで先読みをするほうではない。いったい何が彼女にそんな行動をとらせたのか。今考えても仕方のないことではあった。
「そうか。」
それならば明日、取り上げればいいだけのこと。腹の探り合いが得意な自分としては物足りなかったが、モニカほど分かりづらくても、それはそれで厄介だ。いつも感情の起伏の乏しい彼女の嘘は、全く見抜けたためしがなかった。そうだ今モニカは何をしているのか。明日からのバージェス家での泊りを、実はリチャードはかなり楽しみにしていたのだ。二人きりは無理だとしても、少しでも話せる機会かあったらと期待していた。
「ああ、明日はリチャードが世話になるわね。ふふ、二人で楽しんでいらっしゃいな。」
「はい。私も楽しみです。リチャードがうちに来るのが。」
そう言って金色の目線を寄こし、モニカが言う天使の微笑みでこちらを見ていたが、珍しくなんとも思わなかった。いつもだったら胸の奥から何らかのシエナに対する好意的な感情が湧き上がってくるのだが、今日は違った。なぜかひどく冷静に現状を見ることができた。
「どこに行く予定だとかは聞いているか?」
「いいえ。そういうのはモニカとミランダちゃんにお任せしています。二人が詳しいので。」
なるほど。自分はもてなされる側と、そういう事か。ニコニコ笑って答えているが、これはきっとあの二人が甘やかし続けた結果なのだろう。
「なんだ頼りにならないな。」
棘が幾分混ざってしまったが、気にせずお茶をすすった。
「どうしたのリチャード、今日はなんか、いつもと違うわ。」
困惑の表情に、今回は噓はなかった。本気で分かっていない。
「いや、いつもの私とは、どんなだったかなと思ったんだ。シエナから見てどうだった?私は昔からこうでは無かったか?」
まっすぐと見据えれば、モニカのように逸らしたりはしなかった。そういうところは可愛げがない。モニカはすぐに逸らすのだ、それもあっちこっちせわしなく視線をさ迷わせ、困惑を隠そうともしない。そんな彼女を見ているとつい、意地悪をして構い倒したくなってしまう。
「よく思い出してみれば、そうだったわ。最近ちょっと優しかったから。」
「私が体の自由を奪われていたことが、わかっていたか?」
「そうなの?なんでそんなことに?」
首を傾げたシエナに不審な点はなかった。
「ここ1年のことを断片的にしか覚えていない。そうだな、プロポーズをした、という記憶はあるが、なんと言ったかは覚えていない。あの日、キュレス伯爵の別邸の中庭で頭を抱えていたんだ。そこにモニカがやってきて、相談したんだ。『なぜ、シエナにプロポーズをしようとしていたのか、わからないと。』モニカには一蹴されたが、また意識が戻った時にはプロポーズの直後だった。」
「そんな、そうなの?」
そこまで黙っていた王妃が唖然と口を開いた。
「つまり、貴方としてはシエナにプロポーズするつもりはなかったと?でも準備はちゃんとしていると報告が上がってきていたわよ。貴方は真剣に婚約指輪を選んでいたし、その旨直接報告してくれたわ。」
「報告ですか。それっていつのことです?」
「確か、文化祭の1週間後くらいかしら。」
しかしやはり身に覚えがない。シエナの左手の薬指には、蝶の彫り物とエメラルドの石の付いた指輪があった。確かに私の婚約者が持っているべきデザインの指輪だった。その指輪に見覚えがあった。出来上がり、手元に来たそれを眺めながら、後悔して悩んでいたのだ。
「じゃあ、リチャードはプロポーズしたのは間違いだったって言いたいの?私のこと大事にしてくれるって言ったのはうそだったの?覚えてない?」
「ああ、覚えてない。婚約を解消してほしい。」
「何言っているのよ!」
王妃が立ち上がって声をあげ、シエナの手をぎゅっと握った。
「それはあまりにも勝手すぎるわよ、リチャード!何度も婚約解消なんてできるわけないでしょう!もう正式に発表したのだし、取り消しなんてできるわけないわ。」
「モニカを忘れるために婚約したが、やはり忘れられなかったとかそういう感じにすればいいのではないですか?別に、理由なんていくらでも思いつきますが。これならシエナに非はないのですし。」
「・・・リチャードは、まだ、モニカのことが好きなの?」
下を向いたシエナの、珍しく歯切れの悪い言葉に、しかしリチャードは大きく頷いた。
「ああ。どうやら私はモニカが好きらしい。どうしても結婚するならモニカがいい。」
リチャードの直球な物言いに、王妃は頭を抱えた。そこでシエナが意を決したように顔をあげた。
「あの、リチャード。この際だからはっきり言っておくわね。モニカは、リチャードのこと、なんとも思ってないわ。好きか嫌いかで言えば、たぶん嫌いなほうに入っていると思う。いくらリチャードがモニカのことが好きでも、モニカの気持ちが無かったら婚約解消は意味ないし、やめたほうがいいと思う。」
シエナの正直な言葉は、リチャードの心臓に深く突き刺さった。モニカに近しい彼女の言葉だ、馬鹿にはできないし、笑えもしない。何とも思っていない寄りの嫌いとは、最悪の評価ではないか。
「私は、リチャードとモニカの婚約が解消されるのは、いいと思っていたの。モニカはね、貴方と会うときとか、緊張して顔が真っ青だったの。あの子はああ見えて小心者だから、王城に来ること自体すごく苦手だったし、時々面倒な貴族に絡まれていて、ため息交じりにいなしていたのを何度も見たわ。貴方のことも、どう扱っていいか分かっていなかった。ただ、無難にやり過ごそうとしているように見えたわ。」
不気味な静けさが、風で揺らす葉音を引き立てていた。
「つまり、見込みがないと?」
「ないわね。」
「まったく?」
「・・・ないわ。」
ふう、とため息をついた王妃が、自分の席に戻った。
「見込みないならあきらめなさい。あの黒いのは私が婚約解消を提案して、ただ一部の迷いなく頷いたのよ。貴方に対して全く思い入れがなかったのだわ。むしろなんで貴方があの黒いのと結婚したいのかわからないわ。シエナのほうが100倍可愛いし、100倍愛してくれるのに。」
なんでモニカと結婚したいのか。確かに、つれない彼女と結婚しても、きっと冷め切った夫婦となるだろうことが予想できた。リチャードの両親とまで行かなくとも、お互い仕事以外では口も利かないような、そんな夫婦。しかし自分が努力すれば何とかなるのではないかという希望もあった。現にモニカはプロポーズ前に相談に乗ってくれた。あの時は以前より自然に話せたし、前の私より今のほうがいいと言っていたのだから、まだ諦めるには早いはず。
「私が、努力してもダメだろうか。」
「リチャードはどうしても、考えが変わらないの?」
「もう少し頑張りたい。」
はあ~~~とシエナは大きな息をついて、顔をあげた。キッとリチャードと王妃を見た。
「わかった、リチャード、私と賭けをしましょう。卒業まで・・・。それまでに、モニカがリチャードと結婚したいと思わせることができたら、婚約解消してもいいわ。」
「シエナ!」
王妃の悲痛な声に、しかしシエナは首を振った。
「でも私が協力できるのはそこまで。私が卒業して、でも今のままならあきらめて、私と結婚して、私を愛してよね。」
「わかった。約束する。」
「リチャード、いい?あなた今、最低なことをシエナに頼んだの、わかってる?」
「ええ、分かっています。」
王妃が失望したように自分の息子を見ていたのに、リチャードはその視線に気が付くことはなかった。そんなリチャードをまっすぐと、シエナは見据えた。
「あなたは私と結婚することになるわ。私、わかるもの。」




