『あの人』の恋のお守り
翡翠宮の端にある東屋で定期的に開かれていた兄弟のお茶会は、姉であるアリアドネが嫁いでから不定期開催となり、リチャードは一人でお茶を飲むことが多くなった。かさりと国際郵便をテーブルに置いた。昔は母の目を盗んで、二番目の兄も招いて、お菓子を持って4人で集まり遊んだりしたものだ。そのお茶会がなければディーン兄上の気さくで、気遣い上手、ムードメーカーな性格を知ることはなかっただろう。あの時はいつまでも、そんな集会が続くと思っていた。たとえ姉が他国に嫁いでも、二番目の兄が国内貴族に婿入りして臣下しても、自分がバージェス家に行っても。蓋を開ければ王太子である一番上の兄は、忙しさのあまりお茶会の余裕などなく、二番目の兄は望み通りこの国から出て行って、隣国で楽しく放浪生活をしているらしいし、姉は国境に接している領地へ嫁ぐため、ロイの屋敷で生活しているしで、この半年全く王城に帰って来なかった。寂しいと思う年ではないが、静かだとは感じていた。
その次兄からの手紙を、一睨みしてからため息をついた。そこには魔石の不穏な取引の動きだの、相手は魔王国らしいかもだの書かれていて、本人の、のんきな口調とは対比のある、非常に頭の痛い内容だった。『きな臭い話も聞いたから、レスト王国で調査するね。リチャードもそっちのほうの調査よろ~。ヤバかったらにーさんに報告お願い~。』そういつもの軽口のように書かれていた。きっと、それとなく耳に入れておいてほしいが、忙しいだろうから調査して、報告したほうが良いとおまえが判断したら、正式に兄上に言ってくれという意味だろう。
レスト王国からの魔石は、前々から不可解な点があった。具体的に言えば魔石の種類が多すぎるという点だ。砂漠のある全体的に熱い地域であるから火の魔石、風が強く、よく砂が舞うため、風の魔石と地の魔石が多いのは分かるのだが、なぜか水の魔石が最近はよくこちらに輸入されていた。水の魔石はわが国ではローファス領が一大産地であるが、つまりはそういう寒い土地にいる魔物を倒すとその体から出てくるものだ。炎の魔物が多いため、その魔物に対抗するために水の魔法を使う魔物が多くいるのなら、納得もできるのだが、輸入が増えたのはこの数年だった。もともと水系の魔物が多い地域ではない。ほんの10年前までは、こちらから水の魔石をかなりの量、輸出していた記録も残されているので、火の魔石に次いで2番目に多く輸入されるようになったとなっては、何かあったと感じずにはいられない。
ではその魔石の出どころとは?次兄の手紙をそのまま読めば、レスト王国内で魔王国との何らかの取引によって水の魔石を手に入れている。そうならば、それはレスト王国を含む数多くの国で信仰されているバレル教とは対立する、邪教信徒とされてしまう。魔王国との国交なんてもってのほかだし、取引や言葉を交わすことさえ忌避感があった。かの国が国を挙げてやっているのか、そういう勢力がいるのか。どちらにしろレストの首都、セフーバはそのことに気が付いているのか。もともと魔王国とは戦争をしていたし、ダンジョンの中で襲ってくる、魔物たちのレベルが上がった姿が、亜人であり、魔人であるのだから、当然嫌悪感が存在する。きな臭くて頭が痛い。
ちなみにだが、あまり長い間魔力にさらされ続けると動物が魔物になる、それと同じことが人間にも稀に起こった。ダンジョンによく潜る冒険者などは、いきなり角が生えてきた、体毛が伸び、牙が伸びた、等々そう言う報告も数年に一件報告があった。そんなのはダンジョン内で中暮らして寝起きし、20年とかそういう人に起こる現象ではあるが、そうなってしまえば国にいてもらっては困る。いつ我を失って周りの人間を襲うか分からないのだ。そうなった国民は国民として扱われず、ローファス領の前線に送られ、兵役につくという名目で、魔王国のほうに追放されていた。上がってくる報告では戦死扱いで、家族には遺族金が出た。
家族が魔物化してしまってそれを匿っていた、一家の悲劇も定期的に起こっていた。魔物化現象についての研究は長年続けられているものではあるが、防ぐ手立ては魔力だまりに長くとどまらない、魔石はあまり持ち歩かない、というものが一番現実的ではあった。魔石は小さな魔力だまりと同じような効果があり、魔石を持っていた魔法使いなどがダンジョンで魔物化の進行が速かったという統計があった。最近はこの作用を利用し、馬をペガサスに魔物化させる際、魔石を身につけさせる業者が増えているらしい。魔石高騰の一因であることは想像に難くない。
そしてその魔石に魔王国が絡んでいると、犯人があちらに逃げてしまえばこちらからはそれ以上の追及はできないので、こちらで出来ることは限られた。報告書に目を通し、お茶を一杯飲んだ。
「あら、リチャード。何だか久しぶりね。」
足音はしていたが、あえて無視をしていたのに、あちらから声をかけてきた。従者を一人連れて日傘をさしていた王妃は、東屋の中に入って、リチャードの隣に座った。王妃が待機していたメイドに目線を送れば、ぺこりと頭を下げ、お茶の準備を始めた。
内心余計なことをと思ったが、じっとリチャードを見つめるエメラルドの瞳に気づき、口に出すのはやめることにした。
「何か?」
そう言って見つめ返せば少し安心したように笑った。
「やっといつもの調子に戻ったわね。良かったわ。」
「母上が何かしたんですか?」
思えば、モニカとの婚約解消も、シエナとの婚約も、この王妃の思う通りになったのだ。きっとことがすんなり進んでさぞ気持ちの良かったことだろう。誠に遺憾だ。ここからどうやってひっくり返してやろうか。
「何を言っているのよ。何の話?」
「しらじらしいですね、今まで私がおかしくなってから、ずっとあなたの思った構想どおりになっていますよ。貴方が裏で何か糸でも引いていたんじゃないんですか。」
「そんなことするはずないわ。確かに黒いのにシエナ嬢をリチャードの次の婚約者に、とは言ったけど。」
「黒いのって何です?まさかモニカのことではないですよね?それ、本人に言ったりしましたか?まさかそんな常識の無いことしませんよね?」
ごにょごにょとハッキリしないところを見るに、本人の前で言ったことがあるのだろう。モニカにそんな失礼な態度をとるなんて。まったく、なんでこんな人が自分の母親なのか。扱いやすい分、第二妃のほうがまだマシだ。
「とにかく、私のせいじゃないわ。…あなたが黒…、モニカ嬢から貰ったクッキーをそのまま馬車で食べたりしなかったら、こんなことにはなってないわ。」
「それはどういうことです?」
「そのクッキー、あの子の…王太子妃の経営する店のものだったのよ。商品開発にあの子が関わっていて、変わった効果を発揮するものだったみたい。詳しくは分からないけど。」
大体予想はついていたが、やはりあのクッキーが怪しかったのか。思考が鈍ったのも、変なことを口走ったのも全部…。
「まあ、あの時みたいに濁った眼をしていないから、効果が切れたのね。良かったわ。」
「母上としては都合がよかったんじゃないですか?」
「都合はよくても、貴方の体に何かあったのかと思って、かなり焦って色々調べていたわよ。だってまるで、国王陛下が…」
そこで話を区切って、王妃にしては珍しく遠い目をしていた。
「国王陛下が『あの人』と恋に落ちたときみたいだった。」
しばし沈黙が落ちた。お茶のカップを同時に持ち上げ、同時に口に運んだ。母が、直接この話をするのは初めてだった。
「そう言えば、あのクッキーが売っていた場所。『あの人』が恋のお守りを手に入れたって言っていた場所に近かったわ。」
「なんですそのお守りって。」
気まずい話から、少し脱線したくて話題を振った。父と母の結婚前のごたごたは、知る人には知れ渡った有名な話だが、その詳細を子供である自分らに教えてくれる人はおらず、いろんな人の話を断片的につなぎ合わせた話しか知らなかった。
「えっとね、小さなきんちゃく袋に入れていて、事あるごとに取り出して握ってたわね。白くてこういう円錐?三角形の。」
白くて三角形。リチャードはその形に見覚えがあった。シエナが大事にしている、あのお守りだ。貰った経緯はどうだった?またあの人だ。少しだけ、嫌な可能性に行きついてしまって、鳥肌が立った。




