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エレン・Ⅽ・ローファスの回想

 

「ああいけないわ。」


 扉を最後に出たモニカ嬢が、小さくつぶやいた。お二人にお渡しするのを忘れるところだった。そう言って今出た扉をまた入っていった。何やらちょっとした土産をお渡ししたいと言っていたが、渡し損ねたらしい。レオンはさっさと行ってきてくださいと、彼女をせかしていた。


 ケイオス夫婦と第三王子殿下のカップルはもう歩き始めて、廊下を曲がるところだった。ここにはモニカ嬢、ご友人二人、それから息子のレオンと自分だけだった。ちなみにジョコビッチは娘に付いて行ったためここにはいなかった。


 久しぶりに会ったのだから息子と少しばかり話せれば、と思い残ったが、レオンはせわしなくロイ卿の世話やら、アリアドネ殿下の指示のとりまとめやら、忙しそうだったので話しかけられずにいた。モニカ嬢と合流してレオンの先導で歩きだし、しばらく少女たちの和やかな話声を聞きながら歩いていたとき、後ろからカツカツと靴音が聞こえてきた。教会の庭に面した回廊は、冬ではあるがよく晴れ渡っていたため、日があり温かい。そこに底冷えのする声が降ってきた。


「黒いの。貴方、リチャードに何をしたの?」


 護衛騎士を一人引き連れてきたのは、新緑色の瞳を持つリエッタ王妃陛下だった。一行が息を呑んだのが分かった。一番前にいたレオンはいつの間にか、モニカ嬢をかばうように間に割って入っていた。


「王妃様、お久しゅうございます。第三王子殿下が、どうかなさったのですか?」

 この場合話しかけられたのはモニカ嬢だが、爵位が高いのは自分なので、答えるべきは自分だった。久しぶりの王都で忘れていた。それに近衛隊の赤い制服と、モニカ嬢の本日の赤いドレスがあまりによくそろっていたため、それに見入ってしまっていた。そういえばレオンが婚約者と衣装をそろえたことがあっただろうか?


「何よ白々しい。婚約解消までは納得できるわ。国王陛下が手のひら返しをしたからね。でも何?婚約はそうそう簡単に結べるわけないわ。リチャード『らしく』無いもの。あの子にいったい何をしたのよ。」

「何も、特別なことはしておりません、シエナ様と二人きりになれるように、カフェを紹介したりだとか。」

 モニカ嬢の表情はいつも通り、なんてことないように答えているが、目の前にあったレオンの腕を両手でがっちりとつかんでいた。やはり相当こわいのだろう。


「リエッタ様。お久しぶりでございます。」

 のそりとレオンの前に歩み出た。その時初めてエレンの顔が目に入ったのだろう。クワッと目を見開いた。

「エレン。・・・聞いて頂戴エレン!」

 両腕をガシリとつかまれた。ああ、なんだか懐かしい。

「この子が婚約者をシエナにするって言うから、期待しないで待っていたら本当にリチャードが婚約者をシエナにするって言い出したのよ!おかしいでしょ?あの頑固者が。それに婚約解消の時だってそう!国王陛下が急に婚約解消してもよいって言い出したのよ。二人とも発言を撤回するなんてありえないのに!私がどんなに訴えても意見を変えることが無かったのに!いったい何なのよ!それにリチャードの様子もおかしいし!まるで…」

 下を向いてしまったリエッタ様の、つむじをなんとなく目で追う。昔とそう変わらない姿に、少し安心した。

「ああ、あの時の…国王陛下の様だわ。覚えている?わたくしたちが学生だったころ。突然、国王陛下が同じクラスだった、ナタリー・リリエン子爵令嬢と付き合い出した時と同じ顔をしているのよ!」

「学園に入学した時のことですか。覚えております。」




 事の発端は、やはりケイオスだろう。


 その昔、現国王ミカエル王太子殿下(当時)、その妹ヴィオラ王女殿下お二人の話し相手兼遊び相手兼婚約者候補として王城に招かれていた貴族子弟がいた。まずバージェス公爵家からはローズ様とケイオス。ヴィヴィエ公爵家からはリエッタ様。それからローファス家の次男だった自分、エレン。いつもこの6人で集まっていた。大抵は年の同じミカエル殿下とローズ様とリエッタ様が庭でやんちゃに遊びまわり、その様子を見ながら、ヴィオラ殿下とケイオスとエレンが三人で静かに室内で遊ぶのがお決まりだった。


 ヴィヴィエ公爵閣下は娘のリエッタ様を王太子妃にと積極的に動いていたようだが、思惑はうまくはいかなかった。何より、一番のライバルであるローズ様とリエッタ様は親友と呼べほどの間がらだった。学園に入学する1年前、バージェス家と王家の間で何か取り決めがあったそうで、最初に婚約が発表されたのが、ケイオスとヴィオラ殿下だった。この発表に一番驚いたのは、今目の前にいるリエッタ様だったことだろう。昔の話だが、リエッタ様はケイオスのことをよく面倒見ていた。親友の弟ということでよく相談に乗ったりもしていたようだった。そのケイオスが相談なく婚約を決めたのを、怒っていたのを見たことがあった。


 それに次いで、ミカエル殿下とローズ様の婚約も決まった。こちらも意外だったのか、リエッタ様とローズ様がミカエル殿下を攻め立てていたのを見たことがあった。

 自分としても意外だった。王家の御子息お二人がお二人ともバージェス家の姉弟と縁戚になるのは、バランス的にもいかがなものかと、そう思っていた。どうやらこれはエレンの親世代からの決め事があったらしい。心当たりと言えば『真実の愛』での騒動だ。そこでバージェス公爵家が王家の尻拭いをしたのだ。その時の借りを返したのが、この婚約だったのではと考えていた。


 ミカエル殿下とローズ様の仲は決して悪くはなかった。将来結婚して国を支えましょうね、とそう約束するくらいにはよかった。リエッタ様も二人なら大丈夫だわ、とそう言っていた。自分から見ても、3人は本当に仲が良かったので、きっとミカエル殿下は二人のうちどちらかと結婚するんだろうと自然と思っていた。


 そう、学園に入学する前まで。


 学園に入学して、1年間はそこそこ仲良くやっていたらしい。しかしエレンたちが入学した年に事件は起きた。今まで全く話していなかったクラスメイト、ナタリー・リリエン子爵令嬢とミカエル殿下が急接近し、どこに行くのも伴って歩くようになった。くるくるの赤毛が特徴の可愛らしい人だった。ダンスパーティにも今まではローズ様をお連れだったのに、突然ナタリー様をパートナーにし出した。実際にお二人様子を学園のいたることろで確認できたし、怒り心頭のリエッタ様が何度もミカエル殿下に抗議に行ったそうだ。その度になしのつぶてだったそうだが。ミカエル殿下とローズ様は没交渉になってしまった。文化祭でのパーティでも、ローズ様とリエッタ様のパートナーをエレンが務めることになったりと、不安な日々を過ごしていた。王城でミカエル殿下にお話を聞きに行ったとき、いつも通りの態度だったが、しかし少しだけ違和感を感じた。毎日が上の空で、本来のやんちゃな殿下が綺麗にまとまってしまったような、言葉に表しずらい変化だった。


 そのうちに、もともと気の長い方でなはかったローズ様の我慢の限界が来てしまった。3年の卒業式の日。彼女はバージェス領に出奔された。

 リエッタ様は知っていたようだが、ケイオスは全く知らなかったらしく、動揺して王城にやって来た。ローズ様からの手紙を持って。その手紙にはナタリー様とお幸せに、と書かれており、ミカエル殿下は頭を抱えて動かなくなってしまった。


『見損なったわ、ミカエル。』


 そう言ったリエッタ様の声がいまだに忘れられない。あんなに、人の声は冷たい響きになるものなのかと。それも致し方ない。しかしその隙を見逃さなかったのが、ヴィヴィエ公爵だった。リエッタ様本人は姉がいなくなって、憔悴していたケイオスをヴィオラ殿下と励ましたりと忙しかった。そんな中、当時の国王陛下がナタリー・リリエン子爵令嬢をオーディン・ドレスト伯爵の急死した妻の代わりに、後妻として娶るようにと勅命を出した。ナタリー・リリエン子爵令嬢は全く抵抗もせずにドレスト伯爵の元に行った。ミカエル殿下はそれについて何も言わず送り出した。後々あの時の自分はどうかしていた、と殿下自身が語っていたが、殿下が側妃にした母方の従妹のスザンナ妃は、ナタリー・リリエン子爵令嬢と同じ、くるくるの赤毛だった。何年か引きずっていたのは間違いない。現にヴィヴィエ公爵の策略によりリエッタ様が王妃となることになった時、リエッタ様本人は絶対に嫌だと抵抗したが、殿下は全く抵抗する気力もなく、最終的にはミカエル殿下がリエッタ様に頭を下げて、結婚することになった。


 輿入れが決まった時、リエッタ様は声を殺して泣いていたのだ。


 王家の後継者はミカエル殿下しかいなかった。もう一人異母兄弟の当時4歳の弟君は体が弱く、跡継ぎの話が出ることはなかった。彼は生まれてから王都の離宮で、母と静かに暮らしていた。そういう事情を全部、リエッタ様は考えて、国のために結婚を決めた。自分は気の利いたことなど全く言えず、リエッタ様ならきっと国を発展させられる王妃になれると、そんなことくらいしか言えなかった。すすり泣く隣で手を握って落ち着くのを待っていただけだった。ここにいたのがローズ様なら、殿下なら、ケイオスなら。もっと気の利いたことを言えたはずだった。




 今も。自分は気の利いたことなんて言えなかった。

「あの時国王陛下が様子がおかしかったでしょ?言うわけない、うすら寒い口説き文句をナタリー・リリエンに吐いたりして!気持ち悪いったらなかったわ。あの時とよく似ているのよ!」

「さようですか。」

 確かにらしく無い口説き文句は言っていたような気がしてきた。リエッタ王妃陛下を見れば、昔のように頬を膨らませながら、聞いているのエレン!と眉を吊り上げていた。昔のままの姿に、しかしミカエル殿下のことを、名前で呼ばなくなってしまった切なさを感じ、気がつけば彼女の手を取って落ち着くようにポンポンと叩いていた。


「そろそろお時間です。」

 後ろからレオンの声が聞こえた。

「うるさいわ。1時間くらい遅れたってどうでもいいわ。」

 アリアドネ殿下の結婚式なのにこの言い草はいけない。エレンが何と言って嗜めようかと考えていると、先にレオンが口を開いた。

「さようですか、王妃様は結婚式に最初からご参加する体力がないのですね?ご体調が一番でございます。リチャード殿下にはその旨お伝えし、殿下の結婚式の際には1時間遅れた時間をご案内するよう、提案いたしますのでご安心くださいませ。」

「はあ?!相変わらず生意気な子ね!」

 おお息子よ、そんなことを言ったらリエッタ様が素直に言うことを聞いてくれないぞ。

 やれやれと、おもむろにリエッタ様の手を取って手の甲にキスをした。後ろから声が上がったが、気にしてはいけない。

「ちょっと?!」

「久しぶりに、エスコートさせていただいても?」

 そう言って首を傾げれば、大抵ついて来てくれると、知っている。なぜならローズ様に習ったからだ。曰く、彼女は年下には甘い。

「し、仕方ないわね。」

「光栄です。」

 彼女の手を取って、レオンに目配せをすれば、心得たというように先導を始めた。


 今思えば。

 あれから何年か経った今思えば。意地っ張りのリエッタ様が、エレンの前で泣いていらっしゃったのは、自身の結婚を憂いただけではない。親友ローズ様と離れ離れの孤立無援。本来、弱音を吐けるはずの同年代である殿下が、今や一番の敵となってしまった時、多分その次に頼ったであろう人はケイオスだった。でも頼らなかった。あの時泣いていた理由は、ケイオスの結婚もあったのだろうと思う。

「相変わらず…貴女はお強い方ですね。」

「なあに?!口うるさくて陰湿で傲慢で、強情だって言いたいの?」

「いいえ。素敵です。」

「はあ!?」

 あんたってほんとにもう、そう言うことさらっというんだから、と、隣でぶつぶつ言っているのを流しながら、息子の背を追った。


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