馬上
「あなたは本当に何もできませんね。」
隣に直立していたレオン様にそんなことを言われたが何も言い返すことはできなかった。
「本当にそうですね。まさかシエナ様があんなに乗馬がお上手だとは思いませんでした。」
スカートをはためかせ馬を走らせる彼女はいつも以上に輝いていた。曇り空から太陽がのぞき出し、空まで祝福しているようだ。
「レオン様も乗馬はされますか?」
「実家が実家だから馬くらい乗れますが。」
「ああ、伯爵領は勇猛果敢な騎士団がありますものね。」
レオン・Ⅽ・ローファスは辺境伯の次男だ。魔物の森に隣接していて、たびたび大型の魔物が侵入してくる。そこで国境警備についているのがレオン様のご実家ローファス家だ。代々王家との条約で嫡男は領地に、次男以下は王城で預かることになっている。…領地の一家が全滅しても再興できるように。
「お待たせしました。遠乗りに行くんでしたらこちらの鞍のほうがいいでしょう。モニカ嬢の荷物を載せましょう。」
ロイ様が後ろから声をかけてくれた。黒くて美しい軍馬だ。行軍用の鞍が乗っている。私は持っていたトランクを手渡した。これにはシエナ様と私の着替えとケガをした時用の救急セットが入っている。後は非常食のチョコレートと水、そのほか緊急時に使うもの一式だ。
「ありがとうございます。」
「レオン君も馬の準備をしてきてくれ。」
「はい。」
ロイ様が馬に乗り、私の手を取り引き上げてくれた。
「ひゃ、高いですね。」
思わずロイ様の腕にしがみついた。横に座ると安定しないし背中側に落ちそうで怖い。
「大丈夫ですよ、何かあったら支えますから。馬は初めてですか?」
「はい。初めてです。」
前世でもテレビで見たことがある程度だ。今世でも前よりは身近であっても乗ったことはない。ロイ様は優しくここに手をついて、ここに足を掛けると安定しますよ、と教えてくれた。しかし冷静になってみるとちょっと顔が近い。急に恥ずかしくなってしまった。
「さて、じゃあ行きましょうか。殿下たちをお待たせしてしまっていますし。」
三人がじっとこちらを見ていた。すみませんね、慣れてなくて。
「ゆっくりお願いします。」
「わかりました。」
馬の背がゆさりと揺れる。ああ、思ったより怖い。どうしよう。なんでよりによって今日は馬なんだ。馬は歩いているだけなのに。前の三人はのんびりおしゃべりをしている。
「シエナ嬢は乗馬がお上手ですね。」
「乗馬はお父様に小さいころから乗せてもらっていたのよ。馬に乗れないと何かあった時に逃げられないから。レオン様もそうでしょ?」
シエナ様の生まれ育ったところはレオン様のご実家近くの町だ。レオン様のご実家の伯爵家と、魔物の森の討伐を協力して行っているのがシエナ様のお父様だ。男爵位を賜ったが領地がないため、お父様が魔物の討伐依頼を国から受けて、その報奨金で生活なさっているらしい。シエナ様とレオン様はそんなご縁で、公爵家に来る前からの顔見知りであったらしい。あのゲームにそんな設定あったか覚えていないが…。
覚えていないと言えば私の存在もそうだ。レオン様にも婚約者がいらっしゃるしあいまいなことも多い。適当な、主人公シエナ様のための物語だったと理解はしているが、詰めが甘いストーリーではある。プレイしていた時は全く違和感がなかったのが逆に不自然なくらいだ。まあそんなこと言ってもスマホで手軽にできるゲームだったし、ダウンロード数も多いというほどではなかったし、私もどちらかというとそいうマイナーゲームが好きな部類でもある。適当すぎではあるが。
思考を馬上から飛ばして恐怖を頭から追い出す作戦は前から聞こえてきた競争しよう、という声にかき消された。きょう…そう…?
ロイ様のほうに向きなおって、表情で無理だと伝えた。頭を横に振り無理無理と何度もやめてほしい旨を訴えると、ロイ様はこくりとうなづいてくれた。
「殿下、丘の上のインディゴの木までにしてください。わたしとモニカ嬢はゆっくり向かいますので置いていかないように。近くでしたら散策していて構いません。」
ああ、ロイ様素敵!
「なんだ来ないのか。」
「そもそも私たちは二人乗りですから。のんびり向かいます。」
「わかった。」
むすっとした第三王子殿下はじゃあ始めるぞ、近道は無し。木陰まで行った人の勝ちだ。そういってよーいドン、と行ってしまった。二人も続けて走り出す。
「お怪我とか大丈夫でしょうか。」
「大丈夫でしょう。シエナ嬢もかなりの腕のようですし。」
「今まで公爵家で馬に乗っていることろを見たことがなかったので、今度ご用意します。」
「走るのがお好きそうですよね。」
「はい。新たなる面を知れてうれしいです。」
その点だけは第三王子殿下に感謝しないでもないが、お二人でやってくれという気持ちが湧き上がってくる。
「少し早足にしますね。さすがに殿下が心配です。」
「はい。わかりました。」
それはそう。ロイ様は殿下の護衛なのだ。あまり長く離れているのはよくない。しっかり手に力を込めたところで、ロイ様が片手でぎゅっと抱き寄せた。背中に手が回ってしっかりと固定された。片手で手綱を手慣れた様子で操り馬を走らせた。この体勢は怖さより恥ずかしさが勝り頭が真っ白になった。怖いとかそういうのがどうでもよくなる。なるほどそういう作戦ね。
「怖かったら目をつぶっていてください。大丈夫、落としたりしませんから。」
耳元でささやかないでください。このイケメンが!手慣れてやがる。しばらくして馬がゆっくり歩調を緩めた。手を手綱に戻して居住まいを正す。
「もうすぐ丘が見えて来ますよ。」
私が何とか目をつぶらずにいたのだが、その顔をあげると三匹と三人が楽しそうに丘を走らせていた。第三王子殿下の姿を見て少し腹が立った。彼がこんなことを言わなければこんな怖くて恥ずかしい思いはしなくて済んだのに。まあしかしせっかくロイ様と二人きりだ。アリアドネ様のことをけしかけなくては。
「そうですね。思ったより早いです。ロイ様は幼いころアリアドネ様とこちらに来たことなどあるんですか?なんというか、女性と馬に乗りなれているような。」
「…、女の子って鋭いですよね。なんでわかるんですか?」
「なんとなくですけれど…。」
本当に適当に言ったんですけどそうですか。ふふふ。
「なんかいいですね馬に乗って王城を抜け出すなんて。」
「一応ここはまだ王宮内です。大丈夫です。」
プイっと顔を背けるロイ様が少し幼く見えて可愛らしい。先ほど馬を操っているときはかっこよくて素敵だったのに。目を開けていたのはそれを見るためだったりする。
「そういえばアリアドネ様ってご結婚の話は出ていないんですか?」
一瞬言葉に詰まってわかりかねます、と一言答えてくれた。
「外国とか、遠くとか、そういう話はないですか?」
「聞いておりません。」
「そうですか、わたくしはアリアドネ様には幸せになってもらいたいんです。国のためというよりもアリアドネ様個人として、だってご結婚なさってもアリアドネ様がこの国を大切に思う心は変わらないじゃないですか。」
「そうですね。」
「わたくし個人としては遠い外国より、近くの隣国がいいと思っているんです。そして他国より国内がいいとも。気軽にお会いできなくなってしまいますから。」
「はい。」
とうとうロイ様の返事がはいしか無くなった。
「ですからロイ様、アリアドネ様にプロポーズしてくれませんか。」
「…はい?」
「プロポーズです。プロポーズ!アリアドネ様に!」
「…はい…はい?」
まだわかっていないのか?宇宙猫ってこういうことか。この鈍感男め。
「いいですか、プロポーズというものは、花束と自分の瞳の色の宝石の付いた指輪を持って、二人の思い出の場所に行って、私と結婚してくださいっていうことですよ。わかっていますか?」
「ええ、分かっています。…はい。」
「ロイ様とアリアドネ様がご結婚なさったら、わたくしはロイ様の侯爵邸に行けばアリアドネ様にお会いできますでしょう。」
多分そんなに甘くない。ロイ様は侯爵家の次男で、ご結婚なさったら侯爵領で領主をやるのではないかと思う。そうなったらあまり王都には来ないだろう。それでも海外に行かれるよりはましだ。ロイ様は反応に困っている。しかし否定の言葉が出てこない時点で心は決まったようなものだ。ロイ様だってうすうすは気づいているのかもしれない。そろそろ内々でもアリアドネ様の結婚話が出てくるころ合いだって。話は出る前に叩き潰さなければならない。
「アリアドネ様のお好きな花はご存じでしょう?」
公式には赤いバラということになっているが、なんとなく違う気がする。
「でも、しかし…。」
「うかうかしていたら、遠い国に行ってしまうかもしれません。」
顔の赤いロイ様の、困った顔を覗き込んだ。
「ちゃんと考えておいてください。」
馬が走り寄ってきた。
「モニカ、ロイ、遅いぞ。」
第三王子殿下だ。すべての元凶。
「申し訳ございません。わたくしのせいであまり速く走れませんでした。」
いつものように答えたつもりだが、機嫌が悪そうだ。勝負で負けたのかな。その話は振らないでおこう。丘には一本の木が立っている以外何もない。ロイ様が馬を止めてさっそうと降りた。とても私にはまねできそうにない。
「モニカ嬢こちらに。」
ロイ様が腕を広げて待機している。どうやらこの胸に飛び込んで来いということらしい。
「肩に手をまわしてください。」
おおこれはもしや、あこがれのお姫様抱っこでは?!私が肩に手をまわし、身を預けると、ロイ様が腰に手をまわし一瞬だけ持ち上げてくれた。一瞬すぎる。もっとお姫様抱っこを堪能したかった。少し名残惜しいが地に足が付いたときに手を離した。
「ありがとうございましたロイ様。お手数おかけしました。」
「本当にどんくさいな。」
知っているならこんなこと提案しないでくれませんかね?馬は高いし怖いし苦手だし。第三王子殿下はさっと自分の馬から華麗に着地した。本当に腹が立つ。
「申し訳ございません。」
しかし口答えはできなかった。先ほど二年間は婚約継続と言われてしまった。がんばれモニカ、2年間の我慢よ。馬を引く第三王子殿下の後ろ姿を見ながら、ロイ様の隣を歩いた。レオン様とシエナ様が一足早く木陰にいる。インディゴの木、と言っていたので青いのかと思ったら、なんてことない普通の木だった。幹は白樺のように白く、目を引く木ではあるが。二人と合流して丘の頂上から周りを見下ろす。王城がまじかに一望できる眺めのいい場所だ。城下町も広がっている。なるほど気晴らしにはもってこいの場所だ。足元には小さな、本当に小さな青い花が咲いていた。どこにでも見かける雑草だが、王城内の完璧に整えられた庭にはなかったものだ。
「こちらの木は季節になると、インディゴ蝶という蝶が、北から飛来するのですよ。」
ロイ様が教えてくれた。気遣いもできて優しくてイケメンて、ほんと素敵。
「なるほど、旅をする蝶の話は本で読んがことがありますがこの木に来るんですね。」
「ええ、夕方ごろから徐々に集まってきて夜にこの木に一晩泊って、そして朝から昼に次の土地に旅立っていくんです。1週間ほど次から次へと飛来して旅の宿にするんです。」
「へえ、面白い生態ですね。」
「面白いだけじゃなくて、とても美しいんですよ。まるで空が木にとまっているようで。」
見たことがないので何とも言えないがロイ様が言うなら美しいのだろう。もしやアリアドネ様と一緒に見に来たりしたのかな。
「モニカも見たいか?」
第三王子殿下がじっとこちらを見ている。植物を観察するような視線に居心地の悪さを感じる。見たいか見たくないかで言えば見たいが、見たいと言ったらじゃあ見るぞ、とか言いそうでそれは面倒くさい。
「いいえ。夕方頃から夜にかけての現象でしょうから、見られません。」
「別に、と、泊れば、いいのではないか。」
嫌だ。王宮なんて気の使うところで眠れるわけがない。
「お気持ちだけいただきます。」
「お前はあのきれいさを見たことがないから、そう言えるんだ。」
「そういえばそろそろ時期ですね。」
でも泊りたくないし…。
「そんなにきれいなのリチャード様?私も見てみたいな。」
「シエナ様がそうおっしゃるのでしたら…機会があれば。」
「!!そうか。」
どうしてうれしそうな顔をしているんですか第三王子殿下。あ、シエナ様が王城に泊るからか。シエナ様が行きたいのなら仕方ない。蝶の生態観察でもするか。私は木陰で休んで、三人は馬を走らせ丘の周りを回ったり近くの小川で水を飲ませたりして、思い思い楽しく過ごしていたようだ。ロイ様は三人から少し離れたところから護衛していた。シエナ様がいらしてから明らかに私の負担が減った。今までなら執拗に絡まれていたがそれが無くなったに等しい。木陰で本を読む余裕ができるとは。そろそろ帰ろうかという時間になった。
「帰りは私が乗せる。」
第三王子殿下が変なこと言いだすまでは!絶対急に走り出したり、飛んだり跳ねたりして私を怖がらせるつもりだ。今日は確かに私の悲鳴がたりなかった。
「ロイ様にお願いします。お気になさらず。」
私は後ずさってロイ様のほうを見た。首をぶんぶん横に振る。
「何が気に入らないんだよ。」
ああ、めちゃくちゃ機嫌が悪くなっちゃった。でもこれは無理。困り顔のロイ様が殿下、と口を開いた。
「モニカ嬢は私が乗せていきます。殿下が片手でモニカ嬢の体を支えられるようになったら、その時に二人乗りしてください。」
ロイ様、素敵。殿下の両肩を持って殿下をなだめている。納得したのかしないのかサッサと馬に乗って行ってしまった。