久しぶりの邂逅
入り口付近に待機してくれているレオン様に、少しだけ手を振ってから、ベンチでうなだれている第三王子殿下の元に向かった。久しぶりの金髪のつむじを見て、ああこれはあまり変わっていないな、と思った。
「なんだ、もう時間か?」
「第三王子殿下、ごきげんよう。」
スカートを持ち、丁寧に頭を下げ礼をした。幼いころから練習した、王族に対する最敬礼だ。勢いよく身じろぎした音とともに、パタン、と小箱を閉める音がした。手に持っていたのは指輪ケースだ。これからプロポーズをするのだろう。雪星花のなかで、愛する人への愛の言葉、なんて最高のシチュエーション、なんてロマンティックなんだろう。私は小さいころからあのスチルを目指してやってきたのだ。ここでびしっと決めてやろうじゃないか。
「モニカ。どうした?こんなところに。」
第三王子殿下は顔をあげろと言ってくださらないので、勝手に上げることにした。そして久しぶりに彼の美麗な顔を近場で直視してしまった。ああ、緊張してきた。いや、しかし学園で遠目に眺めて、ミランダさんとイベントの『デバガメ』をしていたため、彼の容姿に少し耐性が付いていた。それに私に特段興味もないはずだ。今、第三王子殿下の視線を独り占めしているのは、シエナ様だ。その他はへのへのもへじのモブよモブ。モブ力なら自信があった。
「はい、シエナ様が、心配なさっておりましたので、少しお話を、と思いました。時間のご都合はよいでしょうか?」
「…ああ、構わない。」
真ん中に座っていた殿下が端に寄ったが、隣に座る気はなかったので、指示があるまでこのままで行こう。
「シエナ様が、第三王子殿下が何やらお悩みだと、おっしゃっていましたが。わたくしでよければお話しいただけますでしょうか。」
「…、そうだな。悩んでいると言えば、悩んでいる。」
どういう事だろう、少し疲れた声音に、いつもの威圧感がない。背中にぞわぞわと登ってくる覇気がない。緊張はするが、いつものように怖くはなかった。シエナ様と『ゲーム』のように、穏やかで優しくて頼りになる、そういう姿をよくお見掛けしたせいだろうか。
「…隣に座れ。」
「失礼いたします。」
ああ、命令されてしまった。油断大敵というやつか。いや、前だったら手を思いっきり引っ張られて半ば強引に、さっさと座れと言われただろうから、だいぶましになった。
出来るだけ第三王子殿下から距離を取るように端に座って、目線は庭の常緑樹に向けた。それからしばらくそのまま無言の時間が続いた。婚約者時代だったら沈黙がものすごく気まずかったと思う。無理やりシエナ様の話で場をつないだかもしれない。しかし今はそこまで気にならなかった。
言いにくいのか何なのか、しかしタイミングというものが殿下にもあるだろう。それに別にこのままでもいいのだ。庭をじっくり眺め、時間までこのままなら、お話ししてくれなかったと報告しよう。
「モニカは、私が変だと思うか?」
唐突に問われたことに、一瞬思考が停止した。
「変、とは?どういう事でしょう。」
「今日、シエナにプロポーズしようとしていた。」
第三王子殿下のほうに少しだけ目線をやった。わずかに憔悴していること以外は、学園でお見掛けする殿下の表情だった。
「それはおめでたいですわね。それは雪星花の花畑でですか?素敵ですわね。」
「本当にそう思うか?」
彼の機嫌が急降下したのは感じたが、今は婚約者でも何でもないので、ご機嫌取りなどしなくてもよいのだ。それに不敬罪に当たることは言うわけないし。
「はい。見たことはありませんが、雪星花の花畑は綺麗だとお聞きしました。そんなところでプロポーズなんて素敵ではないですか。」
「お前と婚約を解消して、わざわざ義従妹と婚約しなおしだぞ。下手な勘繰りもされるし、肩身も狭くなるだろうが。」
最近の彼にしてはずいぶん投げやりな言い方だ。まるで昔みたいだ。
「わたくしの評判は婚約時から決して高くありませんでしたし、これ以上下がったって気にしませんわ。第三王子殿下はそのことを気に病んでいらっしゃったんですか?」
「いや、違う。」
「では、どのようなことでしょう。」
違うんだ、そう言いながら頭を抱えてしまった。いまいち第三王子殿下が何に悩んでいるのかわからない。私が婚約者だった時だって、王太子派の貴族からいくら何でも養子と結婚はもったいないと言われていたし、反王太子派の貴族からはもっと高位貴族の嫁候補がいただろうと言われた。私は両派閥からめちゃくちゃ評判が悪かったのだ。その点シエナ様は英雄の娘であることで、王太子派からの批判はしにくい。逆にバージェス家現当主の姉ローズの娘ということで、王妃派が主体の反王太子派からも批判しにくい。どこからも批判の来ない絶妙な婚約者なのだ。
「違うんだ、私は、シエナに好意を抱いていないんだ。」
は?シエナ様が好きでない第三王子殿下は解釈違いなんですが。
「好きじゃないのに、学園では歯の浮くようなセリフが勝手に出てくるし、シエナの顔を見れば、可愛いし、綺麗だし、愛しいという感情が出てくるし、周りが見えなくなるし、自分が自分じゃないような行動をとってしまうんだ。」
ん?それは好きってことでは??恋は盲目っていうやつでは??
「えっと、どんなことが不可解なんですか?ご自身の気持ちと行動に、ズレがあるとかですか?」
「だから、でも、気がついたらケイトに婚約指輪を手配させていたし、気がついたらシエナの好きなところを語っているし、私はおかしくなったんだ。」
ん、ん~~~これは、なんか自覚なさっていないってこと?え~~~こんなに露骨なのに?うそでしょ。
「いえ、全くおかしくなっていませんでしょう。」
「どういうことだ、これが正常な私だと?今だってシエナを探しに行きたい衝動を抑えているというのに。どこがおかしくないんだ。」
「それは、シエナ様に恋したんでしょう。だったら相手に会いたいのは当然でございましょう。」
「それはない。」
なんて頑固な。シエナ様への恋心くらいさっさと認めればいいのに。片手で頭を押さえて俯く第三王子殿下に、一通り呆れてため息をついた。
「私が、シエナが好きだなんてありえない。だって…そうだろ?モニカが一番よく知っているじゃないか。」
確かに一番古くからいる女友達ではあるが。なんであり得ない、まで言うのか。言っておくがシエナ様は世界で一番天使様だから。ガシリと、太ももの上に置いていた手を、第三王子殿下が取ったので、びくりと肩が揺れた。
「しかし、シエナ様と一緒にいると愛しいと思うんでしょう?それが答えではないですか?指輪も用意しているんですよ。ご自身で。」
反対の手で、殿下の手を解きにかかるが、どんどん力ずよくなっていって取り外せない。
「痛いです、痛い、レオン様を呼びますよ。放してください。」
急にパッと放されて手の状態を確認した。久しぶりに痛かった。油断した。
「なんでそこでレオが出てくるんだ。昔からそうだよな、二人でこそこそ内緒話して、モニカは私の婚約者なのに。」
「婚約は解消いたしましたでしょう。そんな事よりもうお認めになってはいかがです。シエナ様が愛しくて、好きだって。」
嫌だ。そう言ってあちらを向いてしまった。声の険しさに昔のように体が震え出した。こちらもふうとため息をつく。そう言えばこんなに第三王子殿下と二人で話したのは、仕事の話を除けば初めてかもしれない。なにせ今まで一緒に盛り上がる話題など全くの皆無だった。
「第三王子殿下。学園でシエナ様と一緒にいらっしゃるところをお見掛けすることが何回かありましたが、いつも笑顔で楽しそうでいらっしゃいました。よく、思い出してみてくださいまし、わたくしとのお茶会で、あんなに盛り上がったことがありまして?殿下はいつも眉間にしわを寄せて、口もへの字で、言葉も少なく、つまらなそうでしたわ。」
一緒にいて面白くない私とのお茶会など、億劫だったに違いない。しかもいつもなぜか怒っていて、機嫌が悪かった。
「…私は毎回違う編み込みの髪形にしてきてくれていても、それを口に出したりできない愚か者だし、意地を張って誉め言葉の一つも素直に言えない大バカ者なんだ。でも最近の私は明らかにおかしいだろう。」
いつものように眉間にしわを寄せて、こちらをにらんでいる第三王子殿下に、内心怯えながら、震えを止めるべく腕を抱いて言葉を探した。シエナ様はいつも違う髪型にしているが、それを素直に褒められないと?第三王子殿下が自分を卑下するなど珍しい。いや、そこまでさせているシエナ様がすごいのか。
「しかしですね、その意地を、シエナ様の前では些末なこととかなぐり捨てていらっしゃる、そういうことではございませんか。」
「なんで私がそんなことをしなければないんだ。」
明らかに不快であるという声音に、しかし言わねばならない。
「シエナ様を愛していらっしゃるからですわ。」
「ない。絶対あり得ない。」
「わたくしは今の、シエナ様と幸せそうな第三王子殿下のほうがいいと思いますわ。」
「いいとはどういうことだ。」
「話しかけやすいですし。親しみやすいです。笑顔が増えたからだと思われますわ。それに女性に優しくしているのだって好感が持てますわ。」
ぐっと言葉に詰まったので、小首を傾げて隣を見たが、耳が赤くなっていた。もしや、照れているのだろうか。あんなに学園でシエナ様と甘い空気で手を取り合っているのに、少し褒めたくらいで?
「モニカは…、今の私のほうがいいのか。」
「はい、断然そうですね。」
顔を片手で覆い隠しながら、しばらくそのままで静かになったので、私はまた、庭を鑑賞するべく目線を移した。
「殿下、シエナ様にプロポーズするのに、まだ二の足を踏んでいらっしゃるのですか?わたくしはとってもお似合いだと思いますし、今の殿下ならシエナ様を幸せにしてくださると思っておりますのに。」
『ゲーム』では結婚までだったが、好感度の高いまま結婚するのだからうまくいくに決まっている。力加減が分かっていないのは問題だが、シエナ様は今まで強く握られたことも、力加減を間違えられたこともないと言っていたから、そこも問題ないはず。じゃあさっきのは何だったのかという話だが、きっと私は痛くしてもいいと思っているのかもしれない。すごく迷惑な話だが、ぞんざいに扱ってもいい相手だと認識されているのかも。
「もし、シエナと私が結婚したら、モニカはどうなるんだ?実家に帰るのか?」
「いえ。卒業後はバージェス領本城のほうの勤務が理想ですね。あちらのほうが落ち着きますので、そちらの家令にでも収まれれば本望です。そういえば卒業後はまた、シエナ様と第三王子殿下と、レオン様とわたくしのいつものメンバーで領地を支えることになるのですね。なんだか楽しみになってきました。」
殿下とレオン様がいれば、バージェス領の更なる発展も見込める。公爵閣下と夫人にやっと楽をさせてあげられるのだ。
「つまり、そばにいてくれるということだな?」
「はい。後継者教育も受けておりますから。わたくしは皆さまを支えるつもりですわ。」
つまりそうなると、と何やらブツブツ言い出した第三王子殿下だったが、急にすべての動きがぴたりと止まった。
「シエナにプロポーズしないといけない。」
そう呟くとベンチを立った。急な心情の変化に戸惑うのは仕方ないだろう。
「第三王子殿下?」
私も立ち上がって、殿下の顔を覗いてみたが、何やら真剣で、まじめな顔をしていた。
「モニカ嬢、背中を押してくれてありがとう。」
「お役に立てたのなら。」
ふんわりと笑って、先ほどの悲壮感が嘘のように、入り口にいるレオン様のほうに歩いて行った。まるで『ゲーム』に出てきた彼のような。いや待て、第三王子殿下は昔から、考えるより、体を先に動かすタイプだった。しかも突拍子もないことを突然する人だった。今のはまさに彼らしい。
「これでうまくいきますかね。」
いってくれなきゃ困るのだが。しばらく足早に去っていった彼の背を見送った。




