もうここにはいない人
ちょっと見てみましょうと、バルコニーから外を覗いた。
心地い風がモニカ先輩の黒髪を遊ばせていた。彼女の黒髪はこの国では珍しいが、ミランダにとっては前世の記憶から、とても懐かしく、落ち着く。地味でメガネな小柄の彼女だが、そこが可愛いと思っていた。確かに周りの現実離れしたキラキラな人たちの中にいたら、自分はモブだな、地味だな、と思ってしまうかもしれない。でも一歩、ゲームに関係ない人たちの中に降り立てば、モニカ先輩は十分可愛い部類の顔立ちだし、完璧な大和撫子であると思う。公爵家での教育の賜物か、もともとの性質かはわからないが、普段の所作がどこをとっても美しく気品と上品さがあり、そういうところがお近づきになりにくいポイントなんだろうと思う。そしてたまに小首をかしげるのだが、それがめちゃくちゃ可愛い。本人は無意識だろうが。
ゲームにライバル令嬢がいないのは、もしや没設定になったのだろうか?相手が強すぎて、シエナちゃんがハードモードになるために、無くなった設定だとしたら、なんとなく辻褄が合う。
とりとめのないことを考えて、モニカ先輩の黒髪を撫でてみた。絹の指通りとはこのことか。シャンプーのⅭⅯみたいだ。癖になりそう。
「モニカ先輩の髪って本当に素敵ですね。いいな、私もこんな黒髪ストレートに生まれたかった。」
「メイドのフィナが手入れしてくださいますの。わたくしも気に入っていますわ。」
一心不乱に撫でていたら、バルコニーの入り口近くに立っていたはずのレオンが、私の手首を鷲掴み睨んできた。無言の圧力というか、彼の眼力ある赤交じりの目に気圧された。モニカ先輩は背中の攻防など気が付かずに小首をかしげていた。
「ところで、頼んだものが来る前にレストルームにでも行ってきたらいかがですか?」
「あ、そうね、わたくし行ってきますわ。ミランダさんはどうなさいます?」
いつの間にか掴まれていた手は放されていたが、レオンが冷たい目でこちらを見ていた。多分何か話があるんだろう。
「私はここで待っています。レオン様をおちょくって遊んでますわ~」
「あんまりイジメすぎないでくださいましね~」
モニカ先輩が扉を閉めて、完全に部屋から出て行ってから、レオンが口を開いた。
「ここは学園内でもないんですから、モニカ嬢に必要以上に触れることもないでしょう。」
おやおや眼鏡の奥の眼光は鋭いし、いつもの無表情より口元がへの字だ。声まで低い。
「仲のいい女子でしたらこのくらい普通ですよ。私たちは演技でやっているわけではないですから。本当に仲がいいんです。…レオン様はもしや、本当に私たちがお付き合いしているとお疑いだったんですか?」
「…いいえ。先ほどもお二人で否定なさっていましたから、でもですね、学園にいる間中、その噂はついてくるわけでしょう、それは…。」
ミランダは手すりに寄っかかって、レオンの顔を正面に見た。
「そうですわね、それは噂を流した『人たち』の思うつぼでしょう。今頃焦っているのではなくて?モニカ先輩のお噂の元凶のお一人さん。」
表情に変化はないが、少し肩が揺れた。
「…どうして俺だと?」
「先輩の噂は1年の頃から、一番初めの尾ひれがつく前の内容は、『モニカ先輩は卒業後に、第三王子殿下と結婚なさる。』というもの。悪女だとか、そう言った内容ではなかった。そりゃそうですわね、この内容なら牽制が一番近いですわ。…リチャード様が、モニカ先輩に片思いしていたから、ですよね?」
「…。」
「黙秘は肯定とみなします。ほかの男子生徒にレオン様が牽制を行ったら、それは真実をただ言っただけだったのでしょう。でも、2年になってリチャード様が心変わりなさった。」
レオンは観念したのか、ベランダの手すりに肘を乗せた。ミランダの横で盛大な溜息を吐いた。
「…長年の停滞した関係に、終止符でも打ったのならこんなに心配はしていません。少し様子が、おかしいのです。あなたはご存知ないでしょうが、リチャード殿下の思いは本物でした。モニカ嬢と仲良くなるため様々な試みをしておりましたし…それなのになぜ、最近シエナ嬢と仲が急によくなったのか、俺には理解できません。…昔からシエナ嬢はリチャード殿下のことをお好きではありましたが。」
「それはモニカ先輩の努力の結果ではないですか?」
「努力の方向性が間違っていませんかね、どこの人が婚約者を義従妹に譲るんですか。俺は言いましたよ、そのまま覚悟を決めてご結婚してくださいと。それがこんな結果になるなら、婚約解消は正解だったと言わざるを得ません。…昔モニカ嬢の画策を聞いたときも、納得はできてもこうなるとは思いませんでした。」
もっとも、とレオンは続けて、噂にあんな悪意が乗ってしまうとも思わなかった、そう言った。
「その噂のせいで、モニカ先輩は私の提案に乗って今回の事態に陥ったわですから、一端はレオン様にもありますよ。」
「そう言われればそうですが…。しかし牽制したのは一年の最初だけ、一度きりです。なぜ定期的に悪意あるうわさが流れるのか、調べはしましたがなかなか調査は進まず、この度リチャード殿下より、調査打ち切りと言われてしまいました。」
レオンの顔には、ありえない、と書かれていた。長年近くでリチャードを見ていただけに、この度の変化についていけていないのだろう。そう考えるとやはり、あの【恋が叶うクッキー】は怪しい。もしかしてモニカ先輩から渡したから、リチャードのモニカ先輩への好感度が、10に下がった?そう考えるとすっきりする。それで行くとなんて恐ろしいもの売っているんだあの雑貨屋は…。
「噂については俺は独自に調査します、と殿下には言ってありますので、引き続き何かわかりましたら、俺か、ロイ卿に報告してください。」
「ロイ卿ですか?そういえばモニカ先輩とすごく仲がいいですよね。」
「ええ、アリアドネ様とロイ卿のプロポーズの助力をなさったのがモニカ嬢だそうです。俺も詳しくは聞いたことがありませんね。」
「それはひじょーに興味があります。」
部屋にモニカ先輩が、カートを押した店員と話しながら入って来たので、レオンと一緒に席に着くべく中に入っていった。席に着いたモニカ先輩の隣に座った。店員がケーキなどを並べ終え、出て行った後、開口一番レオンはモニカ先輩に謝罪した。
「俺の不用意な発言が噂の発端となったと思われえるので、謝罪いたします。」
「あらまあ。そうでしたの。じゃあレオン様が言ったんですか?わたくしのことを悪女と。」
「それは言っていません。ただ、リチャード殿下は卒業後はモニカ嬢とご結婚される気だと言いました。申し訳ありませんでした。その他の発言はしておりません。」
「なんでそのようなことを…まあいいですわ、今の現状はただのうわさになっていますからね。」
「…お二人は、わかっていたんですか?リチャード殿下の、最近の心変わりを。」
嘘やごまかしができないような真摯な目で、こちらを見ていた。ちらとモニカ先輩に目線を送ると、彼女もこちらを見てから口を開いた。
「わたくしたちは、少し先の未来がちょっとだけ見えたんですわ。わたくしの場合はシエナ様と初めてお会いした時。第三王子殿下とシエナ様の結婚式のスチ…場面の映像が。」
今スチルと言おうとした?
「未来視ですか。お二人ともそういうことができるんですか?ラペット王太子妃殿下のような。」
「え、ラペット王太子妃殿下って、未来視ができるの?」
「いえ、正確には占いですけど、よく当たるんですわよね?わたくしも攫われる前に占ってもらいましたが、今思えばかなり当たっていましたわ。」
「あの時はあとから、もっとラペット王太子妃殿下の言うことを聞いていればと、そう思いました。」
「たしかに馬車に乗っている時に、馬に乗せられ連れ去られましたからね。攫われ方も占い通りでした。あの方の占いは本物ですわね。」
ラペット王太子妃殿下についてはゲームには全く出てこなかった。名前だけはクラレンス先生ルートで、確か親族だと出てきたような気がするが。しかしそれは前世の話。今世では王国で知らない人などいない、次期王妃様だ。そんな新聞のでしかお目にかかれないような人のことをさらりと口に出すなんて、さすが第三王子殿下のお側付と、元婚約者にして公爵令嬢であるんだな、と初めて感じた。
「ミランダ嬢にもそう言った未来が見えたんですか?」
「あ、私は、そうですね、喫緊の記憶ではダンジョンの課外授業でのことですね。」
「ああはい、低レベルダンジョンだったんですが、壁か、床に穴が開いて、高レベルダンジョンだったことが発覚するんですよね。そしてそこにシエナ様が落ちてしまうんです。」
「あそこはもう何百年も低レベルダンジョンですよ。毎年見回りもしていますし、今は魔研の研究所もありますし。」
「やはりそうですよね、安定したダンジョンは魔力だまりとして弱いので、そうなる筈ですわよね。そのことを課外授業の時に調べてみようと思いまして。」
この世界に魔法があると聞いて、ミランダも使ってみようと努力したが、魔力量が少なく、からっきしだった。そのことについていつもセガールが『こんなことも出来ないの?才能無いね~。俺がやってあげるからミランダはそこに座って見てなよ。』とマウントを取ってきて馬鹿にするので、ミランダの魔法使いに対しての心証はすこぶる悪かった。だったら何も言わずに騎士になるべく努力しているライオルトのほうがかっこいい。
「…わかりました、俺も殿下の護衛時に気を付けてみていますね。」
「たぶんですけど、レオン様もリチャード様とご一緒に落ちるような気がします。まあ、怪我とかはないでしょうけど、気を付けてください。」
「でもグループ分けは分かりませんよね?去年の課外授業はくじ引きでしたし。」
「そうだけど、このままならリチャード様は落ちるの確定でしょう?護衛のレオン様が落ちないはずないと思うの。」
「確かにそうね。やっぱりレオン様も気を付けてくださいね。」
ええはい、と不可解なものを見る目でこちらを見てきたので、一応弁明をしてみることにした。
「えっと、同じ結果になるからと言って、道筋が一緒とは限らないんです。私が見た未来と、モニカ先輩の見た未来は一緒ですけど、選んだ選択肢は違うかもしれません。そういうことで、シエナちゃんがリチャード様と結婚する未来にするには、なるべく正しい選択肢を選んでもらう必要があるんです。私たちはそのアシストをしていたわけなんですよ。」
「では、モニカ嬢が殿下と結婚される未来もあったんですか?」
「ないです。」
「まったく。」
息ぴったりの返答に、その場は静まり返った。そりゃそうだ、モニカ先輩はゲーム開始時には亡くなっていた。そもそもいない人との未来なんてあるわけない。
「本当に全くないんですか?」
意外にもレオンが食い下がってきた。
「そもそもわたくしは、ミランダさんが言うには、攫われたときに殺されていたそうですわ。ですから記憶に出ても来ませんわ。」
「は?」
「今、生きているのが奇跡のような状態なのですわ。わたくしが生きているせいで、第三王子殿下とシエナ様の未来に影響があってはいけません。ですから今こうしてお二人を幸せなゴールに導くべく、ミランダさんと協力しているのですわ。」
情報過多で固まってしまったレオンは置いておいて、ミランダはケーキを口に運んだ。モニカ先輩もフォークでフルーツパンケーキを切り分け、一口食べた。
「ああおいしい。おいしいですわよ、レオン様。固まってないでワッフルを召し上がったらいかがです?わたくしこんなに豪華なパンケーキを食べたのは初めてですわ。」
小さくしてちょっとずつ食べるモニカ先輩を見習って、ゆっくり一口ずつ食べることにした。レオンがコーヒーを一口飲んで、ふうと落ち着いてからこちらを見た。確実に目が合った。
「ミランダ嬢、モニカ嬢の死に関して他の情報はないですか?どこでとか、だれがとか。攫われたとは、2年前のあの事件ですよね。」
「まったくないですね。ただ、リチャード様は引きずっていらっしゃいましたけど。普段はそんな感じおくびにもださないですけど、ふとした時に思い出しては…えっと、なんでしたっけ、プレゼントするはずだったティアラを眺めていました。」
「…!」
「ティアラですか?第三王子殿下らしくないですね、そんな実用性に欠けるものは。」
「…そうですね、リチャード殿下らしくないですね。」
溜息をついて、レオンが大きな窓から空を見ていた。切なげなその表情に、モニカ先輩も手を止めてレオンを見つめていた。
「でも今わたくしは生きていますから。第三王子殿下だって、シエナ様と幸せにおなりになりますし、レオン様の心配なさることは何一つございません。」
「そうですか。」
そう、このままリチャード様ルートで行けば、レオンは全く問題ない。レオンルートはなかなか面倒なことになるが、シエナちゃんはそっちには行きそうもないから安心だ。
次回更新5月4日です。




