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ぶどうグミ

 長期休暇が終わり、夏の暑さも夜を潜めていた。私はしんと静かな王都バージェス公爵家別館でお風呂上がりの熱を夜風に当たって涼んでいた。フィナが梳かしてくれた髪から、香油の匂いが仄かに香って、風を感じた。


 次の大きな行事はダンジョン体験だ。

 これは1年と2年が合同で行う課外授業で、王都近くにある低レベルダンジョンの中で、魔法訓練を行ったり、王立魔力研究所の職員によるデモ実験があったり、とにかく盛りだくさんの授業だ。

 確かここで魔力の穀物に与える影響を実験していたはずだ。あれはどうなったのだろう。入学してから第三王子殿下との接触はなるべく最小限になるようにしていたため、その後の進捗などは知らなかった。まあ、実験内容は国家機密に当たるのだろうし、婚約者という立場がなくなれば、公爵令嬢という立場しか残らない自分に、わざわざ報告の義務などない。公爵閣下が国の機関への報告という形で聞いていらっしゃるだろうから、今までその辺は気にならなかった。


 第三王子殿下と手紙のやり取りをしなくなって2年、毎週書かねば、というある種の拘束が無くなって、気が抜けた。勉学に集中し、無理にペンを握らなくてもよい日々。何と気楽なことか。二週に一度のお茶会も顔を合わせることが無くなって、あのキリキリする緊張感もなくなった。常に第三王子殿下の機嫌をうかがって、手が震えて止まらない。あの日々からおさらばできたかと思うと本当に、充実感と開放感で心の軽い日々を送っていた。


 王都のバージェス公爵別館。どういうわけか、最近出入りするメイドの数がめっきり減った。私もシエナ様も学園に行っているため、昼間人が少なくなるのはわかる。しかし夜も最低限の人数しか別館にいなかった。人員の入れ替えもあって、この間までいた新人の子もいなくなって、今はすっかり、フィナと二人でいることが多い。たまに抜き打ちのように侍女長が嫌味を言いに来ていたのが、ここ2年すっかりなくなった。何か企んでいるのかしかし正直、気が楽であるので前よりよっぽど過ごしやすい。その分シエナ様に付きっきりなのだろうか。


 シエナ様と第三王子殿下は順調に手紙のやり取りをなさっているらしい。シエナ様が手紙の内容について相談が何度かあった。白紙の紙の前に座って、彼のことを思い出すといきなり頭の中まで真っ白になってしまう。そう赤いお顔で言っていたのだ。かわいい。

 ご自身のことを書けばよいのですわ、と言っておいた。そう、私はシエナ様を猛烈プッシュのお手紙を毎回お送りしていたのだ。シエナ様ご本人は心の赴くまま書けばいい。どんな些細なことでもシエナ様のことなら第三王子殿下もお喜びになるはずだ。私がそんな手紙をもらったらうれしい。きっと小躍りするだろう。


 シエナ様と一緒にいる第三王子殿下をよくお見掛けするようになって、初めて分かったことがあった。第三王子殿下って、ほんとに美しくて、かっこいい。しかもシエナ様とご一緒の時は、その顔で満面の笑みを浮かべるのだ。空気も柔らかで、そう、あの、王太子殿下の宮殿の雰囲気に似ていた。春の木漏れ日のような、人が無条件にほっとするような温かい空気。とても自然体で過ごしていた。

 あのお方はあんな風に笑うこともできたのか。知らなかった。

 8歳の頃から毎週お手紙を差し上げて、14歳まで。2月から7月までの半年間、二週に一度はお会いして、そうしてもついには第三王子殿下があのように笑うことを知らなかった、私。


 本当にライバルなんておこがましいな。


 つくづくそう感じた。しかしここまではすべて順調だ。目論見通り第三王子殿下とシエナ様をくっつけることに成功した。きっと王妃様も満足いただけただろうし、バージェス公爵家もシエナ様を養子に取れば万事解決。後は私の身の振り方でもそろそろ考えて、1年半を乗り切ればよいのだ。きっと何とかなる。

 目下ダンジョン課外授業だ。



「ダンジョンでは好感度の1位と2位が、シエナちゃんと一緒にグループからはぐれるのよ。」

 ミランダさんがブドウグミをつまんで口に入れた。

「ええ、低レベルダンジョンだったのが、高レベルまでいつの間にか育っていたのでしたわね、わたくしの領地にもそういったダンジョンがありましたので、今回は実際目で見れる貴重な機会と思い、大変興味深く思っておりますわ。」

「ああ、そっちが気になるの?モニカ先輩。」

 10月にある文化祭の準備を、細々とはじめながら、二人でこそこそ今度の課外授業の話をしていた。

「アレってくじ引きでグループが決まるんですよね?そう都合よくなるんでしょうか?」

「なるんじゃない?ゲーム通りに。そうなるとシエナちゃんのグループはリチャード殿下とレオン様は決定ね。」

 ふいに、ぎくりと肩を揺らした。そうだった。好感度が高い方、というと、第三王子殿下とレオン様だ。今クッキーのおかげで第三王子殿下が一歩リードしているが、四六時中一緒にいるレオン様も、シエナ様の好感度が自動的に上がっていっているのだ。今はどのくらいになったんだろう?ドレスを送った分、第三王子殿下が高いだろうが、レオン様だってシエナ様のことがどんどん好きになっていくはずだ。どうしよう、またクッキーを使ったほうがいいのかしら?いや、今も9だったら、10になってしまうし、余計なことをしかねない。背を向けて作業しているレオン様のほうを見ながら、どうしたらいいの、と思考を巡らせていた。

「モニカ先輩って、考えていることが筒抜けの時ありますよねー。」

「は?!何をおしゃいますの?」

「…別に、クッキーは使わなくてもいいんじゃないですか?もう少し様子を観ましょう。それとも失恋に身をやつすレオン様は見たくないですか?」

「そりゃあ、そうです。苦しむ姿は見たくありませんわ。」

「それはレオン様がかわいそうだからです?それとも、モニカ先輩の胸が痛むからです?」


 いつになく真剣な面持ちのミランダさんに、これは真剣に返さねばと、言葉の意味を反復した。胸に手を当てて、痛むかの確認をした。

「…両方ですわね。レオン様が悲しんでいらっしゃると、わたくしも悲しいし、胸が痛みますわ。」

「そうじゃないんですけど、わかりました。…モニカ先輩が、リチャード殿下とレオン様の好感度をあらかじめ上げておいてくださって、一番の恩恵は私に来ていますから、私はモニカ先輩を応援します。その胸の痛みは絶対忘れてはいけない類のものですから。」

 忘れてはいけない。そうか、そういうものなのか。

「ではしっかり覚えておきますわ。」

「そうしてくださいね。いつ、どういうときに誰のことを想うとそうなるのか。たくさん事例を集めるのが重要ですからね。」

「ふむ、実験と同じですね。」

「…そうです。」


 手に持ったブドウグミをあ~ん、と言いながらミランダさんが私の口元に運んできたので、遠慮なく口に入れた。生徒会室の視線が一気にこっちに来たのだが、なんだろう?

「グミっておいしいわよね、私あそこのお菓子屋さんのグミ好きだわ。」

「ブドウもいいですが、わたくしはオレンジが好きですわ。」

「今度買ってくるわ。というより、一緒に買いに行きましょ。あそこにはグミだけじゃなくてもっといろいろあるのよ、私、モニカ先輩と一緒に行きたいな~。」

「いいですね、帰りにカフェも寄りましょうか。」

「デートですねぇ~。」

 そこでとうとう生徒会室が静まり返り、だれ一人として身じろぎもしなかった。


「モニカ嬢と…ミランダ嬢は…お付き合い、されているんですか?」

 珍しくレオン様がしどろもどろに問いかけてきた。

「何をおしゃっておりますの?」

 ちょっと本当に意味が分からなかった。デートだって冗談だし、別にあ~んくらい仲の良い同性同士ならするだろう。首をかしげているとミランダさんがにんまり笑って、グミを一つ渡してきた。

「レオン様、グミを食べたかったのですね~?ほら、モニカ先輩があ~んしてくれますよ。」

 いや、私が思っていたのは仲の良い同性同士の話であって、異性にこの距離感はおかしいでしょう。そんなに期待に満ちた顔をしてもしないでしょう。

「ミランダさん、そんなのレオン様がなさるわけないでしょう。この方は昔からノリが悪いのですから。」

「ノリが悪いとはどういう意味です?というか、あなたたちがゼロ距離すぎるんですよ、なんなんです?変な噂まで流されて、もう少しどうにかなさったらいかがです?」

「あら、レオン様がそんな風におっしゃるなんて珍しいですわね、どうなさったって、別に仲がよかったらお菓子くらい食べさせますわよね、わたくしシエナ様にもしたことありますわよ。そんなに無礼な行いでしたの?それから変なうわさとは何です?」

「お耳に入っていないならいいんですがっ」

 そこまで言った時に、腕を組んでいたレオン様の口の中にグミを詰め込んだ。

「お口に物を入れてお話ししてはいけないですわね。お茶を入れましょうか?」

 もぐもぐ。私は席を立ってお茶とお湯を用意し始めた。ミランダさんを見ればカップを持っているのでお代わりが欲しいらしい。

「レオン様って、モニカ先輩には寡黙じゃないよね~。」

「あら、レオン様は寡黙ですの?クラスの様子は知りませんが。」

 もぐもぐ。アツアツのお茶をレオン様はゆっくり優雅に流し込んだ。

「そうなのよ~クラスメイトと必要最低限の会話しかしないって、もっぱらのお噂です。そんなことないのにね。話すことがないだけよね?」

 ミランダさんのカップにお茶を注ぎ、自分の分もついでに入れた。

「そんな、小さいころからわたくしにはお小言多めでございましたのに。言うことが無いってことは不満がないってことですわね。もう一ついりますか。ところでお噂というのはお話しいただけますね?あ~んして差し上げますわよ。」

「結構です。知らないのならいっ」

 サッともう一個口に入れた。周りの生徒会員は引いているが、幸い高位貴族はいないので社交界には影響なし。

「もう一つ欲しいと。ミランダさん、レオン様はもっと欲しいそうですわ。」

「はい!はい!はいりました~もう一個、もう一個、もう一個!レオン様のいいとこ!見せちゃって~」

 ミランダさんは手拍子とコールをしながらグミを取り出した。

「話しますから、やめてください。」

 げんなりした顔で頭を抱えているレオン様なんてレアだ。ちょっとイジメすぎてしまったかもしれない。ミランダさんとだと前世のノリもできるので、ついうっかり公爵令嬢であるということを忘れかけてしまう。

「後程。後ほど必ず。」

「わかりましたわ。」

「…これおいしいですね。」

「じゃあレオン様も一緒に帰りにお菓子を買いに行きましょう!」

「あら、いいですわね、レオン様もご一緒なら本屋にも行きたいですわ。」

「巻き込まないでいただけますか?」

「あら、何かご用事がおありなの?」

 一緒に行けないのかしら。

「…無いです…。しかし放課後に回り切れるわけないでしょう、3件なんて。」

 そういう嘘がつけないところに好感が持てる。しかも本屋さんも回ってくれるつもりらしい。

「じゃあ今日はカフェにして、明日お菓子にしましょう。」

「明日は用があります。というか、金曜の放課後しか空いていません。」

 ああ、第三王子殿下の護衛任務か。帯刀を許された立場というのは、学生の範疇に収まらない。

「じゃあ、レオン様の金曜日3週間分、予約しました。」

 どや顔のミランダさんに負けて、わかりました、とため息をついていた。3週間も、レオン様とお出かけできる。その事実がうれしくて楽しみですわね、と笑った。



 バージェス公爵家の馬車に乗り、ミランダさんおすすめのカフェに着いた。レオン様がサッと扉を開け、降りて、手を差し出してミランダさんを下ろした。私も降りて、何やら感動している彼女に声をかけた。

「いや、だって私、こんなにスマートに馬車から降ろされたの初めてですよ。私の周りってほら、ライは騎士ですけど、エスコートはこれから習う感じだったし、セガールは粗暴ですし。騎士仕込みのエスコートなんて初めてで感動していました。レオン様って、やっぱりかっこいいですね~!」

「何言っているんですか。こんなの当然です。」

 珍しい、レオン様が照れていた。プイっとあらぬほうを向いていた。

「わかる。その気持ちすっごくわかります。ちなみにロイ様仕込みだそうですわ。ロイ様も素敵ですが、レオン様もとっても素敵ですわ。」

「もう、中に入りましょう。」

 さっさと先に行ってしまった。ミランダさんと目を見合わせてほほ笑みあい、賑わう店内に入っていった。おしゃれなカフェであって、女性客が多い。そこに躊躇なく入っていけるのは、女性の護衛も経験しているためか。学園の制服に帯刀、という国王陛下の許可がいる行為をしているレオン様は、どこに行っても目立っていた。それに彼自身の端正な容姿も相まって、店内が少し静かになった。そんなことはお構いなしにレオン様はこちらに向き直った。

「お嬢様方、どうなさいます?」

「そうね、静かな席がいいんじゃない?」

 護衛付きの客に、奥から黒服の男性がミランダさんのエスコートをかって出た。そういえば公爵家の馬車で来たんだった。

「お話がしたいから、端がいいかしら。」

「かしこまりまして、こちらへどうぞ。」

 レオン様が出した手にそっと手を添えて、ミランダさんの背を見ながら歩いた。2階の端の個室に通された。バルコニーがついていて目抜き通りを眼下に眺め、夕暮れが街を染めた。メニューを注文し、残っていた店の黒服を下がらせた。


「さて。レオン様のお聞きになったうわさとは、どのようなものです?」

 うっと詰まったレオン様は、背筋をぐっと伸ばした。

「お二人が、女性同士ではありますが、愛し合っているという噂です。」

「よっし!大成功じゃない?モニカ先輩!」

「こんなにうまくいくとは思わなかったですわ。」

「つまりこの噂はお二人がわざと流したということですね。」

 呆れ顔のレオン様に、二人で大きく頷いた。

「これでミランダさんの男好きという噂は消えますわ。」

「代わりに女性が好きだと流れそうですが。」

「そんなの些末なことだわ。結婚に響きませんから。」

 そこでまたぐっと詰まったレオン様に、ちゃんと説明したほうがいいと居住まいを正した。

「ミランダさんにはお慕いしている方がいるのですわ。もちろん男性です。しかしとんでもない噂を流されて、困っておりましたの。」

「お噂は、大方知っています。男好きだというのですよね?」

「他にも。男性についての悪いうわさは、女性にとっては致命的よ。特に結婚に関しては。でも女性が好きな女性は、結婚してもああ、引き離されたんだな、と思ってくださるでしょう?もしかしたら同じ女性からは同情まで得られます。結婚後に私が、夫を愛していると言えば、そんな噂は記憶のかなたです。」


 今度はじろりと私をにらんでいた。

「わたくしの悪い噂は、第三王子殿下を誑かす悪女、でしょう?それが禁断の愛に目覚めたとなったら、絶好のうわさの的ではないですか?やはり噂には真実に近い噂ですわ。」

「真実に近いって、どういうことです?」

 まさかそういう、と口走ったレオン様に、私はにっこりと笑った。

「第三王子殿下との婚約が解消され、『傷心』だったわたくしの前に、『男をとっかえひっかえ』していたミランダさんが現れて試しに『引っ掛けた』ら見事に『堕ちた』というのはいかがです?これなら学園でわたくしたちが一緒に歩いているだけで、勝手に噂が広がってくださいますわ。」

「私たちって天才かもね。仲がいいってのは本当だし。後はシエナちゃんに誤解されないように根回しして~」

「はあ、ではそのことについて聞かれたとしても、否定とか火消とかそういったことはしなくてよいと?」

「そうですわね、黙秘というのはいかがです?そのほうが憶測を招くと思うのですが。レオン様がそのことについては黙秘で、と言ったら何か悪いことを隠しているな、と思われるかもしれませんわね。」

「モニカ先輩天才じゃ~ん。」


次回更新は5月3日です。

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