3学年合同ダンスパーティ
定期テストの結果は、いつも通り、リチャード殿下が満点で1位。自分は2位だった。リチャード殿下が点数を落としたことなど1回か2回しかなかった。学園の合間にご公務もやっているのにも関わらずこの成績は異次元だと思う。3位はいつもの通りモニカ嬢だ。たまにレオンが抜かされて3位になることがあった。切磋琢磨とはこのことだろう。モニカ嬢の悪い噂の中にはカンニングをしているとかもあったが、それはうわさの初期になくなった。話していると勉強量に違いがあるのが分かるのだ。さすがだと思う。それはいい。モニカ嬢は元気に今まで通り学園に通って、楽しくやっているようだ。
現に今、目の前で、ミランダ嬢と楽しそうに踊っていた。
ちょっと変なのはリチャード殿下のほうだ。
今までなら、ミランダ嬢と踊るモニカ嬢の姿なんか見たら、間違いなく『だったら自分と踊ろう』と誘いに行ったはずだ。しかしどうだろう、今殿下はシエナ嬢と踊るのに夢中だ。周囲の生徒も先生も、はじめは意外な組み合わせでざわめきが強かったが、二人が踊り出すと一変して優雅なダンスに感嘆の息を吐いた。こういう空気の作り方が、殿下は極めてうまい。
「リチャード殿下、どうしたんでしょうね。」
「やはり最近おかしいですよね。」
隣にいたロイ卿と壁に張り付いて、リチャード殿下を見守っていた。この前なんか、シエナ嬢とお忍びでドレスを見に行って、デートまがいのことをしていた。
1年ぶりにあったシエナ嬢は、それはきれいに成長してはいたが、それにしたって、リチャード殿下の態度の変わりようがすさまじい。
去年まで同学年で、同じ学園に通っているにもかかわらず、モニカ嬢との接点の無さに落ち込んでいた。モニカ嬢が髪を下ろしてきたときも、遠くから見とれていたというのに。思えば剣技大会の頃からおかしくなったように思う。普段だったら、自分から声をかけに行っていたのに、全く構いに行かなかった。
「あまりの報われなさに、諦めてしまったのでしょうかね。」
「それにしては、落ち込んでいないというか、なんというか。」
忘れてしまった、というのがしっくりくるのか。無理なくシエナ嬢と話しているように見えた。幼馴染の均衡が崩れてしまったことに、自分は少なからず寂しさを感じていた。これもモニカ嬢の作戦通りというわけか。もともとシエナ嬢のほうが見た目も中身も、お似合いではあった。今はまさに付け入る隙がない。モニカ嬢なら勝てるかもしれないと思っていた令嬢も、シエナ嬢の見かけの美しさに、白旗をあげる人が多数出た。…正直、モニカ嬢なら、と思っていた人たちは見る目がなさすぎるとは思うが。
「レオン君はモニカ嬢と踊って来ないんですか?去年は踊っていたんでしょう?」
「今年は楽しそうなので、邪魔はしたくありません。」
去年はリチャード殿下がご公務で欠席だったから、レオンは学園行事に出ろとの王命を受け、ダンスパーティに参加してはいた。してはいたがクラスメイトとの、日ごろのコミュニケーション不足が災いし、パートナーがいなかった。同じく壁の花をしていた悪名高いモニカ嬢も、暇そうにしていたので、ダンスに誘ったのだ。彼女とのダンスは久しぶりだったが、やっぱり落ち着くし、足を踏んでも踏まれても気にならない。最近はめっきり踏まなくなったが、格段に気が楽だ。殿下の目も気にしなくていいので、ずっと二人で壁際で話していた。…楽しい思い出に分類されている。今日は邪魔をしないように、後で渡すものを渡せたらそれでいい。
「おやそうですか。では、私がちょっとモニカ嬢に用があるので、ダンスに誘って来ましょうかね。」
「は?」
護衛騎士であるロイ卿は基本的に、生徒とあまり話さない。にこやかだが有無を言わさず護衛任務を全うしていた。壁際に行って談笑していたミランダ嬢とモニカ嬢の元に、ロイ卿は本当に行ったのだ。慌ててその後を追って行った。
「モニカ嬢、歓談中失礼いたします。」
「あらロイ様。どうなさいました?」
(キャーーーロイ様だわ!)
ミランダ嬢が声にならない声をあげていた。もちろん、モニカ嬢だって護衛騎士であるロイ卿の仕事をおもんばかって、むやみに話しかけたりしなかった。いくら二人の仲がよかろうと。
「お受け取りいただきたいものがございますが、よろしいですか?」
スイ、と出されたのは封筒だ。蠟が付いていないのは、招待状のたぐいか。モニカ嬢が中身を見て、きゃあ!と声をあげた。
「ついに結婚式ですか!ロイ様おめでとうごさいます!」
「もちろんモニカ嬢が一番最初の招待客ですよ。いい席をご用意しました。」
「もう、ロイ様ったら私のことなんていいですのに。」
「何を言っていますか。あなたは私とアリーの大事な人ですから。」
ふんわり宝石を扱うようにモニカ嬢を抱きしめて、途中から見たら愛の告白に見えるほど、甘い声を出していた。
「普通のパーティでしたらここでダンスに誘うんですがね。」
「ロイ卿は仕事中でしょうが。」
いまだモニカ嬢を離すまいと腕の中に収めながら、そうなんですよね、とへらへら笑っていた。この人にいやらしさがないのは、下心がないからか。
「ロイ様と、アリアドネ様の、結婚式…!」
ミランダ嬢が奇声を上げていた。
「いいな、ずるい、ずるいですよモニカ先輩。見たい私も見たい!」
「ふふん、よいでしょう、うらやましくって?」
モニカ嬢がロイ卿の腕から抜け出して、わざとらしく意地悪な口調で高笑いしていた。こういうところが悪い噂の元なのでは。
「実はそういうと思って、モニカ嬢の招待状には同伴二人まで、となっております。」
「ロイ様素敵すぎない!?」
「さすがですわ。」
「バージェス公爵家には別にアリアドネ様が招待状を送るので、シエナ様はいらっしゃいますからあとお一人…」
「マゼンダさん!マゼンダさんをお誘いします!」
ここ一帯が注目を集めまくっているが、もう気にしてはいけない。また楽しそうにくるくると踊り出したミランダ嬢とモニカ嬢にはあきれてしまう。
コン、とロイ卿の靴の先が当たった。余裕のある笑みで、背中を押された。
「実はレオン君、まだ誰とも踊ってないんですよ~モニカ嬢、踊ってあげてくれませんか?定期的にやってないと、踊れなくなっちゃいますよ。ただでさえ下手くそなのに。」
「なっ、ロイ卿!」
「ああそうですわね、練習がてら踊りましょうか。レオン様は下手ですからね。」
「何度も何度も言わなくてもいいんじゃないですか?お二人とも。しかも大きい声で。」
いろいろ心が削られた。本当のことだが…本当のことだが…。
「えー、レオン様下手くそなんですか?」
ミランダ嬢まで…。ニマニマ笑っている顔に、イラっと来た。
「ミランダ、セガールと一緒じゃないの?」
「ライオルト。クレアス様と踊っていたわよ。」
ミランダ嬢が振り向いた。モニカ嬢がちょうどいいところに、とライオルト君に向かって行った。
「わたくしは今、レオン様とちょっと踊りの練習に行ってまいりますので、その間ミランダさんと踊ってはいただけませんか?ちなみに、今日のミランダさんのパートナーはわたくしですわ。」
「ああ、本当に二人で踊ってたんですね。」
呆れたように笑っているが、どことなくいつもの鋭さがない。
「わかりました。ミランダ、手を出して。っていうか、うちのパーティはいっつも組んでるから、今更だねどね。」
「はい。まあね。でもライが一番落ち着くわよ。慣れてるから。」
自分もモニカ嬢に手を差し出した。黙って手を乗せてくれるくらいには、慣れた感触だ。髪を下ろしたスタイルでのドレスアップした彼女は、正直見慣れない。らしくなく少し緊張するのだ。幼馴染で、そこそこ面識のある女性だというのに。青地に銀の刺繍を入れてあるドレスは初めて見た。落ち着いていて、とても似合っていると思う。
「どうなさいます?ブルース以外も踊れるようになりましたか?」
小首をかしげるモニカ嬢は真剣だ。
「一応。まだ自信がないので、足を踏むでしょうね。」
定期的なお茶会が無くなって、実は習得率はめっきり落ちた。パートナーがいないというのは、こんなに違うものかと実感したものだ。モチベーションも全く上がらなかった。彼女とホールで向かい合って、挨拶をしてから手を広げる。そうすると腕の中に小さく収まった。ふんわり彼女の髪が香って、とたんに落ち着かなくなってしまった。
「香水でもつけてます?」
「はい、この間マゼンダさんと一緒にお買い物に行ったんですよ。」
顔には楽しかった、と書かれていた。お茶会をやっていた時とは比べ物にならないくらい、いい表情をするようになった。
「そうなんですか。いい匂いですね。」
話しながら自然と一歩目を踏み出した。彼女のペースに合わせつつ、周りを見て、ぶつからないように。視界の端にリチャード殿下とシエナ嬢が優雅に踊り、フロアを沸かせていた。しかし今はそれを意識の外に追いやった。
「そうなんですよ。可愛らしいお店で、よいお買い物をしました。そういえばレオン様もいい匂いがいたしますわ。何かつけていらっしゃるの?」
「ああ、ロイ卿にアリアドネ様が嫌だと言ったからあげるよ、と言われた香水をつけられました。」
普段はつけないのだが、今日はつけていてよかった。自然とターンを決めて、またフロアを見回す。モニカ嬢の付けているのは何の香りなのか。
「ロイ様がつけていらっしゃった香りなの?全然違う香りに感じますわ。アリアドネ様は苦手なのかしら?わたくしは好きですけど。」
ニコニコ笑いながら言っていたロイ卿を鑑みるに、いつもの戯れのような気がした。
「たぶん、一緒に買い物に行きたかった、アリアドネ様の口実かと。明日出掛けるそうですよ。」
「あらあら可愛らしいですわね。わたくしもその場面に遭遇したかったですわ。」
自然とこぼれた笑みに、不思議な今まで味わったことのない感覚になった。音楽が、もう終わってしまった。練習の時はあんなに長かったのに。
「もう一曲いかがですか?なんだか練習した気がしません。」
「あら、いいですわね。ではもう一曲。」
モニカ嬢がミランダ嬢を見てにこりと笑っていた。なるほど、ミランダ嬢を長く躍らせていたいようだ。
「今度はワルツを踊りましょう。まだ上手くないですが。」
「…放課後に集まって練習いたしますか?ダンスサークルが使っている、レッスン場をお借りするのはどうです?」
「いいんですか。」
こちらとしては願ったりなのだが、如何せん彼女は学年3位。そんなことに時間を使っていいものか。
「お忘れですか、わたくしもあまり踊れないことを。学園には年に3回ダンスパーティがあるでしょう。そのときいつも肩身の狭い思いをしているのですわ。生徒会に入って一番良かったことは、運営であまり踊らなくていい点ですわ。」
「それはそう思います。ダンスを断る口実にちょうどいいんですよね。」
「はい。でもそれでは乗り切れませんでしょう?自分たちの卒業パーティ、そして社交界は!」
「ああ、確かにそうですね。」
卒業式は三年生は運営から外されるので、パーティのほうに出ずっぱりだ。社交界は言わずもがな。今、学生のうちにホールで多数がいる中、踊るのに慣れておいたほうが絶対にいい。
「練習するしかなさそうですね。」
「いつになさいます?」
また、話していたら自然と体が動いていた。あまり得意でないワルツだったが、それでも話していたらあっという間だった。
「足を踏んだような気がします。」
「これから練習いたしましょう。」
モニカ嬢を椅子に座らせて、冷たい飲み物を取ってきた。少し席を外しただけなのに、周りには数名の男子が、声をかけるべく近寄ってきた。油断も隙も無い。失礼、と適当にあしらって、彼女に飲み物を手渡すと優雅に口に運んでいた。囲んでいた男子たちを一睨みするとさっと退散していった。剣を立てかけて隣に座った。飲み物を一口飲んだ。学生しかいないので当然ジュースだ。冷たくて、ダンスの後にはちょうど良い。
「どうされたんです?あの男子たちは。」
「なんでも黒髪が珍しかったそうですわ。」
そんことないと思うんですけどね、と自分の髪を一つまみしていた。きれいな髪ですね、いい香りですね、触っても?なんていうのはナンパの常套句だが、モニカ嬢は気が付いていなかったらしい。
「ラペット王太子妃のご実家のオーズ家は御当主が黒髪ですから、会ったことがない方々なのでしょう。」
「え、ラペット様って、オーズ家なんですか?!ではクラレンスさん、先生は…。」
クラレンスさん?確か保健室の教諭だったか。モニカ嬢がさん付けで呼ぶとは親しいのだろうか。
「お二人の関係までは存じません。」
「ああいえ、意外で驚いてしまって。…ラペット様の、あれからのご体調はいかがです?」
「ええ、だいぶ良くなって、最近は積極的にご公務に励んでおられます。」
「そうですか、よかった。」
モニカ嬢が攫われたすぐあとだったか、ラペット王太子妃が熱病に罹り、毎晩うわごとを叫びながらうなされていたらしい。らしいしか言えないのは、伝染病だと困るので隔離され、情報も遮断されたからだ。一年たってようやく体調も戻り、そして今度は御懐妊され、悪阻に苦しんでいた。
「今年はいいニュースが多くてうれしいですわ。」
「そうですね。めでたいことです。」
レオンはおもむろに厚紙にリボンが貼ってあるだけの、シンプルな贈り物を彼女に渡した。
「お誕生日おめでとうございます。過ぎましたけど。」
「あら。いいんですの?」
「モニカせんぱーい、ただいまー!」
ミランダ嬢がライオルト君と飲み物を持ってこちらに来たので、座っていた席を彼女に譲り、剣をもって立ち上がった。
「おかえりなさい。ミランダさん。」
「あれ、それなんですか?」
「レオン様に今、頂きました。」
「渡す余裕がなかったので、遅くなりましたけど、誕生日プレゼントです。」
「誕生日!?いつなの?」
「7月8日ですよ。」
モニカ嬢の代わりに答えると、ミランダ嬢が過ぎてるじゃないですか、と頭を抱えていた。
「レオン様、わたくし今、重大なことに気が付きました。レオン様のお誕生日はいつなのですか?いつも祝ってもらってばかりですわ。」
はっとしたモニカ嬢が勢いよくこちらを向いた。
「ああ、10月10日です。仕方ないですよ、モニカ嬢は毎年バージェス領に戻っていらっしゃったでしょう。」
「去年はこっちにおりましたよ。文化祭と被っていますね?!なんでその時教えてくださらないの!当日もお会いしましたわ。」
「いえ、大したことではないので。」
「大したことですわ!もう…今年は盛大にお祝いいたしましょう。」
「結構です、今年も文化祭に被るでしょうし。生徒会が1年で一番忙しい日ですから。…まあとりあえず開けてください。」
モニカ嬢は手の中のプレゼントにはっとして、丁寧にシールをはがした。本当に気にしなくていいので、違うことを考えてほしかった。
「ハンカチですか?」
「眼鏡拭きです。スノーラビットの毛でできています。北部の特産ですね。」
リチャード殿下が今年、シエナ嬢に送ったドレスとは比べ物にならないほど地味だ。モニカ嬢は早速眼鏡をフキフキしていた。光にかざしておお、と感嘆の声をあげる。レオンも愛用しているが、かなり使い心地がいいのだ。普段隠されている琥珀の瞳の素顔のモニカ嬢が、満面の笑みでこちらに振り返った。見慣れないせいか知らない人を見ている気分だった。
「すごい…いいものをありがとうございます。ぴかぴかですよこれ。うれしいですわ。」
見てください、とミランダ嬢に眼鏡を見せている姿がほほえましい。二人でふわふわだわ、と盛り上がっていた。喜んでもらえて、ひとまず安心だ。
「あれは防寒具もあるんですか?」
ライオルト君も興味があるのか触らせてもらっていた。
「ええありますよ。興味がおありで?」
「はい、ああ、ええ。冬までにほしいな、と思いまして。」
彼の目線が、モニカ嬢とミランダ嬢を見ていた。
「カタログをお渡しするので、どのようなのかいいか言ってくれれば、俺の実家から取り寄せますよ。」
「本当ですか?ありがとうございます。」
そうして今年も穏やかなダンスパーティは幕を下ろしたのだった。この3学年合同ダンスパーティが、長期休み前最後のイベントだ。明後日から本格的に長期休みに入って、またしばらく、このメンツとも会えなくなる。それが今は少し寂しい。




