ピリオドを打つ
どんどん呼吸が浅くなっていく。どうしようどうしようどうしよう!滲んだ視界でお父さんの顔を見ていた。崩れ落ちた体勢のお父さんをどんなに呼んでも、聞こえていないのか答えてくれない。
私を助けたばっかりに…!
「お父さん!ああ神様、誰でもいい、どうかお父さんを…!」
助けて、助けてお願い、どうか。お父さんが私を落ち着かせるように手を握った。唇が動いていた。茶色い瞳とあって、口角が上がっているのに気が付いてしまった。
笑っている。
「なんで、笑ってるの…。」
血で濡れるのもかまわず浅い呼吸のお父さんの肩にしがみついた。嫌だ。なんで、なんでこんなことに…。お父さんの腕が、抜き放たれていた短剣に触れた。こちらに渡されたので、受け取った。満足げな顔に何とも言えない気持ちになった。バージェス家の家紋に、刀身に双頭の竜が彫られていた。ずいぶん古いものだ。いつもお父さんが腰に差していたのを覚えていた。頭を撫でられてまた涙が伝う。血まみれの千代輪が揺れていた。
嫌だ。
お父さんが、こんな傷は嫌だ。どんどん弱くなっていく呼吸も、失われていく瞳の光も、広がっていく血だまりも、いやだ。
ぱちんと薪がはじけた。
背中の物音に、振り返った。カシャン、と鉄の鳴る靴は、騎士団だ。
「大丈夫ですか?あなたはもしや、モニカ嬢ですか?」
なんでここに王宮の、騎士団がいるんだろう?でも何でもいい。
「そうです、助けてください!お父さんが、刺されて!」
「おとうさん?」
「この人です、助けてくださいお願いします!」
「…落ち着いてください。」
その騎士は後ろにいた仲間に状況を説明しに行った。待って、お父さんの応急処置をして!何人かがまたこちらにやって来た。
「三人倒したのか…。」
「まだ生きているので!お願い助けて!」
赤髪の男が、私の前に膝をついた。
「この人はもう、助かりません。ここから教会は遠いです。それよりお嬢様はお怪我はありませんか?」
「それよりではないです、お父さんを助けてください!」
「…ここにまだ残党がいるかもしれないので馬車に乗ってください。その短剣を下ろしてください。」
そう言われて初めて血まみれの短剣を握りしめていたことに気が付いた。しかし手放す気はなかった。
「助からないならここにいます。」
「お嬢様をお連れするよう言われています。」
こんな状態のお父さんを、置いて行けと…?
「ここにいます。」
お父さんに縋りついた。息遣いがか細く聞こえた。血だまりが大きくなった気がした。なんでこんなことに…。
鉄製の籠手を付けた腕に、後ろから手を回され、私は持ち上げられた。
「おい、ファーブル卿!」
「しょうがないだろ、動かないんだから。あんたもな、死体にしがみついていても生き返らないんだ!」
「まだ生きてます!…看取らせてください!」
まだ生きている。なんだこの男は。暴れると短刀を取り上げられた。ガラン、と遺跡中に響いた。それでも放してくれなかった。遺跡の石柱まで来たとき、バージェス公爵家の騎士たちが馬を下りたところだった。ペガサスが付いた馬車を警戒していた。
「近づくな!」
そう言われて彼らはそこから距離を取った。
「モニカ様、ご無事で。」
「お父さんが無事じゃないです。バージェス家の紋章が入った短剣の鞘を持っています!助けてください。お願いします。なかにいるんです。」
「な、ジン卿が?」
少し年配の騎士が、足早に遺跡に入っていった。よかった、お父さんのことを知っている人がいた…。
「私も、放してください、看取らせて!」
そう言っているのにすべてを無視して馬車に押し込まれた。
「ファーブル卿、看取らせるくらいいでしょう、なんでそんなに焦っているんです?」
女性騎士が乗り込んで説得に加わってくれたが、男は構わず御者に合図を送った。
「放して…」
「もうお父さんはなくなった。貴女のせいでこっちは仲間が第三王子に目をつけられたんだ、これ以上不興を買ってたまるか。」
は?また第三王子殿下?
「そんなの知りません。」
不興は自分たちのせいだろう。扉を開けようとして、今度は女性の騎士に止められた。
「もう動き出してしまいましたので、ご容赦下さい。」
窓を見れば下にはところどころかがり火が見えた。この馬車、飛んでる。
「なんで、看取らせてもくれないんですか?」
「…」
「なんでこんなことに?」
「…」
「なんで?」
お父さんが死んでしまった?そんなことない、まだ生きていた。最後にどんな顔していた?ダメだ覚えていない。お父さんが最後に笑った顔しか、覚えていない。またぽろぽろと涙が出てきてしまった。
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夜遅く、降りろと言われて馬車を下りた。こうこうと照明によって浮かび上がるのは王城だ。なんで王城に?
そんなことより泣きたかった。声を出して泣きたかった。最後をお父さんと過ごしたかった。
腕を支えるというより掴まれて、連行されていくと、ぼんやり人影が見えた。そこで改めて眼鏡が無くなったことを思い出した。
「モニカ!よかった。」
第三王子殿下の声に、ふつふつと怒りが込み上げてきた。
「なんでこんなことになったんです?!私の父が刺されて、死にそうだったのに!なんで連れてきたんです?!」
叫んで、思いっきり怒りをぶつけた。憎くて憎くてたまらなかった。
「看取らせて下さい!父の、最期を!なんで…、お父さん…。」
父の死を、認めてしまって悔しかった。あそこから持ち直すのはさすがに難しいのが分かった。しかし認めたくなかった。
「お父さんの側に…いさせてほしかった。…お父さん…。」
また涙が出てきた。
何やらバタンと扉が閉まる音がした。レオン様が殿下、と声をあげた後、殿下を頼みます、と声をかけていた。誰がいるのかさっぱり分からなかった。部屋の中がしん、と静まり返った。思ったより喉がカラカラだった。
「何があったか、お聞きしても?」
「…レ、オ…様…。」
レオン様が目の前にいた。ハンカチを差し出されて頬に充てられたとき、もう我慢できなくなってしまった。足に力が入らなかった。その場に座り込んで、声をあげて泣き出してしまった。レオン様が一緒にしゃがみ込んでくれたので、肩を借りて泣いていた。そっと背中に回って、ポンポンとあやすようにたたいてくれる手に、今は全力で縋り付いた。
「私、もう無理です。もう、やだ…」
「もう、やだ…」




