大事な娘
※注意
少しグロイかも
今朝、妻にまた今日もモニカを迎えに行くの?と笑われてしまった。
「違う、絵を隣町に置いてくるだけだ。そのついでに迎えに行くんだ。」
「はいはい。絵のついでね。全くあなたってばモニカに昔から甘いんだから。」
「そんなことはない。」
それにひときわ妻に似ているモニカは、身長が伸びたと言っても小柄で、可愛らしい。何かあってからでは遅い。
「…行ってくるよ。」
「はい、行ってらっしゃい。気を付けてね。」
口では勝てないのを知っているので、早々に家を出た。今日は年に一度、養子に出た娘が帰ってくる日だ。ケイオスとヴィオラに可愛がられて、楽しく過ごしていると手紙には書かれているが、帰省時に疲れたような顔をしているのには気が付いていた。弱音を吐けない生真面目な性格だから、余計に心配だ。
モニカが養子に行った日のことを、今でも鮮明に覚えていた。小さい腕で俺の首にぎゅうと抱き着いて、行ってきます、と小さく言ったのだ。不安そうな顔をしながらも、ケイオスに手を引かれて、馬車に乗り込んだ。
前から養子の話は出ていたが、跡取りが欲しいと言っていたので、うちは女の子ばかりだと断っていた。そのうちケイオスが直接訪ねて来て、モニカを一目で気に入った。上の娘たちと違い、おとなしくて本が好きな子だった。しかしこの田舎には本は少ない。モニカは当時のうちの経済状況をしっかり分かっていたようで、弟の体の弱さを気にして、すぐに養子に行くと自分で決めてしまった。その結果公爵家が手を回してくれて、弟のジスは教会に行くことができ、最近はすっかり元気になって、月に一度顔を見せてくれていた。一気に二人の子供が独立してしまったので、生活にも余裕ができて、結果今は夫婦で余裕のある生活がおくれた。結婚していった娘たちも顔を見せてくれるし、父の借金も無利子でいいと言われて、心にも余裕があった。
しかしどうしても寂しかった。
モニカに養子に行くと決断させてしまったことも、教会にジスを送ったことも、ふがいなくて仕方なかった。だからせめて幸せになってほしかった。婚約者が王家の人間だと聞いて、少し心配ではあったが、勉強熱心なあの子のことだから、大丈夫だろう。そう思って、モニカ任せにしていた。
馬車を進ませ、あっという間に隣町についてしまった。先にさっさと絵を搬入した。今日はなんだか機嫌がいいな、と言われてしまった。顔に出ているつもりはなかったので、まあな、とだけ返しておいた。ここでモニカを待っていてもいいが、時間もあるし、前みたいに街道沿いを少し進んで、迎えに行こう。
そう、のんびり荷馬車を走らせることにした。モニカはどんな顔をするだろう?前回は眠っていたのだっだ。前より身長は伸びただろうか。何を話してくれるだろう。向こう側から来た馬車とすれ違うたび、そんなことを考えて、前回モニカの馬車と出会ったあたりを過ぎた。
遅れているのだろうか?街をいくつか過ぎたあたりに胸騒ぎがして少し速度をあげた。バージェス城から一本道なので、すれ違いに気が付かなかったということはないはずだ。やがてバージェス家の騎士たちが二人、森の入り口にいるのを発見した。路肩に馬車を止め、その二人に声をかけた。警戒していた二人も、自分はモニカの父親であると、バージェス公爵家の家紋入りの短刀を見せると、納得してくれたようだ。これはジンの父の形見だった。
「実はモニカ嬢が乗った馬車が、何者かに襲われたのです。バージェス城に知らせを送り、応援を呼んだところです。現在3名が追跡中です。」
「なんだと?」
モニカが襲われた?無事か?
「少し離れたところから護衛しており、すぐに駆け付けられず申し訳ございませんでした。必ずやモニカ嬢を無事に連れ戻しますので…。」
途中から声が聞こえなくなった気がした。なんでモニカが襲われなくちゃいけないんだ?今どこにいるんだ?無事なのか?
居ても立っても居られなくなり、馬車から馬を外した。荷物の中に乗せっぱなしになっていた鞍を馬に乗せ、森に分け入った。途中までわだちを追って馬を進め、馬の付いていない馬車を見つけた。中にはモニカのいつも持っているトランクが座席に置いてあった。森の中が静かだ。少し日も陰ってきたように思う。どちらに行った?じっくりと周りを観察した。草木の折れ方。馬の足跡の深さ…。
木の折れ方から3方向に逃げたのが分かった。モニカをさらったのなら、一人で馬に乗せはしないだろう。相乗りの馬は足跡が深くなる。そういう足跡は3つのルートのうち2つ。人質がいるほうが人数が多いだろう。騎士団はこの2つのルートを追いかけて行ったらしい。そういえばこの森には古代の遺跡があってあそこは見晴らしがいい。人さらいが合流するにしても、そういうところで落ち合うはずだ。
川沿いに街に行ったら騎士団がいるはず。よし、遺跡に行こう。まっすぐ突っ切るとなると、馬を走らせることはできない。ここまで馬車を引かせていた馬だ。水場があったら休憩をはさみ、携帯していたナッツとドライフルーツでジンも少し休んだ。
水場の近くの茂みに黒い塊があり、なんだろうと近づいてみた。それは黒毛の馬だった。鞍を積んで、馬には珍しく脚を折って眠っていた。ケガはないようだ。馬は基本立ったまま眠るので、この光景は珍しい。窮屈そうだったので、手綱と鞍と荷物を外してやっても、熟睡していて目覚めなかった。荷物は携帯食と寝袋など、短期旅行ほどの荷物だった。しかし旅慣れているようで使い込まれているそれらに、違和感を感じた。メインの荷物はどこかに預けてこの馬に乗って、どこに行った?荷物をあさっていると三角形におられている紙が出てきた。コーヒーフィルターかと思いそれを開くと、うっすらと青い粉がキラキラとついていた。見たことがあったが、思い出せない。これはなんだったか。とりあえず荷物は戻し、自分の馬の元に戻り、また歩き出した。
少し開けた場所に出たので、獣道で馬に乗り速足で奥へ向かう。川べりを行きたくなかったら、この間まで高位ダンジョンがあった山と森を抜けなければならない。そうなると明るいうちに一気に、しかも何人かで固まっていかないと、まだ残っている魔物に襲われかねない。やはり人質ずれで行く道ではない。目的が分からないが、今夜中にモニカが殺されてしまうかもしれない。もしそれを知らずに夜の山越えをした場合でも、魔物に襲われてモニカが囮にされる可能性もあった。どちらにしても日は傾いてきた。急がないとモニカが危ない。
ごつごつとした岩場が見えてきた。遺跡が近い。嫌なにおいがした。魔物のいる森に立ち込める独特の焦げ臭いにおいだ。魔物は動物と違い攻撃魔法が使えるので、ちょっとしたいさかいでも魔法が使われた。そのためそこかしこで火の手が上がった。その分水魔法を使えるものも多いので、燃え広がったりはめったにしない。首の後ろがピリピリして、本能が警鐘を鳴らした。この森は魔の森になりかけていた。
ぎゃああああ!
明らかに人の声が遺跡のほうからした。男の声だ。そちらのほうに馬を走らせる。急に視界が開け、苔むした石畳が現れた。ところどころに野営の跡があった。
きゃあ!
今度は女の子の声だ。確実にモニカだ!
声がしたのは遺跡の中だ。石柱があり、神殿のような大きな入り口があった。馬から降りて走り出した。一番奥に薪の光が見えた。モニカの上に男が覆いかぶさり、モニカに手をあげていた。一瞬で頭に血が上った。短剣を逆手に構えて駆け出し、首を狙った。モニカの上から引きずり降ろし、息の根を止めた。
「モニカ、大丈夫か?」
「…、お父さん…?お父さん?」
涙でぐしゃぐしゃのモニカの近くには真新しいダガーが転がっていた。腕は縛られて、顔には何度も殴られた跡があり、スカートには膝ぐらいまで切り裂かれた跡があった。あの男殺してよかった。
腕の拘束を解き、抱きしめるとわんわん泣いていた。眼鏡はどこかに落としたらしい。よかった、生きていた。
「お父さん、どうして…。」
「森の入り口に、バージェスの騎士がいたんだ。モニカを追っていたから、俺はこいつらが集まりそうな場所に来たんだ。」
「あ、あのあともう一人いたの、水を取ってくるって馬を連れて行って、あ、でも最初は5人で…、」
まだここに人が来るかもしれない。そう言いたいんだと察した。
「じゃあここに長居はできないな。立てるか?」
「うん。」
腕のあざが痛々しい。モニカの近くにあったダガーを拾った。男の太ももをこれで刺したらしい。少し借りることにした。
「それ、シエナ様が、プレゼントしてくれたの。」
少し笑ったモニカを見て、心底よかったと安心した。
遺跡の石柱の間を抜けようとした時だ。上から気配を感じをそちらを向くと、男が上から短剣を構え落ちてきた。ダガーと短剣を両手で構え、いなして前方に落とした。なかなかの手練れだ。
「きゃあ、お父さん、後ろ!」
モニカのほうを振り向くともう一人男がモニカに迫っていた。もう一人上から降りてきたらしい。そちらに躊躇なく走り出し、モニカに迫った男を背中から押し倒した。後ろから首を狙ってダガーを刺したが、後ろから迫ってきていたもう一人の男に背中を刺された。刺してきた短剣の腕をつかみ、振り向きざまの遠心力で後ろの敵の首に自分の短剣を刺した。背中に刺さった短剣が抜けた。出血が激しい。危なかった。肋骨に挟まっていなかったら心臓を刺されるところだった。ガランと音を立てて短剣が落ちた。
「お父さん、ああ、どうしようトランクがあったら包帯も入っていたのに…。」
「大丈夫だ。このくらい昔は良くやったから。」
男の上からどいて、座った。モニカが震える手でハンカチを押し当てて止血していた。傭兵時代に比べればかすり傷だ。…昔だったらこの程度の人数に引けは取らないのだが…俺も腕が落ちたな。それだけ平和だったということだが。モニカがスカートを割いて包帯を作ってくれた。巻き付け、縛り終わった時、長い影がモニカの顔に落ちていた。
「あ、」
鎖骨に生ぬるい血液が落ちてきたのを感じた。
すぐさま振り向きざまに短剣を、後ろにいた男ののど仏に叩き込んだ。崩れ落ちる身体を見て、しくじった、と強く思った。後ろから喉を半分ほど割かれ、呼吸しようにもこそから空気が漏れているのを肌で感じた。肺に血液が入って来たが、咳もできない。
モニカの手を握った。
この子が無事なら、まあいいか。




