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絵画の間

 公爵閣下から資料室利用の許可を得て、第三王子殿下を案内するために並んで歩いていた。執務室から、少し奥に入ったところに資料室があった。二人きりで緊張していたので指先が少し震えていた。


「あっちにある建物は何だ?」

 窓の外には普段、私が過ごしている別館の青い屋根が見えた。一階からだと庭木に隠れて建物自体見えないのだが、執務室は二階だから見えたようだ。

「あちらは別館です。」

 先ほどから、第三王子殿下があまり入らない公爵家の母屋の案内をさせられていた。第三王子殿下が立ち入ったことのある場所は、公爵家のパーティ用のホールと休憩室のある所だけだ。ああ、後は応接室か。何が楽しいのか、歴代公爵閣下の肖像画などをじっくり眺めていた。


「モニカにあんまり似ていないな。」

 前公爵閣下の肖像画の前で、私の顔と見比べるために立ち止まってしまった。私は隣にあった小ぶりの、男女と子供の書かれた肖像画を指さした。

「そうですね、こちらの前公爵様のお兄様が、わたくしのおじいさまでございますので。」

 銀色の髪に体格の良い、眼光鋭いおじいさまの隣には、気の強そうな美しい女性がいた。栗色の髪のおばあさまだ。その膝には母親に少し似た面持ちの子供がいた。

「この子が、わたくしの父ですわ。」

「そうなのか。やっぱり似ていないな。」

「そうですね、父と似ているところと言えば、瞳の色が茶色いことくらいです。」

 肖像画の父は、おばあさま譲りの茶色だった。

「どうやらおばあさまからの遺伝のようですね。」

「じゃあモニカの黒髪はどなたから?珍しくてきれいだと思っていたんだ。」

 今、さらりときれいとか言っていたが、気にしないことにしよう。きっと何も考えてないんだ。

「黒髪は、東の国出身の母からですね。確か、葦原の瑞穂の国、と言っていたはずです。」

「そんなに遠くから。東の果てじゃないか。よく来たな。」

「母は、髪も瞳も真っ黒ですから、もっと珍しい容姿をしています。」

「そうか。見てみたいな。ご挨拶しに行かなければな。」


 資料室にはバージェス公爵領に関する資料がすべて収納されていた。きっちり年代ごとに並べられている。該当資料を第三王子殿下に渡した。すぐにパラパラと目を通していた。小さな椅子とサイドテーブルがあったので、そこに座ってもらった。前から思っていたが、第三王子殿下は速読ができるらしい。しかもその内容がちゃんと頭に入っているようで、これは一緒に仕事をするのは大変だろうなと思った。仕事のリズムが早すぎた。もしや人よりも速いスピードで過ごしているのではないだろうか。


 目が合わないのをいいことに、第三王子殿下の長いまつげを観察した。すごい。金色だ。きっと太陽が出ていたらキラキラ光るに違いない。おっと見とれてはいけない。なにせ第三王子殿下はまごうことなき美形なのだ。直視するのが気まずくなるほどの。


「他にいる資料はありますか?」

「ん、大丈夫だ。ちょっとここを見てくれ。やっぱり前回も水源近くで高レベルダンジョンが発生している。というより、危険度の高くないダンジョンがいきなり、高レベルの魔物が出て来はじめて、ダンジョンレベルが上がった、というほうがいいか。」

「今回のダンジョン発生と酷似していますね。…もともとそこには魔力だまりがあるんです。」

 魔力だまりは空気中に存在する魔力の発生源や、魔力の循環がおこりにくい場所に、魔力が溜まっていく現象だ。魔力製品が多く使われる都市に比べると、田舎のほうは魔力が使われないため、溜まりやすい。森の中まで行くと、動物が生活の中で魔力を使うので、そこまで溜まっていないが、大きい洞窟は動物が少ないため溜まりやすい。

 今回の洞窟ダンジョンはもともと発生源があり、魔力が溜まりやすく、入り込んだ動物たちが魔物になってしまった低レベルダンジョンだった。しかし5年前から地元住民の行方不明事件が頻発し、どうやら魔物に襲われているらしいと報告が入った。炎の魔力を持った魔物が多く、水源の水量が落ちるほどだった。

「閉鎖だけではない対処法が必要だな。住民たちはなぜ閉鎖を拒んでいるんだ?」

「長年魔物の狩りをしていた者たちがおりまして。おそらく魔力が漏れ出ていて、その魔力のせいでそのあたりには低レベルの魔物が多く、魔石も取れました。」

「ふむ、そうか。森が“魔の森”化しては遅いのだが…。」

「それは住民も分かっているでしょう。気になるのは…」

「ああ、今までダンジョンの力で水が少なくなっていたところに、例年より多く雨が降った場合だな。もしかしたらこの2年で川岸近くに引っ越した住民なんていないよな?」

「…騎士団に見回りを強化するように閣下に報告いたします。」

「しかし30年も感染症で死者が増えるのはおかしい。」

「今年の最新の死者数の報告でもあまり…変化は見られないですね。130年前のダンジョン騒動の後は、一時穀物の収穫量はだいぶ減ってはいますが…。」

「ああ、そうか。魔力が減って、収穫量が減ったか?そう仮定すると閉鎖は悪手か?」

「魔力と収穫量に関連が?聞いたことございません。」

「もし魔力が植物にとっても必要だったら。そういう仮定だ。」

 なるほど、もし植物にとっては二酸化炭素と同じく、魔力がなくてはならない物質だったとしたら…。魔力と穀物の収穫量についてなんて、考えたことがなかった。

「実験してみて検証してみましょうか。」

「そうだな。公爵に話そう。どおりで温室の中の植物の成長が遅いと思った。季節違いかと思っていたんだが、温室の室温調整器の魔力消費の為か。じゃあ、王都周辺が収穫量が低いのもそういうことか。」

「…水に魔力は宿るのでしょうか。渇水にもかかわらず、この収穫量は、もしや取れ過ぎでは…。」

「そういう考えもあるな。高レベルダンジョン近くの水源から、魔力の多い水が河川に流れ込む。渇水で雨水が少なくなり、河川の水を使った。だから収穫量が変わらなかった。水のほうに魔力が宿っているのか?空気中の魔力と水の中の魔力はどちらが多いのか。魔研ならわかるだろうな。森の木々が魔力を吸収するのだから穀物もそうか。となると我々も食べ物によって魔力を得ている可能性があるな。」

 好奇心で目が爛爛としている第三王子殿下を見るのは、久しぶりのような気がした。ちなみに魔研とは国立魔力研究所のことだ。今にも飛び出しそうにしていた。なぜ出て行かないのだろう。普段ならさっさと王宮に帰るのに。

「では魔研に行かれますか?馬車をご用意いたします。」

「いや、しかし…。」

「公爵閣下にご報告いたしましょう。領地にも知らせなければならないですから。」

「そうだな。」


 ようやく立ち上がった第三王子殿下は資料を私の手から奪い取ると、またエスコートの体勢になった。こんな時にエスコートなんていいのに。おとなしく手は乗せるが。鍵を閉めて執務室に向かった。急ぐだろうと覚悟していたが思いのほかゆっくりと壁を見ながら歩いていた。何か考え事をしているようだ。思考の邪魔をしないよう極力静かに足を動かした。おもむろに足を止めた、第三王子殿下に合わせて私も止まった。彼の左手が私の右側をさしていた。目線を持っていくと扉があった。


「ここは何の部屋だ?」


 今そんなことはどうでもよくないか?と思ったが、扉を見てみた。というよりこんな扉あったんだ。気が付かなかった。

「なんでしょう、ええと、絵画の間、と書かれていますね。わたくしは入ったことがありません。」

 ガチャリ。第三王子殿下が左手でノブを回した。扉を引くと、何も置かれていないイーゼルが一つ。四方を壁で囲まれている、使われていない空き部屋のようだ。もしかしたら廊下に掲げられている絵画の倉庫かもしれない。

「どうなさいました?」

「いや、なんでもない。行き道にはなかった気がしたから。」

 また扉を閉めて、その周りを見回していた。どうしたんだろう?やけに静かな第三王子殿下と、公爵閣下の執務室に向かった。


 ###


 公爵閣下に説明して、実験をする前に魔研に問い合わせをすることになった。穀物の成長に魔力が必要なら、もうとっくに魔研に研究されているはずだ。今までその話全くでなかったということは何かあるのかもしれない。

「うん、面白い事実に気づいてくれたね。長年王都付近の収穫量の安定が課題だったけど、土地改良とかそっちのほうばっかり気が向いていたよ。」

「王都の近くにある低レベルダンジョンは魔力を発生させているんですよね?」

 第三王子殿下を見た。

「そんなに大きい魔力だまりではないんだ。しかも魔力消費の激しい王都の近くだから、ダンジョンも低レベルから発展したことがない。300年間新たな階層もできない。定期的に見回りをしているし、学生たちの魔法の練習場になっているから、魔力が溜まらないのではないか?」

 ダンジョンは高レベルになるにつれて地下に伸びていく。大体1~3階が低レベル、4~7階が中レベル、8~が高レベルにあたった。

 今回の洞窟ダンジョンは2階までしかなかったのが、急に壁が崩れ落ち、10階までの道が現れたのだ。不自然なことばかりだ。

「中に入った騎士の話を聞いたけど、ちょっと不可解な点があるからね、そっちのほうも調査はしているよ。」

「そうですね、ちょっときな臭いな。魔力が穀物の収穫量に影響があるということは、ほかの領地もちの貴族が気が付かなかったのか?というと疑問がある。そっちの調査もしようと思います。」

「おやおや、それを私の前で言いますか。」

「バージェス公爵はそういうことは報告書に書くタイプだと思いますが?」

「疑われもしないなんて、なんだか悲しいですね。」

 先ほどからしていた仕事の時の表情から、へにょりと笑った公爵閣下は困った顔をしていた。

「真面目だと思っているんです。誉め言葉だと思ってください。」

「そうですか。」

「差し出口を失礼いたしますが、このことを魔研に早く聞きに行ったほうがいいと思うのですが、馬車を用意させましょうか?」

「でもこれからお茶会じゃないの?」

 小首をかしげた閣下に、私も小首をかしげた。

「わたくしはかまいませんが。」

「…、どうせ魔研に言ってもすぐに返事が来るわけではないからな。これから予定通りダンスの練習をしよう。」

 ああ、やっぱりダンス練習か~。まあ大分時間を使ってしまったから、あと1時間ぐらい練習しようか。

「はい。わかりました。」

「もう行っていいよ。こっちで出来ることはやっとくから。」

「頼みます。」

「お願いします。」

 ぺこりとして第三王子殿下と退室した。ああ、後はダンスだけ。いきなり緊張してきた。足を踏んだらどうしよう。怒られたらどうしよう。あ、いけない、呼吸を落ち着けなければ。すぅーはあー。よし、大丈夫、大丈夫…。

「モニカ?」

 第三王子殿下がエスコートのための手を出していた。慌てて手を置いた。

「すみません。」

「過呼吸か?」

「いえ。」

 ちょっと呼吸を整えていただけだ。緊張から息が荒くなっているのはわかるが、これってどこからが過呼吸なんだろう。心臓もドキドキ速くなっていた。

「モニカ。モニカの、好きなところはどこだ?」

「好きなところとは…?」

「公爵家でいつもいる場所だ。一番落ち着くところだ。」

「一番落ち着くところですか?自室ですかね。」

 本当は別館の裁縫室だが、説明が難しい。

「じゃあそこに行こう。練習はそのあとでいいから。」

 おや?なんでそんな不合理なことを?まっすぐホールに向かわないと練習の時間さえなくなってしまう。

「いえ、大丈夫ですわ。時間がありませんし向かいましょう。」

「いや、しかし…。」

 今日はどうしたっていうのだろう、先ほどから腰が重い。普段のフットワークの軽い第三王子殿下はどこに行ったのか。

「もしや、体調でも悪いのですか?先ほどからどうなさったのですか。」

「…、あの、モニカは好きなフルーツは何だ?食べ物は?」

 だからさっきからなんなんですかその質問は。フルーツ、は…乾燥したイチジクだが、食べ物は母の作ったパンケーキだ。しかしこのまま言ってもいいものなのか。ああでももう面倒臭い。

「乾燥イチジクとパンケーキですわ。」

「え。」

「さあホールへ行きましょう。」

「なんというか、ドライフルーツが好きなのか?」

 私が第三王子殿下の腕を引く日が来るとは。

「はい。いつでも食べられて甘くて好きです。」

「なんか軍事訓練の昼食のようだな。」

 聞いておいてなんという感想か。もう放っておこう。黙って足を動かした。言っておくがすごく便利なんですからね。小腹が空いたり、侍女長に昼食を抜かれたときも。メイドの使う、お茶用の小さな給湯室で、市場で買ってきた小麦粉と水と蜂蜜でパンケーキは今もよくやった。昔のパンケーキからしたら大分豪華だ。それでしのげるんだからいいだろう。言えないけど。

「パンケーキは食べたことないな。」

 一般庶民が食べるものがない時に食べるものだから当然だ。最近は貴族が食べる用のフルーツたっぷりの可愛いパンケーキがあるらしい。一度お店で食べてみたいものだ。

「第三王子殿下の…。」

 今思わず、好きなものを聞こうとしてしまった。これはいけない。王族のそういう好みは外部に漏らしてはいけないのだ。毒を盛られる可能性が上がってしまう。

「…王宮のシェフに頼んでみたらいかがです?きっとおいしいパンケーキを焼いてくださいますわ。」

「なんだ、モニカが作ってくれないのか?」

「わたくしは料理が苦手ですわ。」

「じゃあ…」

「着きましたわ。」

 扉を開いて無理やり質問を終わりにした。先ほどから尋問を受けているようで気分が悪い。

「あっ来た。も~遅くない!?もう時間ないわよ。」

「すみません、思いのほか時間がかかってしまいました。」

「ああ、途中にバージェス家の肖像画があってな。モニカの父上とおじい様とおばあ様のものがあった。」

「一ついいですか、モニカ嬢のおじい様って、グロリア卿だっていうのは本当ですか?あの、伝説の双頭フロストドラゴンを倒した、あの!」

 何時になくレオン様の圧がすごい。

「ああ、はい。つい最近知ったのですが、グロリアというのは確かにわたくしのおじい様です。」

「そうなんですか!すごい、ほんとにあの方は存在していらっしゃったんですね。今、シエナ嬢と話していたんですが、北部では伝説になっているんですよ!絵本や叙事詩も残っていて、知らない人はいないほどの有名人です。」

「私も知らなかったわ、モニカがあのグロリア卿のお孫さんだったなんて!超有名人じゃないの!」

「え、そうなんですか。」

「私は聞いたことないな。モニカのおじい様は北部で何をされたんだ?」

 第三王子殿下の質問に、レオン様とシエナ様がこんなに興奮しながら話すなんて。

「やっぱりドラゴンのことが有名ですね。グロリア卿はすごいんですよ。推定700歳の双頭のドラゴンを、住民たちと協力して倒したのです。うちの領館の前庭にはグロリア卿の銅像があります。」

「牛を囮にしたやつでしょ!すごいわよね。」

「へえ、はじめてきいた。」

 第三王子殿下が感心しているが、この話の続きは王家的には黙っておいてほしい内容だろう。

「そうですね。なかなか破天荒なお方だったことは聞きました。…あの、時間がありませんので、ダンスの練習をいたしませんか?」

 本日は先生は来ていない。孤軍奮闘しなければならない。まだ話したりないシエナ様とレオン様がお話ししながらダンスをスタートさせていた。すっかりお上手になられて…、私も頑張らねば。

「破天荒とは、何かあったのか?」

「ええ、学園を剣のため中退したり…。多額の借金を抱えたり…。」

 テーブルに、もって来ていた資料を置いて、第三王子殿下が待っていたので、私も殿下の前に立った。いつもよりは少しだけ落ち着いている気がした。

「身内は大変だな。」

「はい、そういうタイプのお方だったそうです。」

 すっと出した殿下の手に、自分の手を乗せた。一歩目はうまくいった。ターンはごまかして、しかし歩幅が少しづつ合ってきているような気がした。


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