普通を知らない
「モニカに聞きたいことがある。」
本日のお茶会は公爵家のホールで、ダンス練習をする準備をしていたモニカ嬢に、リチャード殿下が資料をもって話しかけていた。
「はい。わたくしで答えられることでしたら。」
コクンと頷いたモニカ嬢に、リチャード殿下が座っているテーブルの向かいの席を勧めていた。シエナ嬢とレオンはテーブルのそばに立って、モニカ嬢に渡された資料を覗き込んだ。
「100年前のバージェス公爵家の死亡者数の資料だ。」
ああ、この間殿下が図書館で調べていた件か。途中からまた合流したが、結局いい資料がなくケイト卿からモニカ嬢に言って、バージェス公爵家の記録を調べてもらったほうが早いということになった。
「この30年間の記録が、不自然に増えていて、この期間に何があったか、心当たりはないか?」
「なるほど…、確かにそうですね。」
「病死の内訳は、破傷風にマラリヤ…感染症が30年間だけ不自然に高い。洪水か何かあったはずだが、ちょっと詳しい資料はないか?」
「洪水でしたら、確か130年ほど前にバージェス領でありましたわ。この間渇水の資料を調べたときに書いてありました。」
「そういえば西側の渇水はまだ続いているのか?」
「はい。水源の近くに高ランクダンジョンができてしまって、2年前から騎士団で討伐しております。ダンジョンのボスは倒したので後はダンジョンを閉めるだけです。その後ダムの建設を検討しております。地元住民はダンジョン閉鎖に反対しているようで難航しておりますが、そういう調整はこれからやっていこうかと。」
モニカ嬢は仕事の話になると饒舌だ。それを知っているリチャード殿下は、馬車のかなでも上機嫌だった。彼女との会話が続くからだ。
「渇水は気になるな。」
「ええ。公爵閣下に許可を取り、資料を取ってきます。」
「私も一緒に行っていいか?」
「はい。行きましょう。」
「じゃあ私とレオン様はダンスの練習してるね。」
「すぐに戻ってきます。お先に始めてくださいまし。」
にこりと笑ったモニカ嬢を、自然にエスコートしたリチャード殿下は、レオンに目線を寄こし頷いて歩き出した。やはりうれしそうだ。二人の背中をずっと見送っていたシエナ嬢は、ドアが閉まったのを確認して下を向いてしまった。
ああ、どうしたものか。ずいぶん前から気が付いていたのだが、シエナ嬢はリチャード殿下のことを好いているようだった。横顔には何とも複雑な表情になっていた。
「あなたも大変ですね。」
「あなたもって何よ…。」
消え入りそうな声で鳴いたので、少し時間を置くことにした。多分、シエナ嬢がこんな顔になっていることを、あの二人は知らないんだろうな。
なんて見込みのない。いや、見込みないのか?リチャード殿下は鈍い自分から見ても、モニカ嬢のことがお好きだと思うんが、どうやらリチャード殿下ご自身は気が付いていないような…。あくまでもモニカ嬢は“都合のいい婚約者”で、逃げられたら困るという認識しかしていないような気がした。あんなに上機嫌でうれしそうなのに。この間だって、ケイト卿を困惑させていた。
「相変わらず、殿下はモニカ嬢のことになると、後先考えませんね。医者になるのは大変でしょう?」
「そうか?勉強すればなれるんだろ?大したことではないだろ?」
「免許だっているんですよ。本格的なものは医療機関に3年の研修が必要です。」
「3年なら学園に通っているうちに、どこかの医療機関に行けばいけないか?」
「本気ですか?モニカ嬢のためによくやりますね。」
「…、確かに婚約者に対してやりすぎだったか。」
「いえ、殿下はほんとにモニカ嬢のことがお好きですね。」
「?いや?普通だが。友人で、婚約者だと思っているが。」
「えぇえ~…、そこまでしておいて友人なんですか…。」
「ああ、友人だが。」
モニカ嬢の健康について気にすることは、リチャード殿下にとっては当然のことなのだろう。それを理由に婚約解消されては困るから。思えば女性と関わる機会があまりなく、同年代の友人もモニカ嬢とレオンとシエナ嬢。そして年の離れた兄付きの護衛たち。
好きとか嫌いとかそういったことに疎くなって当然だった。リチャード殿下が窮屈な王宮で、それでもそう感じてほしくなくて、王城を抜け出して城下の様子をよく見に行っていた。しかし視察の域を出ず、交流の枠に嵌まってしまっていた。
モニカ嬢のほうは明らかに婚姻する気がないし、ドライな対応に慣れてしまったリチャード殿下は、それが普通の婚約者との交流だと考えているようだ。父親は国王陛下で、母親はアレだ。普通を知らない可能性を、今まで気が付かなかったことにレオンは頭痛がしてきた。リチャード殿下は自分なんかよりも頭がよくて剣もできて何でもできる。しかし普通ではない人生を歩んできたんだ。
かくいう、レオンも幼いころから王城育ちだ。女性の気持ちに疎いのは自覚があった。そして一緒に育ったリチャード殿下も、そうだろうことにいまさらながら気が付くとは。
まずはリチャード殿下がモニカ嬢のことをどう認識しているかを確認しなければ。
「何よ、最近モニカと仲いいくせに、人のこと棚に上げて!」
?仲がいいとは。前よりは話せるようになってきたが、基本的に対応を変えているつもりはない。手持無沙汰で遊んでいた、ベルトに付いたサンストーンから手を離した。
「普通ですが。あなたような“難儀”なことにはなっていませんし。…モニカ嬢は本当に婚約解消をお考えなのですか?」
「…誰がどこまで知っているかわからないけど、モニカと叔父様たちは解消するつもりよ。モニカだけは、その後釜に私を押しているの。」
「ああ、だからモニカ嬢からの手紙には、あなたのことしか書かれていないのですね。」
「え!?モニカ何書いているの?!」
「あなたの、公爵家のお気に入りスポットとか、好きなお菓子ランキングとか、好きな色とか。リチャード殿下がこの間言っていましたけど、モニカ嬢へのプレゼントは全く決まらないのに、シエナ嬢の好きなものはすぐにわかるって。」
「モニカ…何やってんのよ恥ずかしい!」
「モニカ嬢の目的が分かった俺としては謎が解けました。そういうことでしたら納得です。シエナ嬢のことばかりなのは、あなたを婚約者にしようとしているってことですね。なるほど。国王陛下と王太子殿下は、リチャード殿下の婿入りする先が変わらないから問題ないですしね。」
まったく、それなら婚約解消しても国にもデメリットは全くない。ちぐはぐだった計画がちゃんと収まるところに収まった。やっぱりあの地味なご令嬢は相当な切れ者だ。
「おそらく、リチャード殿下はあなたと結婚することになっても、全く問題ないですね。むしろモニカ嬢より気が合っていると思います。ただ今のまま解消しても…。」
「何よ…リチャード様がモニカのこと好きなのくらい、私だってわかってるわよ。」
「いえそれが…、多分、自覚なさってない、ようなんですよね。」
「は?」
「いえ…」
こういうのは自分が言ってしまってもいいものなのか…。わからないが今の状況を変えられそうな期待があった。
「モニカ嬢のことが、お好きなのに、ご自身は普通の友人兼、婚約者に対応している、おつもりのようで…。」
「え、あんなに堂々といろいろなさっているのに?」
こと、このことに関しては顔が緩みっぱなしだし、言動も好きな女性に対するそれだ。何度も言うが鈍い自分が気づくほどだ。翡翠の宮勤務なら気づいていた。それを、天才と名高いあの、リチャード殿下が気が付いていらっしゃらないなんて…。
「あのですね、今まで女性とのかかわりはモニカ嬢くらいでしたから。」
「それにしたって…。」
「それよりも、モニカ嬢は何を思って婚約解消なんて言い出したんですか?」
「王妃様よ。あと2年ねって、一方的に言って…。」
「その前から、ではないんですか?」
「…、いえ、そうね、その前からそんなこと言ってたような気がする。よく覚えていないけど。」
「モニカ嬢は王妃様の案に乗ったってことですね。国王陛下の命を無視して。」
「何その言い方!あの時ほんとに怖かったんだから!」
「いえ、無視はしていませんね、後釜が来たからあとは自分の考えを実行に移した。もともと、婚約解消を考えていた…。」
「…、それは…。」
モニカ嬢の気持ちを一番知っているであろう彼女が否定できないということは、もう無理なのかもしれない。
「モニカ嬢はリチャード殿下の何が気に食わなかったんでしょう?かなり完ぺきに近い王子様だと思うのですが。」
これは本当にそうだ。リチャード殿下は本当に言い切れないくらい素晴らしいお方なのだ。
「モニカが言ってたのは…凄すぎて、付いて行けないって。そんなこと言ってた。あと、急に大きい声を出すところかな。びっくりしちゃうんだって。」
凄すぎて、付いて行けない。急に理解した。そうか。それはそうかもしれない。
「わかりました。」
理解できてしまった自分が、レオンは悲しかったが今はそのことは置いておこう。
「…殿下は、このまま気が付かないままのほうが、傷は浅いでしょうか?」
「…多分。」
「来年になったら婚約解消しほかのご令嬢と交流してほしい、とモニカ嬢は言っていました。その、ほかのご令嬢というのはあなたのことでしょうね。」
「モニカってどうしてそんなに、お人よしなのかしら。」
「それはさっぱりわかりませんね。」
このまま婚姻すれば、リチャード殿下がきっと世界一好いてくださるだろうに。モニカ嬢は何で、チャンスを不意にするようなことをしているんだろう?