ケイト卿は見た
本日は半休なのにもかかわらず、ほとんど職場に住んているような状態のケイト卿は城内をふらついていた。今日の出勤は王太子殿下の宮の宿直なので、遅い時間まで暇だった。城内の人が侵入することなんてありえない深部での宿直は、別にうたた寝をしていても問題ない。しかし王太子殿下が眠れないというなら、相手をしなければならない。こういうのは時の運だ。
ケイト卿はもともと王太子、クリス殿下の専属だった。お人よしのこの人は幼馴染兼専属従僕だった自分を、学園卒業後あろうことか第三王子殿下の専属につけた。母親である王妃陛下の過干渉を軽減するためだ。自分の周りが母親の手のものだらけなんて、年頃のリチャード殿下からしたら耐えられないことだろう。おちおち寝言で婚約者の名前も言えやしない。婚約者とうまく行ってない末弟のために、ラペット様との橋渡しをさんざんやらされた自分を遣わしたのだ。
リチャード殿下がお生まれになったころ、王宮にいる子供は、国王陛下の御子を除けば、クリス殿下の乳母の息子であるケイト卿と、騎士団長の息子であるロイだけだった。小さいころから面倒を見てきた、アリアドネ殿下とリチャード殿下はケイト卿にとっても、かわいい弟妹だった。まさかロイがアリアドネ殿下と結婚することになるとは思わなかったが。
ロイめ俺達にまで言わないなんて本当に水臭い。好きなのは知っていたけど、まさか告白するとは思わなかった。あとから話を聞けば、幼馴染二人が同じ日にプロポーズをしていた。まあいい。うまくいっている奴らのことなんてもういいのだ。最近はもっぱら幸せオーラで仕事しやがって。何が週末デートだ!
そんな負のオーラをまき散らしながら歩いていると、城内の目立たないところで逢引きしている男女を目撃してしまった。ササっと身を隠してスパイの体勢に入った。
おいおいおいおいこんなところで何やっちゃっているんですかね!?ずいぶんまあ、情熱的なお二人ですこと!熱い接吻は真昼間の王宮でやるもんじゃないでしょう!ここはそんなに人通り少なくないんですよ!あれれ~しかもあの二人見覚えあるな~。何回か宮上がりしたとこありますね。両者学園の制服姿で、こんなところで逢引きしなければならない関係ということか。学生のくせにただれてる。これはリチャード殿下にご報告しないといけないネタが増えましたな。思わず口の端がにやりと笑ってしまう。
その、リチャード殿下自身は浮いた話がほとんどないお方だ。婚約者と言っても解消の話が出ている、第三王子なんてねらい目もねらい目なのに、個人でお茶に誘われることもなく、ましてやラブレターの一つも貰うわけでもない。定期報告のような婚約者からの色気皆無の手紙と、季節のあいさつが高位貴族のご令嬢からぽつぽつ届くくらいだった。こうなってくると定期報告のモニカ嬢からの手紙が一番多い。納得いかない。さっき濃厚なキスをしていたあの男より、どう考えてもリチャード殿下のほうが顔ヨシ頭ヨシの文句なし物件だろう。ああ、王位継承問題で面倒なのか?それはありそうだが、それならもっと下の伯爵以下のご令嬢からお声がかかってもよさそうなのにそれも全くない。王妃陛下が手を回しているかもしれないが、ケイト卿の耳には入ってこなかった。
結果、リチャード殿下は幼馴染であるモニカ嬢と、その義従妹であるシエナ嬢しか同年代女性との交流がないままこの年になられてしまった。レオン君の話ではそのモニカ嬢も婚姻は消極的だとか。いったい我らが末弟はどうなってしまうのか。
思考を巡らせながら廊下を速足で行くと、図書室についた。先ほど落ち着いた年配のメイドにリチャード殿下の居場所を聞いたら、ここで見たと言われた。リチャード殿下が図書館にいるのは珍しいことだ。ここには王宮に上ってきた各領の報告書やら、伝染病の報告書やらがあった。大体の報告書に目を通しておられ、また一度見ると忘れない頭の持ち主であるリチャード殿下は、図書室とは縁遠いお方であった。ケイト卿が近寄って行っても全く気が付かず、熱心に何かを読み漁っていた。
「医学の本ですか。リチャード殿下は医者にでもなる気ですか?」
「は?ああ、ケイトか。」
顔をあげてまた本に戻っていた。
「医者もいいかもしれないな。」
「ご冗談を。」
怪我や一部の病気には祈力を持った聖職者が治療に当たるのだが、医師には医師の仕事があった。怪我の治療は聖職者のほうがすぐに回復できるが、感染症や、病気の治療は医者の領分だった。また聖職者へは多額の料金がかかり、一般庶民にはとても手が出ない金額なのに対して、医師は継続的に治療をする患者が多いので、一回の料金は聖職者に比べれば手が届く範囲だ。投薬療法が主な治療なので、薬師を兼任していることが多かった。
「…モニカを治せるかもしれないから。」
ああ、まただ。リチャード殿下はこういう素直なところがおありだった。
「この間、ふら付いたのはただの過呼吸だって医師が言っていましたよね。」
「シエナ嬢に聞いたら、その前にいきなり倒れたことがあったって聞いたんだ。もしかしたら似たような報告があったら、何かの病気かわかるかもしれない。」
普段モニカ嬢とそっけない言葉でぶっきらぼうにしか話せない、この健気なリチャード殿下がいっそ哀れだった。誕生日パーティ前のお茶会や、定期連絡の手紙を鑑みるに、完全に脈なしなのは一目瞭然だった。モニカ嬢はリチャード殿下のことを何とも思っていない。あのお茶会のモニカ嬢の終止困惑した顔が思い浮かぶ。
彼女と直接手紙のやり取りをしたが、季節の花のあしらっていある便箋に、美しい優美な字で手紙の書き方もちゃんとされていて、なおかつあいさつもしっかりと入っている、文句のつけようもない淑女らしい手紙だった。一方リチャード殿下宛の手紙からは、その美しい文字以外のものがすべてバッサリ切られて、報告書のようなものしか残らない代物だった。
リチャード殿下曰く、挨拶なんて長ったらしいものは書くな、と言ったらしい。言葉が全く足りていない。リチャード殿下の言いたかったことは、『モニカ嬢の本心が聞きたい』『もっと内容を一杯書いてほしい』『会っていなかった間、何をしていたのか気になる』とそういうことだろう。幼いころからお世話している自分はわかる。しかしそれを彼女に読み解けというのは酷だ。彼女はきっと、あいさつのない手紙=中身だけの手紙=『事実を端的に』『考えを明快に』『結果は正しく』、と解釈したのだろう。そんなの書くことが無くなるに決まっていた。報告ができるような結果が、そうそう日常に起こるわけがないのに。それでモニカ嬢は報告することが無くなって、『シエナ嬢の好きなお野菜ベストテン(モニカ嬢調べ)』とかになってしまったのだろう。モニカ嬢の苦労のあとが垣間見える。二人に圧倒的に足りないのは、お互いを理解するための話しあいをすることだ。
悲しいほどすれ違いを起こしていたリチャード殿下だが、きっと最後にはうまくやってしまうんだろう。今まで手に入れたかったものはどんな策謀を巡らせてでも手にしてきた。人を魅了する圧倒的なカリスマがこの人にはあった。どんなことも成し遂げてしまう、付いて行きたくなる背中をした人なのだ。クリス王太子殿下の腹心を自認するケイト卿ですら、そう思わせてくるこのリチャード殿下。生まれる順番が違ったら、と言っている人の気持ちが少しわかってしまうのが、悔しい。
「今日もハンカチが入っていますね。」
「当たり前だ。」
ふふん、と自慢げな顔をしたリチャード殿下が、胸ポケットをたたいた。ようやく年相応の男の子に見えた。
「モニカは持ち歩くなと言ったが拒否した。」
その一言で固まってしまった。それは、そうか。モニカ嬢からしたら国王陛下にまで見られたのだから、やめてくれとなるだろう。あの時は他国の国賓も滞在していた。自分だったらそんな方たちの前で、手製のハンカチを使われたらたまったもんじゃない。ちょっとした嫌がらせにさえ感じてしまう。
「リチャード殿下、モニカ嬢が嫌がったのなら、持ち歩くのは良いにしても、人前に出すのはやめましょう。」
「なんでだ?」
その顔にはもっと自慢したい、とでかでかと書かれていた。
「嫌だと言ったことをし続けるのって、ただの嫌がらせでしょう?」
「…確かにそうだな。内ポケットにしまっとく。」
「そうしましょう。」
殿下は素直なんだ…素直なんだけどなぁ…。
「ああそうだ、ちょっと見てほしい資料があった。100年以上前のバージェス公爵領での死者数をまとめたものだ。30年間の資料なんだが、急激に跳ね上がっている年がある。死者の内訳は病気が多数、病名は載っていないがこのころ何かあったのか?」
「ええっと、うーん、もう少し詳しい資料を見てみましょうか。100年前のバージェス家の記録ですね…。司書に用意させます。…バージェス領なら100年前のものでもきっちり残っているでしょう。そういえばこの資料はどこから持ってきたんです?」
病気の資料から、バージェス公爵家の財務、インフラ、穀倉地帯の資料など多岐にわたっていた。普段図書館を利用していないリチャード殿下自身が到底用意できるものではなかった。司書に頼んだのだろうか?そもそも司書の存在をご存じなのだろうか?
「ああ、来たときはレオと一緒だったからな、レオが司書に色々指示を出していた。この図書館の常連だからな。」
「そうでしたか。それならどこに何があるのか知っているでしょうね。」
なるほど、レオン君なら空いた時間に本を手に取る、本の虫だ。彼の姿が見えないときは近衛騎士団の鍛錬場かここだ。
「…レオは将来本当に私の従者になるつもりなのだろうか?私はもったいないと思うんだが。」
「まあ、そうですね、王城に務めてもらえたら私としてはうれしいですけどね。レオン君は優秀ですから。でも本人の夢はあなたにお仕えすることですから。公爵従者になっても、ちゃんと仕事をしてくれると思いますよ。」
「それはそうだ、仕事のほうは心配していない。ただ、レオが爵位を持ったら、王城で働いたら…私の従者にして、人材を腐らせておくのは忍びない。」
レオン君はご実家に仕える、領地の無い子爵家の御令嬢と婚約していて、卒業後はそこの子爵位を継いでバージェス公爵を継ぐリチャード殿下について行く、本人はそのつもりだ。
「それは何度も話し合いをなさったのでしょう?」
「言った。でもついてくるって聞かないんだ。」
「ふふふ、慕われてますね~。」
「それはそうなんだが…。」
困ったように笑っているリチャード殿下は、それでも納得はしていないようだ。
「ああそうだ、第三王子殿下に面白い報告があるんです。つい先ほどのことなんですが…。」
ケイト卿は声を落としてリチャード殿下の耳元で報告をした。
 




