レスト王国の王女殿下
地獄の報告会を終えて、やっと一息ついた。さすがにそろそろ会場にと、第三王子殿下にエスコートされながら歩いていた。あとは特段有意義な情報もなく、震えも収まる気配がないのであきらめて寒い廊下を三人で静かに移動していた。
「そういえばお渡ししたハンカチですが…。」
「ああ、今も持っている。」
「持ち歩かないでくださいまし。つたない出来で恥ずかしゅうございます。」
「何がダメなんだ?いい出来だと思うが。」
「国王陛下や、殿下の炯眼にかなう出来ではないと言っているのです。あまり人前に出さないでくださいまし。」
第三王子殿下がニヤッとした気配がした。
「嫌だ。」
言うと思った。私から第三王子殿下へのお願いはことごとく退けられた。今回に始まったものではない。もう否定の言葉を使われなれてしまった。望み薄で言ったからいいのだが、こんな時でも私への嫌がらせを実行するなんて、徹底的過ぎてある意味尊敬した。もうなんにも期待しない。
「さようですか。」
いつか隙をついて奪い取って燃やしてやろう。ああ面倒臭い。やっぱりプレゼントなんてしなきゃよかった。
「リチャード様!やっと見つけた。どこに行ってたのよ!ダンスが始まっているわ!早くいくわよ。」
後ろからの突然の声に振り向いて、第三王子殿下の手を離した。王女殿下だ。その間に第三王子殿下の腕を素早く取り、抱き着いていた。おお何という美男美女。お似合いだ。そのままダンスに行ってしまえばいいのに。第三王子殿下がレスト王国に行く気がないことが確認された今、王女殿下とダンスを踊ろうが、婚姻の話が出ようが興味がない。
急な国賓の登場に、レオン様とともに礼をしたまま頭を下げた。
「放してください。迷惑です。」
ぞわっと、思わず鳥肌が立つほどの冷たい声が、第三王子殿下から出てきた。いつもの声より数段低い。底冷えのする声だ。こんな声は聞いたことがなかった。
「やーよ。早くダンスを踊りましょうよ。」
しかし王女殿下には全く聞こえていないのか聞いていないのか。
「遠慮します。」
そう言って腕を放しにかかったのかもめている音がした。
「モニカ、行こう。」
第三王子殿下が手首を乱暴につかんだ。また痛い。というかこっちに話を振らないでほしい。美しい相貌がこちらに向いていた。
「何よ貴女。侍女じゃないの?」
「バージェス公爵家のモニカと申します。よろしくお…「よろしくしなくていいから。」
第三王子殿下が割り込んできた。
顔をあげるとこちらを睨みつけて仁王立ちの王女殿下がいた。
やっぱり美しくて快活そうな方だ。結構第三王子殿下と気が合いそうなんだよな。ダンスくらい踊ってくればいいのに。私は体から伝染した声の震えをごまかすため、お腹から声を出した。
「第三王子殿下は王女殿下を国賓としておもてなししなければなりません。違いますか?それが外交というものではないのですか?」
「そうよ、その通り!この地味な子の言う通りよ。あなた話が分かるわね。」
「それで、王女殿下、第三王子殿下と踊るレスト王国としての外交上のメリットは何でしょう?この度王女殿下は3週間ほど王宮に滞在し、お噂によると茶会にも積極的に出て、友好関係は示せました。もしや第三王子殿下の誕生会で主役と踊ることによって、両国のさらなる友好を確固たるものにすべく重大な発表があったりするのでしょうか?例えば、第二王子殿下がレスト王国との懸け橋になるべく留学をなさったり。」
「はあ?!貴方何を言って…」
「ああ、それをここで発表するのは悪くないな。ディーン兄上も乗り気だし。私を使って広報活動とは恐れ入った、王女殿下。」
鼻で笑いながらまたあの冷たい声で返した第三王子殿下に、怖くなって震えが止まらない。あとで怒られたらどうしよう。第二王子殿下の件は国家機密と言っていなかったから大丈夫だと思うけど…。
「そういうことなら喜んで協力いたしましょう。いや、モニカはそれに気づくなんてさすがだな。」
「もったいないお言葉です。」
「ああ、あなた公爵家って言ったわよね?もしかしてこの地味な子が婚約者?うわ!笑える!超地味じゃないの。」
「はい。あまり目立つのが得意でないのでこのような装いとなりました。王女殿下は花のある美しいお方ですね。わたくしはレストの方に会うのは初めですがレスト王国の皆様はこんなに快活で素敵な方ばかりなのですね。時間が許す限りゆっくりわが国でおくつろぎくださいませ。」
言他に、貴女の言動はレスト王国の品位にかかわりますよ、と言ったのが伝わったのか、少し言葉に詰まっていた。伝わらないようならレスト王国との価値観が違い過ぎるので、付き合い方を考えたほうが良い。膝はガクガクしていて緊張しっぱなしだった。もしかして出席したお茶会や夜会でもこういったことを『やらかして』いないだろうか。そっちも心配になってきた。
「では会場に参りましょう。」
「そうだな。ディーン兄上の留学の話を大々的に発表しないといけないからな。それから、私は今日の深緑色のドレスは落ち着いていて似合っていると思うぞ。」
柄にもないことを…仲良しのフリをしないと、女王殿下があきらめてくれないからか。そのまま出してきた右手に左手を乗せ、エスコートしてもらった。
「ありがとうございます。」
よろしければお手をどうぞ…、とレオン様が王女殿下に手を差し出していた。回廊の真ん中に国賓を置いていくのは確かによろしくない。王女殿下が先ほどとは打って変わって静かについて来ていた。まだ睨まれている気がした。第三王子殿下が身をかがめて耳元にボソリと話しかけてきた。
(先ほどの返しはよかった。あのわがまま王女、二の句が継げていなかったぞ。いいものが見れた。)
どことなく弾んだ声だ。先ほどの平坦で低い声じゃないのでそこは安心した。私も同じく小声で返した。
(あれでようございましたか?第二王子殿下の件はまだ決定ではなかったら、お話に出すべきではなかったですが。)
楽しそうに喉でクツクツ笑い出した。
(いいんだ。むしろディーン兄上からは感謝されるだろうよ。過干渉の側妃から逃げられるんだからな。もう何年も前から兄上から相談されていたんだ。あの親からどうにか逃げ出したいって。)
耳に息がかかって思わず身を引くと、その分距離を詰められた。
「くすぐったいです。ちょっと離れてくださいまし。」
「嫌だ。」
そう言いつつ背筋を伸ばし、笑いながら私の手を引いた。これでいいだろうとでも言っているように右腕に置いている手の上から、反対の手でポンポンとたたかれた。いつもよりはだいぶ優しめの所作だった。
「ああ、失礼。」
いつの間にか足の止まってしまっていた私たちを、後ろの二人は立ち止まって待っていた。
「あ、申し訳ございません。」
「早く行こう。」
王女殿下が射殺すようにこちらを凝視していた。また少しびくりと震えあがって、第三王子殿下にのペースに合わせて、足を動かすことに集中することにした。
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会場について、私を公爵閣下の元に送り届け、第三王子殿下はレスト王国の王女殿下の手を取った。素晴らしい画だ。美しい男女が華麗なダンスを踊っていた。会場ではまさかお二人が踊ると思っていなかったようで、ざわめきが少し収まってダンスに注目が集まっていた。シエナ様が私の袖を引いて耳元にささやいた。
「モニカ、いいの?あれ!なんであの王女様、リチャード様と踊っているのよ!」
おやこれはもしやヤキモチ!?私はにっこりと笑ってから、公爵夫婦にも聞こえる声で話した。
「大丈夫ですよ。第三王子殿下から重大発表がありますので、ちょっと注目が欲しかったようですわ。」
少し体の震えが収まってきた。そのせいか朝から何も食べていないことを思い出し、急にお腹が空いてきた。あそこのお菓子がおいしそう。
あのケーキも…あとで行ってこよう。
「どうされたんですか?」
「いえ、ちょっとお腹が空いてしまって。」
後ろからぶっきらぼうにレオン様に声をかけられたので、小声で返した。ちょっと呆れたようなため息が聞こえてきてから、何か持ってきます。と小声で帰ってきた。
「あちらのお菓子をいいですか?隣のケーキも…なんだか見てたらおいしそうで。朝から食欲がなくあまり食べていなかったんです。」
「承知しました。」
今ここから私が動くと、婚約者が注目を集めていることも相まって相当目立ってしまう。レオン様の申し出はありがたかった。そうこうしているうちに一曲終わり、お二人がきれいな所作で挨拶をしていた。
「すまないが皆、ちょっと聞いてほしいことがある。我が国とレスト王国の長年の友好関係を永続的に継続すべく、今回発表したいことがある。」
そう言って二階席でシャンパンを飲んでいた第二王子殿下のほうを向いた。皆が一斉にそちらに注目した。全く示し合わせもしなかったのに、第二王子殿下は何かを察したのか、グラスを優雅にサイドテーブルに置き、席を立った。
「あちらにいる、我が国の第二王子がレスト王国との交流を加速するため、学院への留学が決定した。兄上は必ずや両国の尊い懸け橋となるだろう!」
歓声と拍手の中突然のことに動揺もせず、にこやかに手を振っている第二王子殿下ってすごい人だな…。第二王子殿下は王太子殿下と同じく目元がやさしげで、お顔は国王陛下に似ていた。気さくで話しやすいという噂がなるほど納得できた。
王女殿下も大衆の手前、にこやかに手を振り返していた。隣でしれっと拍手をしていた本日の主役は、満足げにしている様子だ。一通り拍手が鳴りやむと、突然の発表すまなかったな、またパーティを楽しんでくれ!と言ってこちらに歩いてきた。普通だったら王女殿下に一言給わったりするところだが、多分余計なことを言わせないため、あえてお開きとしたのだろう。
「モニカ、踊るか?」
「結構です。」
上機嫌なところ悪いが、この間一緒に踊って大惨事だったことを忘れたのだろうか?つれないな、と肩をすくめたみたいだが、知らんぷりをした。
「モニカ嬢、このお菓子でいいですか?」
そうこうしているうちに皿にお菓子を回収したレオン様が帰ってきた。
「ありがとうございます!」
思いのほか会場によく通った声に、自分でびっくりしながら皿を受け取った。呆れ顔をしているがレオン様は攻略対象なだけあって顔がいい。そんな同年代男子に食いしん坊だと思われるのはちょっと、いや、かなり恥ずかしい。しかしお菓子を取りに行ってもらってそれはもう手遅れか。
「すみません、お腹が空いていたので…。」
壁際にあったテーブルとイスまでそそくさとはけて行った。シエナ様が一緒について来て、第三王子殿下は公爵閣下と公爵夫人と何やら話していた。レオン様は瞬きの間にどこかに消えてしまった。少し会場を見渡すと、レオン様が王女殿下をエスコートして階段をのぼり、席に案内しているようだった。さすが気遣い上手で仕事が出来る男。ちなみに皿には朝から食べていないと言ったためか、小さなサンドイッチまで乗っていた。レオン様ってすご過ぎない?
「モニカ、休憩室でリチャード様とお話しできた?久しぶりだったでしょ?」
ニコニコのシエナ様はまさか、1か月ぶりに会った私と第三王子殿下のために、休憩室から止める間もなく出ていったのか。私なんかに気を使って!ああなんて優しくてかわいくて完璧なヒロインなんだろう。大した話ししていないなんて言えない。
「はい。お気遣いありがとうございました。ゆっくりお話しできましたわ。」
シエナ様のかわいらしさにデレデレで答えると、うれしそうに笑ってくれた。その顔も可愛らしい。胸がきゅんとなった。シエナ様とお話ししていたら、いつの間にか体の震えもなくなっていた。ちらりと第三王子殿下を確認すると、こちらに体が向いていたようなので、できるだけゆっくりケーキをつつく。今日は私を王女殿下除けとして使いたおす気らしい。困った。いつも第三王子殿下のいない夜会お茶会なら、気配を消して壁に立っているだけで誰も話しかけてこない。なにせ私はモブで地味で、どなたかの付き添いの侍女に見えるからだ。モブ顔だというのはメリットが大いにあった。壁際で貴族たちの『面白い話』を仕入れていた。そういう情報を集めに、私はたびたび一人で夜会に行ったりしていた。
「それにしてもまさか第二王子殿下の留学を発表するとは思わなかったわ。検討しているとは言ってたけど。」
「さようですね。」
「なんだ、提案したのはモニカじゃないか。私はそれに乗っただけだ。」
ちょっと声が大きくないですか第三王子殿下。これは大丈夫なのか?王妃陛下は政敵である側妃様の御子を国外に出せてよかったという判断をしそうだが、つまりそれって側妃様の勢力を敵に回したということに他ならない。その発案が私だとばらすのは悪手ではないですかね、第三王子殿下。この後が怖いんですが?また震えが戻って来たではありませんか第三王子殿下。
「いえ、わたくしはただ、本日の主役である第三王子殿下とダンスをと望んでおられたのには、注目を集めたい何かがおありなのかと思っただけにございます。」
「まあそういうことにしておこうか。」
「はい。」
今日はずっと上機嫌をキープしていた。いつもこうならいいのに。普段私相手の時は機嫌が悪いということは、相当嫌われているようだ。それかパーティが大好きかの二択だ。後者はめんどくさいと言っているのを聞いたことがあった気がしたので、やっぱり前者か。ああ早く婚約解消したい。もう胃がキリキリしてきたし、お菓子の味がしなくなった。
「こちらをどうぞ。熱いのでお気をつけて。」
さりげなくレオン様がホットミルクをテーブルに置いてくれた。ざっと見たこところ給仕の飲み物にはないラインナップなので、わざわざ用意してくれたのだろう。
「ありがとうございます。」
両手で持ってゆっくり冷ましながら飲む様を、なぜがシエナ様と第三王子殿下に凝視されていた。飲みにくいな。ああ、身体が芯から温まりホッとした。ちらとレオン様の背を見ると第三王子殿下の後ろで、死角を埋めるように待機中だ。
「わざわざご用意くださったのですか?」
コップを掲げるとこくりと頷いた。
「ケイト卿が用意してくださいました。」
「そうなんですか。後ほどお礼を言っておいてもらえますか?」
「かしこまりました。」
そう言ってまた背を向けた。本当に気づかいの鬼だよレオン様は。素敵過ぎでは。フォークを握る手も幾分震えが収まった。ちゃんとお菓子が甘い。ちょっとした心遣いでも気持ちというものは上向きになるんだな、と実感した。その後はシエナ様とこのテーブルでおしゃべりをしたり、第三王子殿下がそのお菓子が食べたいと言い出したので、取りに行ったり、それなりに忙しく過ごしていた。




