白い聖堂
珍しく肩の力を抜いて、馬車に揺られていた。今から向かうのは教会だ。この国の国教、バレル教の国一番の白い聖堂に向かっていた。本のページに銀のしおりを挟みながら、眠気に耐えてついた先には、荘厳な建物があった。バレル教ではその名の通り、世界はバレル、樽に張った水の上に浮いており、天動説によりこの白い聖堂を中心に回っていると考えられていた。この世界の常識が天動説だと聞いたとき、じゃあなんで水平線は曲がってて、船は帆から見えるんだよ、と突っ込みを入れたが異端者として処理されるかもと思い、心の中だけにとどめることにした。それにこの世界ではまだ、世界一周をしていないのだ。もしかしたら本当に平らの可能性もあった。
ゲームではバレル教の聖職者のキャラが学園にいた。保健室の先生だった。彼は魔術を研究していた。そしてそれが、聖職者が使う祈力と呼ばれる力だということに気が付くのだ。人はだれしも祈り、その力によって奇跡を起こすことができる。まあそれは彼がヒロインシエナ様と出会い、いろいろ経験を重ねたから出る結論であって、今回はどうなるかわからない。
ちなみにこの世界には魔法もあった。これは一般的なゲームでいうところの攻撃魔法だ。攻撃魔法は危険なもので、取り扱いには魔法陣が必要だった。免許制で、学園に通って試験を受けると魔法の免許の貰えるクラスもある。そういうクラスには貴族の魔法騎士団希望の人や、平民から冒険者を目指す若者たちが通っていた。魔法の理論は大体解明されているので、生活の中にもとけ込んでいた。魔力の才能とは、私は魔力量の多さのことだと思っている。これがある人なら誰しもが使えるものだ。
バレル教が信仰を集めているのは、聖職者には奇跡を起こす力があるからだ。ゲームで言えば回復魔法にあたる。その力こそ祈力と言った。捧げものをし、祈ることによって、バレル教の神様から奇跡の力が舞い降り、捧げものに宿った。聖職者にはその物を見るとどんな祈りが込めてあるかが分かるという。そして格の高い聖職者が祈ることで、より具体的にその物に力を込めることができた。ゲームでいうところの、『守りの祈りが込められた指輪。守備力+15』みたいなアイテムのことだ。そしてこの力の理論は解明されておらず、小さなころからの信心と修行によって、もたらされる力とされていた。教会は才能のある子どもを見つけるために、積極的に孤児院を開業して子供の世話もしていた。親なしの子供の受け皿となっている教会は、当然国民からの信仰も信頼も厚い。
まあなぜ私がこのバレル教の説明をしているかというと、先日出来上がった刺繍に祈りを込めて第三王子殿下にお渡ししよう、ということを思いついたのだ。お金があれば聖堂では些細な願いから大きな願いまで込めてくれた。そこで私はこう願おうと思ったのだ。
『第三王子殿下が、ヒロインシエナ様と幸せになりますように。』
しかしこの作戦には欠陥があった。教会と王室は結構ずぶずぶなのだ。今までの歴史の中で、遠征に行く騎士たちの防具や剣に祈りを国単位で込めてもらっていたりしていた。死に目に会っても一度だけ復活できるというような祈りだって、大枚はたけばやってくれるのがバレル教だった。
第三王子殿下の婚約者が違う女性とのことを神様にお願いしていた、というような話が万が一にも国王陛下のお耳に入ったならば。私の首はきっとさよならだ。じゃあなんと願おうか。
『第三王子殿下が運命の彼女と一生幸せになりますように。』違うな…もっとこう、具体的に。『第三王子殿下とシエナ様が仲良くなりますように。』別に二人の仲は悪くない。どちらかというと私と殿下のほうが悪いだろう。『シエナ様が幸せになりますように。』なんで第三王子殿下のハンカチに願うの?別のものに願って、シエナ様に持たせなさいよ。ああどうしよう。願い事何にしよう。
馬車が止まり、扉が開けられた。平日にもかかわらず平民から貴族まで、若い老いている関係なく幅広い層の人々が大聖堂前の広場にいた。白い聖堂と呼ばれるだけあって、白い柱が何本も澄んだ空に伸びていて、それを緻密な彫刻が支えていた。柱にも彫刻が施してあって階段も白い石が使われていた。天使の彫刻の瞳には大粒の宝石が多々あしらっており、エメラルドにルビーにサファイヤなど輝いていた。クラリとするほど荘厳で規模に圧倒された。ストレートな物言いをすれば、かなりお金がかかっていた。
若い使徒の方が手を取り、降りるのを手伝ってくださった。
「本日、ご案内させていただく、クラレンスと申します。どうぞよろしく。」
荘厳な姿に圧倒されぼんやりしていた私はふと、クラレンス?と顔をあげた。
「よろしくお願いいたします。モニカ・Ⅾ・バージェスと申します。お手紙で予約は取っていましたが、こんなに人が多いと思わなくて。お忙しいでしょうか?」
「いえ。いつもこんなもんです。」
黒髪で長身の男の人だ。聖職者にしてはざんばらの髪が、カラスのようだ。よそよそしさが態度に出ていた。白い聖職者の服はきっちりしているし所作も美しいからわざとなのだろう。バレル教とバージェス家の関係はあまりよろしくないなんて裏設定でもあったのか?
「最初はどちらに行けばよろしいですか?」
「ええっと…。それが、司教様が急な用事が入りまして…。その…。」
うーん。よくわかっていないようだ。私一人で来たのがまずかったか。公爵閣下と夫人ならこんな扱いは受けないのだが…。とりあえず聖堂でお祈りをささげてからお庭でも見ていようか。
「それでは聖堂でお祈りをしてもよろしいですか?」
「ええ、はい、あの、聖堂までご案内します。そして司教が空き次第えっと、ご案内いたしますので。」
「はい。あとでお庭も見ていいでしょうか。見学したいのですが…。」
「あ、でしたら私がご案内いたします。」
「はい。」
クラレンスさんに案内され、またステンドグラスとフレスコ画に圧倒されていた。幾何学模様の太陽と月のシンボルがバレル教の神様を表していた。ここでは身分関係なく椅子に座り祈りの時間をとっている人々がいた。
ここにいる人たちの祈りを邪魔しないように、手を合わせた。席を外していたクラレンスさんが、少しして戻ってきて私の隣に座って、手を合わせた。私は目をつぶりまた考えていた。この人、どっかで会ったことがあるような。見ただけかもしれない。ちらりと隣を盗み見ると、真剣な祈りの姿に、神聖な空気感も相まってかなり荘厳で美しく見えた。上のフレスコ画にも引けを取らない美しさだ。男の人に美しいは言い得て妙だが。もう少しで思い出せそう。また正面の幾何学模様に目線を戻した。
祈りの後クラレンスさんとお庭に出て散策していた。春の前の寂しい庭を何気なくぶらぶらしていた。きっと見ごろになったら色とりどりの花が咲き乱れるのだろう。
「本日はご依頼があってきたとお伺いしたのですが…。」
「はい。わたくしは実は、第三王子殿下の婚約者なのですが…、刺繍を入れましたので、こちらで祈りを込めてもらおうと思いまして。」
「祈り、ですか。ちなみにどのような祈りでしょう。ええっと、申し上げにくいのですが、人の心を動かすような祈りは、跳ね除けられることがありまして…。」
「あら、そうなんですね。いえ、どうしようか迷っていましたの。第三王子殿下が幸せになりますように、がいいか、健康で健やかでありますようにがいいか…。そういうのはよいですか?」
「…、ずいぶん、無欲なお願いですね。」
無欲?うーん?願いを込めっるってそういうものではないのか?先ほど人の心を動かすような願いはダメと言っていたのに。しかしこういう聖職者様には正直に言ったほうがいいだろうか。
「実はわたくしは、来年までの期間限定の婚約者なのですわ。しかし、何を思ったか第三王子殿下が去年のわたくしの誕生日に得難いものを送ってくださり、どうしても刺繍だけでは見劣りがしてしまって。それで司教様にお祈り頂こうと思ったのですわ。」
「え…。」
ああ。やっぱり固まってしまった。
「あの、今の話はクラレンスさんの胸の中にしまっておいてもらえませんか?」
「ええ、ええ、それはもちろんですが…、そんなお話私に言ってもよいのですか…?」
「よくないですが…。来年になりましたら発表される事柄でもあります。」
「もちろん誰にも言いません。」
生真面目そうな顔で答えてくれたので、私は安心して続きを話すことにした。
「お願いします。それで悩んでいたのですわ。どんなお願いが『ほどよいか』。来年までの仲なので、わたくしとのことはもうよいのです。殿下がお好きな方と幸せになって下さったらそれで構いません。」
小さなバックから完成した刺繍を取り出した。タンポポにしたのは単純に綿毛が可愛いのと、ほかのお花より簡単だからだ。王家の家紋のほうが大変だった。勝手に使うわけにもいかないのでケイト卿に許可を取り、書類まで作ってもらった。型紙は使い終わったら庭で燃やす徹底ぶりだ。この度バレル教の司教様に祈りを込めてもらうのだってちゃんと許可を取ったのだ。面倒なお役所仕事を経て、いざここに来たわけだが、司教様になかなかお会いできないのは誤算だった。まあ、まだ時間があるのならどのような願いにするか、クラレンスさんに相談しよう。
クラレンスさんの顔を見上げると、ポカンとした黒い瞳とかち合た。ちょっとした間抜け面に少し笑った。どうしたんだろう、瞳がきらりと金色に輝いていた。見間違いだろうか?この人は長身なので瞳が遠い。
「クラレンスさん?どうなさいました?」
「…あ、いえ、何でもありません。あの、この刺繍は御自身で?」
「はい。つたない作品ではありますが。」
「いえ、もうすでに何らかの願いかかけてあるように思うのです。」
「?そんなはずありませんわ。この刺繡を家の刺繍部屋の外に出したのは今回が初めてですから。」
「そう、ですか。」
まだ難しい顔をして私の手の中の刺繍を見ていたので、見てみますか?と手渡すと、熱心にハンカチを眺めていた。時折眩しそうに目を細めているのが印象的だった。何が見えているんだろう?
「たまに、本当に稀ですが、自分で願いを込めて持ってこられるかたがいらっしゃいます。モニカ嬢はそういう方なのかもしれません。しかし、ここまで明らかに願いがこもっていらっしゃるのは、そうそうないものでして…。」
願いを、私が込めた?祈力もないのに?なんだろう無意識に何を願ってしまったんだろう?急に恥ずかしくなってきた。
「あの、どんな願いを込めてしまったんでしょう?」
「はい、えっと、そのまま読みますね。『第三王子殿下が私と別れた後、燃える様な恋をしてその方と結ばれ、最高のエンディングを迎えますように』と…。」
な、なんだってー?!それは願ってた、願っていたけど他人の口から聞きたくなかった!恥ずかしい。顔が真っ赤だ。
「ええっと、モニカ嬢は結構、情熱的で、ロマンチックな方ですね。」
ち…違うんです!ゲームのほうはそういう感じで終わるんです!でもそんなこと言えない!生暖かい目で見るのもやめてほしい!
「もう少し、何とか表現を書き換えることはできませんか!そんなハンカチを第三王子殿下に渡せません!」
「いえ、いいと思いますよ。ちゃんとそこまで読み取れるのは僕と司教様くらいであとの方は、第三王子殿下の幸せを一身に願っているように読むでしょうし。」
「ほかの方にはばれませんか?前半は特によくないんですが…。」
「大丈夫です。それほど殿下の幸福をお祈りする気持ちのほうが強いんです。本当に純粋な美しい祈りですよ。刺繍が金色に輝いて見えるくらいです。」
クラレンスさんはこちらをじっと見つめた後、刺繍を返してくださった。まだ頬が熱い気がした。
「あの、本当に来年、第三王子殿下とお別れするのですか?」
「はい。王妃陛下とのお約束でもあります。」
ううん、とうなったクラレンスさんは口に手をやり、しばし考えた後こちらを向いた。
「そうですか。しかし、ちょっともったいないように思うのですが。」
「もったいない?」
「はい。こんなに純粋に幸せを願ってくれる女性と結ばれないのは、第三王子殿下が少し、不憫ですね。」
「…わたくしは第三王子殿下にはもっとふさわしい方がいらっしゃると思いますわ。」
「そうでしょうか。」
「はい。」
だって私はモブだもの。ヒロインは天使のようなシエナ様だから、私はその応援に回っているだけだ。だから純粋に第三王子殿下の幸せを願えるんだろう。そうすればシエナ様も自動的に幸せになるのだ。この世界の記憶が戻ってからどこか俯瞰で人生を進んでいるような感覚になる時があった。画面が目の前にあって、ゲームをプレイしている…。あとシエナ様と第三王子殿下の応援をする自分に酔っていた、というのはあるかもしれない。
「ああ、祈祷室が空きました。では私も微力ですが祈りを込めましょう。最高のエンディングを迎えられるように。」
「忘れてくださいまし!わたくしは第三王子殿下の幸せを全力で願っているのですわ!そういうことにしておいてくださいまし!」
あはは、情熱的でいいと思いますよ、と笑いながらクラレンスさんは私をエスコートし祈祷室へ案内してくれた。
次回更新は12月31日です。