シエナ様にも苦手なことはある。
シエナ様とダンスの練習は、王都に来ても定期的に行っていた。この間の散々たる結果について、シエナ様の心に火をつける結果になって、ものすごく張り切っていた。それとは別に本邸のダンス練習場を40周は毎日やっていた。今はシエナ様との練習中で、シエナ様が男性パートをやってくださっていた。
「やっぱりちゃんと出来ているわよ、モニカ。」
「そうですか。しかし本番になると遅れてしまうんですよね。」
「レオン様の時だってちゃんと踊れていたから、リチャード様の時だけってのがね。レオン様よりリチャード様のほうが絶対にリードは上手なんだから、モニカは合わせるだけでいいはずなのに。」
レオン様にヒドイいいようだが、事実なのだそうだ。レオン様とシエナ様のダンスは一見するとレオン様がリードをしているようで、シエナ様がきっちりリードしていた。レオン様がなんかすいすい踊れるなと思った、と言っていた。
「第三王子殿下と踊るのは緊張してしまって、上手くいく気がしません。」
「モニカって、リチャード様のこと、苦手なの?前からちょっと思ってたんだけど…。」
「はい。苦手です。」
「あ、ずいぶんはっきり言うのね…。ちなみに、どんなところが?」
「そうですね。いきなり不機嫌になるところですかね。不敬罪にならないのであればもう少し言いたいことがありますが、危険なのでこのくらいで。」
「でもぉ、この前のことはモニカが悪いと思うよ~。リチャード様はモニカがケガするのが心配だったのにさぁ。」
「わたくしのケガが、ですか?」
昨日の夜、お風呂に入っているときに気が付いたのだが、第三王子殿下に掴まれた二の腕がしっかり鬱血して、あざになってしまった。それで私のケガを心配しているというのは信じられない。ここ2~3年のケガの原因は大体第三王子殿下のせいなのだから。口では何と言っても行動が全く伴っていないのだから、信用できない。ずいぶん外面のいい方のようだ。しかしこの国の第三王子だ、私が何を言っても黙殺されて終わりだろう。
「そうですね。なるべく気を付けます。第三王子殿下にケガをさせたら大変ですしね。」
「そうじゃなくて、倒れそうになったら寄りかかっていいよって言いたかったのよ、リチャード様は。」
「寄りかかって、第三王子殿下にケガをさせてしまいましたら、王妃陛下の怒りを買って、わたくしの親族兄弟が極刑になる可能性がありますから。わたくしだけケガするぶんには構いません。」
「え、そんなことになるの?!」
「シエナ様は大丈夫だと思います。シエナ様のお母様と王妃陛下は親交があったそうですから。しかしわたくしは気に入らなければ“処理”できる身の上ですから。」
貴族名鑑に載っていない、貴族の縁戚など平民と大して変わらないのが現状だ。そして“それ”をしそうな迫力のあるのが王妃陛下だ。冗談には聞こえなかったのか、腕を抱いてコワ~と言っていた。
「ですからわたくしは絶対に殿下にケガをさせることはできません。」
「でも私はモニカがケガするのは嫌よ。」
ぐう天使。
「はい、ですからできるだけ気を付けます。」
「そうしてよね!」
「やあ、やってるね。」
「公爵閣下。夫人も」
「この間大変だったって聞いて、来ちゃった。」
もしやご心配をおかけしてしまった?!
にこやかに笑っている公爵夫人に勢いよく頭を下げた。
「すみません。うまく踊れませんでした。」
「それはいいのよ。ずっと練習していたんだから。この間は一緒にいられなくてごめんなさいね。緊張したでしょう?いじめられなかった?」
「もしそんなことしていたら、もう二度当地の敷居を跨がせない。」
公爵閣下が本気の顔をしていた。しかしいじめに心当たりはない。
「大丈夫です。」
「今は何をしていたの?」
「モニカのステップの確認よ。ここだとちゃんとできるのよ。あのへたくそなレオン様とだってちゃんと踊れるよ。でもリチャード様がダメなのよね。」
困ったように眉を下げるシエナ様、可愛い。
「あら、じゃあ、ケイオスと踊ってみたら?」
「え!」
「いいね!踊ろうモニカ。」
それはそれで緊張してしまう。閣下はすごく嬉しそうにしていて乗り気だ。
「はい。じゃあ…。」
ちゃんと踊れるかしら。
シエナ様の合図で挨拶をして手を取った。手拍子でリズムを刻んてくれていた。
「じゃあ次から行こうか。」
「はい。」
閣下が声をかけてくれたのでスムーズにスタートできた。リズムに合わせてフロアを一周。簡単だった。
「モニカ!上手いじゃない!何がいけなかったのよ!」
「ちゃんと出来てるわよ!モニカ!」
公爵夫人とシエナ様がすごくほめてくれたので、うれしくなってしまった。
「いえ、閣下と踊るのはすごく、踊りやすいですね。」
「それはよかった。モニカもちゃんと踊れていたよ。問題はないみたいだけど。」
みんなに褒めてもらえて自己評価がうなぎ登りだ。思わずだらしなく顔がにやにやしてしまった。うっすら気が付いていたけど認めねばなるまい。
「やっぱり、第三王子殿下と踊る時は異次元の緊張をしているようです。レオン様とも久しぶりですがちゃんと踊れましたし。」
「うん、レオン様もダンスの練習はしていたって言っていたけど、モニカのほうが格段にうまくなっているわ。やっぱり、モニカが苦手なのはリチャード様ってことね。」
「はい。」
「どういうところが苦手なんだい?」
公爵夫人をちらりと見た。第三王子殿下は夫人の甥にあたる。
「はい、急に不機嫌になるのがちょっと、苦手ですね。あと突然大きなお声を出すのも…。」
「あの子は結構気分屋なのかしらね?」
「私は気が付いたことないから、長年一緒にいるとわかるのかも。」
「うーん、やっぱりリチャード殿下と相性が良くないね。」
顎に片手を当てて考えるそぶりをしている公爵閣下が何やら不穏なことを言っていた。
「しかし、王妃陛下に外交上の理由から学園入学前まで婚約継続を依頼されました。」
「ああ、こっちにも王妃様から手紙が来たけど…国王陛下はこのまま婚姻をお望みなんだよね。まあ、モニカが嫌なら明日にでも解消したっていいけどね。」
「そうよモニカ、無理することないわ。」
「いえ、後1年ですし我慢できます。しかし国王陛下は婚姻をお望みなんですね。」
「うん、まあ王太子殿下を王位に確実に即けたいだろうからね。第三王子殿下はどこかの令嬢と結婚して、爵位についてほしいんだろう。爵位があったら王都に住まわせて、何かがあったら王太子殿下の補佐をしてもらうこともしやすいし。」
「…でしたら、領地もちの家より役職もちのお家のほうが適任なのではないですか?」
大臣などの要職に就くのは伯爵位以上の爵位を持つ家だ。貴族の子女は幼いころから教育を受け、学園にも通い、登用試験に合格したのち役所で働くことになった。役所では元の出身家は考慮されず、どの貴族も下っ端からのスタートだ。もちろん脱落者も多々出ていた。しかしそういうときのために、平民も試験を受けることができるのだ。稀にそういった優秀な平民からも要職をまかされ爵位につくことがあった。領地がないが爵位は持っているという場合は、王都に住んでこういう国の機関の中枢に勤めている場合が多い。何代か大臣職経験者を出すと今度は褒賞で領地が貰えて、領地もちの貴族になったりもした。歴史が長い貴族はそれだけ国に貢献しているというわけだ。
「それは王妃様対策だろうね。高位貴族じゃないと王妃様に対抗できないから。バージェス家はもともと王妃様の親友の実家という立ち位置になるからね。」
「それから私が降嫁したってのもあるしね。甥っ子を養子に迎えるのはよくあることだから。」
なるほど。
「そうであるなら婚約解消は難しいのではないですか?国王陛下も反対のようですし。」
お二人は顔を見合わせて、クスリと笑った。
「大丈夫よ。お兄様の弱点はたくさん知っているから。ケイオスも、そうでしょ?」
「ああ、国王陛下はウチには逆らえないからね。大丈夫、リチャード殿下の新しい婿入り先だって心当たりがあるよ。フフフ、ミラ・グリーン侯爵令嬢なんてどうかな…?」
「あらいいじゃない。ふふふ、確か三女で同い年よね。」
なんだろう笑っている二人の目が笑っていない。まあともかく婚約解消については公爵閣下もご存じで、あとは任せておけば大丈夫ということだな、うん。
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シエナ様の部屋で並んで、刺繍をチクチク入れていた。外はちらちら雪が待っていて、暖炉の火がぱちぱちと音を立てていた。運動や体を動かすことが得意なシエナ様は、一転こういった室内でじっとすることは苦手なようだった。ダンスは私が教えてもらって、刺繍は私が教えていた。
「もう、モニカみたいにうまくできない。」
「そうですね…、刺す目の大きさをそろえるだけで綺麗に見えますよ。一度糸を通してしまっても、反対から引っ張るともとに戻りますし大丈夫です。ゆっくりやりましょう。」
「でもこんなペースじゃリチャード様の誕生日に間に合わないよ~」
「まだ1か月ありますし、今月はお茶会がないので時間もあります。そのうちペースアップするから大丈夫ですよ。」
第三王子殿下から連絡が来て今月は突発的な公務が入り、お茶会自体がなくなった。緊張の連続のダンス練習が無くなったことで、時間と心に余裕ができた。心身ともに健康になった気がする。ああ、なんて幸せなんだろう。
「ホントに~?」
机にもたれかかってげんなりしているシエナ様は可愛らしいが、やはりお菓子のほうが良かっただろうか?料理はできるそうだから、シエナ様にクッキーなども焼いてもらって…そっちのほうが喜ばれそうではある。しかし食べ物は…何やら仕掛けられたら面倒なことになりかねれない。具体的には毒を後から入れられたりだ。しかしゲームのイベントにはシエナ様がクッキーを作って渡して、一緒に食べるというイベントがあったように記憶していた。その時までクッキーは取っておいてもいいんじゃないか?と思い刺繍にしたのだが、ちょっとシエナ様のやる気が出ていない。
なるべく変える糸の少なくなるよう、かつ図案が簡単なものを選んでみたが、もう少し慣れてからが良かっただろうか?
「シエナ様は、パイをお作りになれるんですよね?他には何かお菓子は作れますか?」
「うーん、大したことはないよ。クッキーとかパウンドケーキとか。」
「でしたら、パウンドケーキかクッキーになさいますか?前日にお作りして、ケイト卿に見てもらってからお渡しするというのはどうです?」
「そうか、そうしよっかな!…モニカはどうするの?一緒に作る?」
手作りのお菓子に憧れでもあるのか、第三王子殿下の反応が良かったのが料理なので、やはり初めてのお菓子はシエナ様に作ってもらいたい。私は婚約者に送るザ・無難プレゼントであるハンカチの刺繍にしよう。
「いえ、これを完成させてお渡しします。」
図案はシエナ様に合わせて選んだので、簡単なのだが反対側に王家の模様を入れればそれなりになるだろう。ハンカチは裏まで綺麗に入れなければならないから簡単な図案でも結構神経を使うのだ。しかし1か月あれば完成できるだろう。お茶会がないし。
「じゃあ私も頑張ってみて、間に合わなかったらお菓子にしようかな~。」
「間に合わなかったら1年かければ間に合いますし、来年のプレゼントになさればいいのですわ。」
「そっか、それもそうね。」
「そういえばわたくしは公爵家のキッチンって場所も知らないのです。」
首を巡らせて侍女長のほうを向く。舌打ちしそうな勢いで顔をしかめたが、シエナ様の手前静かに答えた。
「事前に言って下されば、材料をそろえたり、場所をお明けしたりできます。」
「そうなのね!今度クッキーでも焼いてみようかしら。久しぶりだから練習しなくっちゃ!」
張り切っている可愛い。
「ねえ、モニカも一緒に作りましょうよ!当日私と一緒に作ってお渡ししたら喜ぶんじゃないかしら?!その刺繍もお渡ししたらいいし!」
なんてお優しいんでしょう。料理の全然できない私が手を出してよいのかという問題があるが、シエナ様と一緒に作ったとなれば…第三王子殿下も大喜びではないだろうか。こんなに美人の天使の手作りなんて!刺繍なんて腐るほど貰うだろうしもういらないかもしれない!あれれ、そうなるとお手伝いしかできない私がいらない子では?
「お邪魔になりませんか?」
「なるわけないわ!」
後ろの侍女長はシエナ様の邪魔をするなというようにこちらを睨んでいたが、これはどうしたらいいんだろう?ケイト卿にお伺いを立てようか。王族の口に入るものだ、きっと検査が厳しいだろう。
「では、ケイト卿にお伺いを立てて、それから何を作るか決めましょう。…シエナ様、わたくしは本当に母の手伝い程度のことしかやったことがございません。邪魔してしまいましたらすぐに出ていきますゆえ、いつでも言ってくださいまし。」
「大丈夫よ!お手伝いしたことあるなら絶対大丈夫!」
「…片づけはお任せください。」
その後ケイト卿からのお返事は、婚約者からの食品の譲渡はよいが、それ以外のご令嬢のものは廃棄している、とのことで、私がお手伝いすることが決定した。それはそうか、毒入りだとかなんだとかいろいろ面倒臭いんだろう。
そのお手紙のやり取りの間に刺繍は何とか入れ終わった。そこそこの出来だが、まあいいだろう。去年第三王子殿下にいただいた螺鈿細工には遠く及ばぬプレゼントだが、あれに匹敵するものは私には探す伝手も無ければ予算もない。できることと言えば、時間をかけた手作りですよ、というアピールしかなかった。いや、もう少し工夫はできるにはできる。
それをやるか…第三王子殿下があんなにお高い宝石箱なんてくれたりするから面倒なことになった。私ははあ、とため息をついて裁縫室の机に突っ伏した。後ろのドアを抜けたら衣裳部屋だ。そこに置いてあるものの中で一番高価なものと言ったらその宝石箱だ。本当に第三王子殿下は婚約解消のことについて知らないのか?これもうまく言わないと、バージェス公爵家が国王陛下の命に背いたととられかねない、繊細な問題だ。だから王妃陛下から言ってほしかったのに。頭が痛い。
ふと、本の背表紙から除く琥珀と目が合った。レオン様に会えないのは、お茶会が無くなって唯一残念に思ったことだった。しかしあと少しで新刊が出るのだ。本が出たら真っ先に買いに行って、たっぷりと読んで、隙を見てレオン様にお貸ししなければ。そして感想を語り合って、少しの間意見を交わせたら最高だ。ドラゴンはちゃんと倒せるのかしら?不穏な動きをしていた伯爵はどうなるのかしら?勇者と王女様はちゃんと結ばれるのかしら?考えただけでワクワクして、発売日が待ちきれない。楽しみしかなかった。その前に第三王子殿下の誕生日をやっつけてしまわなければ。




