内緒話
あんなにうかつなロイ卿を見たのは今回が初めてだった。だいぶ年下の少女に追い詰められ、背中を押され、主導権を握られ…。しかし幸せをつかんだ。
一方で、とレオンは黒髪ぱっつんの前髪を見た。モニカ嬢の認識を変えなければならない。今まではものすごく鈍感の激ニブ少女だと思っていた。しかし今回のことはどうだろう。自分はもちろん、殿下でさえ気が付かなかった感情の機微を、彼女は感じ取った。そのうえプロポーズまでせっついておせっかいまで焼いていた。二人を祝福するモニカ嬢は今まで見たことがないくらい自然に笑っていた。いつもの機械的な笑顔じゃない、血の通った笑顔をしていた。見とれてしまったのは仕方ないことだと思う。初めて見たのだから。
「しかし、婚約の発表はまだなんですね。」
「ロイが、どうしてもモニカに報告してから発表したいって言って。」
「…、ですから…、モニカ嬢に背中を押してもらったものですから、報告が先だと思ったんです。…が、俺はまた間違ったんですね…。」
「そうですね。わたくしはアリアドネ様が幸せならなんでもいいのですが?わたくしへの報告なんて後回しでよろしいですわ。」
「そうですね、モニカ嬢の顔を見たらそう言いそうだと今、思いました。」
「ロイ様はアリアドネ様の幸せを考える、それ以外わたくしから言うことはありませんわ。」
「はい…。」
「でも、一番にご報告いただきまして、うれしいですわ。ありがとうございます。ロイ様。」
またにこりと笑ったモニカ嬢からリチャード殿下に目線を動かすと、後頭部の位置が先ほどから変わっていない。きっとモニカ嬢に見入っているんだろう。あんなに心の機微に敏感なモニカ嬢は、なぜ殿下の気持ちの機微には疎いのか?もしや分かっていて殿下を袖にしているのか?それはそれで腹が立つ。ロイ卿はアリアドネ殿下をエスコートして下がっていった。お二人は婚約発表の準備があるからこれからが忙しいのだろう。モニカ嬢への報告が終わったから本格的にそっちも動き出す。
アリアドネ様の婚約が国内になったのならば、レスト王国はいよいよ焦ってくるだろう。殿下の指示通り第二王子殿下にレスト王国の情報を流しているが、どうなることやら。今年卒業の彼がどう動くか、自分には全く予想が付かない。リチャード殿下は何か確信がおありのようだが…。
ケイト卿が困り顔で庭を横断してきた。今日はアリアドネ様の護衛の女性魔法騎士、キュラソー卿が第三王子殿下の護衛についてテラスのドア際にいた。ケイト卿は何やら彼女と話していた。仕切り直しのお茶を入れているときにいったい何だろう。リチャード殿下に許可を取り、ケイト卿のほうに行くと、明らかにほっとしたように声をかけてきた。
「王妃陛下がモニカ嬢に挨拶しに来いってさ…。もう嫁いびりかな…?」
「不敬です、ケイト卿。」
眉間にしわを寄せてキュラソー卿が抗議の声をあげた。
「殿下にお知らせします。」
にらみ合いの起こった二人を放っておいて、殿下の元に戻っていった。耳元に話を持っていくと明らかに周りの空気が変わった。モニカ嬢が息を止めたのが分かった。
「すまないが、少し席を外す。レオ、ここにいてくれ。あの人が来そうだったら二人を避難させてくれ。」
後半はレオンにしか聞こえない声でささやいた。頷いて了解すると肩をポンとしてリチャード殿下は速足でケイト卿のほうへ歩いて行った。その時シエナ嬢がモニカ嬢に内緒話をしていた。
「レオン様、少し席を外してもよろしいですか?」
シエナ嬢がうつむいているからきっとレストルームだろう。
「…ご案内します。」
「お願いします。」
モニカ嬢はシエナ嬢の手を取り、レオンの後ろをついてきた。メイドを伴って中に入ったシエナ嬢を二人で待つことになった。いい機会だ。
「モニカ嬢、本を返していいですか?とても面白かったという言葉では言い表せないくらい、面白かったです。」
人目を気にして小声で言うと、勢いよくこちらを向いてあちらも小声で返してきた。本が入った手提げを持ち上げると、こくこくと頷いた。
「その感想が聞きたかったのです。貸した甲斐がありました。」
「新刊が待ち遠しいですね。あんなところで終わるなんて…。」
「そうなんですよ!あ、新刊が出たらまたお貸ししましょうか?本屋に行く余裕ってあるんですか?」
「いいんですか?実はどうやって手に入れようか悩んでいました。学園に通い出せば、外に行く機会が増えるので、何とかなるかと思っていたんですが…。」
「それまで待つのはつらいでしょう?」
「ええ、」
「やっぱりお貸ししますね。」
彼女の眼鏡の奥の琥珀の瞳が、やたら目に入った。ああそうだ。あれが入っている。
「ありがとうございます。その袋の中に、本のお礼が入っていますので、使ってください。」
「え、なんでしょう?」
「ただのしおりです。」
本当に大したものじゃない。なにせ殿下と市井に紛れたときに行った蚤の市で買ったものだ。
「あら、ありがとうございます。」
そこへシエナ嬢が帰ってきた。素知らぬ顔でモニカ嬢がシエナ嬢の手を取った。
「そういえばモニカ、アリアドネ様とロイ様の仲なんていつの間に取り持っていたの?全然気が付かなかったわ。」
「それは俺も気になります。」
モニカ嬢がロイ卿と話すことすら稀だったはずだ。
「そうですね、皆さんが馬で掛けて行ってしまった後とか、隙を見てはそういうときに背中を押していましたね。ロイ様ったらじれったいのですもの。」
あの時モニカ嬢がロイ卿の馬に乗ると言ったため、その後1週間ほどリチャード殿下の機嫌が悪かった。ロイ卿も八つ当たりされていた。しかしそんな事情があったとは。
「あのときね~わたしは気が付かなかったな~お二人が一緒にいるところに立ち会ったことがなかったけど…。」
「ロイ様にアリアドネ様のお話を振ってみると、露骨にわかりやすいですよ。」
なんとなくだが、ロイ卿は一生モニカ嬢に頭が上がらなくなった気がした。二人のことを一番応援していたのも、心から祝福していたのも、モニカ嬢だ。王室関係の人間は殿下もそしてアリアドネ殿下も含めて、利害関係で応援や祝福をしていた。ただただ純粋に二人の幸福を願っているモニカ嬢は、自分やリチャード殿下にとっては眩しく見えてしまった。
だからこそロイ卿もモニカ嬢に最初に報告したいと思ったのだろう。絶対に手放しで喜んでくれると確信していたのだ。アリアドネ殿下の幸福を一番に考えてくれるから。
席を外していた間にキュラソー卿の位置が変わっていた。嫌な予感がした。
「お二方。待合室にご案内してよろしいですか?護衛の配置が換わっています。」
「…レオン様がそうおっしゃるのでしたら。」
小首をかしげながら、しかしここでは問わずに言うことを聞いてくれてよかった。護衛の…、キュラソー卿の位置が変わって、代わりに王妃陛下の護衛が増えていたということは、応接室にいるのはきっと、王妃陛下だ。モニカ嬢を呼び出して殿下を席から立たせ、モニカ嬢とシエナ嬢に接触するつもりだったに違いない。レストルームに行っていなかったら危なかった。
「いつものトランクはどうなさいました?」
「本日はお茶会の時間だけだと思って、馬車の中に。」
「そうですか。」
このまま馬車で帰ってもらったほうがいいか、殿下にご報告したほうがいいか…。しかし城内に王妃陛下の侵入を防げる場所なんてない。今朝アリアドネ殿下とロイ卿のご婚約の件、国王陛下に聞かされてから、ショックを受けて部屋に引きこもっていたのに…。どうやらアリアドネ殿下はロイ卿のことを一言も相談しなかったそうだ。侯爵家の次男嫁なんて領地に行ったら一生王都に来ないかもしれない。反対されるのは目に見えていた。そのお膳立てをしたのがモニカ嬢だと知ったら、ちょっと面倒なことになりかねない。
待合室についた。貴族用のそこは個室になっていた。第8室まであるから休憩室として一部屋くらい借りても問題ないだろう。殿下がいなくなってから、応接室までくる時間が早かった。監視が付いている可能性も否定できない。メイドにも王妃陛下の息のかかったものがいるかもしれない。なんだか二人に申し訳なくなってきた。
「突然、すみません。」
「いえ。第三王子殿下が呼び出されたのと関係ありますか?」
「…、そのことについては殿下に直接お聞きください。」
椅子をすすめて、二人を座らせた。
「…、アリアドネ殿下のご婚約に対して、国王陛下は大変お喜びでしたが、王妃陛下は猛反対なさって、先ほどまで部屋から出てこなかったのです。王妃陛下の前でアリアドネ殿下のことは言わないほうがいいと思います。」
「…、そうでしたか。ご忠告ありがとうございます。」
落ち着いているようだが、少し顔色が悪くなった。持っていた本をぎゅっと抱きしめなおしていた。シエナ嬢もゲッという顔をしていた。
「あの人怖いわ。なんか、話がかみ合わないんだもの。」
まったくその通りだ。しかし危険な発言でもあった。
「シエナ様、それは不敬罪に当たりますので、ダメですわ。」
モニカ嬢が口に指をあててシーとしていた。シエナ嬢も慌てて口に手を当てた。
「ここもそのうちバレてしまうでしょう。殿下と合流できれば良いのですが…。」
「あの、もうアリアドネ様とのご挨拶もしましたし、今日のところはもう引き上げて、後日公爵邸でお会いするときにご説明いただくというのはいかかですか?」
「えーせっかく久しぶりにリチャード様に会ったのに?!」
「はい。どちらが良いですか?第三王子殿下の都合に合わせます。」
どうしたらいいだろう。殿下ならどうする?合流が一番いいが、リスクもある。殿下ならきっと…。
「そうですね、安全第一で行きましょう。後日改めて…。」
「はい。本日はお時間いただきありがとうございます、後日、公爵邸でお待ちしていますとお伝えください。」
「はい。じゃあちょっと様子を見てきますね。」
それからの行動は早かった。馬車を準備させ、階段前に待機させた。途中王妃陛下の部下らしき人に声をかけられたが、何とかごまかし、二人を馬車に乗せることができた。王妃陛下の補佐官がタッチの差でこちらに来たので本当にギリギリだった。王妃陛下とのお茶会の誘いだったらしい。リチャード殿下にご報告するとげんなりした顔で分かったとだけ帰ってきた。殿下のほうも色々たらい回しにされたようだ。途中で抜け出してこちらを追いかけてきたときはもう大分時間がたってからだった。
「ああ、もう帰ってしまったか…。」
「はい。後日公爵邸でお待ちしていますだそうです。」
「わかった。手紙を書こう。」
「はい。」
リチャード殿下が疲れたようにため息をついた後、胸元の金の装飾を手持無沙汰に触っていた。




