かくれんぼ
翡翠の宮の庭は、噴水や温室もあって結構広い。そこの温室の隣にある庭師が道具を入れている小屋の隣に、私は腰掛けていた。こっそりガラス張りの温室を覗いて、室外から花を鑑賞していた。季節違いの花たちが美しく競い合うように並んでいた。私は今絶賛かくれんぼ中なのだ。今日は王宮でのお茶会の、今シーズン最後の日だ。またダンスの練習にしようと先生に声を掛けたら調度御用があるとかで、いつも通り遊ぶことになった。身構えていたが、シエナ様がかくれんぼを提案した時に、第三王子殿下とレオン様がやったことがないと判明し、流れでやることになった。13歳でかくれんぼはだいぶ恥ずかしい気がするが、意外と乗り気の第三王子殿下には逆らえなかった。
「モニカ、隠れるの下手だな。」
唐突に腕をつかまれてびっくりした。声をあげなかっただけ偉いと思う。
「…ああ、驚きました。見つかってしまいました。」
第三王子殿下が鬼だった。呼吸を整えながら立ち上がってスカートについた木の葉を払った。いつものように汚れてもいいような地味な格好だった。
「温室を見ていたのか?」
ここなら隠れている間花を見ていればいいから暇つぶしができた。
「はい。立派な温室なので。」
「中を見るか?」
「いえ。まだお二人が隠れているんでしょう?」
「レオンは見つかった。東屋にいる。」
「またシエナ様が最後ですか。庭に詳しくないはずなのに毎回凝ったところに隠れますね。すごいです。」
ある時は木の上、ある時は人通りの比較的ある垣根。人が探さないような場所にいつもいた。シエナ様はかくれんぼの天才なのかしら。歩き出した第三王子殿下の後を追って、東屋に向かった。
「そうだな。…ところでモニカ、その…首飾りどうしている?」
「この間頂いた首飾りでしたら大事にしまってあります。」
「そうか。別に普段使いしてもいいんだぞ。」
金のチェーンの首飾りを?あれが実家の父や母にもらったものならそうしただろう。きっとエメラルドがガラスで出来ていて、金メッキのペンダントだ。だが第三王子殿下がくれたのならあれは本物のエメラルドに、本物の金。金は柔らかい素材なので普段使いなんてしたらどこかに引っ掛けたはずみに切れてしまうかもしれない。女性の力でも引きちぎれる強度だ。もし金具が緩んでエメラルドを落としてしまったらどうするのか。おそろしい。
「いえ。せっかくいただいたものなので、とっておきの時につけます。」
実は箱ごと宝石箱と一緒に鍵付きの衣装ダンスの奥にしまってあった。その衣装ダンスは衣装部屋の最奥で、これまた鍵が付く扉を二枚経たところに厳重に保管してあった。取り出しにくいのであれから一回も見ていない。しかし防犯上仕方ない。ちなみに宝石箱の中にはその他の第三王子殿下に貰った物も入れてあった。
「…そうか。」
なんだかまた微妙に歯切れの悪い返事だ。しかし機嫌は悪くないらしい。東屋を見るとレオン様が暇そうにお茶をすすっていた。
「じゃあ、シエナ嬢を探してくる。」
第三王子殿下の背を見送って、レオン様の隣に適当に腰かけた。レオン様ははあ、と嫌そうな顔をして席を立ち、真向かいに座りなおした。私の隣がそんなに嫌だったのか…。マイ・トランクを開け、小説を取り出した。『ドラゴンと5人の騎士』だ。レオン様に呆れられるのはもういまさらなので、開き直って続きを読む。今日は珍しくロイ様もいないのでレオン様と二人っきりだ。
「何を読んでいるんです?」
「大衆小説です。暇つぶしに。」
レオン様は特段呆れるわけもなくふーん、と気のない返事をしていた。
「面白いんですか?」
私はその質問に思わず、全力で答えてしまった。
「もちろんです。この作者の話は繊細な情景描写に、緊張感ある駆け引きに、それはもう大衆小説という常識を思わず忘れてしまうくらい物語にのめりこめるんです。本当に素晴らしいんですから。」
オタク特有の好きなものを早口で布教するアレだ。やってしまった。気持ち悪いぞ私!しかしレオン様はドン引きすることなく手を出した。
「暇だから少し借りてもいいですか?…貴女がそう言うなら面白いのかもしれませんし。」
トランクにあった前篇を手渡すと、レオン様は静かに目を通し始めた。こちらを見ていないのをいいことにレオン様の顔を少し観察する。ゲームではべた塗りのオレンジだった瞳は、宝石のように複雑な光彩を放っていた。それに白い髪。レオン様だけ家族とは毛色が違うとゲームでは言われていた。アルビノなのだろうか?レオン様も眼鏡をかけているが、私よりどんくさくならないのはなぜなのか。将来第三王子殿下付きの精悍な顔立ちで剣の腕がたつ、成績優秀な護衛兼従者になるのだから当然なのか。一応攻略対象ではあるが、第三王子殿下と常に一緒にいるため、親密度が一緒に上がっていき、そのまま何もしないと第三王子殿下ルートに入って、レオン様ルートには入れない。確か学園に通い出すと週に一度、金曜日の昼休みだけ一人で図書館にいたり、生徒会室にいたりしていてその時を縫って親密度をあげないといけなかった。第三王子殿下ルートでは好感度がカンストしていても、心から二人を応援する、少し切ないレオン様がみられたりする。
「なんですか、さっきからこっちを見て。」
おっと盗み見ていたつもりがしっかり目が合ってしまった。第三王子殿下がエメラルドなら、レオン様の瞳は…。
「いえ、レオン様の瞳はサンストーンみたいで美しいですね。」
「はい?」
サンストーンは赤みがかったオレンジに、内側が金色にキラキラ輝く宝石だ。
「わたくしは髪も目も面白みのない色なので、つまらないなと思っていたのです。」
「そうですか?あなたの瞳はそうですね…琥珀が近いんではないですか?」
ちらりとこちらを見たレオン様はまたすぐに本に視線を戻した。琥珀。確かに茶色に近いかもしれない。あまりじっくり見たことはない。
「琥珀はあまり見たことがないです。」
しかしレオン様が瞳を宝石に例えるなんて。結構ロマンチックなことをなさる。先に言ったのは自分だが。
「だいたい赤い目なんていいことありませんよ。日差しはまぶしいし、気味悪がられます。」
「赤と言えば赤ですね。きれいなのに…。まぶしいんですか?」
「このメガネは太陽の日差しを遮るためのものですから。」
「そうなのですね、目は悪いとかではないんですか。」
「ええ、目はいいほうかと。」
私はおもむろに眼鏡をはずした。レオン様の顔がぼんやり見える。手元の本の文字もぼやけて見えた。
「わたしくしはメガネがないと何も見えませんわ。レオン様のお顔もぼんやり見えます。眼鏡がないと怖くて道が歩けません。」
「そうなんですか。暗いところで本を読んだりしたんですか?」
「うーん、なんででしょうね?気が付いたらぼんやりしていたんです。」
また眼鏡をかけた。レオン様はまた本に目を落としていた。
「どうですその本。面白いでしょう?」
「…なかなか興味深いですね。」
少し笑ったレオン様がページをめくった。この小説はワクワクドキドキの冒険譚。男の子が好きそうな話なのだ。
「でも、殿下に見せるのはちょっとやめたほうがいいかもしれません。」
「そうですね。そうします。」
そう、大衆小説はいまだ偏見のある分野なのだ。頭が悪そうに見えるし、それは第三王子殿下の婚約者にはふさわしくない。そうでなくても無駄なことはしない主義の第三王子殿下に、ファンタジー小説は時間がもったいないと言われかねない。
「ではレオン様、このことは第三王子殿下には内密にお願いします。」
「…まあ、そうですね。」
「もしばれて、時間がもったいないからやめろと言われたら困りますしね。わたくしのささやかな趣味ですから…。」
「殿下は趣味に口出しするほど狭量ではありませんよ。」
レオン様が口をとがらせながら言った。さすが殿下過激派だ。
「はい。しかし婚約者としては…。」
「よくないとわかっているのなら、周りに気づかれないようにしてください。」
「はい、そうします。…ばれそうになったらフォローしてくださいね。」
ふう、と息を吐いて、気が向いたら、とだけ言って、また本に目を落とした。どうやら面白いらしい。こんなに彼とお話しができるとは。これは学校の班行動で一緒になった同じクラスの男子と、少し時間があって中身のない内容を頭を使わずにしゃべるみたいな気の抜けようだっだ。なんだか、レオン様と話すのって落ち着く。
「レオン様。」
「なんですか。」
少し邪魔そうに、うっとうしそうに返されて、口の端が自然とにやけた。それだけその本が気に入った証拠だ。
「その前編とこの中編、お貸ししますわ。」
今度は勢いよくこちらを向いた。サンストーンの瞳と目が合った。
「いいんですか?」
「はい。あ、その本は弟に去年の誕生日にもらったものなんで汚さないでくださいね。後、来年の春に後編が出るという噂ですわ。」
「汚したりしません。来年の春ですか。…いつお返しすれば?今シーズンはもう会わないでしょう?」
「次お会いするのは新年会ですが、きっと本の貸し借りなんてできないでしょうから、次のお茶会の時でどうでしょう。だいぶ先ですが…。」
「そんなに借りていてよいのですか。」
「同じ作者の別の本もありますので。わたくしは広くこの本が読まれたらうれしいですわ。ぜひ今度会うときは小説についてお話ししたいです。」
「ええ、確かに、描写が繊細で、読み応えのある小説ですね。面白いし、続きが気になります。」
「そうでしょう!この方はいろいろ書いていらっしゃって!あ、この袋に入れてください。」
布教出来て大満足だ。ガサガサと、話し声がしたので本を袋に入れてレオン様に持たせた。そして今までぬるいお茶をすすって待っていましたよ、というすまし顔をして二人を出迎えた。