レオンの思うところ
ケイト卿・・・リチャード殿下のおつきの従者。リチャード殿下が結婚して公爵家に行くまで、婚約者の方に結婚を待ってもらっている。
今日は一番乗りだ。
レオンはリチャード殿下の執務室に積んである書類を一瞥して、隣にある自分の机に座った。昨夜リチャード殿下は、兄である王太子殿下のプロポーズの件で、夜遅くまで起きていたらしかった。アリアドネ様とロイ卿が『デバガメ』に行って、リチャード殿下と結果待ちをしていた。
ドアが予告なくガチャリと開いた。
「あ…、レオン君おはよう。はやいね。」
「ケイト卿。おはようございます。」
入ってきたのはケイト卿だ。リチャード殿下のおつきの侍従で、仕事は主に身の回りの世話をして、翡翠の宮に勤務していた。
「昨日は結局どうなったのですか?」
「ああ、レオン君は途中で眠ってたからね、大丈夫、無事成功したよ。これから忙しいね、王太子殿下のご結婚だから。」
そう言いつつも慶事の為ニコニコしていた。
「それはおめでたいことですね。…昨晩は眠ってしまって申し訳ありません。」
「いや大丈夫だよ。ベッドまで運んだのはロイ卿だしね。」
「後でお礼を言います。殿下はまだ起きそうにありませんか?」
「ええ、昨日はいろいろありましたので。」
ふいにケイト卿が遠くを見つめた。きっとろくなことではないのだろう。これ以上聞くのはよくない。ケイト卿も自身の机に持っていた荷物を置いた。そして確認前の手紙を殿下のレターボックスに投げ込んだ。
「それ、まだ確認していませんでしょう?」
「ああ、うん。モニカ嬢からのお手紙だからね、いいんだよ。」
王族に来た赤い封蝋の手紙は例外なくチェックが必要ではなかったか?顔に出ていたのかケイト卿が少し笑った。
「殿下だって婚約者からの手紙は自分が最初に開けたいだろうと思ってね。最近の手紙はそのままお渡ししてる。…モニカ嬢が封蝋を青くしてくれれば、そのままお渡ししてもいいんだけれど、彼女ってあの青い封蝋、使ったことないんだよね。知らないのかな?」
普段使いの封蝋は赤く、こちらは公式文書に使われるものだ。中身を確認し、確実に届いたという証拠を残すために使う。しかし婚約者など、王族が許可を出した人とのやり取り、ごくプライベートなものには、青い封蝋を使う。こちらは中身を確認せず王族方にお渡しする。
モニカ嬢がそれを使わないのは、知らないのか忘れているのか。大した内容じゃないから使わないからか。それなら許可が出ているのだから、青い封蝋を使ってほしい。正直今まで確認したモニカ嬢からの手紙は定期報告と定型文に毛が生えた程度のものなので、確認する価値は著しく低いとは感じた。しかも最近はシエナ嬢のことばかりで、自分が殿下の婚約者であるという自覚がなさすぎだ。
「さあ、彼女の考えることはわかりません。」
「一応レオン君も10歳のころからモニカ嬢のことを知ってるよね。」
「殿下の付き添いで会っていただけなのであまり話した記憶がありません。」
「あ、そうなんだ…。」
レオンは前々から、モニカ嬢には少し思うところがあった。あんなに素晴らしい殿下の『婚約者』ならもう少し頑張ってほしい。本当に、本当に、リチャード殿下はすごいお人なのだ。王妃陛下が熱狂的にリチャード殿下びいきなのだって、気持ちはわかった。王太子殿下が悪いとは思っていないが、圧倒的にリチャード殿下のほうが為政者に向いているとは思っていた。多分無意識なのだろうが、あの方はたまに圧倒的な威圧感を出す時があった。王族特有の覇者の気配だ。市井にまぎれ民草に交わっていても目がすぐに留まった。目の前にいるとき、勝手に頭を垂れたくなる様な、圧倒的なカリスマがあるし、言うことに説得力があるのだ。きっと深く関われば関わるほど、もったいなく感じてしまう。いつかモニカ嬢と結婚し公爵ごときに収まるという将来が、だ。あんなに剣も勉強もできて、それで凡庸な兄王を支える臣下に下らなければならないのが、本当にもったいない。リチャード殿下が王になったのなら。きっと国は開国以来一番の繁栄期になるだろう。
そんな素晴らしい御方を婚約者にいただいたというのに、モニカ嬢の殿下への態度は冷たいと言わざるを得なかった。それが無性に腹が立った。リチャード殿下は婚約者の責務を果たすべくいろいろ企画しているのに、楽しそうにするどころかいつも無表情だ。たまに些細なことで悲鳴を上げては、痛々しく涙をこらえていた。そして自分はそんな彼女に気の利いたフォローもできなかった。いっそのこと婚約を辞退してくれればいいのに。たまにリチャード殿下に気圧されているモニカ嬢が、自分に重なり哀れに思えて仕方なかった。自分を見ているようで腹が立った。お茶会にシエナ嬢を連れてくるのも、ダンスの相手に自分を選んだのも、婚約者の責務にしり込みしているせいだろう。殿下は気にしていないようだったが、レオンとしては面白くなかった。
モニカ嬢にはもっと婚約者の責務についてちゃんと考えてほしかったし、果たしてほしかった。いつか夫婦となって、二人で公爵家を支えるのだから。それを分かっていないようなら婚約者をシエナ嬢に変わったほうがいい。リチャード殿下とシエナ嬢は気が合うようで本当に仲がいい。殿下の遊びに笑顔で乗ってきて楽しんでくれていた。見た目も殿下とお似合いだった。モニカ嬢がリチャード殿下への手紙に熱心に書いていたが、本当にその通りで、美しい上に性格もいいようだ。モニカ嬢はこれを機に婚約の見直しを言他に匂わせていた。そういうところが性格が良くないと思われるところだ。リチャード殿下はその手紙をうんざりした顔で読んでいたが、一応モニカ嬢から貰ったものをしまっておく棚に入れていた。この棚はさすがにレオンもケイト卿もいじらなかった。
「リチャード殿下も、いつか結婚なさるんだね…。」
ケイト卿はリチャード殿下が小さいころからずっと面倒を見ている古参の従者だ。レオンの面倒も一緒に見てくれていた、兄貴分。きっと王太子殿下のご結婚の話で感慨に浸っているのだろう。
「いつか、というより、5年後じゃないですか?学園を卒業したら公爵家へ行くんでしょう。」
「5年後か…うわ~寂しいよ…。」
「しょうがないでしょう。」
レオン自身はリチャード殿下についていって公爵家で従者になるつもりだから、寂しくはないし、一生殿下を支えるから問題はない。実家の伯爵家はよっぽどのことがない限り兄が継いで、レオン自身は伯爵領近くの子爵家の令嬢の婿養子になる予定だ。この子爵令嬢はレオンとその兄の幼馴染で年はレオンの4つ上だ。今は兄ともども学園に寮から通っていて、月に一度兄も交えて3人で会っている。子爵家は伯爵家の防衛線の手伝いをしていたが、それだけでは立ち行かないので、レオンが殿下のお付きになることで支える手はずとなっていた。
5年後はどうなっているのだろう。少なくとも自分は殿下のそばを離れることはない。幼少の頃より、殿下の圧倒的な支配者の覇気に気圧され続けてきた自分は、それ以外の未来を描けない。レオンは決意を新たにした。