モニカの里帰り~行き道~
青い毛糸のニット帽を選んだのは、冬場に枝に引っ掛けて穴をあけてしまったと、母からの手紙に書いてあったからだ。弟は体が弱く、普段は実家近くの教会でお世話になっていた。しかし私が帰る日だけは教会から帰って、実家で待っていてくれるのだ。ヴァージェス公爵家からの多額の寄付で、しっかり療養できているようで最近は走り回れるくらいになった。馬車に揺られながら、夏になりかけの木々を見送った。冬に使うものを夏に送るのはやり過ぎだろうか?しかし帽子がないと冬場がつらいし…。他にも筆記用具だとか、こまごましたものを買い込んだ。結局のところ、ぶつぶつ文句は言っていても、ちゃんと使ってくれるし、両親は何を買っていっても喜んでくれた。もう少しで会える。そう思うと自然と口角が上がってしまう。毎年この日だけは。この日だけは将来の不安や、近々の頭の痛い問題を忘れて思いっきり楽しむのだ。山道の涼しい風が駆け抜けていく。天気が良くてよかった。実家までの道のりは正直、平坦ではない。なにせど田舎の港町だ。まず今日は公爵領の本城に行って一泊する。本城につくのは朝に出て大体3時くらいだ。山越えをするので天気が悪いともっとかかた。その次の日に本城を朝に出て実家につくのは宵の口。こちらは小さい丘があるが割合平坦な道のりで、ただただ長い。前世の記憶がうっすらある私としては、スピードおそくね?だが、馬に乗って走らせるのは怖いので論外だ…、とすると一番早い移動手段なので、我慢するしかない。
この後実家に泊まって次の日に誕生日で両親と弟、機会が合えばお嫁に行ってしまった姉たちにも会えるかもしれない。甥っ子姪っ子も遊びに来てくれるかもしれない。今から楽しみでしょうがない。前世?過去世?を思い出してからずっと浮き沈みの激しい生活を送っていたように思える。一度12歳のモニカを思い出して、リセットしよう。無論どちらの私も私だが、もう過去のようには生きられない。ルートによっては私の人生が大きく変わってしまう。ゲームでは第三王子殿下と結婚したシエナ様は、公爵家を継ぐのだ。そうなると私はどうなるのか。馬車の揺れが心地よく、思考の沼にはまっていく。
あのゲームではどうだったか。最近見た夢に、ゲーム画面が出てきたような気がした。その中ではちらりとモブっぽい女性が、確か卒業パーティにいた。第三王子殿下がエスコートしてきた美しいシエナ様を見て、『なんて美しいひと…。』と言っていたエキストラの一人。白髪のレオン様の隣で、眼鏡にぱっつん黒髪の…。
「あれ、私じゃない…?」
馬車の中で前髪を持ち上げ、黒髪を確認した。もしも、私なら。二人は結婚したのだから私は婚約解消したということだ。いや、ちょっと待って思い出してきたかも。最後二人が公爵家の庭でお茶を飲んでいる一枚絵。あれに似たような容姿の、メイドか侍女がいたはずだ。お茶を入れていた女性。眼鏡をかけて…王都ではそこそこ珍しい黒髪のメイド。
「あれ、私か…!」
とすると、二人が結婚しても私は路頭に迷ってない!なんだか頭がすっきりしてきた。そうか、私はこのまま公爵家にいていいんだ。将来、公爵閣下と公爵夫人のために、公爵家で働いて、いいんだ。
突然だった。涙がボロボロこぼれてきた。王都で乗る馬車は気を張っていなければならないところにしか行かないが、今は違う。世話係のメイドも従者もいない一人きり。蹄の音に紛れて、少しくらいの嗚咽はかき消してくれるだろう。胸がじんわり熱くなった。公爵家のために働ける。うれしい。弟のことも、私のことも、山ほど恩がある。一生働いても返せないほどの恩だ。それが、少しはお返しできるかもしれない。涙と一緒に苦しい気持ちがぽろぽろ出て行った気がした。気分がいい。なんだかすべてがうまくいく。そんな予感がした。
公爵家の本城についたころにはすっかり落ち着いて、向かい入れられた。こちらの別邸も私がいただいたもので、本城にいるときは母屋の近くの別邸を使っていた。当然そちらに案内された。王城の別館よりここのほうが落ち着く。あちらよりはるかに静かな別邸を私はとても気に入っていた。夏のから冬の初めまで、公爵閣下とこの本城で領地経営の手伝いをしていた。ここはゆっくり自分の勉強に集中できるので大好きだ。将来できればここで領地の仕事をしながら過ごしたい。ゲームの内容を思い出してよかった。希望が出てきた。
「モニカさん、お久しぶりね。あらら、ひどい顔色ね。お風呂にゆーっくり浸かって、今日はぐっすり眠るのよ。」
わたしを歓迎してくれたのは公爵家に長年勤めているマリアおばさまだ。公爵閣下の乳母をなさっていた方で、本城のメイド長。閣下も頭が上がらない人のお一人。本城に私が来ると毎回歓迎してくれる。居場所のない王都別館より、公爵領本城の別邸のほうが過ごしやすいのはこの方がいるからだ。ぎゅうっと抱き着いてはい、と返事をすると、マリアおばさまもぎゅっとしてくれた。
「お風呂に行ってきます。明日も早いですから。」
「そうね、お風呂から上がったらミルクは飲む?冷たいほうがいいかしら。」
「はい、いただきます。」
胸の仲がホカホカした。やっと公爵領についたのだ。マリアおばさまに会うとやっと実感が湧いてきた。私はバスルームに入っていった。ゆっくりお湯に使ってベッドに横になった時、重力を感じて少し笑ってしまった。落ち着く。ここは本当に、第二の実家だ。
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いつも通りの時間に起きて身支度をしていると、マリアおばさまが声をかけて入ってきた。
朝食をとるために食堂へ案内されると、朝とは思えない量の料理が並んでいた。毎年、この日はたくさん用意してくれていた。
「一日早いけど、モニカさんお誕生日おめでとう。」
「ありがとうございます。」
毎年のことなのにうれしくて、にこにこ笑ってマリアおばさまの裾を握った。これも毎年のことだ。
「じゃあ、メイドたちも呼んできて。みんなで一緒に食べましょう。私、毎年この朝食が楽しみなの。」
小さいころのような言葉遣いになってしまったのに後から気が付いて、少し恥ずかしく思っていたら、マリアおばさまは気が付いていないようでわかったわ、とベルを鳴らした。待っていましたとやってきたメイドや従者たちが、みんな席に着いた。
「皆さん、いつも本城を整えてくれてありがとうございます。お料理もおいしくて、お庭もきれいで、これはいつも本城で働いてくれる皆さんのおかげです。お料理が冷めるといけませんのでこのくらいにして、いただきましょう。」
「モニカ様お誕生日おめでとうございます。食事にお招きいただきありがとうございます。それではみんな、いただきましょう。」
本城の執事長が締めて食事が始まった。このささやかな朝の食事が誕生日前日の特別な食事だ。食事の内容は普段のものより少し気合の入っている程度だが、みんなで一緒に食べるのだ。おいしさは格別だ。この公爵家に来た時、慣れなくて迷惑ばかりかけたのに本城のみんなは優しかった。私がこちらのほうが性に合うことは公爵閣下もわかってくださっているようで、8月から12月の5か月間は一緒にこちらで生活した。領地を持っている貴族のほとんどはこの5か月間は領地に戻って運営するらしい。逆にこの5か月間以外も領地で過ごす貴族が、レオン様のご実家のローファス家だ。国防上重要拠点だから当然だ。だからたまに嫡男の結婚式だとかを王都で行ったりするときは、王室から必ず何人かが出席することになる。レオン様のお兄様の結婚式も、確かもうすぐのはずだ。アリアドネ様と同い年だから3年か4年後。しかし婚約者って決まっていたっけ?後で公爵閣下に聞いてみよう。
おいしい朝食の後、すぐに馬車に乗り込んだ。別れを惜しんでくれたマリアおばさまに、もうすぐ閣下と一緒に帰ってくるから、と笑顔で出発した。馬を変えて南を目指す。あまり変わり映えしない風景だが、もうすぐ家族に会えると思うと、楽しみでソワソワが止まらない。昨日の夜は久しぶりの本城別邸のベッドでゆっくり眠ることができた。久しぶりに小説でも読もうか。寝っ転がってしまえばきっと酔わないだろう。こんなはしたないこと王都じゃできない。悪いことをしている気持になって、でもその背徳感がいい。お気に入りの小説、『ドラゴンと5人の騎士』を開いた。この小説は中巻だ。来年の春に下巻が出るのだが、面白くて何度も読み直していた。去年の誕生日、弟が誕生日プレゼントとして上巻をくれた。そうしたら見事にハマってしまって中巻を買い足し、同じ作者の別の作品も買い足した。
ここ20年程、他国から紙が安く大量に入ってくるようになり、本の流通が増え、ジャンルも増えた。一般庶民にも手の届く値段になってきた。そうなると平民の間で流行っている小説というものが出てきた。わかりやすい文体で明確に書かれる、本を読みなれていない人も読みやすい本。しかし貴族からすると単調でつまらない、という評価になりがちだ。そんな小説の評価を覆す、ハラハラドキドキの冒険譚、それがこの小説だった。読んだら分かる。そう読んだら面白いとわかるんだが、貴族はそういう評判を気にするもの。「この小説が面白い。」なんて言おうものなら、「へえ、君って平民と同程度の頭なんだね。」と言われてしまう、恐ろしい世界なのだ。正直、辟易していた。こんなに面白い本を読まないなんて人生損だわ。いつかそういう偏見が薄れていって皆が本をちゃんと評価する時代が来ればいいのに。そんなことを考えながら馬車の天井を見上げていた。
こんこん…、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。馬車独特の揺れを感じない。もう止まったのか、しかし外はまだ明るかった。いつもなら黄昏時につくのに。馬車の扉が開けられた。私もゆっくり目を開けた。色褪せた独特の茶髪。無精ひげに一気に目が覚めた。
「お父さん!どうして?」
「ちょっと隣町まで絵を届けに来たから、ついでに待っていたんだ。モニカ、久しぶりだな。」
久しぶりだが全然変わっていない。抱き上げたお父さんにしがみついて首筋に顔を埋めた。絵の具の匂い、お父さんの匂いだ。お父さんは絵描きだ。キャンパスに描くだけじゃなく、教会などの壁画を描いたり、店先のレイアウトなどをしたりと幅広く仕事をしていた。稼ぎが悪いわけではないが、弟の薬代はそれ以上だ。
「みんなは元気?ジスは?」
「安定してる。前みたいな発作は起きてない。」
「よかった。」
「それよりもお前だ。大丈夫か?疲れたのか?」
心配そうに私の顔を覗き込んだ来た。お父さんの瞳の光彩は公爵閣下と地味に一緒の金色だ。茶色い瞳に金が混じってとてもきれいだ。私は茶色一辺倒なのに。一応公爵家の血縁だが、お父さんのお父さん、私からはお爺さんが破天荒な暴れ者で、他国に住んでいたらしい。その後借金を作って亡くなってしまい、お父さんはそれをコツコツと返していた。それを知った公爵閣下は私財で借金を肩代わりしてくれて、無利子でいいよと言ってくれた過去があるらしい。まだ閣下に少しづつ返しているそうだ。
「大丈夫。…お行儀悪いけど寝転がってたの。ずっと座ってるとお尻が痛くなるのよ。もう馬車の中で立てないくらい背が伸びたし。」
口をとがらせながら言い訳すると、そうだな、背が伸びた、と感慨深げに地面に下ろした。今では胸のところくらいまで伸びた身長。公爵家に行ったときはお父さんの腰くらいだったはずだ。
「ああ、大きくなったな。」
周りを見れば懐かしい荷馬車が止まっていた。お父さんはこれで絵を届けたのだろう。しかしここは隣町からだいぶ道をさかのぼったところだ。見上げればふいに目線を避けられた。もしや迎えに来てくれたのだろうか。
「荷物を積みなおして、馬車は帰ってもらおうか。御者さんに聞いてくるね。」
「ああ、そうだな。」
荷物の積みなおしをして、久しぶりにお父さんの隣に座った。養子に行く前はよくこうして隣に乗せてもらった。ぽつぽつとお父さんとしゃべりながら揺れていた。御者台にまで雨除けがある荷馬車のおかげで、夏の日差しが熱くなかった。風に乗って涼しい潮風を感じた。もうすぐだ。