ヒロインに出来ること
次回のお茶会は王城で行うが、どうせならこのままダンス練習で第三王子殿下との接触を減らしたい。王妃様のご命令も遂行できるし、私も緊張しなくていいし、シエナ様との交流もできるし一石三鳥の手だ。そのことについてお手紙を出して、またレオン様に練習の手伝いをしてもらおう。レオン様には足を踏まなくなるまで手伝ってくれと言えば付き合ってくれるだろう。第三王子殿下の御足を守るためだ。彼の生真面目な仏頂面を思い浮かべて、ふふと笑ってしまった。
「どうしたのモニカ。何か面白いことあったの?」
キラキラした瞳でこちらを覗き込むシエナ様が、小首をかしげて問うてきた。天使。
「いえ、この間のダンス練習を思い出してしまいまして。レオン様が私と同じくらいの腕前で正直安心いたしました。次回もダンスの授業でよいですよね?わたくし、もう少しまともにならないといけません。シャドーはできますが、やはり相手がいると違いますから。」
「言っておくけど、レオン様とモニカならモニカのほうがだいぶ上手よ。あの人は論外。」
おおう、シエナ様辛辣。そんなシエナ様は私の目の前に座り、本邸から持ってきた歴史の宿題をしていた。ちょいちょい彼女からの質問に答えながら私は第三王子殿下への手紙を書いていた。
「しかし練習しませんと、上手くなりません。それにドングリの背比べであることは自覚しております。またレオン様に練習に付き合ってもらいます。せめてブルースを足を踏まずに踊り切れるまではやりませんと。」
「うーん、モニカだけならすぐにできると思うけど、レオン様も?」
「当然です。ダンス苦手同士見捨てられませんわ。」
それに私が第三王子殿下のパートナーとして踊るということは、“あの”レオン様の相手はシエナ様になってしまう。シエナ様の御足を踏まれるわけにはいかない。レオン様には絶対にダンスをマスターしてもらわねばならない。その旨もきっちり第三王子殿下の手紙に書いておこう。
「でもそれっていいの?だってリチャード様の婚約者はモニカじゃない。ずっとレオン様と踊るのってよくないんじゃないの?」
心配そうにこちらを見ていた。ああ、私としたことが、シエナ様に心配されてしまうなんて!幸せ。天使の上優しいなんてほんとにヒロイン。多分王妃派のスパイと王太子派の息のかかった人間が両方見ているだろうが、それでこそ問題はない。スパイにはそのまま報告してもらって、王太子派はアリアドネ様あたりに報告だと思うのだが、きっと苦言を呈するのもアリアドネ様だろう。私のダンスの腕前を訴えればいける気がする。うん。何とかなる。きっと。たぶん。
「大丈夫ですよ。むしろ練習不足で第三王子殿下の足を踏むほうがわたくしとしては恐ろしいです。何を言われるかわかりません。」
それはほんとにそうなのだ。きっと一回でも踏んだりしたら、ボロクソに罵られる未来が見えた。少し考えただけで胸が痛かった。眉毛を釣り上げて大声で怒鳴るだろう。それを聞かれるほうが胃が痛い。不仲が過ぎて国王陛下に出てこられては困るのだ。しかしダンスの練習というのはいい口実になった。シエナ様と第三王子殿下の交流にはぴったりだ。上手なお二人の素晴らしいダンス。初めて組んだとは思えない揃いっぷり。やっぱりメイン攻略対象とヒロインは別格!ごめんねレオン様。相手が私で。
「それにしてもシエナ様と殿下のダンスは本当に、本当に美しくて。わたくしずっと見学していたかったですわ。」
「ふふふ。ダンスだけは得意なの。」
「素晴らしいダンスでしたわ。目指すはあの日のお二人ですので、それまで気長にお待ちください。」
「…、先は長いってことね。」
「はい!」
「リチャード様はモニカと踊りたがっていると思うけど、いいの?」
ノーサンキューです。本当に組みたくない。すっごく嫌だ。しかしそんなストレートに言うのはよくないだろう。
「いいです。第三王子殿下は…わたくしの実力以上の振り付けを要求してきそうで、正直一緒に踊るのが怖いですわ。急にアドリブを振られてもわたくしにはこたえられません。足を引っ張るだけですわ。」
「ねぇ、モニカ。そういうのって、ちゃんと二人で話し合ったほうがいいと思うの。嫌なことはちゃんと嫌って言わないとわからないわ。」
「それはそうでございますね。」
察してほしいとかそういうのは考えていなかったが、確かにその通りだ。どうせ2年もしたら婚約解消するのだからと話し合いを放棄してしまった。小さい苦言なら聞いてくれるかもしれない。聞いてくれるだろうか?どうだろう…。自信はなかった。この間アリアドネ様とのお茶会の時も手紙を差し上げたけど読んでなかったようだし、シエナ様を紹介しようとしたときも後回しにされたし、話を聞いてくれるか怪しいような気がしてきた。まともに取り合ってくれたことってあっただろうか。いや、対話を放棄してはいけない。殿下と踊る事態になった時には、無難な振り付けにしてほしいと土下座で頼めばなんとかいけるかもしれない。うっ、その時が来るのが気が重かった。私の殿下に対するカードの少なさに戦慄した。弱みでも握れればいいのだが…。そうしたら交渉できる。
「今度機会がありましたら…。」
きれいな土下座の練習もしておこうかな。それよりアリアドネ様にリチャード様の弱みを教えていただいたほうがいいだろうか。いや、婚約解消を視野に入れている身では、国家機密をばらされても困ってしまう。
「モニカ、機会はあるなしじゃないの!作るものなのよ!その手紙に少しお話がありますって書くのよ!あのね、気づいてないかもしれないけど、この間のダンスの時だって、その前の乗馬の時だって、初めて会った時だって、リチャード様はずーっとモニカのこと気にしていたんだから。」
どうしようシエナ様が怒ってしまった。第三王子殿下については目があったら何か無茶をさせられそうで、視線を向けないようにしていた。見るのはいつも後ろ姿か、正面で対峙した時は襟に視線を置いていた。
「モニカはリチャード様をないがしろにし過ぎよ!」
ガーン。鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。できる譲歩は何でもしてきたつもりだった。敬ったつもりだった。二週間に一度という頻度も勉強時間が削れて嫌だったし、会いに行くための服も中古で探すのは大変だった。毎回何が琴線に触れ、怒り出すのかわからないから、できるだけ目立たぬように地味に過ごしてきたつもりだった。これ以上どうしたらいいのだろう…しかし、しかし、だ。
シエナ様がこう言うということは、私は相当ダメなのではないか?あの、すべての生きとし生けるものにやさしく、すべからく愛す、天使の化身のシエナ様にこう言われては、私が悪いのだろう。それは認めるしかない。ということは、第三王子殿下にもう少し譲歩すべきが常識ってこと?ああ、どんどん不安になってきた。もしや私今まで第三王子殿下にヒドイことをしていた?全部私の独りよがりの『つもり』だったってこと?常識外れのまともじゃないことをしていた?
「どうしましょう、でしたら、えっと…お手紙に…。」
第三王子殿下が私の手紙を読むかしら?この間みたいに無視されたら…もしや私が何か粗相をしてしまったから、手紙を読むのが億劫になったのかもしれない。嫌な汗が額に浮かんできた。心拍数も一気に跳ね上がった。今度会った時怒っていたらどうしよう。会いたくない。いきなり腕をつかまれて、前みたいに池に落とされるかもしれない。二重の意味でお高い彫刻の上に登らされるかもしれない。こわい。
「いえ、今度お会いした時に謝罪いたしましょう。手土産を持って誠心誠意土下座…いえ、謝れば、きっと何とか…何とか…」
ならない。なるわけない。もう知らんぷりして今まで通り過ごそうかな。何が悪いかもわからないのに、謝罪してもよろしくない。やはり自分の行動を客観的に振り返ってみよう。
「シエナ様、わたくしのどういう態度が良くなかったのでしょう?直したほうがいいところはどこでしょう?」
「えっとね、まず、ダンスをずっとレオン様と踊ってたところ。」
「なるほど、つまり要練習ですね。」
私は手近にあった便せんにメモを取った。聞き逃すわけにはいかない。
「違う、本来のパートナーはリチャード様なんだから、リチャード様と踊るの!」
「ご勘弁ください、もう少し、せめてもう少し足を踏まなくなってからにしてください。」
「…、じゃあそれはいいけど、乗馬の時は後ろからモニカが来ているかずっと気にしながら走ってたのよ。危ないでしょ?!」
「なるほど、つまり気にしなくていいってことをしっかり伝えていれば…安全運転は基本ですからね。」
「んもう、なんでわからないの?そんなことしてると本当に、私が王子様と結婚するからね!?」
「はい、それは楽しみです。私としては郊外の湖畔の式場が最近のトレンドですのでお勧めです。シエナ様のウェディング姿…うっとりするほど美しいでしょうね。」
「そういうこと言うの?!もう、モニカなんか知らない!」
ガタン、と椅子を引きシエナ様が道具を持って出て行ってしまった。慌てて私も後を追った。
「シエナ様?!す、すみません、どうされたんですか?!待ってください。」
「知らない!モニカのバカ!」
「待ってくださいシエナ様、わたくしの話を聞いていただけますか?」
「何よ!」
「…あの、わたくしは、本当に、第三王子殿下に何かやらかしてしまっているのなら直さないといけないのです。後2年は婚約を継続しないといけないのですから。シエナ様もこの間一緒に王妃陛下にお会いしましたでしょう?ここで王妃陛下に逆らって公爵家が目の敵にされたら大変ですわ。でも2年待っていただけたら、第三王子殿下も学園で新しい婚約者を探すことができます。もし2年以上かかる場合はそれまでわたくしが仮の婚約者として外交の矢面に立てば隣国もおとなしくしてくださるでしょう。その間に、シエナ様には第三王子殿下と交流を持っていただきたいのです。…第三王子殿下についていけるほど度胸も度量もある、あなたに。」
「何よわけわかんないこと言って。」
うっすら涙を浮かべているシエナ様の手をそっと握った。
「第三王子殿下は私にはもったいない人ですわ。」
彼女の金色の瞳を覗き込んだ。少し笑うとこちらを覗き込んできた。なんてきれいなんだろう。銀色のまつげも公爵閣下にそっくりだ。
「ですから、2年後に婚約解消されたとき、お似合いの方に殿下と結婚していただきたいのです。」
「なんで私なの…?もしかして私が王子様と結婚したいって言ったから?そんなの望んでいないわ。モニカの婚約者取ろうとなんて思ってない。」
「わかっておりますとも!ただ、わたくしがあの方と釣り合っていないのですわ。なにせ殿下はあの年で天才と言われるお方。一方わたくしは何をとっても平凡で、ダンスに至っては見るも絶えない始末。いくら第三王子殿下の昔馴染みだとしても、わたくしの取り柄はその程度。あの方の認識もよく遊ぶ友達程度でしょう。」
少し落ち着いてきたようだ。
「シエナ様。わたくしはザリガニが怖くて触れませんわ。」
「ザリガニ?」
「はい。馬の背中も怖かったですし、池にはだしで入るのも怖いです。ダンスだって苦手ですし、第三王子殿下とお話しするのも何を話したらいいかわかりませんわ。このような状態でわたくしと結婚して、殿下は幸せになるのでしょうか?厳しいご公務の間に、せっかく時間を作って会ってくださるのだから、どうせなら一緒に馬に乗り野を駆け、池に入り、楽しく踊ってくれる。そんな方とご結婚なさったほうが幸せなのではないか?わたくしはそう考えているのですわ。」
「そんなの、そんなの誰だってできるわ。」
「いいえ。わたくしにはできそうもありません。シエナ様だからこそ第三王子殿下の婚約者にぴったり合うと思ったのですわ。」
下を向いてしまった。でも私は続けた。
「どうか、第三王子殿下を幸せにしてあげてくださいまし。」
「何したらいいかわからないわ。」
「それは、今まで通り、第三王子殿下と思い切り遊んであげてくださいな。」
「そんなんでいいの?」
「それが何よりですわ。」
やっと少し笑ってくれた。ほっと胸をなでおろした。