第5話【怖くないわ】
※吸血シーンがあります。
夕方、汗でべたつく身体を冷たいタオルで拭いたあとラフなドレスに着替えていると、メアリーが慌てた様子で入ってきた。
「お嬢様! クライム様がお戻りになりましたよ!」
「! すぐ行くわ」
地方まで聖騎士団の一人として派遣され、野良吸血鬼を狩る任から帰って来たらしい。
クライムは他の騎士と違い宿舎ではなく屋敷内に一人部屋をもらっており、幼い頃から何度も押しかけていたので慣れた足取りで向かう。
コンコン、とノックをするとすぐに顔を出してくれた。
「エヴァ様……」
「クライム、久しぶりね。お疲れのところ申し訳ないんだけど、今いいかしら」
少し躊躇ったあと、それでも「どうぞ」と入れてくれたので今までどおり遠慮なく入らせてもらった。
扉を半開きの状態でこちらを振り向いたクライムの顔は、心なしかやつれて見えた。任務から帰って来たばかりだから当然かもしれないが案の定疲れが色濃く出ていて、エヴァはますます申し訳なくなる。
(早く要件を済ませて休ませてあげなきゃ)
クライムらしく物が少ない簡素な部屋の椅子に腰かけ居住まいを正すと、早速本題にはいった。
「あの……この間のことなんだけど……」
「?」
無表情で首をかしげるクライム。罪悪感を感じながらもお祭りの夜に助けてくれたことを説明すると、「ああ……」と少しぼんやりした様子で返事をした。
「気にしないでください。あの時は私も……自分自身に戸惑っていましたから。それにエヴァ様の幼少の頃の出来ごとを思えば、吸血鬼に対する恐怖は至極当然のことです」
「そ、そうかもしれないけど……違うの! ごめんなさい、私はあなたを傷つけたかった訳じゃなくて……」
「いえ、謝る必要はありません。私こそエヴァお嬢様を傷つけたくないのです。それより、もうこうして気軽に異性の部屋に入ってはいけません。旦那様は私が必要以上にお嬢様のお傍にいることを望んでおりませんので」
その言葉に、部屋の扉を開けている理由を話しているんだと気づく。確かに今まではクライムなら密室で二人きりなのを許されていた。おそらく最有力な婚約者候補だったから。でも今は――?
エヴァは自分の意思を無視して話を進めていることに不満を抱いた。
「そんなの……っ、お父様が勝手に決めたことじゃない!」
「いいえ、エヴァお嬢様。これは私も納得していることなのです」
クライムは真っ直ぐにエヴァを見つめる。その瞳の奥には確固たる決意が窺え、どう言ってもエヴァの気持ちは伝わらない気がした。
(これ以上無理に私の謝罪を受け入れさせ、今までどおりにしてほしいと言っても困らせるだけ……かな)
今日は素直に退き下がりまた後日改めて謝罪しようと思い直す。
「…………わかった。疲れているところ急に押しかけてごめんなさい」
「大丈夫です。私のほうこそ、ご挨拶に伺えず申し訳ありませんでした」
「もう任務は落ち着いたの? 明日は屋敷にいてくれる?」
「はい。数日で地方の野良は結構片づけたのでしばらくは安全でしょう。明日からまた通常任務に戻っていいと言われました」
「そう……嬉しい。でも無理はしないでしっかり休んでね」
また明日から一緒にいられると知り思わず笑みがもれる。クライムはそんなエヴァの笑顔に一瞬息を呑んだ後、サッと顔を背けた。
「じゃあ、また明日ね」
「はい、必ず」
パタン、と閉じた扉の向こうに消えたエヴァを想いしばらく黙って佇んでいたが、ふいにクライムは自身の喉を押さえた。
「…………渇く……」
懐から取り出したのは、今朝支給された血液の入った瓶。
聖騎士団にも自身がダンピールであることは秘密になっている。エイブラハムが口外を一切禁止したので知っているのはエヴァとクライムとエイブラハムの三人だけ。どのみち太陽が平気なダンピールだから早々気付かれることはないだろう。
あの夜目覚めたのは吸血衝動だけではない。生まれ持った吸血鬼のみが扱える魔法も使えるようになっていた。
本来魔法は自然の力を借りて使うものだが吸血鬼の扱う魔法は違う。自身の血を操る魔法だった。
クライムが無意識に使った魔法は赤黒く輝く血の刃で、知る人が見ればすぐに吸血鬼だとバレるだろう。そのため人目につかないよう単独で行動するか、魔法を使わず戦うしかない。
血の摂取もそうだ。人目についてはいけない。
取り出した瓶のコルクを抜き、グイっと仰ぐようにして口に含む。
「……っ!」
カシャン! と瓶が割れる音が響いた。口を押さえてよろめき、おえ、と血を吐き出すと、ベッドサイドにある水差しを一気に仰ぎ水を飲み干す。
「はぁ……はぁ……」
傍にある鏡を見ると、二つの赤い光。青白くやつれた顔、口に見える二本の犬歯。
それらが間違いなく吸血鬼だと物語っており、クライムは拳を振り上げパリンッと衝動的に鏡を割った。
喉の渇きが満たされない。心が、自分を吸血鬼だと認めていない。人の血を飲みたくない。
それなのに――――。
「…………エヴァお嬢様……」
彼女を見たら、彼女だけが。
――――とても美味しそうなのだ。
◆ ◆ ◆
次の日からクライムは再びエヴァの騎士の任務に就いた。
エヴァは嬉しくて堪らず二人きりになれるいつものガゼボに行く。暑いから隣に座るよう進めるも、クライムは頑なに座ろうとせず太陽の下いつもどおり無表情で佇むばかりだ。
「クライム、さすがに暑いでしょう? 無理しないで日陰に入って」
「いえ、お構いなく」
いくら灰にならないといっても人間でも暑いと感じる季節。それなのにクライムときたら全く言うことを聞いてくれないのでエヴァは困ってしまった。
エヴァと違いなぜか汗ひとつかいた様子はないが、確実に具合が悪そうだ。昨日帰宅してすぐと同様、下手したらそれ以上に顔が青白くこけて見える。
(これは……なんとしても休ませないとダメね……)
エヴァの護衛の任を真面目に全うするつもりでいる彼は、素直に休んでと言っても休んでくれないだろう。となればエヴァが涼しいところに行くしかないのだが、距離を取られるのでそれもあまり意味がなさそうだ。
(ひょっとしてクライムが私との距離を取りたがっているのって……)
父が言っていた言葉を思い出す。
〝半分とはいえ吸血鬼。いつお前に牙を向くかわからんのだ〟と。
ぎゅっ、と無意識に母の形見のネックレスを握る。
他の吸血鬼とは違いエヴァの血に当てられ発狂する様子がないだけで、ひょっとしたら血が欲しいのかもしれない。人間の血を支給されていると聞いたけど、ちゃんと飲めていないのかもしれない。
でも――〝人間でいたい〟と言っていた彼にそんなことを確認したら、また傷つけないだろうか。
(クライムがダンピールでも……私は…………)
彼がヒーローであることには変わりない。いつだってエヴァを助けてくれた。それは吸血鬼として目覚めてからも何も変わらなかった。それなのに彼を拒絶してしまった。
このままでは倒れてしまうかもしれない。彼自身も自分で自分を否定しているのかもしれないから。
エヴァは伏せていた顔を上げ、遠くを眺めているクライムを見つめ決意した。
(もう、迷わない)
夜も更けた頃。こっそり部屋を抜け出したエヴァは、薄い寝間着のままクライムの部屋へ向かう。
既に緊張で胸が張り裂けそうだった。
昨夜クライムに異性の部屋に入るなと注意されたばかりで、追い返されるかもしれないという不安もある。それでもエヴァはどうしても行かないとダメだと思った。
コンコン、となるべく静かに扉をノックするが返事がない。
心配になったエヴァは恐る恐るノブを回すと鍵が開いていたので静かに入った。
彼の足元には血液が入っていたであろう瓶が転がっていた。中身は全て床にぶちまけられている。
(あれが……お父様から支給された……)
ショックだった。けれど仕方ないのだ。
――彼には今最も必要な物だから。
(大丈夫、怖くないわ)
胸の前で拳を握りしめ、深呼吸をひとつ。静かに近づくと、震えるクライムの肩に触れる。一瞬ビクッとした彼は顔を向けぬままエヴァの存在を認識した。
「…………あれ以来……誰の血も受け付けないのです」
「…………ええ……」
床に広がる大量の血と、彼が口元を隠す手に付着する血がそれを物語っていた。
「俺は……人間でいたいです」
「あなたは今までと変わらないわ」
「……いいえ」
ゆっくり顔を上げエヴァと目が合うと、その目はいつもの金色からすぐに赤い輝きへと変化した。
エヴァが大嫌いな、吸血鬼の。でも彼は違う――――。
「俺は、化け物です……エヴァお嬢様の血だけが欲しい。あなたの血だけが」
そう言ってエヴァの細い肩を包み込むように抱きしめる。
吐息が首にかかると、ゾクっとした何かが駆け巡った。悪寒ではない、初めての感覚。
「……っあ」
ぴちゃっと首元を舐められゾクゾクとしたものが駆け上がる。
(恥ずかしい……けど)
――嫌じゃない。
エヴァは彼を抱きしめ返した。はぁ……と熱い吐息をかけられる。
(クライムに……求められている)
全身が歓喜で満たされた。
ちゅ、ちゅ、と繰り返し首元にキスをされる。いくらエヴァを求めていても主の許可なしに傷つけようとはしない。
心臓がバクバクうるさいなか、耳まで真っ赤になったエヴァは、首元を愛撫する彼に求める言葉を与えた。
「私の血を――――飲んで、クライム」
瞬間――ぶつり、と引きちぎられる柔肌。痛いのは一瞬だけ。
じゅる、じゅるる、と自分の血が啜られる音を聞きながら、エヴァはクライムが触れる全ての場所から快感が駆け巡るのがわかった。
唇や舌の感触、肩から腰をギュッと抱きしめる腕や手の感触が愛しい。
(大丈夫……怖くないわ)
彼だけは特別だから――――。
唇を離すと既に血は止まっていた。
エヴァはクライムに体重を預けた状態でくたっとしており身体も心なしか熱い。
暴力的な渇きが治まり頭が冷静になると、クライムは雇い主の娘を腕に抱いているこの状況がとてもマズいことに気づく。
「すみません……無理をさせてしまいました」
回していた腕を離し肩に手をかけようとすると、離されまいとエヴァのほうからギュッとしがみ付いてきたので思考が停止した。
「待って、こ、腰が抜けて……立てないの」
「…………」
見ると耳まで真っ赤にしてぎゅうっとしがみ付いてくる。触れ合う胸からエヴァの心臓の鼓動がこちらまで伝わり、クライムも内心で動揺した。
(別の意味で……このままではマズい)
エヴァのことは幼い頃から見守ってきたので、異性というより子供だと思っていたはずだったが――――。
(なんだ、この可愛い生物は)
昔から同じことを思っていたはずだった。けど今この時は明確に違うとわかる。こんなに触れ合ったのは初めてで、先ほどの彼女の反応がもう子供ではなくて。
薄暗い部屋でも分かるエヴァの白い肌から目が離せない。
「きゃっ」
スッと伸ばした腕は理性を総動員してエヴァの膝裏と腰に回すことでなんとか落ち着き、お姫様抱っこをして抱え上げる。
動揺を悟られないよういつもの無表情の仮面をつけたクライムは、そそくさと扉に向かった。
「部屋までお送りします」
「ま、待って」
少しとはいえ血を吸ったから顔色が悪くなっていないか心配だったが、茹蛸のように真っ赤になるエヴァは慌ててクライムを止める。
「私、同情や責任感でこんな行動に出たわけじゃないからね」
「……!」
エヴァはクライムを真っ直ぐ見つめた。自分の決意を理解してもらうために。
「私の意思で、私があげたいから決めたの。私の血はあなたにだけのものって決めたの」
「エヴァ様……」
「だからもう我慢しないで。もう……離れないで」
そう言って首に腕を回し再びぎゅうっとしがみ付く。
「…………はい……」
クライムは目の奥が熱くなるのを感じながら、エヴァの首元に顔をうずめた。
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