第4話【彼だけがいない日常】
日差しが真上に昇る頃。
室内にいながらじわじわと蝕む暑さが本格的な夏の訪れを告げていた。
何やら廊下が騒がしい。きゃーきゃー黄色い声が上がっている。
(最近雇った若い侍女たちかしら……その内メアリーに注意されそうね)
ぼんやりする頭でそう考えていたら、侍女たちの会話の内容に興味を惹かれつい耳を傾けた。
「それにしても昨日のクライム様は本っ当に格好良かったぁ~!」
「あんた下町に忘れもの取りに行ってたんでしょう? 例の騎士の彼氏は一緒じゃなかったの?」
「もちろん一緒だったわ。でも暗くなった頃に急に吸血鬼たちが襲ってきて……彼ってばすごいへっぴり腰だったのよ!? 巡回中の聖騎士団の中にいたクライム様がすぐに助けてくださらなかったら今頃あんな奴と死んでたわよ!」
「うわぁ~大変だったわねぇ……。それで彼氏と別れたわけ?」
「そうなの。だってクライム様のほうが断然格好良いんだもの! あんな素敵な騎士様が守ってくれるならそれだけでも働き甲斐があるわぁ~」
(クライムって……そんなにモテるんだ……)
エヴァはクライムがそこまでモテていることに衝撃を受け、読んでいた本のページをめくる手が止まる。侍女の噂話をここまで直接的に聞いたことがなかったから余計である。
確かに所作も普段の仕事ぶりも騎士として完璧だと思う。背もスラっと高いし吸血鬼ハンターとしても一流だし、真面目で誠実だし顔もキリっとしてて格好良い。……まぁ無表情で何を考えているのかわからないんだけど。
(うん、でも言われてみれば確かに格好良い――)
「今度クライム様をデートにお誘いしちゃおうかな~」
ズキン――――。
あれ? と胸の痛みに違和感を覚える。クライムがエヴァ以外の女性と歩いている姿を想像して、嫌な気持ちになるのはなんでだろう。
「あら、クライム様はお嬢様をお守りする騎士よ? そんな暇あるわけないじゃないの」
「ん~そうよねぇ……あ、メアリーさん!」
モヤモヤした気持ちで考えごとをしていたら案の定注意する声が響き渡った。
「静かになさい! まだお嬢様が休憩中なのですよ!」
「も……申し訳ありません」
侍女たちはメアリーに頭が上がらないのか、途端にシュンとして大人しくなった。
「お嬢様ー! お待たせいたしました! 冷たいレモンティーです」
ノックをしてから入って来る栗色の髪を一つに結んだ背の高い女性メアリーは、慣れた様子でワゴンに乗せたティーセットをテーブルに並べていく。
「メアリー、あなたの声も結構響いていたわよ」
「え! ま、まぁなんということでしょう! 申し訳ありません!」
「ふふ、いいの。おかげで頭が覚めたわ。私のために注意をしてくれてありがとう」
「聞こえていたのですね。本当に申し訳ありません」
照れながら申し訳なさそうに謝る侍女のメアリーは、エヴァより七つ年上で四年前から仕えてくれていた。
ブラックフォード家で女性を雇うのは最低限にとどめられている。エヴァがいることにより常に吸血鬼に狙われる可能性が高く、命の危険があるからだ。そのため敷地内に従業員用の別邸が用意されており騎士や他の従業員は住み込みで働いてくれる者が多い。
「あの……さっき廊下で話していたことなんだけど……」
軽食もセットしているメアリーに、先程の噂話について尋ねようとしたら突如、バタン! という大きな音と共に甲高い声が響き渡った。
「エヴァお嬢様ぁ~」
――瞬間、メアリーはサッと身を翻し侍女服のスカートの下に隠していたナイフを手に取り、素早く声の主の左胸目掛けて突き刺そうとする。
「メアリー待って!」
ピタ、と止まるナイフ。
「ひっ……!」
甲高い声でエヴァを呼ぶ者は若い侍女だった。真っ青な顔で冷や汗を流し、事の重大さを理解したらしい。
メアリーはため息をひとつ付き、ゆっくりとナイフを下ろした。
「勝手にお嬢様の部屋に入ってはいけないと注意したはずよね? 次やったら吸血鬼と間違えて殺すよ?」
冷たい目で見下ろすメアリーにさらに真っ青になり震える侍女。
「だっ……だって……メアリーさんもすぐ入っていったからっ!」
「あたしはちゃんとノックをしたし、お嬢様付きの騎士の役割も担っているからそもそも特別なの。気をつけなさい」
「ご、ごめんなさぁ~い」
間延びした声に本当に反省してるのか頭が痛くなるメアリー。エヴァもまた困った顔になる。
「それで? お嬢様にどういった要件ですか?」
「あ、いいえ~! クライム様が格好良いって話で盛り上がってて~、いつもエヴァ様にべったりだからたまには貸してほしいな~なんて」
「ク……クライムを……貸す?」
エヴァはお家の都合上、社交界に出ることがないので人付き合いが苦手だ。もちろん歳が近い同性の友達もいない。エヴァにとって人と仲良くなるには時間が必要なのだ。
だからこうした図々しい態度の侍女の提案に咄嗟の対処が出来ない。
(クライムは物じゃないわ……)
きちんと伝えて、ここは主人としてしっかり躾けないと。そう思うのにぐいぐい来る侍女の圧についタジタジしてしまう。
「いい加減にしなさい!」
ぴしゃりと響き渡る怒号。先程の比ではない程の怒りの形相で叱りつけるメアリーに、侍女たちは再び真っ青な顔になった。
「エヴァ様、新人の侍女たちがご無礼を……申し訳ございません」
メアリーは彼女たちに頭を下げさせたあと自分も主人に頭を下げる。
「メアリー。いいのよ、この屋敷で働いてくれる女性は貴重なんだし……」
「そ、そうですよね~エヴァ様! 昨日死にかけたんだし、多少優遇してもらわないと」
「お前は黙りなさい」
「ひっ」
吸血鬼に見せるような冷たい顔で侍女を叱りつける。普段明るく優しいだけに、本当に怖い。
「弁えなさい。クライム様は旦那様に認められたエヴァ様専属の騎士です。ひいては婚約者になられるかもしれないお方ですよ。誰に懸想するのは構いませんが、エヴァ様のご迷惑になるようなことは控えなさい」
「え、婚約者なんですかぁ!?」
「ブラックフォード家にお生まれになった女性は優秀な騎士、又は他家から婿を取るのが通例です。クライム様も候補であることは間違いないでしょう。ですからエヴァ様のご婚約者が決定されるまでは無暗に騎士と戯れるのは控えなさい」
「はぁ~い…………」
若い侍女は不満気な様子だ。彼女には申し訳ないがエヴァは内心ほっとする。
(そっか……やっぱりクライムって私の婚約者候補だったのね)
でも今はそれも――白紙になってしまったかもしれない。彼がダンピールだと分かってから――。
クライムはここ最近父の命令で野良吸血鬼の討伐に駆り出されており、しばらく会話どころが会うこともできなかった。正直寂しい。ずっと傍にいてくれて当たり前の存在だったから。
父は父でお祭りの吸血鬼騒ぎのあと始末に追われていて、連日留守にしているので状況があまりわからないのだ。
(完全に私の護衛を外れた訳じゃないから良かったけど……また話せる機会があるよね?)
ちゃんと謝りたいと思っていた。彼を拒絶してしまったことを。〝人間でいたい〟と言っていた彼の心を傷つけてしまったことを。
(自分を責めてないか、きっと私に気を遣って避けてるんじゃないかって考えてしまう)
いつもと変わらない日常。平穏、お昼休み。けれどここに彼だけがいない。読みかけの本の内容も頭に入ってこない程に、エヴァの頭はクライムでいっぱいだった。
偶然でもクライムに会える侍女が羨ましくさえ思った。
メアリーは何度注意をしても分からない侍女たちに頭が痛そうにため息をつく。
「そもそも軽々しく主人の部屋に入り軽々しく会話出来ると思わないこと。弁えなさい」
「え~! そんなぁ……」
エヴァはメアリーに嫌な役割ばかりさせて申し訳ないな……と思いながら無意識に母の形見のネックレスをぎゅっと強く握り、クライムとなんとしても会わなければと改めて思った。