第2話【目覚め】★
※吸血鬼との戦闘で多少残虐シーンがあります。苦手な方は注意。
「わああぁ~!」
ゴーン、と鳴り響く鐘の音。人、人、人。午前中に着いた城下町はかなりの賑わいをみせていた。
果物やパン、雑貨、宝石類の露店の数々。美しく飾り付けられた花たち。踊る人や歌を歌うパフォーマンス、笑顔の親子。全てが初めて見る光景でエヴァは大興奮だった。
「お嬢様、私から離れないよう注意してください」
「ええ、ええ! わかっているわ。 あ、ほらあれを見て! なにかしら!」
そう言って未知の何かを求めぐいぐい先へ行くエヴァを見失わないようクライムは注意深く着いて行った。
今朝は早起きして専属の侍女メアリーの協力のもとエヴァの代わりに部屋に籠ってもらい、目立つ赤髪を帽子で隠し侍女のフリをしてクライムとこっそり出て行った。
ひょっとしたらバレるかもしれないが、生きて無事に帰って怒られるならそれでもいい。今この瞬間、目の前に広がる初めての光景を目に焼き付けたい。
「すごいわねクライム!」
行き交う人々の笑顔と賑わいに胸が躍る。花冠を配ってる人がエヴァの帽子の上からひょい、とかぶせてくれたので礼を言った。
「見て見て! 花冠をもらったわ!」
「よくお似合いです」
「ふふ、ありがとう!」
クライムの手をしっかりと繋ぎ行き交う人々に紛れ夏の豊穣を予祝するお祭りを堪能した。
(こうしていると私たち、恋人に見えるかしら)
手のひらの温かい体温。いつものクライムなら主従の関係を保ち一定の距離をとっているはずだが、この人混みでは仕方ないよねと浮かれる。
見上げた空は晴天で、花吹雪が温かなそよ風に舞い美しかった。
そろそろお昼時なのでクライムが露店で二人分の軽食を買ってくれた。獣肉の腸詰と野菜を焼いたもの。本来はお酒も一緒に飲むらしいがクライムに却下されてしまった。
「私もう十六よ? デビュタントに参加してないとはいっても立派な大人なんだから」
「いえ、私からすればお嬢様はまだまだ子供です」
「酷い!」
珍しくクライムも微笑みながら二人で食事を楽しんだ。
「結構ボリュームがあったわ、お腹一杯」
「それは良かったです」
「クライムはお酒飲まなくてよかったの? それとも弱かったりするの?」
「いえ、いざという時にお酒が入っていては咄嗟の対処が出来ない恐れがありますので」
「……そっか……」
(私だけ楽しんでて申し訳ないな……)
「じゃあ屋敷に戻ったら一緒にお酒を飲みましょう! 大人の付き合いも大切よ!」
「……わかりました」
くす、と笑うクライムに満足したエヴァは、隣から聞こえる歓声に気づく。
「なにかしら」
大きなボールに乗って片足立ちをする者、炎を口から噴き出す者、帽子から鳩を何羽も取り出す者。奇抜な格好をした大道芸人がパフォーマンスをしていた。
「すごいわ! クライム、もっと近くで見てみましょう!」
「お嬢様、お待ちください!」
繋いでいた手がわらわら集まる人の波で切れてしまいエヴァは流されていった。
「あ!」
流れに流れ、いつの間にか路地の入口付近まで来てしまったらしい。
大道芸人の元へ行こうとしたがあまりにも混んでて行けそうにない。歓声が大きくなるにつれ人々も集まっているみたいだ。仕方がないので先程までクライムといた屋台まで戻ろうと思ったが、人が多すぎて道が分からなくなってしまった。
「ど、どうしよう……これってまさか……はぐれちゃったってこと?」
もしはぐれた場合、事前に王都の正門で合流と決めていたが、エヴァにとって初めての場所で人も多く道がわからない。完全に迷子だ。
行き交う人に声をかけたがお祭りのせいか街の住人以外も多く、なかなか教えてもらえない。
「困ったわ……」
(今頃クライムも慌ててるかしら……)
慌てるクライムを想像していると、ぽつりと一滴の水が帽子にあたる。顔を上げると晴天から一転して曇り空になっていて、すぐにポツポツと雨が降り出しザアアという音と共に勢いよく降ってきてしまった。
「え! 雨?」
低い唸り声のように遠くでゴロゴロと雷の響く音も聞こえた。エヴァの嫌いな音だ。
不安な気持ちのままばしゃばしゃと軒下を探し走っていたら、ちょうどテラスが解放された大衆酒場に到着する。そこは同じように雨宿りする者や客で賑わっていた。
ひとまずここで休ませて貰い雨を拭う。全身びしょ濡れになってしまった。帽子をかぶっていなかったらもっと酷かったかもしれない。
エヴァはドシャ降りの空を見上げ憂鬱な気分になった。
(この雨の感じ……まるであの時のよう……)
はぁ……とため息をついて嫌な気持ちを吐き出す。
お店の時計を見たところまだ日が沈む時間帯ではないが、刻一刻と近づいてきている。分厚い雲に覆われて今は太陽が見えない。
とはいえ完全な夜ではないので吸血鬼が現れるとは思えないが不安は拭えなかった。
(私のせいでまた迷惑をかけてしまったわ……――帰りもこれじゃあ夜になってしまいそうだし……)
不安に思いつつ一人で猛省していると、視界の端に黒い影がひとつ。
「止まないですね、雨」
突然その黒い影に話しかけられ驚いて顔を向けると、そこには黒いコート、手袋、ブーツ、シルクハットと全身黒づくめの紳士が一人立っていた。
どうやらエヴァに話しかけたらしい。
「失礼、驚かせてしまいましたね。あなたはこの雨が止むのを待っているようでしたのでつい」
「え? は、はい……、その……そうですね」
戸惑いながら慌てて返事をするエヴァにくすりと笑みを向ける紳士。腰まで伸びた美しい金髪に白い肌、赤い瞳の若い男性だった。
赤い、瞳――――。
ゾクリ。
全身に駆け抜ける嫌な予感。なんでだろう、吸血鬼の赤い瞳を連想させるから? でも今は日中のはずだ、彼は違う。だって……。
――吸血鬼は夜しか活動出来ないのだから。
戸惑っていると、彼は気にした様子もなく話しを続ける。
「これを。あなたの帽子から落ちるのを見掛けたので拾いました」
「あ」
差し出されたのは先程お祭りで貰った花冠。雨に濡れているが美しいままだ。
「あ、ありがとうございます」
急いで走っていたので落としたことに気がつかなかったのだろう。素直に礼を言いながらぎこちない笑顔で受け取る。彼はそんな態度のエヴァを気にもせずニコっと笑い返した。
(赤い瞳だからって警戒しちゃったけど……失礼よね)
人畜無害そうな笑顔に緊張を緩めほっとした。
「ああ……お迎えが来たようですよ」
「え?」
視線を追うと、全身びしょ濡れのクライムがこちらに向かって走って来るところだった。
「クライム!」
エヴァは嬉しい気持ちになると同時に、こんなにびしょ濡れになるまで探し回らせてしまい申し訳なく思った。
「お嬢様! 良かった……ご無事で」
「はぐれてしまってごめんなさい。こんなになるまで探してくれてたのに……」
そう言ってハンカチを取り出しクライムの冷たい頬を拭う。
「私は大丈夫です。それより早く帰りましょう。風邪を引いてしまいます」
「そうね、あなたも早く帰って温まらないと……あ」
静かにこの場から去ろうとする黒づくめの紳士の背に、ありがとうございましたと声をかける。
彼はピタっと止まり少しだけ振り向いた。
「ええ…………いずれまた…………」
クライムの目が見開かれる。瞬間、ドクン――と跳ねる心臓。
「……ぐっ」
エヴァは急に頭を抱えるクライムに驚き慌てて支えた。
「クライム!? どうしたの、大丈夫!?」
「…………大丈夫です」
息を整え顔を上げると、既に黒づくめの紳士はいなかった。
(あの男……どこかで――――)
「お嬢様、隣に並んでいた黒づくめの男は……」
「え? ああ……赤い瞳が印象的な、親切な方だったわ。ほら、この花冠を拾って届けて……って、あれ?」
帽子にかぶせたはずの花冠を触るとくしゃ、という音がしたので見たらなんと――枯れていた。
「嘘……だってさっきまで綺麗に咲いてたのに」
「……吸血鬼……」
クライムが信じられないことを口にした。
吸血鬼は血を吸うのと同じように、植物の生気を意図的に吸い取ることが出来る。
「で、でもまだ一応昼間よね? いくら太陽が隠れているからって……」
「はい……。ありえないです」
では一体どういうこと?
益々混乱する状況だったが、今は時間が惜しいことに気がついた二人は急いで正門に向かった。
雨はまだ降り続いている。
正門横の厩舎に預けていた馬を迎えに行こうと路地裏を抜けて広場へ出ると、先程までの人混みが嘘のように疎らに散っていた。
するとエヴァは風に乗って雨の匂いと焦げた匂いが鼻につくことに気づいた。
(焦げ?)
匂いの方向を見ると黒い煙が上がっていて何やら騒がしい。歓声というよりこれは――。
「きゃあああああ!」
「わああああ助けてくれぇぇぇ!!」
パニックを起こした人々が悲鳴を上げながら何かから逃げていた。
「あれは……っ」
「お嬢様!」
奥に見えたのは聖騎士団と、赤い目を光らせた夜の化け物。
(嘘! どうして⁉)
吸血鬼――――。
雨が降り注ぐなか吸血鬼の群れが人を襲っている。それに対抗する聖騎士団たち。
ありえない光景だった。王都は吸血鬼との〝共存協定〟のおかげで人が襲われる心配はないはずだ。それに野良吸血鬼避けの結界も貼ってあるはずなのに。
(一体なにが起こっているの? まさか……また私の血のせいなんじゃ……)
「お嬢様! この場は聖騎士団に任せて我々は一刻も早く帰りましょう!」
クライムは真っ青になるエヴァの腕を掴むと半ば引きずるように厩舎へ向かった。
震えるエヴァを抱えてすぐに馬を走らせる。辺りはもう暗くなってきていた。
(馬に休憩させる暇があるか……お嬢様は必ずお守りしなければ)
逸る気持ちのなか、ひととおり走らせるとさすがに馬がバテテしまった。もう空は暗いがここら辺に村はないので馬の交換が出来ず、泣く泣く一旦休ませることに。
川の近くの大きな木の傍で馬を休ませ、自分たちも濡れてなさそうな木の下へ。雨はもうすっかり止んでいるがエヴァの身体が冷たかった。
「お嬢様、もう少しの辛抱です。寒ければ私の傍に」
「あ、ありがとう……」
さすがに寒すぎたのでお言葉に甘え、クライムが腰を下ろす足の間に座り、彼の腕の温もりに包まれる。雨のせいで火が使えないからこの距離は仕方ないのだと心の中で言い訳をする。背中から抱きしめられ、クライムの清潔な香りがしてドキドキした。
(わ、私が風邪をひかないようにしてくれてるだけよ! 変に意識しちゃダメよ私!)
ぷるぷる震えているのは寒さと緊張からだったが、クライムは寒さによるものだけだと思ったらしい。熱を生みだそうと優しく肩を摩ってくれた。
すると「ほわぁ!?」という奇声と共にビクッと跳ねる。
「申し訳ありません、痛かったですか? くすぐったかったですか?」
「ちちち違うの。うん、そうくすぐったくて! でも温かくなったわありがとう」
「? それなら良かったです」
慣れない距離感で触れ合っているから緊張しないわけがない。意識しないわけがない。
ドキドキしているおかげで血色が良くなったエヴァを見つめるクライム。ほんのり赤く染まった白いうなじを凝視していることに彼女は気がつかない。
ドクン、ドクンと脈打つ血潮を想像し、無意識に喉を鳴らす。
「……っ」
バッと口元を手で覆いうなじから目を背けた。
(俺は――今何を考えていた……?)
ズキンと痛む頭。先程エヴァの傍にいた黒づくめの紳士を思い出す。
ドクン、ドクンと脈打つ音は自分の心臓か、あるいは目の前の――――。
ヒヒィン――!
「!」
エヴァとクライムは同時に馬の嘶きが聞こえたほうへ眼をやると、そこには人の姿が……いや。
「ブラックフォードの娘、いた」
「いた」
赤い目を光らせた吸血鬼が五人、こちらに向かって来た。
素早くエヴァを背後に庇い腰の剣を抜くクライム。エヴァは恐怖に怯えながらも吸血鬼の姿を見て驚いた。
「あ……! あの格好……さっき広場にいた大道芸人?」
「……吸血鬼にされたようですね」
また増えてしまったことにクライムはチッと舌打をする。一体いつ誰に変えられたんだ? と疑問に思った。
だが今は何よりエヴァを無事に屋敷に届けなければと、目の前の吸血鬼を倒すことに集中した。
「ブラックフォードの娘、味見する」
「良い匂い。良い匂い」
先程まで人間だったはずの吸血鬼たちの知能が野良吸血鬼レベルにまで落ちていた。何かがおかしい。
吸血鬼はクライムの後ろのエヴァ目掛けて一斉に走り出した。
「お嬢様、目をつぶっていてください」
そう言って風のように吸血鬼たちへ向かった。
物凄い速さで距離を詰めると吸血鬼を転ばせてから心臓をひと突きし、まずは一匹仕留める。次いで二、三匹目の首を飛ばし、胴体の心臓を貫いた。
四匹目はエヴァに腕を伸ばしていたのでその腕を真っ二つにし、腹に蹴りをいれてから持っている銀の剣を心臓目掛けて投げ、見事命中させる。
「クライムっ!」
最後の一匹がエヴァの頭を掴み喉に喰らいつこうとしていた。
「お嬢様!」
勢いよく地面を蹴りエヴァの元へ飛ぶと腕を伸ばす。ぐちゃっと鈍い音と痛みがクライムの腕に走った。
「……っ!」
青い顔をしながら手で口を覆うエヴァ。
彼女を守ることを優先したため吸血鬼に間合いを取る隙を与えてしまった。すぐに距離を詰めようとした瞬間、ズキン、と大きな頭痛がクライムを襲う。
「クライム!? 大丈夫!?」
(くっ……こんな時に)
今までで一番酷い。ズキン、ズキンと響く痛みがクライムの動きと判断の邪魔をした。
エヴァは泣きながらクライムを庇うように前に立った。
「お嬢様……! お退きください!」
「いや! だってクライムが死んじゃう!」
見れば、いつの間にか二人を囲う吸血鬼の群れ。
(そんな……!)
さっきまで五人だったのにエヴァの香りに惹かれ次々とやってきたらしい。クライムの調子も悪く、絶望的な状況だった。
(もう誰も……死なせたくない)
グッと拳に力を入れ覚悟を決める。エヴァは自分に向かってくる吸血鬼に叫んだ。
「お願い! 私の血はあげるから……クライムは殺さないで!!」
(私の命はもうどうなってもいい。だからお願い、彼だけは)
クライムの霞む視界には小さく震える背中。
ああ、違う。自分が守られてどうする。私が――――俺が、お守りしなければ。
ズキンズキンズキンズキン――――。
頭痛が途切れ、赤く染まった。
――――ドクン――――。
ぶわっと噴き出す赤黒い何かが刃となり、エヴァに向かう全ての吸血鬼に襲い掛かる。それは一瞬の出来ごとで、エヴァが気がつく頃にはもう辺り一面灰が舞っていた。
あの日と同じ月明かり。逆光を背にした彼、クライム。その時と決定的に違うのは……。
「う……嘘……」
どしゃ、と落としたのは吸血鬼の亡骸。今しがた首から血を啜っていたそれはすぐに灰になった。
血で染まった口元を拭うクライムの瞳はいつもの金色ではなく――。
「……吸血鬼……」
震える声で口にした言葉。まさしく彼の瞳は赤く輝いていた。
――エヴァの大嫌いな、吸血鬼のように。