第12話【嫉妬】
お茶会から二週間後。
あの後気を失ってから小一時間ほどで目を覚ましなんとか夕方までに無事に帰ることが出来たが、帰り際アイリーンのクライムを見る目が違っていたことに引っかかった。
頬を赤く染めうっとりするように見つめる彼女の姿に、エヴァが気を失っている間の二人に何かあったのではと勘ぐってしまう。もちろんクライムは全く意に介さずで平常運転だったが。
(アイリーン様……最初からクライムが目的だった? だとしても何のために……)
帰宅してから一応クライムに確認したが、彼が言うには「吸血鬼に好かれたいと思っている変わった嗜好の人だった」というだけで、それ以上の情報は得られなかった。
確かに彼女自身の口からそれらしいことを言っていたので嘘ではなさそうだったが、エヴァの不安は拭えない。なにせ帰り際に「お茶会のリベンジをさせてほしい」とにこやかに言われたのだから。
(押し負けてしまったわ……)
エヴァはあの時アイリーンの目線の先にクライムがいたのは気付いていたが、ダンピールだとバレている手前弱みを握られているので拒めなかった。
モヤモヤを抱え内心項垂れていると、後ろでドレスの紐を結っていたメアリーが顔を上げた。
「さ、お支度が終わりました! 本日は旦那様と一緒に朝食ですね」
「ええ。久しぶりだから嬉しいわ」
着替えを手伝ってくれたメアリーがにこやかに今日の予定を教えてくれたので、エヴァも考えていたことを一旦止めてエイブラハムが待つダイニングルームへと向かった。
他愛ない家族のやり取りをしながら楽しい朝食を終えた後、エイブラハムが神妙な面持ちで初夏に起きた祭りの事件の経過情報について報告をしてくれた。
「遅くなってすまんな。ようやく報告出来るレベルまでまとまったんで伝えておく」
あの日城下町で生け捕りにして捕らえた吸血鬼を調べて分かったことは、特定の吸血鬼の血で作られた特殊な薬により奴らは太陽光の下でも一定時間平気でいられるということだった。しかし代わりに理性を無くし、さながらダンピールの失敗作のようなものに変異するという。
特定の吸血鬼の血、つまり高位の吸血鬼の貴族が関わっている可能性が高く、この事件はこの国の共存協定を揺るがしかねないため、王の判断を持ってしても慎重にならざるを得ない問題となるらしい。
「そんなことが……」
エヴァは信じられない気持ちで聞いていた。
ダンピールの失敗作。誰が何の目的で何をしようとしているのかさっぱり理解出来ない。ただ、あの事件がきっかけでエヴァの人生が再び動き出したのは間違いないだろう。
エイブラハムは少し言いづらそうにしながらガリガリ頭をかく。
「つまり未だに犯人逮捕まで至ってないし、その目途もたっていない。だからなるべく外出は控えてほしい。……が、どうしても必要がある場合は事前に報告しろ。昼間のみで必ず厳重な護衛とクライムを就けることが条件だ。いいな?」
「はい。お父様」
素直に返事をしてくれた娘に安堵はしたものの、エイブラハムは予定が狂ったことに疲弊していた。
「益々エヴァの結婚相手が狭まってしまうな……いや、これは最早選択肢が一つしかないんじゃねぇか……」
頭を抱えながらぶつぶつ独り言を呟く父に、エヴァも思わず「クライムでお願いします」と言いたくなった。
(待って。そもそもプロポーズされた訳でもないのに勝手に決めるのはダメよね……)
未だに両想いなのか気持ちを確かめている状況に至っていないので急激に自信が落ちてしまう。
父から婚約者候補として名指しで外されたクライムが自ら行動を起こすだろうか? と益々不安になった。まずはきちんと気持ちを確かめ合ってから父に確認しようと改めて決意する。
◆ ◆ ◆
そして彼女は突然やってきた。いつかのアレクシスのように。
「お菓子のお土産を持って参りましたの! また三人で食べましょう」
「ア……アイリーン様…………」
にこやかにお菓子を渡してくるアイリーンは「前回のお詫びですから、遠慮なさらないで」と勝手に話を進めてしまう。
エヴァもエヴァで無下に出来ず、結局急遽ブラックフォード邸でお茶会を始めることになった。
いつものガゼボを急いでお茶会仕様に整えてもらい、当然クライムも呼ばれ強制的に参加させることになったが、彼は意外とすんなり受け入れてくれた。エヴァとしてはクライムをアイリーンに近づけたくないので本当は嫌だったが、護衛のためと言われれば拒否出来る理由もない。
使用人には三人の会話が聞こえない程度の距離を取ってもらい、早速お茶会が始まる。
「我が家の料理人が焼いた焼き菓子ですわ。前回エヴァ様が気に入って下さったので沢山焼いてもらったんですの! さ、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……」
そう言ってずい、と可愛らしいクッキーを差し出した。エヴァは確かにクッキーが好きだったので笑顔を引きつらせながらも手を伸ばすと、横からクライムが「お待ち下さい」と制した。
香りを確認し、一つだけ口にした後「大丈夫です」とエヴァに伝える。
「まぁ! 心外ですわ。毒見なんてしなくても何も入っておりません」
アイリーンはぷりぷりと可愛らしく頬を膨らませるが、何故か機嫌が良さそうだったので気にせず頂くことにした。
クライムがこんなに警戒するということはやはり前回何かあったのだろうかと疑問が膨らむ。起きてからゴス家のかかりつけ医に「貧血で一時的に倒れただけ」と言われていたので特に気にしていなかったのだが。
そうは思いつつサクサクと口いっぱいに広がるバターとバニラの風味が美味しくて頬が緩んでしまった。
「とても美味しいです」
「ふふ、沢山食べて下さいね」
にこやかに微笑む美少女は、ちらりとクライムに目をやる。
「クライム様もどうぞ?」
「いえ、結構です」
目線も合わせず静かに紅茶だけ飲むクライムに、失礼な態度と怒るどころか頬を染めあからさまに熱視線を送るアイリーン。その様子にエヴァが危惧していたことが現実だったと悟り衝撃を受ける。
(アイリーン様……やはりクライムに惚れてしまったのでは……)
まさかのライバル出現に青ざめるエヴァは、何とかして彼女の興味をクライムから引き離さねばと焦った。だがアイリーンは何の予告もなく突撃訪問するくらいの令嬢なのだ。エヴァと違い積極的に攻める姿勢を崩さない。
「ところで、お二人の関係はただの護衛と庇護対象なのですか?」
「え……えぇ!?」
なぜそんなことを今訊くのかと問いかけたくなったが動揺していて上手く言葉が出ない。まさに今エヴァが悩んでいることだからだ。
「もしそうなのでしたら……」
不敵な笑みを浮かべながらクライムの傍に近寄ったアイリーンは、隣に座りギュッと彼の腕に抱きつき上目づかいで見上げて言った。
「わたくしと結婚しませんこと? エヴァ様は他の殿方とお見合いされていると聞きますし」
瞬間、カシャーン! とカップが割れる音が鳴り響く。
「エヴァ様!」
「あ、ご、ごめんなさい……ちょっとビックリしちゃって……」
頭が真っ白なまま割れたカップを拾おうと屈んだら、すぐさまエヴァの傍に来たクライムが手で制し、呼び鈴で使用人に処理をお願いした。
「お怪我はございませんか? 火傷は?」
「だ、大丈夫。ありがとうクライム」
エヴァの両手を触りながら怪我の確認をするクライムに対し赤くなりながら答えると、アイリーンには二人のやり取りがいちゃいちゃして見えたらしく、面白くなさそうな顔でこちらを凝視していた。
「お二人は……恋人同士なんですの?」
「なっ!? アイリーン様、先ほどから何を……!」
「あら、最初から恋のお話に花を咲かせましょうと言いましたわよ? わたくしは前回のお茶会の時にクライム様のことが気に入りましたの。お二人が想い合っていないのならばわたくしにもチャンスがあるのではないですか?」
「そ、それは…………」
まだ気持ちを確かめ合っていないので自信をもって恋人です、などと口に出来ない。そういうことは二人きりになった時に確認しようと思っていたことで、今ここでそういう話はやめてほしかった。
正直エヴァは恋も初めてで人付き合いも苦手な環境で育っているので、何が正しいのかわからず自分にも自信がない。だからこうしてアイリーンのような自信に満ち溢れた同世代の令嬢の出現に簡単に脅かされるのだ。
そもそも最初お友達になりたいと言ってくれたのは嘘だったのか……それともクライムの方がエヴァより気に入ったのか。そういう面から見てもエヴァには少しショックだった。
「わ、私と……クライムは……」
震える声でなんとか返事をしようとしたら、クライムが代わりに答えていた。
「守るべき主君に懸想するなど、あってはなりません」――と。
地面を強く睨みつけるように言うその言葉をエヴァはそのまま受け取り、心臓を鷲掴みにされたような、痛みにも似た衝撃を受けた。
(ああ――やっぱり……)
あの日両想いになったと思ったのは、自分だけだったんだ。
目の前が真っ暗になる。クライムの口から訊きたくなかった。しかし騎士という身分なら当然の答えなのだろう。彼は真面目だから……。
「あらあら。ならわたくしがクライム様を口説いても何も問題ないのですね」
途端に機嫌が良くなるアイリーン。彼女は再びクライムの腕に縋りつき胸を押し付けた。
「わたくしの血に興味はなくとも男性なんだもの、女性の身体に興味はおありでしょう?」
頬を染めながら上目遣いでクライムを見上げるアイリーンの顔を見ようともせず、彼は無表情で無言のまま。それでも彼女は積極的に誘惑する手を緩めない。
嫌な気持ちが全身を支配する。弱い自分を責めるようにバクバクと心臓が鳴り響く。
胸は結構育ったほうだけど確かに彼女程ではないし、クライムには血しか求められたことがない。それでも……。
(それでも――)
「だめ!!」
響き渡る大きな声。真っ赤な顔で震えながらも、けれどしっかりと。初めて強く意見した。
自分の意思を。
「クライムは……だめなの」
一生懸命伝えるエヴァを驚いた眼で見つめるクライム。
「あ、あらエヴァ様。……ご自分の意見をはっきりと言えたのですね」
アイリーンもエヴァの大声に驚いたのか少しだけ動揺していたら、すぐに上から押し殺すような低い声が降ってきた。
「離れて下さい。今すぐに」
「っ!」
有無を言わせない命令を感じさせる声に、アイリーンは本能的な恐怖からパッと距離を取る。
青い顔で恐る恐る彼を見ると、エヴァを真っ直ぐに見つめながら瞳を赤く光らせていた。それは獲物を見るものではない。愛しさと確かな欲情。アイリーンの血では全く反応しなかった、アイリーンが欲しかったもの。
しかし彼女はそれが恐ろしと思った。かつて見た事がない執着。
これが吸血鬼を惹き寄せるということなのかと。
「……本日はもう、お帰り下さい」
エヴァのその言葉に素直に従い、二度目のお茶会は幕を閉じた。




