第1話【外への憧れと葛藤】★(表紙)
吸血鬼なんて大嫌い。
――忘れもしない母を亡くしたあの日、雷雨が止んだあとの満月の夜。
少女を襲おうとしていた吸血鬼の灰が舞う中、いつの間にか剣を携えた十五、六歳くらいの黒髪の少年が金色の瞳を輝かせ無表情に見下ろす。
分厚い雲を切り裂く月の光を逆光に少女を守るようにして立っている彼の姿は神々しくて。
目が、離せない。
(綺麗……――――)
少年はゆっくりと口を開いた。
◆ ◆ ◆
「エヴァお嬢様」
ぱちりと夢から覚醒する。
温かな陽光。爽やかな初夏の風を頬に感じ顔を上げる。お気に入りのガゼボでアフタヌーンティーを楽しんだあと、日課の読書をしている途中いつの間にかお昼寝をしていたらしい。
エヴァは顔にかかる赤い長髪を耳に掛けてから本を置き、自分を呼んだ青年に目をやった。
「いくら温かいとはいえ、こんなところで昼寝をしていたら風邪を引きますよ」
黒髪に涼し気な目元、珍しい金色の瞳。相変わらず何を考えているのかわからない無表情だが、心なしか呆れているように見える。
「クライム。今日は夕方から私の護衛じゃなかったの?」
「はい。ですが私の仕事はあなたをお守りすることですので。先程お嬢様の護衛をしていた三名の騎士と引継ぎを終わらせました」
「もう……ちゃんと休まないとダメ、働き過ぎよ」
すると彼は当たり前のようにサラッと言った。
「――私はエヴァお嬢様一番の騎士ですから」
一番優秀な者がブラックフォード家に生まれた女子の専属騎士に就く。
彼はいつも真面目だ。こちらが心配するほどに。エヴァは小さくため息をついた。
「そんなに常に見張ってなくても大丈夫、塀に昇ったり木に登ったりしないわ」
「さすがにもうそのような心配はしておりませんが」
「当然よ、あなたに散々怒られたんだもの。もう懲りたわ」
「それなら安心です」
子供の頃、何度も同じことで怒られていた。
〝敷地の外には絶対に出るな〟と――――。
エヴァは先程まで見ていた夢を思い出して小さくかぶりを振る。
あの日――自分の愚かさのせいで母を亡くした日。
王都で働く父の職場に忘れものを届けようとした母。なかなか屋敷の敷地の外に出してもらえないエヴァは、こっそり馬車に乗り込み見つかってしまった頃にはもう太陽が見えなくなっていた。
皆エヴァを守ろうとして吸血鬼に殺されてしまった。
この血に宿るブラックフォード家の血の宿命――男子は生まれながらの吸血鬼ハンターに。女子はその力の代償のように奴らに好まれる血を持って生まれてしまう。
あの日王都から聖騎士団を引き連れ駆け付けた父とクライムが来なければ今頃エヴァはこの世にいなかっただろう。だからこそこの不自由な生活を甘んじて受け入れなければならない。
もう二度と自分のせいで誰かを死なせたくないから――。
「でも本当に……無理はしないでね」
そう不安げに伝えると、彼はふ、と少しだけ優しく笑った。
ああ――少しずつこうして笑ってくれるようになった。それがどうしてか堪らなく嬉しく感じる。でも彼は事実働き過ぎなのだ。
「六年前、旦那様に拾っていただいた時から記憶もなく、何も持たない私に吸血鬼ハンターとして技術を授け、お嬢様を守るという役割をくださいました」
クライムはエヴァに傅くと、不安げに揺れるエヴァの瞳を真っ直ぐ見つめた。
「私はエヴァお嬢様のお役に立てることで、自分の中の空っぽの記憶を埋めたいのです。あなたをお守りすることが私の喜びであり幸せなのです。だからどうか、この喜びを取り上げないでください」
「…………っ」
そう言われると何も言えなくなる。エヴァは頬を膨らませて照れ隠しをした。
(ずっと無表情だから昔はつまらなそうに私の子守りをしてると思っていたのに……。これじゃあまるでお姫様を守る完璧な騎士じゃない)
初めて会ったあの日も、エヴァを救うために数多の吸血鬼を倒してくれた。
まだ十五、六歳位の少年だったはずだが他の騎士とは比べられない程に強く早く的確で、吸血鬼を次々に灰にしていく光景が目に焼き付いて離れない。彼は紛れもなくエヴァのヒーローなのだ。
(そう、大嫌いな吸血鬼を狩ってくれる……私の――)
クライムは立ち上がると懐から懐中時計を取り出し確認した。
「そういえば本日旦那様が夕食までにはお戻りになるようですよ」
「本当? 一週間ぶりかしら! お会いできるのが楽しみだわ」
父エイブラハムは王都で吸血鬼や魔物を対象とした治安を守る聖騎士団団長を務めており、基本的にあまり屋敷にいない。だから少しでも家族に会えることがエヴァはとても嬉しいのだ。
本をバスケットに入れるとクライムが持ってくれたので、部屋に戻るため立ち上がる。
「お父様が帰って来たらたくさんお話ししなくちゃ! 行きましょクライム」
「……かしこまりました」
エヴァの血のように赤い長髪を見つめながら、クライムはズキンと響く頭の痛みを顔には出さず、静かに彼女のあとに続いた。
夕食の席へ行くと、父エイブラハムが席に着いていた。
エヴァに似た赤髪、聖騎士団団長をやっているだけある逞しい体躯。一見怖そうな外見だがエヴァを視界にいれた途端あふれんばかりの笑顔になった。
「お父様!」
「エヴァ! すまんなーなかなか帰って来られなくて! 会いたかったよ」
二人は笑顔で抱擁を交わした。
「怪我はしていないか? 具合も悪くないか?」
「騎士の方たちやクライムが毎日守ってくれるので私は健康そのものですわ。そもそもお父様の聖なる結界のおかげで心配無用です」
「そうかそうか! お前はここにいる限り安心安全だからなぁ!」
ハハハと大笑いしながら娘の肩を豪快に叩く。痛い。
相変わらず過保護なんだからと呆れるも、母を亡くして以来過剰になるのも仕方ないと思いエヴァは素直に受け入れていた。
共に食事を終え寝室に引っ込もうとする父は大事なことを忘れてた、と娘を呼んだ。食事中とは一転して真剣な顔で見つめられ、エヴァにも緊張が走る。
「三日後の王都での祭りに備えて明日から聖騎士団は街の警備に就かなきゃならん。おそらく野良吸血鬼どもも人に引き寄せられ街道に集まるだろう。オレは家にいてやれねぇから、お前は騎士たちの迷惑にならないよう戸締りをしっかりしてちゃんと部屋に閉じこもっていろ。いいな?」
〝閉じこもっていろ――――〟。
その言葉が重く沈む。
そう、これがエヴァに約束された未来。許されない自由。
「決してまた外に出ようなんて思わないこと、何かあったらすぐクライムに助けてもらうこと、わかったな?」
「……わかりました……」
暗い表情で返事をする娘に多少申し訳ないと感じるエイブラハムだったが、彼からしてもたった一人の家族である娘を何がなんでも失いたくなかった。
「オレにもう二度と悲しい想いはさせないでくれ……。お前まで失いたくない。わかってくれるな?」
「はい……お父様」
エイブラハムは後ろに控えるクライムに目配せし、エヴァの頭を撫でてから自室へ入って行った。
就寝前。すっかり日が落ちて辺りは真っ暗だ。
夕食時に父にも釘を刺されてしまい、お祭りの時季は毎回気分が落ち込む。
母が亡くなってしばらくは屋敷に引きこもっていたが、外の世界への憧れは消えなかった。いつかこの血の呪いが解ける時が来るか、もしくは吸血鬼がいなくなればあるいは――。
首から下げている母の形見のネックレスをギュッと握りしめ、はぁ……とため息をつく。そんな現実が訪れることがないのを理解しているからだ。
(お祭りってどんな感じなのかしら。本でしか知らないから自分の目で見てみたいわ。友達も欲しいし……海も見てみたい)
でもそれは許されない。自分の行動のせいで大切な人を亡くしてしまったのだから。いくら吸血鬼を憎んでも、所詮エヴァは獲物側だ。
(今回も誰にも迷惑をかけないよう部屋に引きこもっていなきゃ。今のうちに新しい本を注文しておこうかな……)
そう考えていると、コンコン、と扉がノックされた。
こんな時間帯に誰かしら? と思いながら近づくと、聞き慣れた涼やかな声が聞こえた。
「お嬢様、エヴァお嬢様。まだ起きていらっしゃいますか? クライムです」
「クライム? こんな時間に一体……っ!」
迷わずドアを開けると、彼の姿に言葉を失う。薄っすらだが至る所に血がついていたからだ。
「お見苦しい姿をお見せして申し訳ありません。先程見回りをしていたところ、屋敷の結界の外に吸血鬼がいたため始末してきました。それとは別件なのですが、今少しだけ宜しいでしょうか?」
「それはもちろんだけど、その前に手当をしましょう! 早く入って!」
彼は苦しそうに息を乱していた。こんな姿を見るのは初めてだ。
無理矢理部屋へ引き入れようと腕を取る。
「いけません。私は大丈夫ですから……」
「いいから! 私が手当してあげる!」
遠慮する彼を無視して長椅子へ導く。抵抗するのをやめたらしいクライムの傍に近寄り、上着を脱がそうとするとやんわり制止された。
「軽く腕を噛まれただけです。それと苦しいのは怪我のせいではないのです。少し頭痛がするだけで……」
上着を脱いで袖をまくると手首に痛々しい牙の痕があったが、既に血は止まっていた。エヴァはアルコールで消毒し、清潔な布と包帯を巻いていく。
「小さい頃に外で遊んでてよく怪我をしていた甲斐があったわ。あなたの見様見真似だったけれど手当の仕方は完璧よ」
「……ありがとうございます」
クライムは眉間にシワを寄せつつ微笑みながらエヴァの手当てを素直に受けた。
「頭痛薬を処方してもらった方がいいかしら……お医者様の手配となると明日になってしまうかも……」
「いえ、ご心配には及びません。おそらくこれは……私の記憶に関わるものかもしれないので」
「クライムの……記憶?」
「――最近になって……気づいたのです……」
彼は頭を抱えおそるおそるといったように口にした。
「奴らを倒す度に、自分の身体が人間離れしてきている感覚があるのです」
そう言って自身の両手を見る。まるで確認するかのように。
「俺は…………化け物なのでしょうか…………」
ハッとしてエヴァはクライムを見た。初めて聞く彼の弱音に、胸が苦しくなる。
エヴァのために吸血鬼を狩るクライム。化け物を狩る自分もまた、化け物だと思っているのだろうか。
エヴァがそれを望むから――。
「……俺はお嬢様の……騎士でいたいです」
「クライム…………」
彼が何に悩んでいるのかは理解出来ない。でも……ひとつ確実に言えるのは――。
「あなたは私のヒーローで、立派な騎士よ」
そう言ってギュッと抱きしめると、まるで触れられるのが恐ろしいかのようにビクッとする身体。
しかしすぐにパッと起き上がり、クライムは何ごともなかったかのようにエヴァから距離を取った。
「失礼いたしました。記憶が戻りそうな頭痛に少々動揺しておりましたが、もう大丈夫です」
その不自然な距離の取り方に、エヴァも必要以上にクライムに触れていたことに気づき急に恥ずかしくなる。
「こ、こっちこそごめん……っ。そ、それより何の用事だったかしら?」
クライムは「ああ」と思い出したようにチラシを取り出した。
「これは……!」
そこには三日後、城下町で夏の豊穣を予祝する祭りがあること、大道芸人が来ることなどが書かれていた。
「行きましょう、お祭りへ。私がエヴァ様を全力でお守りします」
エヴァは目を見開いて驚いた。
(まさかクライムがここまで考えてくれていただなんて……でも)
「私は……もうお母様のように私のせいで誰も死んでほしくないの。だからまた私の我儘で……」
「いいえ」
俯いていた顔を優しい手つきで上げられる。
「むしろいつも我慢している分、こういう時こそ我儘になっていいのです。お嬢様には、自由でいてほしいのです」
「自由……」
本当に、いいのだろうか。またあの悲劇が起きないとは限らない。
――エヴァが我慢さえすれば、何もしなければ誰も死なないと。けれど彼は言った。
「馬車ではなく馬を飛ばせば三時間半程で着けるでしょう。朝早くに出て日が落ちる前に帰ってくれば大丈夫です。なにより、今度は私が全力でお嬢様をお守りします。そのための騎士なのですから」
騎士――エヴァの騎士。
(恐れなくていいと、そう言ってくれているの?)
〝閉じこもっていろ――――〟。
〝自由でいてほしいのです〟。
〝私が全力でお嬢様をお守りします〟。
「…………――――」
(ごめんなさい、お父様……私は――)
外の世界を諦めない。自由を感じてみたい。少しの体験でもいいから――。
エヴァは胸元のペンダントをギュッと握り顔を上げた。
「――あなたを信じるわ。連れて行って、クライム」
そう言うと彼は優しく微笑み傅いた。
「仰せのままに」