第10話【研究の協力】1
ぼーっと天井を見上げたまま室内が明るくなっていることに気付いたエヴァは、怠い身体のままむくりと起き上がる。
「……一睡も出来なかった………………」
だって……だって……――――。
「キ、キ、キ、キス……されたよね」
(キス! されたよね!?)
真っ赤な顔で口元を覆い血走った眼をぐるぐる回す。ベッドに入ってから何度も何度も同じ事を考えているのに何故キスされたのか分からないまま夜が明けた。
あの後すぐ正気に戻ったのか、バッとエヴァから離れたクライム。不自然に目を逸らし無表情で「失礼いたしました。おやすみなさいませ」と言って流れるようにエヴァを部屋の入口まで閉め出してしまったのだ。
エヴァは何が起こったのか分からず放心したままなんとか部屋に戻り、いつの間にかベッドの上で朝を迎え今に至る。
(ああああああ)
思い出して頭を抱えた。
混乱して未だに冷静になれないエヴァは、扉の向こうでメアリーの呼ぶ声に全く気付かない。
「お嬢様? 朝でございますよー」
コンコンとノックする音が響くも、返事がないので「入りますね」と断りをいれてからガチャっと入ってきた。目の下に隈をつくり顔を赤くしてるエヴァに、彼女はぱちくりと目を瞬かせる。
「あらあらあら」
「メ、メアリー……」
心配顔のメアリーに何と説明しようか迷っていたら同じくノックをしてからクライムも入ってきた。
「お嬢様、大丈夫ですか? メアリーが何度も呼んで心配して……」
クライムの顔を見た瞬間、ボンっと顔が破裂したように真っ赤になる。何かを察したメアリーと、あわわわと口をパクパクしながら慌てふためいているエヴァ。その様子にクライムは無表情のまま視線を落とし溜息をついた。
「お嬢様……アレクシス様の使者がいらっしゃってます。大事な用事があるから後程訪問したいとのことですが……追い返しますか?」
(――……ん? あれ?)
「そ、そそそそうね……わわわわかったわ。きょ、きょきょ許可し、しますます」
「…………かしこまりました」
何か言いたそうだったが、そのまま飲みこみ静かに礼をして部屋を出て行った。
クライムが去った後の扉を凝視しながら口元だけで笑顔をつくりつつ眉間の皺を深くする。
(…………私たち、昨日なんにも……なかったっけ!?)
アレクシスに最後に会った時のことなどすっぽ抜けて思わず返事をしてしまったが、エヴァにとってはそれどころではない。
扉を背に心を落ち着かせようと無言で顔を隠しているクライムを知る由もないエヴァは、昨日のことを意識していたのは自分だけなんだと悲しく思った。
朝食を終え来客の準備をしていると早速訪問を知らせる呼び鈴が。ずっとクライムのことを考えながら準備をしていたのであっという間に時間になったらしい。気乗りしないまま渋々アレクシスを迎え入れると、小憎らしい変わらぬ笑顔がそこにあった。
「や~や~お久しぶりだね!」
「……アレクシス様……一体なんの御用でしょう? 私は貴方の求婚はハッキリとお断りしたはずですが」
素直にうんざりした表情でそう伝えるも、彼は全く気にする様子もなくご機嫌な顔で答える。
「まぁまぁそんな邪険にしないでよ。僕と君の仲じゃないか」
「いえ、貴方とは今後も一切進展しませんしするつもりもありません」
「冷たいな~いいの? そんなことを言って」
すっと目を細めこちらを見下ろすアレクシスに嫌な予感を感じ見上げると、彼はゆっくりとエヴァの耳元に唇を近づけ二人にだけ聞こえるように言った。
「……ダンピールなんだろう? 君の愛しの騎士」
「っ!」
瞬間、バッと距離を取り信じられないような顔でアレクシスを見た。
「ははは! その表情は正解ってことだね。まぁ実際に君の誕生日会の夜にその現場を目撃したから間違っているはずがないんだけど」
「なっ……!」
見られていた。
冷や汗を感じながら周りに目をやると、客間の入口に騎士と近くにメイドもいてエヴァたちのやり取りにオロオロしているようだった。
(この場でこれ以上の話はマズいわ……)
本当に見られていた確証はないが、即座にこの場でそれを確かめるのは得策ではないと判断し、こほんとひとつ咳をしてからアレクシスに向き直る。
「……それで……本日は一体なんのご用件で何が目的ですか?」
その言葉にニンマリと笑った彼は両手を上げて喜んだ。
「僕の研究所で君の血について調べさせてほしい!」
◆ ◆ ◆
ガラガラと響く馬車の音と小窓から見える外の景色に高揚を隠せないエヴァは、今にも身を乗り出さんとばかりに目を輝かせる。
「まさかまた王都に行けるなんて……」
「エヴァ様、本当に身を乗り出さないようお気を付けください」
「ははは、クライム君心配し過ぎだよ。エヴァ嬢だってもう子供ではないのだし大人のレディとして扱わないと」
アレクシスに常識を説かれて唖然とするクライムにこっそり笑いながら素直に元の位置に戻るエヴァ。いつも無表情のクライムがアレクシスを見る目が険しいのは彼を警戒しているからに他ならない。
二人の顔を見ながらエヴァは出かける前のやり取りを思い出していた。
『――それで、研究の協力って?』
『以前君の父君の手紙にも書いていたとおり、君がなぜ吸血鬼を惹き寄せるのか魔法陣を使って解析しようと思うんだ』
そういえば元々彼はそれが目的で求婚していたんだと思い出し顔をしかめる。アレクシスは気にせず出された紅茶を一口飲んでから言葉を続けた。
『何年も前に既にブラックフォード家の血や魔力は研究されていてね。けれどここ何十年かは魔術も進化しているから、これを機に現ブラックフォード伯爵であるエイブラハム団長殿に相談していたんだよ。新しい発見があるかもしれないから伯爵殿の娘さんを調べさせてくれってね』
『……なるほど。それで今回俺を脅しのネタにしたと』
エヴァの隣に座っているクライムが冷たい表情でアレクシスを睨む。
あの後すぐにクライムを呼び部屋には三人だけにさせてもらい、彼には隣に座るよう命じたのだが、どうやらアレクシスの提案を歓迎していないらしい。
『脅しだなんて人聞きが悪いなぁ。確かに求婚を手酷く断られた後にこうして協力を持ちかけても断られるのがオチだろうけどね。でも僕は君がダンピールだったと気付いてから君への興味も尽きないんだ。エヴァ嬢の特質と同様、君のことも調べられるなら誰にも言わないと約束するよ』
『……貴方の約束をどう信頼しろと?』
『それを言われちゃ困るなぁ。僕ってそんなに信頼ないかい?』
(ないわね)
(ないな)
エヴァとクライムが同じことを考えていると顔に出ていようがアレクシスは止まらない。彼は元々そんな些細なことを気にするような人間ではないからだ。
一応困ったように眉をさげてはいるが、笑顔は隠しきれていない。
『ならこう考えるのはどうだい? エヴァ嬢に聞いたが君の記憶喪失は吸血鬼を専門的に研究している僕なら戻せるかもしれない。一石二鳥じゃないか。お互いウィンウィンだ』
『…………』
吸血鬼に囲まれた祭りの日のこともあり心配なのだろう。ましてや自分の失態でこの状況が生まれたと思っているからこそ、クライムにとっては歓迎出来る状況とは言い難いのだ。
心配そうにクライムを伺うエヴァと違い、アレクシスはそんな彼の様子を気にもせず懐から手紙を出すとエヴァに渡した。
『これは……またお父様の手紙を預かったのですか?』
『見てのとおり君の外出の許可は得ているよ。厳しい条件付きだけどね』
エヴァは手紙に目を通す。【一、エヴァの許可を必ず得ること。二、クライムと複数の騎士を共に付け、王都に着いたら必ず団長室に顔を出すこと】と書かれており、思わずクスっと笑ってしまった。
『伯爵も君の特質を心配しているんだよ。調べて無くすことが出来るのならそのほうがいいだろうからね。……僕は羨ましいけど』
アレクシスはおちゃらけたように肩をすぼめ笑って言った。
エヴァとしても正直自分の特質について新たな発見が見つかるのは歓迎だったし、王都に行く許可を得られるなら素直に行きたい。
きっかけはクライムをダシにした脅しだったが、もう求婚の話を諦めてくれたのであれば確かに悪い話ではないのかもしれない。
『……わかりました。ではすぐに出発しましょう』




