悪役令嬢の祝福
「リリス、君のことなんて好きじゃない」
私の婚約者となった男、ルークはことあるごとにそう私に宣言する。
だから私は言葉の通りに受け取った。彼は私を好きではないのだと。
私は自分に興味がない顔や、忌々しいものを見るような顔が苦手だから、顔を見ないように視線を下げる生活をしていた。だから彼がどんな顔で、それを私に言っているのかに気が付かなかった。
「いいか。俺の妹が暴漢に襲われると、俺かもしくは妹の友人がリリスを殺そうというきっかけが生まれる。だから絶対妹が襲われて傷つく事件を阻止しなければいけない。君の死は全く関係ない出来事が、巡り巡って死につながるという形が多いんだ。場合によっては、犯人が犯行を犯さないようにもっと事前に芽を摘む必要があるものもある」
「芽を摘むですか?」
「ああ。犯人が罪を犯そうとした時点で、もうリリスの死が確定して詰んでいることもあるから、丁寧に取り除いていくぞ」
ルークは私が死ぬと強制的に時間を巻き戻されもう一度その人生を送る呪いにかかっているそうだ。どうやらかつての私がその呪いを彼にかけたらしい。
だから彼は私を老衰まで殺されないようにすると言い、私が死に至る事件を一つ一つ説明し、どういう結末を迎えてしまうのか、そのための解決方法を私に説明する。
様々な複雑な要因が重なることによって引き起こされることもあるので、ルークは私が見直せるように紙に分かりやすくフローチャートを書いて説明してくれた。
正直、この説明はルークにとっては負担以外の何物でもないと思う。人に何かを教えるということは大変なことだ。だから公爵は私の家庭教師にしっかりとした給金を渡し、私に公爵家の令嬢として恥ずかしくないふるまいができるように命じる。
私が死ぬと戻るのだから、ルークが手出しをしにくい場面のみ私に伝え、対処方法を考えるように言えばいいのに、ルークは一つ一つ、まるでいつかそれを私がしなければならないと思っているかのように伝える。
「君は無実だから、法的に裁かれることはない。ごくまれに、不運が重なり監獄に入れられるがそれが処刑に進むことはあり得ない」
「死なないのならばよろしいのでは?」
「君は牢獄で一生を過ごしていいと? 冤罪でとらえられることを認めるのか?」
牢獄というと、あまりよろしくない環境なのは分かる。実際に見たことはないけれど、光があまり入らず、不衛生でとても狭い場所だとは聞く。そこに入れられたくなければ罪を犯すなという脅しの意味合いと、できればその罪が冤罪だったとしても、牢獄で獄中死をして事件をうやむやにして欲しいという意味合いでそのような場所になっているのだと思っている。
そこで死にたいのかと問われれば、できれば遠慮したい最期だ。でも高貴な生まれの場合、貴族用の監獄というのもあるという話は聞く。そこならば狭い部屋からは出られないが、衛生的には過ごせるはずだ……たぶん。ならばそこならば、それほど悪くないのではないだろうか。
悩んでいると、ルークは深くため息をついた。
「悩まないでくれ。そもそも監獄入れられると、君の家が黙ってはいない。本当に無実ではないのか証明するために動く」
「ああ。家名に傷がつきますから……」
たとえ罪があっても、握りつぶして謹慎という形で家に軟禁されるかもしれない。とりあえず、流石に罪人のままにはしないだろう。
「……そうすると本当の犯人が罪の暴露を恐れて、君を毒殺したり暗殺したりする。俺も監獄に入られたら手出しができないのだから、入れられた時点で手遅れだ。その前に解決しなければいけない」
冤罪ならば確かに公爵家に探られたら、本当の犯人にとっては恐怖だろう。さっさと犯人が獄中死したということで事件を終わらせてしまいたいはずだ。なるほど。
どうやら私が殺されるのを回避するには、その場その場で回避していくだけでは間に合わないらしい。
多分牢獄関係は、すでにルークが何度か体験し、ここに入ったら死が固定されているのだろう。処刑ではなく別の方法で。
何度彼は私の死を見てきたのだろう。
教えられた私の死の数だけを見てもかなり多い。それを回避するために何度も何度もとなれば、気が遠くなるほどの時間を繰り返しているのではないだろうか?
「ルークが過去に戻るタイミングは、私の心臓が鼓動を止めたタイミングなのですか?」
「いや。死んだ後すぐのこともあれば、時差があって、君が死んだその日のうちということもある。だから離れた場所でも君の死因を知ることができたんだ。すぐに巻き戻る時は、君の近くにいて、君が死ぬ瞬間を見ている時だけだ」
ルークが戻るタイミングはどうやら多少の誤差はあるが、私が死んだ後数時間内のようだ。牢獄関係は内通者でもいなければ情報が入りにくいはずなので、どうやってその数時間で調べたのか。……いや、何度も同じ時間、同じ出来事を繰り返して、少しずつ調べたのかもしれない。
それは一体どれぐらいの回数を必要としたのだろう。
ルークは年相応な動きをする時もあれば、どこか達観したような様子を見せる時もある。何度も時間を繰り返しているので、もしかしたら体感的にはおじいさんぐらいの時間の中にいるのかもしれない。でも繰り返す時間は決まっていて、それ以上に成長すこともないのでどこか歪な感じに思えるのだろう。
その歪は、彼を少しづつ蝕んではいないだろうか?
「不快なものを毎回見せてしまって申し訳ないです」
人の死体などあまり見たいものではないだろう。しかも死んだら戻るのだから、積み上げていたものを壊されたやるせなさもある加わる。
どちらにしろ楽しい出来事には思えない。
「そうじゃないだろ! ……いや、確かに不快だが、君が謝る必要はない。俺が守りきれなかっただけの話だ。君は……俺に対して不甲斐ないと怒っていい立場だ」
「私は怒るというのも苦手なのですが、そもそも貴方に殺されたのではないのならば、貴方の責任はありません」
何度も何度も繰り返したことにより、ルークは私が死ぬことを自分の責任だと思い込んでしまっているが、罪は罪を犯した人以外にはない。少なくとも第三者であるルークにはないのだけは確かだ。
「それだけは間違いありません」
色々と私の死の回避方法を教わりながら、私はルークと共に彼の妹さんが襲われるのを回避した。
といっても私はただルークに付いて行き、ルークが戦っている間、妹さんを背後に隠しただけで何もできていない。争っている間に小石が飛び、私の額に怪我ができてしまったぐらいで、逆に手間をとらせてしまった。
「か、顔に傷が! た、大変だわ!」
「し、止血を。急いで止血を!」
兄妹がそろって、ハンカチで私の額を押さえようとしてくるので、私は戸惑う。
「あの、それほど深い傷ではありませんので……」
「深いとかじゃなくて、顔に傷だよ? どうしようお兄様!」
「死ぬな。リリス!」
「……たぶん死にません」
この程度の傷で死んだことはない……ないのかしら? 毒が塗ってあるナイフならば、この程度でも中毒を起こすかも知れない。
でも小石がぶつかっただけならば、ないと思う。
「死ぬとかそういう話じゃないでしょ、馬鹿兄! 女の子の顔に傷がつくのが問題なの!」
そういって、私はルークたちの家に連れ込まれ、あれよあれよと手当をされる。妹さんの方は襲われたばかりで恐怖も残っているだろうに、そんな事よりも私の手当をという感じだ。
「あの、大丈夫です。それより私を家に招待すると悪い噂が立つので、あまりお勧めできないのですけれど……」
「はあ? 何言ってるの? 私を助けたせいで顔に怪我を負ったのに、その恩人を家から追い出す? その方が悪評が立つし、もしも手当てするだけで悪評を立てるような人がいれば、こっちから縁を切って差し上げるわ。お兄様もそうでしょ?」
「あ、ああ」
妹さんの勢いが凄い。
ぷりぷり怒りながら、私の怪我の手当てをする。
「……ただ、ごめんなさい。私も今まで貴方のことを誤解していたみたい。今度から、悪い噂をうのみにはしないわ」
「い、いえ。私はそこまでしていただく価値はない――」
「は?」
ないと言い切ろうとしたところで、凄みのある声に止められる。でも事実私をかばったところでいいことなど何もないと思うし、むしろ噂を否定して盛り上がっているところを邪魔されたら、今度は妹さんまで何かを言われてしまうかもしれない。
「私がしたいからするのよ。そして価値がないなんて言わないで。少なくとも、私は貴方に救われたの。本当に噂って、当てにならないわ……」
「ぶはっ」
はぁと妹さんがため息をつくと、突然ルークが噴き出し、笑い出した。
「お兄様、何を笑っていますの? 気でも狂いました?」
今の会話に笑うところはなく、むしろ彼女がとてもまっすぐなお嬢様だと感心するところなのではないだろうか? ただ長いものにまかれず、反発をすればその反動がくる。それを受け止められるか分からないのに突き進むのは無謀だ。だからそれを馬鹿にすれば笑いになるかもしれない。しかしルークの笑いはそういった嫌な笑いとは違う気がする。
「そうか。そういうことなんだなって納得しただけ」
「何を納得したんですの?」
「無理に仲良くさせようとしなくても、仲良くなるってこと」
「お兄様に交友関係をとやかく言われるいわれはないのですけど」
ツンと妹さんがそっぽを向く。
仲がいい?
「えっと、私は……」
私と友達になったら、彼女が何を言われるか分からない。
否定しなければと思うけれど、ルークが私を見る目が、あまりに優しくて言葉を失った。
これは嫌いな者や否定したい者を見る時の目ではない。彼の目に浮かぶ色が、私を拒絶するものではないことに戸惑う。
婚約者であるルークは私のことが好きではないけれど嫌いでも無関心でもないといっていた。それはつまりどういうことなのか。
自分が傷つかないよう、言葉通り好きではないのだろうと思っていた。でもこの優しい目は『好きではない』と言葉と合わない。
その温度は私には暖かすぎて、近づけば燃やし尽くされてしまう気がして、私は目をそらす。
「リリス、君のことなんて好きじゃない」
そして耐えられず逃げ出そうとすれば、ルークはその優しい目をごまかすようにそう言って、自分のためだからと私の近くに居続けた。
事実私が生き延びることは、彼のためでもある。でも、それだけなら、こんな回りくどいことをしなくてもいいのにと思うこともある。ルークは間違いなく、私のためにこの呪いに打ち勝つ方法を考えていた。
ルークなら信頼できる。
ルークの傍は安心できる。
そんな思いが湧くようなって、婚約者の手を握り返せるようになると、彼の言葉が変わった。
「君のことを愛している。君を一人になんてできない。だから呪いを解こう」
彼はずっと私のペースに合わせてくれた。
好きではない、嫌いではない、でも愛している。
これはきっと、婚約を申し込まれた時から変わっていないと思う。ただ私がそれを受け入れるだけの余裕がなかったから言わなかったのだ。
でも相手からの見返りを求めず、献身的に愛を注ぎ続けるというのは、健全だとは思えない。それは本当にルークの幸せなのだろうか?
ルークは私の死に縛られ、何度も理不尽に死ぬ私を見てきた。
その無力感が、彼から様々なものを削り落として、見返りを求めない献身的な愛を私に捧げなければならないと思い込ませてしまっているのではないだろうか?
ルークと結婚し、長年連れ添って、その中でも死の危機を乗り越え、私は思う。
ルークに愛されることは、私にとっては幸運だ。
でも献身的な愛しか見せない彼の心がどれほど傷ついているかと気が付いた時、苦しい気持ちになった。もっとルークには自由があったはずだ。
こんな風に悪役令嬢に縛り付けられてしまって……。
悪役令嬢ならば、報われることを望まない献身を行うことで、心が壊れないように耐える彼に微笑んだかもしれない。でも私は――。
「俺は君の事は、好きじゃない。……愛している。だからもう一度君と話したいんだ」
私が寿命で死ぬ間際も、彼の愛は変わらなかった。
私もこの暖かな手を振り払えないから、握りしめたままだけど、それでも願う。もう解放してあげて欲しいと。
多分私はまた巻き戻る気がする。
そこに、ここまで魂をすり減らしてしまった彼を連れて行くべきではない。呪いの継続を願うルークに私はルークの呪いが消えていることを願う。
どうか、もう許してあげて。
彼を壊さないで――。
◆◇◆◇◆◇
陽王歴26年。
私はルークから聞いた巻き戻りとも違う時間にいた。
なぜならば、ルークが戻るのは彼が十七歳の時と言っていたのだ。でも今の私は七歳。戻りすぎだ。
現在の私の中には前回の記憶がちゃんと存在している。ただしそれより前の記憶は一度呪いの一部をルークに渡したことでリセットされてしまったようで、何も残っていない。
「……もしかしたら、そもそもの巻き戻りは、七歳だったのかもしれませんわね」
元々は七歳からの巻き戻りだった。しかしルークに記憶し続ける能力を渡した時に戻る時間が変質し、私が確実に生き延びていた時間は戻らなくなったのかもしれない。
こうなると、私はこれから起こる死の要因を、前知識なく解決していかなければならない。果たして、一人だけで何度巻き戻ることになるのだろう……。
多分この呪いの成就は、自分で自分の死亡要因を取り除ききることではないかと思う。
ルークの力ではなく、私の力で。……でも、ちゃんとできるだろうか。
正直不安だ。
ルークを巻き込まずに済んでよかったという思いと、ずっと握られていた手が離れてしまったことによる不安が胸を渦巻く。
でもやるしかないのだ。
今日は同年代の子供達だけを集めたお茶会だ。
どうしても貴族の子供は大人たちに囲まれて育ち、同年代と接する機会が少ない。
その為この会が開かれ、ここではある程度の無礼は許されている。
前の記憶だと私は誰かにお茶をかけられ、その熱さによろめき、反動でテーブルクロスを引っ張ってしまい、お茶会を台無しにした記憶がある。
その後やけどが治るまで、醜い姿を見せてはいけないと家で軟禁された。それが治ったころには公爵令嬢が我がままを言って暴れたことで食器が割れたり、ジュースがかかりドレスを汚されてしまった子も出た、最悪なお茶会になったという噂が流れていた。
あれ以来、私はわがままで、突然癇癪を起す手の付けられない子供だと噂されるようになった。
……またそれをやるのか。
できればお茶をかけられるのを回避したいけれど、どういういきさつで私にかかったのかよく分からないままだった。うまく避けられるか微妙だ。
そしてかかってもテーブルクロスを巻き込まずにすめばいいのだけど、これも反射的なもので、できるか分からない。
お茶会事態に出席しなくてすめばそれがいいけれど、公爵令嬢の娘として、父が不参加を許さないだろう。
憂鬱な気持ちでお茶会に参加する。
周りは子供ばかりで、不思議な感じだ。ただこのお茶会に参加している子供が純粋で無邪気な存在であるとは言い切れない。子供の後ろには親がいる。
子供は親に誰誰と仲良くしなさいと言われれば、それに従う。逆に悪口を言い含められていれば、攻撃しようとする。
「……かわいい」
どう回避しようかと悩んでいると、少し大きな独り言が聞こえてそちらを見た。
「えっ……」
ルーク?
振り返った先にいたのは、私が知っている頃よりずっと幼いけれど間違いなくルークだった。ルークはまるで見惚れたとばかりにキラキラとした目で私を見ている。
そんなルークを私がジッと見返せば、おたおたとした後、私の近くへとやってきた。
「おれ……、いや、ぼくは、ルークといいます。その、か、かわいいですね」
かわいい? 何が?
私はきょろきょろと周りを見る。そんな様子に、ルークがぷはっと噴き出した。
「かわいいというのは、あなたのことです、レディー。あの、その、名前を聞くめいよを、僕に下さい!」
バッと頭を下げられて、私はきょろきょろと周りを見渡したが、皆私たちを注目しているだけだ。つまり、私?
流石にこんな出会いをしていたら忘れるはずがない。
だからこれは前回起こらなかった出来事だ。何故? 何が要因で変わったの?
「お兄様、とつぜんそのようなことをこんな公衆の面前でやったらびっくりされてしまいますわ!」
ぷりぷりと怒って近づいてくるのはルークの妹だ。私の記憶よりとても幼いのは当たり前として、ただ私は彼女ともこんな幼い頃に会話を交わすような状況になった記憶がない。
「だって俺、仲良くなりたいとおもったんだ」
顔を上げて笑う彼の瞳は、もっと成長した後に見せてくれた優しい目にとても似ていた。
彼に記憶はないと思う。
もしも記憶があったなら、彼は私の名を呼んだだろうし、『君のことなんて好きじゃない』と言ってきただろう。
でも過去とも違う。彼の目にはすでに好意が浮かんでいる。
これはもしかしたら、前の世界の彼が最後の手助けをしてくれたのかもしれない。
だから勇気を持って彼を真っ直ぐ見た。
彼なら大丈夫。
彼の隣ならば安心できる。
それを知っているのだから。
「わ、私の名前はリリス。私もあなたと仲良くなりたいです」
私は未来を変えるための、最初の一歩を踏み出した。
このやり直しは呪いではない。祝福だ。