第9話:自習
午後をだいぶ過ぎてから、マリオンたちの自習が始まった。
本来なら今日が魔術講義の初日だった。つまりマリオンたちは、まだ何も教わっていない。
だが十二歳の魔力検査を終えている皆は、各家庭で魔力鍛錬を教わってきている。
今日はそれをやろう、と相談の結果決まった。
各々が鍛錬を続ける中、マリオンは砂時計に向かっていた。
ヒルデガルトが考えたという砂時計鍛錬法は、魔力制御に難があるマリオンには丁度良いだろうと言われていた。
(でもまだ、砂一粒掴むのがやっとなのよね)
時間をかけて一粒をなんとか掴み、ゆっくり持ち上げ――途中で砂が砕け散る。
マリオンは、魔力が強すぎると、こんなにも制御が難しいのかと痛感していた。
水晶の欠片を集めるときは、箒のイメージで纏めていた。
だが、この砂時計鍛錬法は、小さな砂一粒を掴むほどの精密な魔力制御を身に着けるものだ。まとめて掴んでは意味がない。
掴んでは砕き、掴んでは砕き――それを何度繰り返しただろうか。
マリオンは全身を、また汗で濡らしていた。ハンカチで額の汗を拭う。
ようやく一粒の砂が、天井に張り付いた。
(よし、これを維持したまま、次の砂粒を――)
次の砂粒を持ち上げた瞬間、マリオンの意識は暗転していた。
****
マリオンが目覚めると、ヒルデガルトに抱きかかえられていた。
「おかあ……さま?」
マリオンは、自分の身体全体が金色の魔力で覆われているのに気が付いた。
(これは……豊穣の神の魔力の気配かな)
ヒルデガルトはとても真剣な眼差しでマリオンに古代魔法を施している。その顔は蒼白だ。
とても返事をして貰える様子ではない。マリオンは神に直接聞いてみることにした。
目を瞑り、豊穣の神の気配を手繰り寄せる。
(――豊穣の神様。お母様は何をしているんですか?)
『君が生命力を使い過ぎて死にかけていたからね。慌てて補充しているんだよ』
(えっ?! 私、死にかけていたんですか? でも魔力は全然余裕がありましたよ? 魔力を使い切らなければ、大丈夫なんじゃ?)
『危ない所だったよ――人間は、体力や精神力を使い切ったらしんでしまう生き物だ。そして生命力は、魔力を使う時にも消耗される。魔力が尽きたときに死んでしまうのは、魔力の補充に生命力が優先して使われるからだ』
これがいわゆる、魔力の使い過ぎによる死のリスクだ。
『だが、君の場合は魔力が大きすぎて、使い切る前に生命力が尽きてしまう。魔力の急速補充は自動的に行われるから避けようがないが、魔力制御の時に使われる生命力の消費はリミッターがかかる。”これ以上は命が危ない”と体が判断すると、それ以上使えなくなるんだ』
通常、リミッターがかかる事でそれ以上魔力を使うことは出来なくなってしまう。
”力尽きた”と自覚する状態に陥るのだが、実際には少しだけ余力がある。命を守る為のマージンだ。
『だが君は、そのリミッターを意志の力で捻じ伏せてしまった。それで限界を超えて意識を失ったんだ』
命を守る為のマージンすら使い切ってしまったマリオンは、緩やかに死に向かって居た。
体力が尽きれば身体が死ぬ。
精神力が尽きれば心が死ぬ。
心が死ねば、心に制御されている身体も機能停止してしまうのだ。
(書斎に居たはずのお母様が此処にいるのは何故なんですか?)
『ヴァルターがヒルデガルトを呼びに来たよ。君が倒れたと聞いてヒルデガルトは慌てて君に駆け寄って、生命力が尽きかけているのを直ぐに察知した。それを私の権能で補充している最中だ。完全回復まではもう少しかかるよ。君は無理をし過ぎだ。そういったところは、ヒルデガルトそっくりだな』
(ごめんなさい……でも、魔力制御をきちんとできないと、魔術を巧く使えません)
『限界を超えてまで頑張るな、と言っているんだ。君もヒルデガルトも、少しは力加減という物を覚えた方がいい――いや、ヒルデガルトの方がまだ自制できていたほうだな』
(……私は貴族です。貴族は、その能力に応じた責務を負うのだと、その責務を果たすことが貴族の存在意義なのだと教わってきました。鍛錬によってこの魔力を少しでも使いこなせるようになるのであれば、私にも嫁入り以外の責務を果たす道があるかもしれません。今日の灰色狼みたいに、みんなを守る力をもっと身に着けられるかもしれない。ならば、私は頑張りたいと思います)
豊穣の神の笑い声が頭に響いた。
『君は強情だな。そういうところは、本当にヒルデガルトそっくりだ。君は確かに、彼女の娘だ』
(えっと……ありがとうございます? ――ところで、精神力が尽きる兆候って何かないんですか? 突然意識が途切れたんですけど。魔力みたいにわかりやすい目安ってないんですか?)
『精神力は意志の力だ。意志の力でリミッターを捻じ伏せた状態では、限界を知ることは出来ない。限界即意識の遮断だ。君はしばらく、ヒルデガルトに精神力の残量を監督してもらいながら鍛錬を続けるといい。今の限界がどのくらいか、疲労感である程度分かるようになるだろう。その限界を守るんだ。ヒルデガルトには私からそう伝えておいた』
(自覚できないのですか……厄介ですね。わかりました。そうします)
『うん、程々に頑張りたまえ――さぁそろそろ生命力の補充が終わるよ。目を開けなさい』
マリオンが目を開けると、泣きそうな顔のヒルデガルトが居た。
「えっと、心配をおかけして申し訳ありませんでした」
次の瞬間には、マリオンはヒルデガルトに抱きしめられていた。
「お願いだから、無茶な事はしないで」
その涙声に、マリオンは「はい、わかりました」と応えた。
****
治療を続けるヒルデガルトの周囲で、子供たちはその様子を伺っていた。
徐々に顔に血色が戻っていくマリオンを見て、友人たちは胸を撫で下ろしていた。
サイモンが安心したように息を吐いた。
「マリーが倒れたときは、頭が真っ白になった。どうしたらいいか全くわからなかった――兄貴失格だな。ヴァルター、お前が迅速に動いてくれて助かった。礼を言う」
その顔には、自嘲の笑みと安堵の笑みが綯い交ぜになっていた。
ヴァルターは、それに対し応える様子もなく、淡々と語りだした。
「マリオン様を遠目で確認したヒルデガルト先生が、小さく呟いたんだ。その時、先生の傍には僕しかいなかったから、みんなは聞いていなかったと思うけど」
マーセル王子が尋ねた。
「先生はなんて言ったんだ?」
ヴァルターが応える。
「”いけない、死にかけてる”って」
それを聞いた一同は、言葉を失った。
ただ倒れたのだと、そう思っていた。
午前中も魔術を使って疲れていた。だが昼食を挟んで休息して回復したと、本人も元気に言っていた。
そのあとの自習で、つい力が入り過ぎて、ただ意識を失ったのだろうと思っていた。
それが、たかが魔力鍛錬で命を懸けていたのだと知らされたのだ。
スウェードが首を振りながら口を開いた。
「嘘だろ? 魔術鍛錬で死にかける人間なんて聞いたことないぞ?」
どんなに頑張ろうと、先に魔力が尽きる。それが常識だった。
魔力が尽きれば生命力で補充され、その時に意識を失うことはある。場合によっては寿命が削られることもあるという。
怪我を負ったり、極度に疲労していれば命を落とす危険はあるが、無傷で食事と休息を挟んだ後に、座って行っていた鍛錬だ。生命力が尽きるわけがなかった。
サイモンが真剣な顔で語った。
「今のマリーは強大な魔力を持っている。母上も”人間には大きすぎる力”だと言っていた。その意味がこれなんだな。マリーは魔力が尽きる前に、生命力が尽きる体質になったんだ。命の限界を、意志の力で突破してしまった。マリーは母上に似て、頑固な所がある。”その時”が来れば、いともたやすく命を落としてしまうだろう」
アランもマリーを見やりながら、ぽつりと語った。
「ジュリアス様に聞いた話ですけどね。マリオン嬢がやっていたのは、大叔母上が編み出した鍛錬法らしいですよ。大叔母上は毎日、あの鍛錬で魔力が尽きるギリギリまで自分を追い込んでいたのだと言っていました。毎日五時間それを続けていたのだと――後にジュリアス様も、同じことをするようになったらしいですけどね」
レナが思い出したように口を開く。
「ああ、シュテルンに入る前、みんなでその鍛錬を教わったって聞いたことがあるわ。無茶苦茶きついらしいわね。魔力が強いほど高い集中力を要求されるって。今のマリーの魔力でそんなことができるほど集中していたら、確かに自分の限界にすら気づかずに鍛錬を続けてしまうでしょうね」
マーセル王子が一同を見渡して言った。
「いいか、マリオンに限界を超えて魔術を使わせる、そんな状況には今後絶対にするな。あいつは俺たちの命がかかれば、自分の命を天秤にかけるまでもなく使ってしまうだろう。それを防げるのは、周囲に居る俺たちだけだ。今日の灰色狼も、一歩間違えばこうなっていたということだからな。今日の俺の我儘が、あいつを殺しかけていたんだ」
その言葉と眼差しには、後悔が強く滲み出ていた。
周囲の友たちは、深く頷いていた。
****
結局マリオンはその日、それ以上の鍛錬を禁止されてしまった。
ヒルデガルトは「ごめんなさい、今日は疲れたから、部屋に戻るわね」と言って書斎に戻っていった。
皆が自習に戻る中、マリオンはぼんやりと砂時計を眺めていた。
マリオンが手に持った砂時計を、逆さにした――細かく砕けた砂が、さらさらと零れ落ちていた。
(いつの間にこんなに砕いていたんだろう?)
マリオンが全く気づかないうちに、砂時計の中身は半分以上が砕け散っていた。
――もしかしたら、砕けた欠片すら持ち上げようと集中していたのかもしれない。
(そんなことをしてたら、そりゃあ精神力も尽きるよね)
マリオンが先程、豊穣の神と行った会話――その中で、自覚していなかった自分の願望を語っていた。
もっと魔術を巧く使えるようになりたいと。
みんなの力になれるようになりたいのだと。
マリオンは、この力を手に入れた当初は「嫁ぐだけで責務を果たせる楽な身になった」と考えていた。
だが灰色狼に襲われたことで、今の自分にもできることがあると知った。
果たせる責務が、この魔力に相応しい責務があるのではないかと、そう思えるようになっていた。
(私は侯爵令嬢。誇り高く偉大なお母様の娘。貴族として恥ずかしくない自分であり続けなければならない)
そんな自分を磨く為にもマリオンは、グランツに通うべきなのではないかと、そう思った。
だが、マリオンの魔術行使は命の危険と隣り合わせだ。ヒルデガルトから離れた場所で魔術の勉強をして問題がないのか――自信は持てなかった。
夕食の時間になり、皆がテーブルに着く。
成長期の子供たちは、昼食を食べた事を忘れたかのように食事を貪っていた。
ヒルデガルトは、また書斎で食事を取っている様だった。
食事が終わり、用意された寝所へ移動する。
男子は四人部屋を二つ、女子は四人部屋を一つ。
室内にはベッドが人数分用意されていた。
入浴は女子が先に入り、後から男子が順番に入っていた。
侯爵邸の浴場はそれなりに広いので、一度に四人くらいならなんとかなる。ただし、付けられる使用人は一人ずつが限度になるが。
入浴が終わったマリオンたちはベッドに飛び込んだ。
レナやララは「つかれたー!」と言って倒れこんでいた。
サンドラはマリオンに抱き着いた後、そのままベッドに引きずり倒した。
「ちょっとサニー! まさか今日も抱き枕にするつもり?!」
「当たり前でしょう? ヒルデガルト先生に回復してもらった以上、元気は有り余っているはず。ならばお休み中だろうと私は一緒よ!」
四人で寝るのは初めての事だ。
レナとララは、初めて見るサンドラの抱き着きっぷりにかなり引いていた。
「本当にべったりひっつくのね……」
「え、これ毎回やられてたの?」
マリオンは暴れながら「たすけてー!」と叫んだ。
だが女の友情は儚かった。
「サニーがすごい怖い眼で睨んでるから、私たちは大人しく寝るわね」
「大丈夫、骨は拾ってあげるから。おやすみー」
サンドラはヒルデガルトの癒しを受けていない。魔術の練習でそれなりに疲れている。なのにマリオンは力で引き剥がせなかった。
(くっ、サニーったら、どうやったらこんなに大きく成長するの?!)
長身で肉付きが良いサンドラに体重で抑え込まれると、身長が低いマリオンは身動きが取れないのだ。
十二歳にして出るところは出て引っ込むところは引っ込む。実に女性の理想的な体型をしている。それがサンドラだった。
そんなサンドラの体型を、マリオンは内心、歯噛みするほど羨ましがっている。
マリオンは、どちらかというと慎ましい体型だ。もちろん、分厚いオブラートに包んだ表現である。
(どうやったらそんなに育つのか、聞いてみたいものだわ)
恥を忍んで聞けるのであれば、という条件が付く。彼女にも乙女なりの矜持はある。
毎回、我関せずを貫くサブリナが、マリオンに布団をかけた後、部屋の明かりを消していく。
「おやすみなさいませ、お嬢様方」
その扉が閉まった時、マリオンは全てを諦め、夢の世界への切符を手にした。




