第6話:特訓!(1)
翌朝、授業が始まる前に、ヒルデガルトはヴォルフガングの企みを仲間に伝えていた。
クラウディアが何か考えるように俯いてから、口を開いた。
「全学年を通してのスペシャルクラス……あのヴォルフガング様が考えることですもの。どこまで計算しているかわからないわね」
ヒルデガルトが頷いた。
「お父様の仰ることですから、悪いようにはならないとは思うのです。けれど、何をなさりたいのかピンときませんわね」
アストリッドも腕組をして唸っている。
「”ちょっと勉強するだけ”ってのも怖いな。あたしらがヒルダやジュリアス様に追いつけるわけがないけど、ぬるい選考基準にしたらスペシャルクラスの意味がなくなる。どれだけの技術を要求されるのやら」
クラウディアは「私は必ずヒルダと一緒のクラスになって見せるわ!」と拳を握りしめて闘志を燃やしていた。
それを横目で見ながら、ヒルデガルトが大切なことを告げる。
「お父様は基礎を最も大事にする方よ。基礎が疎かな人が選考から漏れるのは、まず間違いないわね」
ヒルデガルトはそのまま流し目でジュリアスを見た。
(このジュリアスだって基礎が疎かと言われたんだもの。他の生徒も推して知るべし、なんだろうな)
その視線に気が付いたジュリアスがふぅ、と息を吐いて提案する。
「そんなに不安なら、今のうちに対策を始めればいいんじゃないですか?」
(今からできる対策? なにができるのかな?)
小首を傾げたヒルデガルトの目の前に、ジュリアスがコトリ、と砂時計を置いた。
ジュリアスはニヤリと笑う。
「魔力制御は基礎の基礎、ですよ」
****
昼休み――昼食が終わった後、ヒルデガルトは学院から借りてきた教材の砂時計を皆に配り、砂時計鍛錬のやり方を説明していく。
彼女が普段やっている砂時計鍛錬のルール一つ一つを口にするたびに、皆の顔が歪んでいった。
「ウゲェ……お前ら、よくそんなことやってられるな」
とフランツ王子は心底嫌そうな声を上げた。
確かに、フランツ王子はヴォルフガングの弟子の中でも一番魔力制御が雑だ。この鍛錬を最も苦手とするだろう。
クラウディアも呆然としていた。
「砂を……一粒ずつ掴むの?」
ヒルデガルトは当たり前のように返事をする。
「ええ、そうよ?」
他の皆の様子も似たり寄ったりだ。
ヒルデガルトが皆の様子に困惑していると、ジュリアスが解説し始めた。
「普通、そんな細かな制御はしないんですよ。術式を発動させるだけなら、もっと大雑把な制御で事が足りますから」
(そうなの?!)
――グランツのカリキュラムの基準は術式が成功するか否かだ。魔力制御の精度は考えられていない。
驚くヒルデガルトに、ジュリアスが説明を続ける。
「力の弱い五等級であれば、砂を持ち上げるだけで精一杯なのでできる者はそれなりにいるでしょう。ですが、俺たちのように三等級以上の魔力でそれをやるのは、相当な集中力が要求されるんです」
ヒルデガルトは小首を傾げていた――ピンと来ていないのだ。
その様子を見て、ジュリアスは噛み砕いた説明を試みる。
「魔術を発動するのに必要な魔力制御の精度を、手桶で水を汲むくらいだと仮定します。対して、砂を一粒持ち上げるのに必要な精度は、匙で水を汲むようなものです――これは実際にやって見せた方がよさそうですね。クラウディア様、試しに砂時計の中の砂を動かしてみてください」
全く理解していないヒルデガルトの様子を見て、途中で噛み砕くことを諦めたジュリアスから、突然指名されたクラウディアが「私?!」と素っ頓狂な声を上げた。
ヒルデガルトも、呆然とクラウディアを見ている。
(ルールを理解したクラウなら、すぐにできるんじゃない?)
その期待に満ちた眼差しを受けて、クラウディアは「い、いいわよ! やってやろうじゃない!」と意気込んで砂時計に集中する。
皆の視線が砂時計に集まる中、クラウディアの額に汗が滲む。一分ほどして、砂の塊がふわり、と浮き上がった。
「……え? 大抵のことは卒なくこなせるクラウでもこうなの?」
ヒルデガルトは、空中に漂っている砂塊を唖然と眺めていた。どうみても百粒以上はある。
ジュリアスがその様子を見て、ため息を吐いた。
「少しはこの鍛錬法の異常性を理解しましたか? 俺やヒルデガルト嬢のような特等級で砂一粒単位の魔力制御など、針先で絵画を描くようなものなんですよ」
(針先で絵画……どんだけ精密な作業なの……)
想像したヒルデガルトの顔が歪んでいた。
「わたくし、そんな非常識なことをしてたんですの? でもジュリアスだって最初から粒を動かすことはできてたじゃない?」
周りから「ジュリアス様と一緒にしないで欲しい!」と抗議の声が上がった。
(うん、まぁお父様が「魔術の天才」と認めるくらいですものね……)
ジュリアスとて、最初はヴォルフガングからこっそりマンツーマンで一時間ほど手ほどきを受けていた。だがそのことをヒルデガルトは知らない。
ジュリアスは砂時計を振りながら、今後のプランを提案してきた。
「まず、俺たちと同じことは、すぐにはできるようにはなりません。なので、もっと簡単な課題にしましょう。つまり、”砂を一粒持ち上げる”。これなら、一か月もあればできるようになるはずです」
(それでも一か月もかかるんだ……)
しばらく皆は沈黙していた――その気まずい沈黙を破ったのは、やはり闘志に燃えるクラウディアだった。
「……やるわ! ヒルダの隣は私のものよ! 誰にも譲らないんだから!」
ルイーゼやエミリたちも「しょうがないわねぇ。付き合ってあげる」「これで魔術が上達するなら、損はないものね」と乗っかってきた。
ジュリアスがフランツ王子に向かって振り返る。
「殿下はどうされますか? この中では、あなたが一番大雑把だ。そしてこの技術は、王族に要求されるものでもない。無理に付き合う必要はありませんよ?」
だが、フランツ王子は不敵に笑った。
「この俺が、クラウの傍から離れるわけがないだろう?」
と、平然と言ってのけた。
先ほどまであれほど嫌がっていたのに、見事な変わりようだ。
その姿に、ヒルデガルトは羨望の眼差しを送っていた。自分にも、自分をここまで想ってくれる人ができるだろうか、と。
そんなフランツ王子の頼もしい態度を受けて、ジュリアスもニヤリと笑った。
「いいでしょう――サポートは俺とヒルデガルト嬢がやります。放課後、居残りをして特訓しましょう」
****
放課後、早速全員で集まり特訓を開始する。
その前にヒルデガルトはウルリケにも事情を説明し、しばらくは一時間遅れて迎えに来てくれるよう頼んだ。
「いえ、定刻通りに馬車を回し、待機いたします。お嬢様はお気になさらず」
と、ウルリケは頑なに譲らなかった。何が起こるか分からない。予定時刻前に帰らねばならない事態だって考えらえる。彼女の職務は「ヒルデガルトを無事邸まで送り届ける事」である。
「殿下とノルベルトは俺が見ます。他はヒルデガルト嬢が面倒を見てあげてください」
「はーい」
ジュリアスの発言とヒルデガルトの暢気な返事を皮切りに、皆が目の前の砂時計に集中し始める。
「あー! まただめだー!」
「うぐぐぐ……」
「本当にできるようになるのかしら」
「やってやる! やってやるわ!」
銘々の声が上がる。ヒルデガルトの想像以上に苦戦を強いられていた。
「クラウ、力を入れすぎよ? もっと繊細に魔力を扱わないと……」
「そう言われても、力が入っちゃうのよー!」
涙目でクラウディアが訴える。彼女は一等級だ。魔力が強い人は大変なんだなと、ヒルデガルトは特等級の自分を棚に上げて思っていた。
そのうちヒルデガルトは思った――最初のうちは、微細な魔力制御の感覚がわからないのかもしれない。つまり、成功体験が不足しているのだ。
頭をよぎった方法を脳内でシミュレートしていく。
(感覚を覚えさせる方法……うーん……これでいけるかな?)
ヒルデガルトは、その脳内のイメージ通りに実行することに決めた。
「いい? こうするのよ?」
ヒルデガルトはそう言うと、自分の魔力をクラウディアに流し込み同調させていく。
クラウディアから「えっ?!」と驚きの声が上がった。
ヒルデガルトはそのまま、クラウディアの魔力を使って砂を一粒持ち上げて見せた。
「ほらね? このぐらいの力加減よ」
クラウディアとジュリアスが唖然とヒルデガルトを見ていた――何が起こったか、正確に把握しているのはジュリアスだけだろう。
周りの皆はクラウディアの砂時計の中身を見て「あら、クラウもできるじゃない!」と声を上げていた。
ジュリアスが強張った顔でヒルデガルトに質問する。
「……ヒルデガルト嬢、その術式をどこで覚えました?」
ヒルデガルトはきょとんとした顔で応える。
「術式? ……ああ今のはね、ベルト様との駆け引きを思い出したから、やってみたのよ」
ノルベルトから「俺との?」と声が上がる。ピンと来ていないようだ。
ヒルデガルトが自分が何をしたかの解説をする。
「お父様の出した腕相撲の課題もそうでしたけど、ベルト様との対戦はいつも、相手の力に合わせて自分の力の強さを制御することだったでしょう? 同じ要領で、相手の魔力の波長に合わせて、自分の魔力の波長を同調させたの。同調してしまえば、相手の魔力も自分の意志で動かせそうな気がして」
魔術とはイメージだ。”できそうな気がする”というのは大切なファクターである。
ヒルデガルトは感覚型の魔術師に類するのだが、だからと言っても限度があると、ジュリアスは思った。
ジュリアスは眉間を手で押さえて悩んでいた。
「あなたが非常識なのは理解していたつもりでしたが」
と、二の句が継げなかった。これは本来、かなり高度な術式だ。それを術式を知らぬまま、フィーリングのみで発動させやがったのだ、この非常識娘は。
クラウディア以外の皆は、まだ理解できてない。「そんなこと、できるのか?」などと口走っていた。
クラウディア本人は「私の魔力が、ヒルダの魔力と同調してる!」と恍惚としていた。
(……そこではなく、砂粒を持ち上げたことを喜んで欲しい)
さすがの非常識娘も、これには頭が痛くなって眉間を抑えていた。
ジュリアスはヒルデガルトに突っ込みたい数々の言葉を飲み込んだ――この術式はジュリアスもまだ習得していないが、応用させていくと高いリスクもあると聞く。その諸注意は、ヴォルフガングがするだろうと期待した。
「……言いたいことは山ほどありますが、理屈は俺も理解しました――殿下、ノルベルト。三日ください。ヒルデガルト嬢と同じことをできるようにしてきます。それまでは口頭でサポートしますので頑張ってください。ヒルデガルト嬢は引き続き他のみんなのサポートを」
「はーい」
ヒルデガルトの暢気な返事に、ジュリアスのこめかみと頬がピクリと震えた――考えたら負けなのだろう。
ヒルデガルトはクラウディア以外の三人にも、同じように魔力同調で力加減の感覚を教えていった。
「え、こまっか! こんな細かいの?!」
「うわ……手桶と匙……」
「……なるほどねぇ。こんな感じなのね」
「ヒルダと! 同調! してる!」
(……約一名、あとで叱っておかないといけないかもしれない)
ヒルデガルトは、やはり眉間を指で押さえながら、どう叱ろうかと考えていた。
その後ろから「誰が同時並行してやれと言いましたか……」と、同じく眉間を抑えながら呆れた声を上げるジュリアスが居た。
(だって、『蜃気楼』の多重自律行動に比べたら、このくらいは簡単なんだもの)
ヒルデガルトは開き直った。”できるものはできるんだし、みんなの助けになるならいいじゃない?”と。
「初日はこの感覚を、体に覚えこませることからはじめましょう。感覚を覚えたら少しずつわたくしの補助を抜いていきますから、自力で粒を持ち上げるまで頑張りましょう!」
****
「ねぇお父様。他人に魔力を同調させるのって、そんなに難しいことなの?」
夕食の席で、ヒルデガルトはヴォルフガングに聞いていた。
ジュリアスは止めてこなかったから危ないことではないと思うのだが、念のため確認しておきたかったのだ。
ヴォルフガングは目を瞠っていた。
「お前、もうそんなことができるようになったのかい?」
と、驚きを隠せないようだった。
彼の予定でも、もう少し後に教える術式だった。
「それなりに高度な術式だよ。物質に付与された魔力に同調するのはそれほどでもないが、生身の人間に同調するのはとても難しいんだ。特に魔力の強い相手に同調するのは、魂の反発力や防衛力も強く作用するからね」
魂の反発力や防衛力――確かに、何か壁のような手ごたえをヒルデガルトは感じていた。
ヴォルフガングが、この術式で一番大切なことを告げる。
「この術式を突き詰めていくと、相手の心や体を意のままに操ることすらできるんだよ」
(あら、思ったより怖い魔術でしたのね……)
「そんなに怖い魔術なら、もう使わない方がいいのかしら」
ヒルデガルトは肩を落とした。
だがヴォルフガングはそれを笑い飛ばす。
「そこまで怖がるほどでもないさ。心を操るためには精神に、体を操るには肉体に同調して支配しなければならないからね。このあたりは肉体強化術と同じような理論で到達できるものではあるが、より一層難しいものだ」
いくら非常識娘と言えど、一朝一夕でできる芸当ではない、とヴォルフガングは見ている。その為の研鑽を長く続けなければ、身に着けることはできないだろう。
「肉体強化術と同じ、ということは、魔力から精神や肉体に作用する流れの事ですね」
ヴォルフガングは頷いた。
「ああそうだ。治癒魔術も同じ系統に属するね」
「お父様、肉体や精神を支配できるなら、魂も支配できるものなのですか?」
人間は魂、精神、肉体で構成されている、というのが現在の魔術理論だ。
「魂を支配するためには、魂の根源、人間を人間足らしめているものに触れなければいけないんだ。これは人の範疇を大きく超える魔術だ。いくらお前でも、そう簡単にできることではないよ」
魂の根源……そんなものを支配できるとしたら、それは神の御業といってもいいのではないだろうか。そうヒルデガルトは考えた。
ヴォルフガングが言葉を続ける。
「それに、魔力を同調させる程度であれば、信頼関係のある師弟間で行われることもある。感覚を教えるには、これが一番手取り早いからね」
(信頼関係――私とクラウたちの間にはあると思うけど、見ず知らずの人に対して行うようなものではない、ということかな)
ヴォルフガングは支配する理論は知っていた。さすがは元筆頭宮廷魔術師、というところだろう。
だがそれならば、実践もできるのではないか――ヒルデガルトは興味がわいて、恐る恐る聞いてみる。
「お父様は、相手の心や体を支配することはできるんですか?」
ヴォルフガングはニヤリと笑った。
「条件付きだが、できなくはないね」
相手の体力や精神力を相応に弱らせた後でなら、ヴォルフガングにも可能だった。かつて戦争中に使ったこともあるのでそれは確かだが、表で言えることではなかった。
(できてしまうのですね……)
しかし、ヴォルフガングほどの魔術師ですら発動に条件が必要な本当に難しい術式なのだ。ヒルデガルトが”できちゃいました”で使えるとは思い難い。だが念のため、戒めておく必要がある。ヴォルフガングはヒルデガルトを窘めた。
「だが、そういった術式は邪法と呼ばれ、忌み嫌われている。理屈は知っていてもいいが、使うのはやめておきなさい」
ヒルデガルトはその言葉を噛み締めた。
(邪法……使ってはいけない魔術ですね)
「はい、わかりました。心します」
理屈を知っていてもいい、というのは、相手に使われたときに対抗することができる、ということだ。
ヴォルフガングは、ヒルデガルトが自分の身を守ることができるように、教えてたのだ。
彼女は食事をしながら、「もし術式をかけられたらどう対抗するか」に思いを巡らせていた。




