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5.恋の病

「アルマ! こっちこっち!」



 懐かしい声がわたしを呼ぶ。

 凛々しくて美しいわたしの友人。一年前まで同じ学校に通っていたバチルダだ。今はヴェルナーと同じ魔術騎士団で働いている。



「久しぶり! 相変わらず元気そうだね」



 彼女に会うのは実に半年ぶりのこと。互いに忙しく、時間が取れなかったのがその理由だ。

 今日はこの店で、夕飯を一緒に食べる約束をしている。



(本当に、懐かしいなぁ)



 学園で毎日顔を合わせていた日々が想い起される。ついつい笑みが零れた。



「アルマも! 元気そうで何よりだよ。

まぁ、こっちはあんまり久しぶりに会ったって気がしないんだけどね」


「え、なんで?」



 それは思わぬ返事だった。どうやら感傷に浸っていたのはわたしだけらしい。シュンと肩を落としていると、バチルダは「違う違う」と首を横に振った。



「あんたの旦那――――ヴェルナーからいっつもアルマの話を聞いてるもの。あんだけ聞かされたら、誰でもアルマに会ってる気分になるって。多分、うちの団員は先輩達も含めて、私と同じ気持ちだと思うよ?」



 揶揄するような笑み。あまりの恥ずかしさに、頬が熱を帯びた。



「それ……冗談だよね?」


「ホント、ホント。あいつ、口を開けばアルマのことばっかりでさ。あまりの惚気っぷりに独身の先輩たちに嫉まれて、訓練メニューを増やされてるんだけど、全っ然めげないの。寧ろ喜んでる感じ? あそこまで行くと感心するよねぇ」



 ティーカップを片手に、バチルダはニヤリと瞳を細める。



「ふぅん……そっか。そうなんだねぇ」


「『そうなんだねぇ』……って、何だか他人事みたいだなぁ。こっちは結構迷惑してるってのにさ」



 ピンとおでこを弾かれ、わたしは思わず苦笑を漏らす。バチルダは不満げに唇を尖らせると、やがて小さくため息を吐いた。



「今日の宿直当番を決めるのだって大変だったんだよ。あいつ『アルマのことが心配だ! 代わって欲しい』って騒ぐんだもん」


「……え?」



 思わぬ情報に目を丸くすれば、バチルダはわたしの顔をそっと覗き込んだ。



「ヴェルナーが言ってたよ。アルマがいつもより元気無いし、食欲も無いし、いつも上の空だから、すごく心配だって。


『何か嫌なことがあったんじゃないか、だけど俺には何も話してくれない。せめて側に居てやりたいんだ』


――――だってさ」



 困ったような笑顔。その向こう側にヴェルナーが見えて、胸が震えた。



(心配、してくれてたんだ)



 いつも一緒に居るのに、全然気づかなかった。わたしに気を遣わせないよう、普段通りを装ってたんだろう――――そう思うと、重苦しかった胸が、少しだけスッキリした気がする。



「ねぇ……もしかして、今日誘ってくれたのもヴェルナーの差し金?」


「まあね。『アルマの側に居て欲しい、話を聞いてやって欲しい』って泣きそうな顔で頼まれちゃ断れないでしょ?」



 バチルダはそう言ってクスクス笑う。



「もちろん、私がアルマに会いたかった、ってのもあるけどね。ヴェルナーの奴、いっつもアルマを独り占めしてるんだもん! あいつが当直のタイミングとかじゃないと会えないからさ。

全く、離れている時間が愛を育むって言うのに、いっつも一緒にいるんだから」


「そうだね……そうかもしれない」



 バチルダに会わなかったら、仕事中のヴェルナーの様子や、彼がわたしを心配しているんだって知ることも無かった。それに、久しぶりのお喋りの影響か、幾分元気になったような気がする。



(ヴェルナーに感謝しないと)



 今頃、仕事を頑張っているであろう夫を思うと、自然と笑みが込み上げた。



***



「いつもありがとう。

ごめんなさいね、こんなに頻繁に来てしまって」



 美しい微笑みを湛え、そんなことを口にするのは、この町の領主の娘であるイゾルデさまだ。

 初診の日から二ヶ月。週に一度はこの診療所に来て、治療を受けていらっしゃる。お薬はたっぷり二週間分は出しているので、対症療法と話を聞くのがメインだ。



「いえいえ。こちらこそ、力が及ばず申し訳ございません」



 魔法で血の巡りを良くしつつ、わたしはゆっくりと頭を下げる。

 もしもわたしがもっと優秀だったら、イゾルデさまはこんなに頻繁に治療を受ける必要はない。そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。



(だけど、診る限り、イゾルデさまの身体の状態はそこまで悪くないのよね……)



 魔力量や適正にもよるけど、魔術師は人間の身体に流れる『気』を見ることが出来る。そこから、病の原因を探ったり、治療を行っている、というわけだ。


 だけど、私から見て、イゾルデさまの身体は健康な人間と大して変わらない。


 恐らくは気持ち――――心の問題なんだと思う。とはいえ、『心』が人間の身体に及ぼす影響はかなり大きい。睡眠不足も食欲不振も血行不良だって、放っておいたら別の病気の原因になる。

 だから、こうして治療を受けていただくこと自体は全く問題ないのだ。



(だけど……不甲斐ないなぁ)



 イゾルデさまはいつも『ありがとう』って笑ってくださる。だけど、もしも所長や先輩方が治療をしていたら、こんな風に何度も足を運ばせずに済むのかもしれない。そう思うと、自分で自分が情けなかった。



「あの、宜しければ他の魔術師をご紹介しましょうか? わたしの他にも女性の魔術師は居ますし、彼女達の方が経験も豊富なので……」



 普段ならば『失敗を恐れず、とにかく経験を重ねろ!』と怒られる所だけど、相手は領主の娘様だ。腕の良い魔術師が担当して然るべきなので、提案したところで誰からも文句は出ない。寧ろ遅すぎたぐらいだ。



「まぁ……! そんなことを仰らないで? わたくしはあなたに治療をお願いしたいのよ」



 そう言ってイゾルデさまは穏やかに目を細める。ついつい護ってあげたくなるような、愛らしく品のある笑みに、胸が震える。



(孤児院出身のわたしには、こんな表情は出来ないなぁ)



 意味もなく覚えた劣等感に、わたしは思わず頭を振った。



「ですが、わたしは現状何の力にもなれていませんもの」


「そんなことないわ。わたくし、本当に感謝しているのよ? アルマさんに魔法を掛けてもらうと、身体がとっても楽になるもの」



 そう言ってイゾルデさまは、わたしの手をギュッと握る。甘い香りがふわりと漂い、反射的に息を呑み込んだ。



「だけど、イゾルデさまの不調の原因を、わたしは見つけられていません。原因を取り除かなければ、不調は繰り返しやってきますから。

……あの、個人的な事に立ち入るようで恐縮なのですが……何か心当たりはありませんか? もちろん、言いたくなかったら答えなくても構いません。ただ、少しでもイゾルデさまのお役に立ちたくて」



 この二か月間、ずっと温めていた言葉を思い切って口にする。

 イゾルデさまはほんのりと目を丸くすると、ややして口の端を綻ばせた。



「そう……そうね。だったら少しだけ、わたくしの話を聞いてくださる?」



 そう言ってイゾルデさまは声を潜める。彼女は困ったように微笑みながら、小さく首を傾げた。



「これまで誰にも話したことが無かったの。あなたにだけ、お話しするわ。

……わたくしの体調不良はきっと――――恋の病に侵されているからだと思うの」



 イゾルデさまの言葉に、わたしは思わず息を呑む。もしかしたら、って思っていなかった訳ではない。女性にとって恋愛が与える影響は物凄く大きいもの。だけど、いざ面と向かって言われると、いささかビックリしてしまう。



「そうでしたか……。だけど、イゾルデさまのお相手ですもの。さぞや素敵な方なんでしょうね」


「もちろん! 強くて優しくて、とっても素敵な方なの。

それに、わたくしだけに見せてくれる笑顔がすごく愛らしくて……一緒に居ると幸せな気分になれる男性なのよ」



 イゾルデさまはそう言って、キラキラと瞳を輝かせる。その表情があまりにも魅力的で『恋をしている』っていうのは、こういう状態のことを言うんだなぁ、なんて思ってしまった。



「――――お聞きする限り、お相手の男性はイゾルデさまを慕っていらっしゃるご様子。それなのに、どうして恋煩いを?」



 イゾルデさまはわたし達平民とは違う。お相手は当然、彼女に見合った高貴な方だろうし、気軽に恋ができる環境にはない。将来が約束されていて然るべきだ。それなのに、彼女がどうして悩んでいるのか、全く見当が付かなかった。



「それがね…………彼は既に結婚をしていて、奥さんがいるの」



 か細い呟き。その声が心なしか震えているように聞こえて、切なさに胸が痞えた。



「――――お相手は幼馴染だそうよ。まだ若いのに、焦って結婚を決めてしまったんですって。彼からその話を聞いた時、わたくし思わず泣いてしまったわ。もしも出会う順番が違っていたら――――ううん、せめて彼が結婚を決める前に出会えていたら良かったのに、って」



 イゾルデさまの感情が、わたしの心に流れ込んでくる。重くて冷たくて、とても苦しい。上手く息が吸えなくなって、わたしは眉間に皺を寄せた。



「彼は……彼もわたくしのことを愛してくれている。だけど、優しいから奥様と別れることが出来ないの。

初めはそれでも構わないって思っていたわ。彼が一番に想うのがわたくしならそれで良いって、ずっと自分に言い聞かせていたの。だけど……」


(どうして?)



 胸が軋み、強く痛む。身体中がザワザワと騒めき、掻きむしりたいような衝動に駆られる。今すぐこの場から逃げ出したい――――怖くて不安で堪らなかった。

 だけど、そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、イゾルデさまはわたしの両手をギュッと力強く握る。



「だけどね、もしもわたくしが彼の妻だったら……そう思うと悲しくなるのです。

わたくしなら、彼の夢を叶えてあげられる。彼の能力に見合った職場や役職を用意してあげられるし、身分だってそう――――爵位が得られるよう働きかけることも出来るのに、って」



 ドクン――――

 そんな嫌な音を立てて、心臓が鳴り響く。



「わたくしは彼を――――ヴェルナーさまを幸せにしてあげたいの」



 宝石みたいな美しい瞳を潤ませ、イゾルデさまはわたしのことをじっと見つめている。目の前が真っ暗になった。

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