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3.香

 仕事を終えて帰宅した後、わたしは勢いよくベッドに寝転がった。

 いつもはすぐに夕食の支度を始めるんだけど、残念ながら今日はそんな気力がない。



(何でだろう)



 特別に疲れる要素があった訳じゃ無いのに、身体が怠くて動かなかった。恐らくだけど、昼間の所長からの助言が時間差で効いたみたいだ。



(弱っちいなぁ)



 あんな愛ある指導にすら傷つくようじゃ、この先の人生やっていけっこない――――そう分かっているのに、さっきからずっと、自分の悪い部分ばかりが気に掛かってしまう。胸のあたりが鉛みたいに重たくて、ひどく気持ちが悪かった。



(それにしても、すごく……綺麗な人だったなぁ)



 先程診察した美しい女性――――イゾルデさまは、この町の領主の末娘なのだという。本来なら、診療所に赴くことなく、自由に魔術師を呼びつけられるお立場だけど、ご両親に体調が悪いことを隠しているらしい。お忍びで町までいらっしゃった。



(だけど、気鬱の治療って難しいのよね)



 怪我のように、病の原因が見つけやすい場合はまだ良い。原因を取り除いてしまえば、大抵の治療は上手くいくし、回復も早い。

 気鬱の原因が身体にある場合も同様だ。


 だけど、原因が心にある場合、魔術ではまず見つけることが出来ない。根気強く原因を探る必要があるし、治療法だって限られている。魔術師にできることは、身体の方に働きかけて、症状を和らげてあげることぐらいだ。


 取り敢えず今日の所は、症状の出方や頻度を確認し、魔法で血の巡りを良くしてから、いくつか薬を処方することで診療を終えた。



***



『まぁ、あなたはとても優秀な魔術師なのね!』



 そう言ってイゾルデさまはニコリと微笑む。だけど、わたしは寧ろ情けない気分だった。



『いいえ、こんなことしか出来ず、申し訳ございません』



 本当は、ゆっくりと話を聞きながら、原因となる『何か』を探った方が良いと分かっている。だけど、相手は貴族の御令嬢だし、診察を開始したばかりのわたしが、おいそれと立ち入るわけにはいかない。わたしにできることは限られているんだって、思い知った気がした。



『そんなことはないわ。あなたはわたくしの話を聞いてくださったし、こうしてお薬も準備してくださった。身体も何だか軽くなったし、とても感謝しているのよ?』



 爪の先まで綺麗に手入れをされた真っ白な手のひらが、わたしの手をそっと握る。ひやりとした感触に、身体がビクリと震えた。

 彼女の存在そのものが、花のように儚く美しい――――ふわりと香る甘い香りが、そんなことを感じさせる。



『またお会いしましょう? 次もまた、あなたにお願いしたいわ。アルマ、さん?』





「……ルマ、アルマ!」



 ハッとして目を見開く。見れば、極間近に夫であるヴェルナーの顔が迫っていた。



「へ? あっ……えぇ、と、ヴェルナー?」



 頭に中がこんがらがって、イマイチ事態が呑み込めない。何度か目を瞬きつつ、わたしは小さく首を傾げた



「さっきから何度も呼んでたのに、本当に気づいてなかったの?」



 ヴェルナーは目を丸くしたまま、わたしのおでこに手のひらを当てる。どうやら心配してくれているらしい。申し訳なさに顔が歪んだ。



「ごめんね、全然気づかなかった。わたし、知らない間に寝てたのかな?」


「いやいや、目は開いてたよ。ずーーっと変なところ見てたけど」


「……そっか」



 呟きながら、ゆっくりとベッドの上に起き上がる。すると、ヴェルナーはすかさずわたしのことを抱き締めた。



「ただいま、アルマ」



 優しい笑顔。慈しむように頭を撫でられ、あまりの心地良さに目を細める。



「うん……おかえり」



 ヴェルナーの背中に腕を回し、肩口に顔を埋める。その途端、ふわりと汗の香がして、眉間がじわりと熱くなった。



(疲れてるのかな?)



 いつもはこんなこと無いのに、今日は何だか様子がおかしい。人肌恋しいというか、妙な安心感を覚える。

 ヴェルナーにバレないようにそっと目尻を拭ってから、わたしはもう一度、今度は彼の胸に顔を埋めた。



「なんかヴェルナー、今日は汗臭いね」


「えっ? あぁ……ごめん! 結構扱かれたから、いつもより汗搔いたかも。気に障る?」



 ヴェルナーは焦ったように腕を持ち上げ、自分で自分をクンクン嗅ぐ。その様子が何だか可笑しくて、思わず笑い声をあげてしまった。



「ちょっ……アルマ? 大丈夫? 俺のこと、嫌いにならない?」


「うん、大丈夫。寧ろ、ヴェルナーの臭いって感じがして落ち着く」



 そう言って頬擦りをしたら、彼は嬉しそうに微笑んだ。



「ごめんね、ご飯の準備今からなんだ。お腹空いてるでしょう?」


「大丈夫。っていうか、疲れてるんだろう? 今日は俺が準備するから、アルマはここで休んでて」



 そう言ってヴェルナーはわたしの頭をポンポンと優しく撫でる。次いで頬っぺたにチュッて口付けられた。



「でも」


「でも、じゃない。

夫婦なんだから、助け合うのは当たり前だろう?」



 いつもと同じ屈託のない笑み。だけど、普段わたしに甘えてばかりのヴェルナーが、今日は何だかとっても頼もしかった。

 胸のあたりがポカポカと温かく、ささくれ立った心が宥められていくのが分かる。



「好きだよ、アルマ。めちゃくちゃ大好き」



 最後にもう一回、ギュッと力強く抱き締められて、わたしはキッチンへと向かう夫を見送った。

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