表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

前編

 深緑と黄金のヒバが交互に植えられた学園の中庭で、私はその陰に立ちつくしていた。もうすぐセルジュがやってくる。


 級友たち3人と歩いてくるセルジュは一際色が肌が白い。夏の強い日差しにそぐわない人だ。気のせいか、陰さえ薄く見える。もうすぐ死んでしまう運命だからそう思うのかもしれない。私はセルジュが溶け消えてしまわないように、急いで彼の前に飛び出した。


「ねえセルジュ、私と夏休みの居残り組にならない?」


 セルジュは驚いて琥珀色の瞳を見開く。私は親友のクラリスを連れていて、彼は級友二人と一緒。みんなの前での、予告もない申し出に驚かない人はいないだろう。しかも私とセルジュは特に親しくはない。


 だけどセルジュはすぐに上品な微笑みに切り替わる。何だかんだいってセルジュは、アッシリア公国の第一王子だから。


「帝国のディアナ姫に誘ってもらえるなんて、光栄だな。僕でいいのなら、喜んで」

「良かった。それじゃ夏季休暇第一期はここに残ってね。楽しみにしてるわ」

「ああうん、それじゃ」


 去っていくセルジュの、病的なほど真っ白な頬が紅潮していた。暑さのせいじゃなく、少しは私の誘いに反応してくれたからだと思いたい。


「良かったわね、ディアナ」

「ええ」


 私に付き添ってくれていたクラリスが、かわいらしい桃色の唇を綻ばせて笑った。華やかな金髪はふわふわと緩くウェーブしている。主人公らしい、あらゆる人を霞ませる最高のかわいさだ。


 一方の私は、乙女の嫉妬心を誘わない地味な栗色の髪、瞳、18歳にしては小柄すぎる体つきをしている。


 そう、ここは学園乙女ゲームの世界だ。私は前世、日本人のしがない会社員だった。飲み過ぎたある日、無惨にも頭をぶつけて転生したらしかった。


 わりと幼き頃に私は覚醒した。というのも、ひとつ上の兄アンドリューが攻略候補だったからだ。アンドリューは第二皇子であるが故に無能のふりをした天才で、なかなかの闇を抱えたキャラだ。回想シーンで見た、アンドリューの子供時代の苦悩が目の前で起きていて思い出した。


 私は神に感謝した。だって悪役令嬢とかじゃない。私は平穏に帝国のお姫様生活を楽しみ、この学園に来た。


 果たすべきは、主人公のクラリス(デフォルトネーム)の相談役と、闇モードのアンドリューのお世話だ。なおこの学園は各国から生徒が集まるので、15歳以上なら年齢不問、私と兄アンドリューはひとつ違いの同学年だ。


 主人公クラリスは、とある小さな公国の姫ながら隠し持った聖なる力で攻略キャラと恋に落ち、あらゆる苦悩から救っていく。


 私は当然、シナリオに沿ってクラリスとアンドリューがくっつくようにさりげなく誘導してきた。


 兄として見守ってきたアンドリューがクラリスの愛に救われて欲しいし、このルートにクラリスが進めば私は結婚式スチルに登場できる。私のその後はどうなるか知らないけど、そう悪いようにはならないだろうと思っていた。


 今のところすごく順調に、3年間を過ごしてきた。


 たった今、セルジュが夏季休暇第一期に帰ることをやめさせて、命を救ってしまったことを除けば。


 セルジュは、どのルートにおいても夏休みにクラリスが水着イベントで楽しんでいる間に、嵐に巻き込まれて命を落とす。しかも帝国に反乱するための武器輸送に関わっていたという突然のキナ臭い展開の濡れ衣を着させられるのだ。


 それをクラリスが攻略相手と真相を究明することで帝国全土を平和に導き、幸せな結末に繋がっていくのだが、もう未来は何もわからなくなった。なるようになれ、だ。


 私はセルジュに死んで欲しくなかった。だって、好きになっちゃったから。


 学園に入ったときから、死んでしまう運命の男の子を目で追うのをやめられなかった。攻略候補のイケメンたちよりやや色素や影が薄くて、まさに薄幸の美少年であるセルジュは、それでも確かに生きていた。


 私は3年間セルジュを見つめてきた。級友たちと無邪気に笑いあう姿、乗馬の授業で姿勢良く乗りこなす姿、座学の授業で居眠りをしている姿。もちろん、セルジュはクラリスにほのかな好意を示すのみで私には見向きもしなかった。


 だから、私の帝国の姫という立場で、断れないようにセルジュを誘った。この学園では日頃は親しく学生同士を装っていても、いざというときは家門や立場の強さが全てを決める。


 生ぬるい南風を浴びながら、私はセルジュと過ごす夏季休暇に思いを馳せた。


 ◆


 ここ、ビサール帝国学園の生徒は夏休みを一斉に取れない仕組みになっている。1期と2期に分けて、半分は学園に居残り、半分ずつ帰らせる。そこには各国や領地の大事な後継ぎを一定数、学園に人質のようにして反乱を防ぐとかいう帝国の思惑があるのだが、とにかくそういう決まりになっている。


 そして3年生の夏休みに、一緒に居残ろうと誘うのはそれなりの意味を持つ。つまり、卒業前にひと夏の関係を持とうという意味だ。


「さて、これから私とセルジュは貴重な夏休みを一緒に過ごすわけだけど」


 あっという間に、その日はやってきた。何と今日まで私とセルジュは会話もしなかった。学内は平時より閑散としている。私とセルジュは朝食を摂る食堂でよそよそしいながらも合流し、計画を立てる段になった。


「うん、希望はある? 出来るだけ姫に沿うようにするよ」


 大陸の端の小さな公国の王子、セルジュは私に逆らえないという姿勢を見せた。銀色の髪は光に透けて、今にも召されそうに神々しい。


「姫なんて呼び方はやめて。この夏だけは、ディアナって呼んでくれる?」

「……わかったよ、ディアナ」


 セルジュは作り笑顔だろうけど、それでも親切そうに微笑んだ。


「じゃあ、まずは課題を片付けてしまいましょう。遊ぶのはそれからよ」

「遊ぶって、本気?」

「課題が終わったらね」


 セルジュは肩をすくめる。


「帝国の姫が何を考えて僕なんかを指名してくれたのか、僕はまだわかっていない」

「私は、ずっとセルジュを見てたじゃない」

「うん……多分、そうかなとは思ってたけど」


 セルジュの相変わらず白い頬にぱっと赤みがさした。脈なしではなさそうなことに私は気分を良くする。セルジュだって18歳の男子だ。好意があると言われて嫌ではないんだろう。


 だけど、私とセルジュはとりあえず真面目に課題をこなすことにした。学園の大きな大きな図書館に移動した。アーチを描く天井と、ステンドグラスのある図書館には、いくらかの生徒が点在していた。


 私とセルジュのような、にわかカップルは少数派だ。友人同士や元からの恋人たちの居残り組が銘々に席を取っている。


 教師陣から出された課題はかなりの量だった。将来、政治に関わるような生徒のために治世、気象、建築、法律、土木とあらゆる分野を3年間で詰め込み教育される。


「セルジュは集中力あるよね」


 法律に関するレポートの内容に行き詰まり、私は万年筆を置いて、大きく伸びをした。勉強の内容はゲームでは詳しく表現されず、ガチでお勉強するしかないので、結構つらい。いつもギリギリで落第を免れている程度だ。一方のセルジュは、脇役なのに実は優等生だ。実力を隠さなくなった天才アンドリューに次ぐ2位の成績を誇る。


「まあ、ある方かな? 時間は有限だから、がんばらないと」


 ちょっとだけ自分のレポートから顔をあげて、セルジュはそう言った。確かにセルジュの時間は有限――私だって有限だけれど、セルジュが言うと重みが違う。


 セルジュが死ぬまで、あと9日だなあと考えてしまった。ビサール帝国暦、89年獅子の月21日がセルジュの命日だ。こんなに元気にレポートを書いているセルジュなのに。色白すぎるけれど、背は高くてそれなりに体格もいい。万年筆を握る指は細くて長く、手の甲に浮いている血管に生命の不思議を感じた。


「ねえ、レポートは共同名義にしない?」


 思いつきを私は口にする。そういえばそういうやり方もある。共同名義なら、単純に時間は半分になるはずだ。


「うーん、どうかな。ディアナとは意見が合わなそうだから、別々にやった方が早そう」

「何ですって」

「はは、怒った?」


 セルジュはニッと笑ってみせた。初めてこんないたずらっぽい顔を見たので、胸が痛いような苦しいような感じになる。


「冗談だよ」

「そう。セルジュがそんなに冗談が好きとは知らなかったわ」

「ディアナは思ってたより単純だね」


 また挑発するようなセルジュに、今度は口をつぐむ。怒ったふりをしているけれど本当はすごく照れくさくなっていた。




 真剣に課題に取り組む9日間は、恐ろしい勢いで過ぎた。セルジュの予想通り、私とセルジュは意見が合わなかった。その為遊ぶ日数すらも費やして、私たちは共同名義のレポートに取り組み羽目になった。

 それでも議論を重ね、意見をすり合わせ、何とか総論までを書き終えた。


「はあ……終わった」


 私は机に突っ伏して思いきり脱力する。


 セルジュはレポート用紙の束をトントンと何度も机に打ち揃え、私とは違うやり方で完成の満足感に浸っている。その振動が机越しに伝わって、心地好かった。勝利の音だ。


「終わったね」

「途中どうなるかと思ったわ」

「本当に。ディアナが頑固すぎて、こっそり国に帰ろうかと思った」

「それはダメよ!」


 私は慌てて立ち上がる。私の大声が、人気のまばらな図書館に響き渡った。


「あ……ごめんなさい、大声を出して。でもセルジュの国に帰るのはダメ。特に今日は」

「冗談だよ、それにそんな急には帰れないよ」

「うん……そうよね」


 勢いで立ち上がったら、少し目眩がした。私は座り直し、頬杖で頭を支える。


「セルジュ」

「うん?」


 セルジュは9日間一緒に課題をやった結果、少しは私と打ち解けた。3年間かけて仲良くなれなかったのが嘘みたいだ。ゲームのシナリオに忠実に行動していたせいだろうけど。


「今夜、私の部屋に来ない?」

「ディアナが望むなら」


 どんな世界だろうと、今夜私の部屋に来ないかという誘いはまあそんなお誘いだ。セルジュは驚いたことにすぐに承諾してくれた。でも、言ったあとで恥ずかしそうに琥珀色の瞳を伏せる。


 私の偉い身分のせいだろうが何だろうが、とにかく今夜はセルジュと一緒にいよう、そう思っている。ゲームでは今夜がセルジュの命日だ。嵐の中、無理をして船を出航させ、命を落としていた。心配だから、離れないでくっついていたい。



 私たちはぎこちなく資料に使った本の山を片付け、食堂で一緒に夕食を摂った。皆が寝静まった頃に落ち合う約束をして、一度別れる。


 お風呂で今までで一番念入りに体を洗い、上がってから軽い化粧をして私はセルジュを待った。


 すぐにセルジュはやって来た。私の寮の部屋は、帝国の姫という身分なので特別に広い一人部屋だ。


「……広いね」

「そうなの。えっと、チェスをしましょう!」


 緊張感がすごすぎて、私は部屋にあるチェス盤にすがることにした。駒がクリスタルで出来ている、高級品だ。一応、帝国の姫としては嗜んでいる。


「私にチェスで勝ったら、何でも言うことを聞くわ」

「面白そうだね。僕は結構強いよ」


 セルジュは不敵な笑みを浮かべる。この夏休みで、そういう顔も好きだなと思った表情だ。セルジュは、ただ薄幸そうな、親切なだけの青年じゃなかった。私をからかったりする。だけど勉強熱心で優しくて、本当に素敵な人だった。


 前回、兄のアンドリューと遊んであと数手で負ける配置になっていた駒をセルジュが並べ直す。その器用な指先にはやっばりきゅんとした。


「先手はディアナに譲るよ」

「ありがとう」


 有利な先手をセルジュは譲ってくれた。しかし、数手指してからやばいなと冷や汗をかいた。最初は定石通りだけど、無意識にいつかのアンドリューのやり方を取っていた。楽しそうにチェスをするセルジュがすごくかわいいのに、これは勝ってしまう。


「ディアナ、これはわざと負けたよね?」


 チェックの数手前からセルジュは不機嫌になっていた。途中から私が明らかに変な指し方をしたからだ。チェックメイトはおざなりに行われた。


「そんなことない……」


 私は俯いてそう答える。私はめちゃくちゃ雰囲気作りに失敗した。


「こんなのつまらないよ。今日は帰る」

「待って」


 席を立ったセルジュに私は追いすがる。セルジュのシャツが伸びるのもお構い無しにつかまり、帰ろうとするセルジュに全体重をかけて防ごうとした。セルジュは私をちょっと引きずって、諦めたように足を止めた。体格差がかなりあるので、まともな争いにはならない。


 セルジュは大きなため息をついた。


「ディアナがどうしてこの夏休みに僕を誘ったのか、やっぱりわからないよ。僕が安全そうだから? いい思い出を作ってあげられなくて悪いけど、僕に君は無理だ」

「言ったじゃない、ずっと見てたって」


 それが私の全てだ。3年間見てたら好きになってしまった。シナリオを崩してどうなるかわからないけど、セルジュが死んでしまった世界なんて、私は嫌だった。


「お願い、私のこと嫌いでもいいから今日だけは一緒にいて。怖いの」

「帝国の姫ディアナともあろう人が、何か怖いって言うんだ! ちゃんと護衛だっているじゃないか」


 セルジュは少し声に怒気を含めた。私がきちんと説明出来ないから、怒っているのかもしれない。そして護衛は確かにドアの外にいる。ある程度は見て見ぬふりをしてくれる護衛たちだ。念のため賄賂は渡してある。


 そのとき、ちょうど良く窓ガラスが強風によって少し震え、雨粒も打ちつけ始めた。嵐の影響が、この辺りにも来ているらしい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ