十二歳オチャコの恐怖体験
これは去年の夏休みにあった事件。凄く怖かったことのお話。
あたしは、北琵琶学園中等部、一年梅組の一員だった。
八月七日は登校日になっていたから、久しぶりに学校へ行ったの。
・ ・ ・
教室の隅で、生徒たち数人が小さな黒山の人だかりを作っている。
その現場に集まっているのは、武田信健くん、伊達正美音さん、毛利輝母さん、本田勝忠くん、羽柴十吉。最後の一人だけ呼び捨てなのは、七年連続クラスメイトという、古くから顔をつき合わせてきたやつだから。いわゆる「幼馴染み」みたいなものかしら。
あたしは行ってみることにした。十吉が、また変な悪巧みでも話しているなら、とっちめてやらなきゃだからね。
「あんたたち、なに話してるの?」
「おう浅井、今夜肝試しをやるんだ。お前も参加するか?」
そう言ってきたのは武田くん。
あたし、肝試しなんてやったことなくて、チョッピリだけど興味が沸いた。
「それって、どこでやるの?」
「ここだよ」
「へ、ここで?」
「おう。この校舎の二階と三階だけ使って、隠れん坊をやるんだよ」
「隠れん坊!?」
そんな幼稚な! だって、あたしらって、もう中等部生なのだから。
「どうだ、参加するか?」
「でも夜中なんかに、学校へは入らせて貰えないわよ」
「それは大丈夫だ。なあ本田」
武田くんが本田くんの顔を見る。
「うん。僕の母ちゃんって、ここの用務員してるんだけど、責任者として参加してくれるんだ」
知らなかった! あの優しい小夜子さんが、まさか本田くんのお母さんだったなんて。世間って、意外と狭いのね。
突如、別の女子がやってきた。
「皆、おはよう」
「うんおはよ、前田さん」
あたしが代表して挨拶を返した。
前田さんは、おかっぱ頭が似合う大人しい子。下の名前は利代というの。
ここに毛利さんが割って入る。
「ねえオチャコ、肝試しどうする?」
オチャコというのは、あたし、浅井茶子のニックネーム。
親しい女子たちからはそう呼ばれているの。それと男子では十吉からも。それはちょっとウザいのだけど。
「オチャコ、参加するっぴか?」
「そうねえ、大人が一緒なら安心かも。よおし、参加するわよ!」
このタイミングに、前田さんが小さな声で聞く。
「肝試しって?」
「今夜、この校舎でやるのよ。前田さんもくる?」
「え、わたし、怖いのはちょっと……」
あたしは前田さんと、そんなに仲よくはないのだけど、それでも分かる。この子は、肝試しなんて、絶対に参加しないってね。
ここに武田くんが割り込んでくる。
「前田には無理だろうな。あはは」
「うん、そう」
前田さんは笑われても怒らず、素直に認めている。
「そしたら、前田以外の俺たちと、桜組の真田を入れて七人で決定だ」
「えっ?」
「なんだ前田、どうかしたのかよ」
「あの、その肝試し、わたしも参加して、いいですか?」
「おうおう、もちろんだぜ。そしたら八人になって丁度いいじゃないか。二人ずつ四組のペアになって、その一組がオニをやることにしよう」
武田くんがそう決めたから、「学校公認?」みたいな感じで、今夜「肝試し隠れん坊の会」を決行することになった。ちょっと胸ドキだね。
★ ★ ★
夜の七時半を迎えた。そろそろ外も暗くなる頃。
校舎内はもう暗い。一年梅組の教室は二階にあって、今はここだけ照明を点けている。大人一人と、生徒八人が集まっている。
用務員の小夜子さんが、クジを用意してくれていた。
あたしが引いたのは「オニ1」だった。ペアを組むことになる「オニ2」を引いたのは真田大福くん。この男子は初等部四年になった時、東京からこちらへ引っ越してきた。それから六年まで、ずっと同じクラスだった。それで、あたしは彼のことを、「大福くん」と呼んでいるの。
隠れる人、「ヒトA1」、「ヒトA2」が前田さんと十吉。
本田くんと、「テルモっち」というニックネームの毛利さんが、「ヒトB1」、「ヒトB2」を引いて、残りは自動的に、武田くんと、「マサミちゃん」こと伊達さんが、「ヒトC1」、「ヒトC2」に決定。
「よくこんな綺麗に、男女のペアで分かれたものねえ」
小夜子さんが感心している。
こんなにうまく別れる確率ってどれくらいだろうか? 数学の苦手なあたしにはサッパリ分からない。
そして、いよいよ「肝試し隠れん坊の会」が開始となる。
まずヒトたちが散って隠れる。
三分だけ待って、オニの二人がヒト狩りを始める。小夜子さんは教室に残る。
あたしは推理が得意だから、簡単に見つけてやるわよ。ふふふ。
五分くらいで、テルモっちと本田くんペアを、二階にある一年菊組の教室内で捕縛に成功した。
それから三階にきて、また数分のうちに、二年松組の教室内で、マサミちゃんと武田くんを見つけた。ルール上、「オニ」に食べられたことになった四人の「ヒト」は、「あの世」という設定にしている一年梅組の教室へ戻った。
隠れん坊の醍醐味というより、暗い廊下や階段を胸ドキしながら歩く肝試しの要素の方が大きい会なのだと思う。
「まだ捜してないのは、この階のおトイレね」
「そうだな」
「じゃまた、手分けして始めよう」
「オウ!」
二階を捜したのと同じように、あたしが女子トイレ、大福くんが男子トイレを調べた。でも、前田さんと十吉はいなかった。
「あたしらが三階に上がるのを想定して、二人は反対側の階段を使って二階へ下りたんだわ」
「そうかもな」
この学校の校舎は中庭を囲うように、漢字「口」の形をしていて、一周できるようになっている。
あたしらが使った階段は、南東の角にある方だった。
それで反対側、北西にある階段へと進むことにした。
突如、前田さんがこちらに向かって、廊下を駆けてきた。
なんだか様子が変だわ! 事件かしら?
「ああっ、浅井さん、真田くん!」
「オウ、どうした?」
「前田さん、なにかあったの?」
「羽柴くんがいなくなったの!」
十吉め! あいつはケシカランやつだわ。
か弱い女の子を一人にして、どこへ行ったのかしら? すぐ捕まえて、とっちめてやらなきゃね!
前田さんは、「十吉失踪事件」の顛末を話してくれた。
最初は三階の音楽室に隠れたそうよ。いつもなら、使わない時に鍵が掛けられているけど、今夜は肝試しのために、わざわざ小夜子さんが、二階と三階にある特別教室の鍵も開けてくれている。
前田さんはピアノの下に隠れて、十吉は、掃除用具が入っているロッカーの中に入ることにしたらしい。
しばらくじっとしていた前田さんは怖くなって、ロッカーのところに行き、小声で「羽柴くん、わたし怖いの」と言ったのだけど、返事がなかった。
それで扉を開いてみたら、十吉はいなかったのだって。
「ねえ前田さん、十吉がロッカーに入るところ見たの?」
「それは見てないけど、扉が閉まる音は聞こえたわ」
「やっぱりね」
「おい浅井、なにが《やっぱり》なんだ?」
「大福くんも知ってるでしょ。あの十吉というやつは、イタズラ好きのお猿さんみたいな男だってこと」
「アア、そうだったな」
大福くんと十吉だって、初等部の四年から三年間つき合いがあるもの。
「あたしの推理では、十吉はロッカーに入るフリをして扉だけ閉めた後、コッソリ廊下へ出たのよ。教室の引き戸って、ゆっくり慎重に開け閉めしたら音が出ないでしょ。それであいつは、前田さんを置き去りにしたのだわ。許せないね」
「羽柴くん、どこ行ったのかなあ?」
前田さんは怒りもせず、そればかりか十吉を心配するようなことを言った。なんて心根の優しい子なのだろうか。
「どうする浅井、ペアで行動するルールを破ったから十吉は失格だが、それでもまだ捜すか?」
「もちろん見つけて、バッチリお仕置きしてやるわ。あたしの推理では、あのお猿は、一階まで下りて隠れてるのよ」
「それもルール違反じゃないか」
「そうよ。あいつはそういうやつなんだから」
「ヨシ、オレらも一階に行くか」
「うん。前田さんもきて」
「分かった」
あたしたちは三人で、階段を一階まで下りた。
「どこに隠れてやがるんだ」
「きっと先生用のおトイレよ」
「なるほどな」
「大福くん見てきて」
「オウ」
教職員用の男子トイレに、大福くんが入った。
しばらくして戻ってくる。
「羽柴、いなかったよ」
「あっ、あいつまさか!」
あたしは教職員用の女子トイレに押し入った。
一番奥の個室が閉まっていて、鍵が掛かっている。
それで戸を三回ノックした。
「十吉、いるんでしょ! 開けなさい!」
返事はなかった。
それでまた三回、もっと強くノックした。
「こら十吉!! いい加減にしてよ。隠れてるの知ってるんだから!」
そう叫ぶと、個室内で鍵の開く音が鳴った。
扉がゆっくり内側へと開く。
「ええっ、きゃあぁー!!」
あたしは絶叫せざるを得なかった。
絶対に十吉が出てくるものと思っていたのに、中にいたのは、なんと、額から血を流している女の子だった!
前田さんと同じようなおかっぱ頭。彼女の白いブラウスにも血が滲んでいて、赤いスカートを穿いている。
その子が低い声で話す。
「よくも見つけたわねぇ。えへへ、わ・た・し、花子。えっへへへ~」
「ひぃ~!!」
あたしは腰が抜けそうになった。
足がすくんで逃げられない。本当に怖い時って、動けなくなるものなのね。
「わたし花子、いつも学校のおトイレにいるの。えっへへへ~」
「きゃあ! こ、こないで。やめてってば!!」
花子さんがあたしの腕をギュッと握る。
突如、おトイレ入り口の扉が開いて、小夜子さんが駆けつけてきた。
「そこまでよ」
「小夜子さん!」
あたしはようやく動けて、彼女に抱きついた。
「どう、怖かったでしょ。これこそ肝試しの醍醐味よ」
「え??」
「ごめんね。わたし花子じゃないの。本田栄子、勝忠くんの従妹よ。これも本物の血じゃなくて絵具だから」
「そんなぁ~」
あたしは、うまうまとダマされていた訳よ。
小夜子さんも十吉もグルだったわ。もう悔しいったらありゃしない!
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これが十二歳オチャコの恐怖体験。
この先も毎年、八月七日には、額から血を流している花子さんを思い出すことになるのだろうね。はあ~、憂鬱だわ。