第六話
そして凱とお互いの気持ちを確かめ合った日の夕方、結局、凱には今日も泊まっていってもらうようにお願いした。これは私のわがままだった。でもそれは凱を苦しめると気付いて私は思い留まった。
「ねえ、凱、もう帰っちゃうの」
「うん、明日は出張で午前中、名古屋なんだ。だから朝六時半頃の新幹線に乗らないといけないから、自分の家から東京駅に向かった方が楽なんだ」
「嫌だ、凱ともっと一緒にいたいよ。ねえ、今日も泊まっていけないの?」
「う、うん、いや、そんなこと言ってもなあ」
「あ!ごめんなさい。私、大好きな男性とこんな風になるの初めてだから・・・、こんなこと凱に言ったらだめだよね。ごめんなさい」
「いや、いいよ。美央良、分かったよ。今日もここに泊まって行くよ。やっと美央良も本当の自分に戻れたんだもんな。それに今まで君を苦しめたのは僕のせいでもあるし」
「いや、ごめんなさい。やっぱり、いい。そうだ、それなら今日、私が凱の家に行っちゃダメ?」
「そうか、それなら、君もここからよりは会社に出勤するのに楽だね。いいよ、じゃあ、僕の家に泊まっていく?」
「あ、でも私、まだ、今日、あなたとお付き合いするって決めたばかりなのに、いいのかな?」
「いいよ、よし、美央良の準備ができたら行こう」
そして私は初めて凱の自宅にお邪魔した。
「さあ、どうぞ、入って。一人暮らしだから狭いけどね」
「お邪魔しまず」
凱の家はワンルームで言うとおり、本当に狭かった。
「ごめんね、本当に狭いだろ」
「うん、あ、いえ、」
「いいよ、素直で、僕も自分で思ってるから。僕はでもこれで十分だと思ってるんだ。どうせ寝るだけだからさ」
その時、凱のお腹が鳴る音が聞こえた。
「あ、そうだね。晩御飯まだだったね。ねえ、凱、冷蔵庫の中、見ていい。ご飯作らなくちゃ」
「いいけど、ビールとお茶、調味料くらいしか入ってないよ。ほとんど外食ばかりだからさ」
冷蔵庫を見たけど凱の言うとおりだった。
「本当だ」
「いいよ、昨日まで三日間も美味しい美央良の手料理食べさせてもらったから。今日くらい僕がご馳走するよ。外食だけどね、食べに行こう」
「うん、でもいいの?」
「いいに決まってるだろ。僕も高校生以来だからね。女性とお付き合いするのは。それに高校生の時にお付き合いした女性には失礼だけど、こんなに惹かれた女性は君が初めてだから。あ、ごめん、またちょっと気障なこと言っちゃったね」
「本当だよ、また、そんなに見詰めないでよ」
そう言って凱は恥ずかしがる私の肩を抱いてくれた。
「よし、行こう、美央良。何が食べたい」
「うん、何でもいいよ。凱となら何でも、あ、でもお酒だけはダメだよ」
「分かってるよ。よし、それなら、僕が行きつけにしてる近くの定食屋さんでいいかな?」
そして私たちは凱の行きつけの定食屋に行った。
「どうも、シェフ、また来ちゃいました。ごめんなさい、閉店前ギリギリだけどいいですか?」
「あ、どうも凱くん、また来てくれたんだね。いつもありがとう。いいよ、どうせもう他のお客もいないし。凱くんで最後だ。でもいい加減、そのシェフって呼び方止めてくれないかな?そんな呼ばれ方するお店でもないし」
「だってこの店の料理は何でも美味しいから。いいじゃない、僕くらいでしょ、この呼び方してるのは」
「ああ、もういいや。そんなことより、ほら、早く入ってよ」
「うん、実は今日、二人なんだ」
「え!そうなの?ああ、そうか、裕康くんだろ。あの君と違ってかなり暑苦しい」
「ちょっと、シェフ、そんなこと裕康の前で言ったら、あいつのマシンガントークが止まらなくなりますよ。って裕康の話はいいんです。今日は違うんです。裕康も僕にとっては大切なパートナーですが、実は今日はこれからずっと一緒にいたいと心に決めた女性を連れてきたんです」
「ま、まさか!凱くん、あの時、テレビで言ってた女性に再会できたのかい」
「は、はい、実はへへへ、そうなんです」
「それでか。それでそんな嬉しそうなんだ。ほら、いいから早く入ってよ。ほら、その素敵な女性、外で待たせてるんだろ。でもこんな店でいいのかい」
「美央良、どうぞ、入って」
「し、失礼します。うわあ、何か凄く素敵なお店。落ち着きのある、本当にザ・定食屋って感じのお店ですね。私、こういうお店大好きです。あ、すいません、はじめまして、私、島中美央良と言います」
「そう、この人があの時、テレビで思わず自分の気持ちを爆発させてしまった女性。どう、シェフ?」
「うん、凄く素敵な彼女だね。眼鏡が凄く似合ってるね」
「やっぱり、シェフもそう思う。な、これで分かっただろ、美央良、君はもっと自信を持っていいんだよ」
「やだ、もうマスターまで、止めてください。私、褒められるの慣れてないから。凱、恥ずかしい」
「凱くん、美央良さんは外見も素敵だけど、君はどうやら中身に惚れたみたいだね。そうだろ」
「あ、分かりますか?」
「わかるよ。もう雰囲気でね。あ、ごめん、ほら、座ってよ。こんなとこで立ち話はね」
「もう、凱、私の話はいいから。私、早くマスターの料理食べたい」
「美央良さん、マスターはやめてよ。そんな店じゃないから。凱くんのシェフって言う呼び方でくすぐったいと思ってるんだから。こんな可愛い女性にそんな呼ばれ方したら、こっちが照れちゃうよ。おじさんでいいから」
「は、はい、じゃあ、おじさま、私、秋刀魚定食と単品で肉じゃがをお願いします」
「おお、美央良、いいね。ここの肉じゃがは本当に上手いんだよ。でもそんなに食べれる?」
「あ、ごめんなさい、凱。勝手に頼んじゃって。定食だけにするから、頼み過ぎだよね」
「いいよ、残ったら僕が食べるから。シェフ、僕はねいつもの」
「はいよ、おろしトンカツ定食のダブルね」
「な、何?凱、ダブル?」
「ああ、美央良さん、凱くんはここに来る時はほぼ必ず腹ペコの時にくるから、いつもこの定食のトンカツを二枚にしたものなんだよ」
「うわあ、凱って結構、大食いなのね」
「いや、裕康に比べたら少ない方だよ。あいつはさらに上をいくから。あいつなんてダブルで頼んで、その後にまた違う定食頼んで食べるからな」
そして私はこんな感じで凱との初めての外食を楽しんだ。
翌日、私は名古屋に出張する凱を見送るために新幹線のホームにいた。そこで私はこの姿では初めて会う南郷裕康と再会した。
「へえーー、なるほどな。凱、この女性があの日、お前がフランスに行く前にギリギリまで一緒にいた娘か。ふうーーん、ほーーーん」
「ちょっと、裕康、お前、ふうーーーん、とかほーーーーんとか、美央良に失礼だろ」
「あ、ごめん。でもお前が惚れるのも納得だなと思ってな。これだけ眼鏡が似合う娘もそうはいないからな。俺もそう思うよ。あとは中身だな」
「おい、裕康。お前いい加減にしろよ。美央良は外見だけじゃないぞ。俺が一番惚れてるのは中身なんだから。お前、これ以上、美央良を侮辱するようなこと言ったら許さんぞ」
「はーいはい。分かったよ。冗談だよ。お前の本気度合を確認したかったんだよ。まあ、お前がそんな大怪我した体に鞭打って休みの日まで探し続けていた女性だからな、その時点で十分にお前の本気は分かってたけど。お前のそのムキになり具合を見たらな。良かったよ、これでお前の体と気持の負担は絶対に軽くなるな。美央良さん、ごめんね、失礼なこと言って。俺もホッとしてるんだ。凱がこんなに本気で好きになった女性が見つかって。これ以上、こいつが無理するなら俺もいい加減、鬼になって家に閉じ込めておこうと思ってたから」
「おい、裕康」
「ダメ、凱。怒っちゃダメよ。南郷さんだってあなたのことが心配だから、あなたを想ってのことでしょ。そんなこと凱だって分かってるでしょ。ありがとうございます、南郷さん。私、これから、凱の心身の負担が少しでも軽くなるように凱のこと支えますから。凱も南郷さんも仕事だけに専念できるように。南郷さんもあまり無理はしないで下さいね」
「なあ、凱。お前、フランスに行く前に良かったな。こんな素敵な女性に出会えて」
「ああ、あの時に美央良と出会ってなかったら、多分、俺、途中で諦めて帰ってきてたかも知れないからな」
「美央良さん、これから凱のこと宜しくお願いします。こいつたまに突飛由もないことする時があるけど、見捨てないでやってね」
「おい、裕康。何だよそれ」
「そんな、南郷さん、こちらこそ宜しくお願いします。それに見捨てるだなんて。私が凱に見捨てられないように頑張ります。だって私、凱のこと・・・大好きだから」
「あーあ、さあ、そろそろ時間だ、凱、乗るぞ。そろそろ二人を引き離さないと、せっかく今日は涼しいのに、ここだけ残暑の厳しさがぶり返してきちゃうからさ。ねえ、美央良さん」
「やだ、ごめんなさい、南郷さん。私そんなつもりで」
「じゃあ、行ってくるね、美央良。君も仕事頑張ってね」
「うん、凱も南郷さんも気を付けてね」
そして凱は新幹線の扉が閉まる直前に私にあるものを手渡した。
「美央良、これ、持ってて」
それは凱の家の鍵だった。
「これって?凱の家の?」
「うん、まだ君と過ごした時間は少ないけど、もう君は僕の家族だから。君に持ってて欲しいんだ。宜しくね、じゃあ、行ってくる」
そして扉が閉まり、私は凱の家の鍵を握りしめて、新幹線の流れていく車両を見えなくなるまで見送った。
私は凱たちを見送った後、この姿で久しぶりに会社に出勤した。
「おはようございます、課長。さっちゃん、みっちゃん、おはよう」
私がこの姿で一か月ぶり以上で出勤したことで、課のみんなは驚きを隠せなかった。
「う、嘘だ、何で、何でだ、島中?先週までの島中はどこに行ったんだ。嫌だーー」
「ちょっと課長、そんなに嫌がらないで・・・」
課長の心の声に続いて幸も満留も叫んだ。
「何でよ、何であなたなのよ」
「そうよ、やっと私達、みおちんと仲良く、楽しく仕事してたのに、何であんたなのよ」
でも私は、課長にも幸にも満留にも今の自分を拒絶されても物怖じしなかった。どんなにみんなから拒絶されても怖くはなかった。今はどんな自分でも全て受け止めてくれる凱がいる。それだけで私は強くなれた。
「課長もさっちゃんもみっちゃんも、そんなに嫌がらないでよ。私、みんなに迷惑かけないように頑張るから。みなさん、お願いします。課長、今日は私、どんな仕事をしたらいいですか?」
「あ、ああ、どうしようかな?今日は先週までの島中が来ると思って、今日の会議資料の作成をお願いしようと思ってたのに。おい、金屋これ・・・」
「課長、ちょっと待って下さい。それ私に担当させる予定で用意してくれてた作業ですよね。私にやらせて下さい。そうですよね、今までの私のことがあるから信用できる訳ないですよね。分かりました。いいです」
私は会社に来る前に覚悟はしていた、こうなることは。だから会社に来る前に準備していたこれを課長に提出して、私の覚悟を見せた。
「課長、これ預かって下さい。今日のその作業、課長が満足する資料にできなかったら、私、会社を辞めます」
これには課長をはじめ、課の全員が驚愕していた。
「おい、島中、本気か?」
「はい、本気です。今までの私の仕事振りではみなさんに信用されないことは自分でも分かってました。だから今日の私を見て頂いて、信用されなかったら・・・。それくらいの覚悟がないと。だから、お願いします。課長、その作業、私に担当させて下さい」
「分かった。分かったよ。そこまで島中が覚悟してるなら、君に任せるよ」
「ありがとうございます。それでは早速。で、課長、今日のいつまでに」
「そうだな、五時から会議だから、チェックと修正の時間も考えると三時までに行けるか?」
「分かりました。二時半までには課長にお渡しします」
私は早速作業に取り掛かった。その手際の良さに課のみんなは完全に口を空けて私のことを傍観していた。
「みなさん、私のことを見てても自分の仕事は進まないですよ。ほら、さっちゃんもみっちゃんも、定時に帰れなくなるよ」
そして私はこの姿でも先週の自分のように自信に満ちていた。私には凱がいてくれる、もうそれだけで不思議な力が漲っていた。そして私は課長に言ったとおり、二時半に作成した資料を課長に手渡した。
「課長、とりあえずできました。チェックお願いします」
「早!本当にできたのか?また、大事なところが抜けてるとか?ないだろうな」
「課長、そんなことがあったら、その時点で私、机を片づけて出ていきます」
「あ、ああ、分かった。すまん。見せてもらうよ」
そしてチェックが終わり、私は課長に呼ばれた。
「島中、いいか」
「はい」
「いやあ、朝は申し訳なかった。君に失礼なことを言い過ぎた。本当に、この通りだ」
「そんな、課長やめて下さい。頭を上げて下さい。じゃあ、資料の方は」
「いやあ、先週の島中と何ら遜色ないよ。素晴らしい資料だよ。いったい島中、何があったんだ?今までの君では考えられないよ」
「ちょっと、課長。今私に頭を下げてくれたばかりなのに。いきなり私のことをディするんですね、もう!」
「ああ、す、すまん」
「じゃあ、資料の修正はなしでいいですね」
「もちろんだよ」
「じゃあ、課長、はい、こちらもお渡ししておきます。今回の資料に関するバックデータと関連資料もまとめておきました。課長のことですからプレゼンの時に特に必要ないかもしれませんけど。あって困るものじゃないと思うので」
「おお、本当か?おい、本当に島中なのか?」
「もう、課長、いい加減にして下さいよ。よし、課長、あとは私、さっちゃんとみっちゃんの作業を手伝ってていいですか?」
「ああ、宜しく頼む」
「さっちゃん、みっちゃん、手伝うよ。どう?五時までに終われそう?」
幸と満留の顔を見ると必死の形相だった。
「ああ、どうしよう。定時までに終われないよ」
「私もよ。ああ、どうしよう」
「ねえ、二人とも、焦らないで頑張ろう。定時に間に合わなかったら、私が引き継ぐから」
「え、いいの、みおちん」
「いいよ、だって、二人とも予定あるんでしょ。ほら、早くできるとこまでやろう。私も手伝うから」
「何で、何で、そんなにみおちん、優しいのよ。私達、あなたに散々酷いこと言って、あの時、会社辞めたらってことまでみおちんにぶつけたのに」
「だって、あの時は私が二人に迷惑かけてたからじゃない。それにあの時の二人のおかげで私、私」
「な、何よみおちん。何でそんなに笑顔なのよ」
「だって私、初めて彼ができたから。二人のおかげで」
「彼?ってまさか!嘘、それって、千条さんのこと?」
「う、うん」
「ま、マジで!」
「だから、ね、私ね、二人にはもの凄く感謝してるの。ほら、いいから仕事、仕事」
そして幸と満留の作業は私の協力も実らず、定時までには終わらなかった。
「ああ、無理だったか。残業か、仕方ないな」
「そうだね、幸。二人で頑張ろう」
「いいよ、残りの二人の作業は私が引き継ぐって。さっき言ったでしょ」
「でもね、みおちん」
「いいから。私がそうしたいの。だって今、凱も仕事頑張ってるから。それに今日も朝、凱に君も仕事頑張ってって言われたから。もうそれだけで私、頑張れるの。凱の一言一言が私に力をくれるから」
「ありがとう、みおちん。そんな風に言ってくれると私たちも助かる。でもみおちん、凄いね。最高の彼を見つけたね」
「うん、だから、ほら、早く、二人も彼のところに行くんでしょ」
私は幸と満留の残りの作業を引き継いで残業していた。すると携帯にメールが届いた。
「ただいま、今、家に帰ってきたよ。美央良はもう家かな?今日は見送ってくれてありがとう。今日の名古屋での営業は上手くいったよ。返信待ってるよ」
凱からのただいまのメールだった。もうそれだけで私は嬉しかった。
「ごめんね、本当はお迎えも行きたかったけど、まだ私、会社なの、残業で。家に着いたらまたメールするね。でも遅くなるかも知れないから、先に言っておくね。おやすみなさい」
そして私は凱にメールを送ってから一時間後の九時半ごろにやっと仕事を終えて退社した。
「はあ、やっと終わった。ちょっと二人分の残りの作業を一人で分担するのは無理があったな」
そしてビルの玄関を出ると外は土砂降りの雨だった。
「やだ、ついてないな。今日は傘持って来てないし。どうしよう」
ビルの玄関で迷っているといきなり横から男性が現れた。
「きゃあーー、嫌だーー」
「美央良、おい、僕だよ」
「え、凱!凱なの?何で」
「だってまだ残業だってメールが入ってきたから。それにこの雨だろ。もし美央良が傘持ってなかったらと思って」
「やだ、いつから待っててくれたの?」
「メール入ってからすぐに来たから、もう一時間くらい経つかな?」
私は凱のこんな優しさがとても嬉しかった。
「もう、まだ怪我も治ってないのに、無理しちゃダメじゃない」
「だって、こんな遅くまで、心配だったから。それにこの雨だろ。濡れて帰ったら風邪ひいちゃうだろ。さあ、帰ろ。君の家まで帰るのは大変だから、また僕の家に泊まっていけばいいよ」
そして凱は自分のレインコートを私にかけてくれた。
「凱、ありがとう。でも凱が傘だけになっちゃうよ。凱が濡れちゃうよ」
「いいよ、美央良が濡れなければ」
そう言って凱は私の肩を抱き寄せ、相合傘で大通りまで出て、タクシーを拾った。
「お疲れ様、美央良。大変だったね。シャワー浴びてきなよ」
「うん、ありがとう。でも私、部屋着、昨日のしかないよ」
「いいよ、洗いたいなら洗濯機使っていいよ。乾燥機能もついてるから。シャワーを浴びた後はとりあえず僕のバスローブがあるから、それ使っていいから」
私はシャワーを浴びて凱のバスローブを借りて出てきた。
「ねえ、凱、私にはいくら何でも大き過ぎるよ」
私は凱の隣に座ろうと思って近づいたときに大き過ぎるバスローブの裾を踏んで、凱の胸元に倒れ込んでしまった。
「いやっ、あ、ご、ごめんなさい、裾踏んで転んじゃった」
「大丈夫かい美央良。足とか捻ってないかい?」
「う、うん、ごめんね、凱の方こそ、左肩大丈夫だった」
「大丈夫だよ。いいよ、このままで」
「でも、重いでしょ」
「大丈夫だよ。こんなに華奢なんだから。軽い軽い。で、突然だけどさ、美央良にお願いがあるんだけど」
「何?」
「今度の土日さ、美央良と福井県に行きたいんだ。福井県の鯖江市」
「何?何で福井県なの」
「うん、実はまだ美央良には言ってなかったよね。福井県の鯖江市、僕の故郷なんだ」
「あ、そうなんだ。あ!それで凱は眼鏡?なんだね。私も聞いたことがあるよ。鯖江市って確か日本の眼鏡に関連する産業で有名なんだよね」
「そう、よく知ってるね。実は僕の父さんも小さな工場だったけど、眼鏡を作ってたんだ」
「だから、凱も眼鏡なんだね。お父様の跡を継いだ形なんだね」
「父さんも何とか僕に工場を残してくれようと頑張ってたんだけど、無理しすぎてね。それでね、実は今度の土曜日、九月十四日、父さんと母さんの命日なんだ。二人が一緒の日に亡くなるなんて本当に偶然なんだけど。だから是非、美央良と一緒にお墓参りに行きたくて。ダメかな?」
私は凱の気持ちが凄く嬉しくて涙が溢れてしまった。
「グスン、いいに決まってるよ、凱。だってお父様とお母様に私のことを紹介してくれるってことだよね。それって本当に私のことを本気で愛してくれてるってことでしょ。凄く嬉しい。それに凱と一緒に凱の故郷の空気を吸えるなんて」
私は倒れ込んだまま凱に抱っこされていた状態で再び凱に抱き着いた。
「大好き、凱」
「痛い、美央良、ごめん、背中の植木鉢が当たったところの傷、爪が食い込んでる」
「ああ、ごめんなさい」
「良かった。僕も楽しみだよ。もう東京に出てきてから仕事に必死で五年振りなんだ、お墓参りに行くのは。もう裕康には久し振りに行ってくると伝えてあるから」
そして私は九月十四日、凱の両親の墓前にいた。
「父さん、母さん、ごめんね、五年も来られなくて。でも今日は二人に最高にハッピーな報告をしに来たからさ。紹介するね、今、僕が一番大切にしている女性、結婚を前提にお付き合いしている島中美央良さん」
「はじめまして、お父様、お母様、島中美央良です。凱さんに本当に大切にしてもらってます。私、今、最高に幸せです。こんなに素敵な男性に出会えたのはお二人のおかげです。私も凱さんのこと、これから全力で支えていきます」
そして私は目を閉じて手を合わせた。すると私の後ろからすすり泣く声が聞こえた。
「うううーー、母さん、できれば母さんには直接、美央良のこと紹介したかったな。ごめんよ、母さん、僕があの時、ディズニーランドに連れて行かなければ、母さんはあんな事故に巻き込まれることはなかったのに・・・」
凱はそう言って墓前で膝から崩れ落ちた。
「何言ってるの、凱。事故はあなたのせいじゃないでしょ。それにお母様はあなたのせいだなんて思ってないよ。それよりもお母様はきっと自分を喜ばせるために凱が旅行を企画してお金まで貯めて連れてってくれたことを嬉しく思ってたはずだよ。きっと今だって天国できっと、そう思ってる。お母様もずっとそんな風に自分を責め続けてる凱は見たくないと思うよ。他人の私が・・・。お父様、お母様、ごめんなさい。実際の凱の辛さを知らない私がでしゃばったことを言って」
でもそんな私の気持ちをやっぱり凱は分かってくれた。
「ううん、そんなことないよ。ありがとう美央良。誰より僕の幸せを願って育ててくれた母さんのためにも、僕が前向きに生きなきゃダメだよな」
「そうだよ、私にだってそんな生き方を教えてくれたのは凱だよ。そんな私の先生が後ろ向きじゃダメだよ。しっかりしろ、千条凱」
そう言って私は凱の背中を叩いた。
「痛い!美・央・良。傷が、ううーーー」
私は凱の傷を叩いてしまって、凱はその苦しさで蹲ってしまった。
「ご、ごめんなさい、凱、しっかりして」
「あ、ああ、大丈夫、ハハハ、でもありがとう、元気出たよ。まさか父さんと母さんの前でブラック美央良を見せてくれるとはね。本当に君といると楽しいよ」
「お父様、お母様、ごめんなさい。今のは本当の私じゃないんです」
「何言ってるんだよ、今のも美央良だよ。君は本当にいろんな色を見せてくれる。素敵だよ」
「これからもお父様、お母様、宜しくお願いします」
そして私達は今日宿泊する旅館に着いた。
「よかったかな。僕が勝手に旅館で予約しちゃったけど。美央良はホテルの方が良かったかな?」
「ううん、私もホテルより、こんな旅館の方が好きだよ。やっぱり日本人だもん。この方が落ち着くもん」
「明日はどうしようかな?そうだ、明日は海に行こう。どう美央良は日本海を直接見るのは初めてかい?」
「うん、初めて、見てみたい」
「そうか、それなら、まずは海に行って海岸を二人で歩いてみよう」
「うん、何か私何もかもが初めてで嬉しい。それもその初めてがみんな凱と二人でできるなんて幸せ」
「そうか、僕も嬉しいよ、美央良にそう言ってもらえると。よし、海に言った後はお昼食べてから、そうだ!眼鏡の街、鯖江に因んでめがねミュージアムに行こう。あ、やっぱりダメか。仕事の延長線になっちゃうな。僕としたことが、こんな時でも眼鏡のことが頭から離れないな」
「いいよ、全然、大丈夫だよ。だって私を凱と引き合わせてくれたのは眼鏡だもん、私にとって幸運アイテムだもん」
「そうか、じゃあ、そこで美央良に新しく眼鏡選んであげるよ」
「ええ、いいよ。だって私、誕生日でもないから」
「いいから、せっかくの久し振りの里帰りだし。美央良との初めての旅行じゃないか。旅の記念だよ」
「う、うん、ありがとう」
「あ、でも今、誕生日の話が出たけど、美央良は誕生日いつなの?」
「私はね、十一月二十三日、勤労感謝の日が誕生日なの」
「そうか、じゃあ二か月後くらいだね。よし、その日は僕も仕事は入れないようにするから、二人で美央良の誕生日、お祝いしよう」
「本当に!いいの?」
「もちろんだよ」
「嬉しい。誕生日に大好きな凱と二人きりで過ごせるなんて。誕生日に彼氏と過ごすのも初めてだから、楽しみだな。あ、で、凱は誕生日いつなの?」
「ああ、僕はもう過ぎちゃったから。四月二十八日だから、次と言ってもまだ先だよ」
「何だ、そうなんだ。凱の誕生日、お祝いしたかったな」
「ありがとう、来年、楽しみにしてるよ」
そして翌日、私は凱と海岸を腕を組んで歩き、めがねミュージアムで眼鏡をプレゼントしてもらった。
「うーん、そうだな。これなんか美央良に似合いそうだな。でも何かちょっと違うな。何で決まらないのかな?ああ、そうか、なるほど、これだ、よし!」
「何?凱、どうしたの?」
「いや、何でもないよ。そうか、よし、これ掛けてみてよ、美央良」
「うん」
「おお、やっぱり、そうかそうか」
「何よさっきから、自分だけで何か納得したような独り言ばかり言って」
「よし、美央良、この眼鏡にしよう。店員さん、この眼鏡でお願いします」
そして私は凱の両親のお墓参りを済ませ、東京に戻った後も凱との幸せな日常を過ごしていた。