52 決戦
破壊の王である紅の星が再び空へ昇る。
狂おしいまでに、生を吸い取ろうと躍起となった触手が逃げ惑う人々を喰らわんとした時、紅星――王権を身に纏った紅蓮の魔王が、その左手の甲を翳すように掲げると光が溢れ、触手の先端から染み出した油に火が着いたように炎を燃え広がっては、触手はミミズのように暴れながらもすぐに炭化して散っていく。
家々などの建物を掴んでいた八本の手も焼け始め、支える物がなくなっては舗装された地面へ落ちた。
衝撃が地を揺らし、肉からは漆黒の欠片――泥が辺りへ飛び散るとそこから発火を始めが、すぐにそれを包むように紅色の炎が燃え、一緒に静かに消えていく。
『キシャァァァアアアアアアッ!!』
耳障りな獣の鳴き声が黒い泥の塊から発せられる。
様々な野生動物――魔物の顔を模る泥から悲鳴を轟かせていたが、紅蓮の魔王は無感情に大剣を構えて上空から突撃する。
星剣『カーディナル・ディザスター』を振り回し、身体ごと錐揉み回転しながら迅雷の魔王であった肉塊へ突っ込み、蝙蝠のような翼を一つ、切り落とした。
戦の心得のない民でも、軍人である騎士たちにも、その目には残光が尾を引く紅い流星となって映った。
危機的状況であり、もしあの赤い魔王と、この黒い塊となった魔王が殺し合いを始めれば辺り一帯が否応なしに死が撒き散らされると誰もが恐れていたはずなのに、思わずその光景に見惚れてしまい足が止まる。
だが切り落とされた翼も元の黒い泥となって燃え始めると、そこで我に返ったのか再び走って距離を取り始めたのだ。
『アッぐァアア、ナゼ、なぜぇええええええッ!!』
『“勇者の血”は魔王を殺す衝動が常に付きまとう――それを身に受ければ拒絶反応が起きて然るべきだ。……薄々自身の不調や違和感に気づいていたのではないか? それを無視したのならば、その姿はまさに自業自得だろう』
紅蓮の魔王の声が響く。圧のある、心に直接届くようなエコーがかった声に民たちは戸惑いながらもその場から離れていった。
迅雷の魔王の怒声と悲鳴が混ざり、発狂したように新たに生成した触手たちが何本も目の前で佇む紅蓮の魔王に向けて一斉に飛び掛かる。
『泥の中で、触手を操れないものかと試していたのだが……結果、私では無理であった。どうにも、やはり魔法による搦め手は向いていないようだ』
そう言いながら大剣を振り回して触手の先端を叩き返す。どうやら先端部分はそこそこ堅いらしく、火花を散らし金属がぶつかり合う音を奏でた。勇者の血が混ざったゆえに、星剣に対する防御と、転じて攻撃に移すためにそこを重点的に強化を施したのだろう。触手攻撃の第二波が飛んでくる前に紅蓮は左腕を掲げると、光が奔ると同時に触手が再び火だるまとなってのたうち始めた。――内部にて吸われた魔力を燃焼させたのだ。
『そこで私は、吸い取った生命力や魔力を吸収する器官を破壊する事に決めたのだ。それこそが貴様が言っていた『欠片』と呼ばれるものであり、他者の魔力という“毒”を自分のエネルギーに変えている要であると睨んだのでな』
汚泥の内部……広大な闇の海、圧縮された無間の黒――。
明らかに物理法則を無視した独自の空間が形成されていた。
泥の中で溶け込んだ魔力を吸い取る光――鉱石のようなものを紅蓮の魔王は泳いで破壊したのだ。もしあと少し、泥の内部にいたならば、この魔王とて溶かされ始めていたやもしれない危険な状態であった。
『貴様の時間を止める固有能力は厄介だったからな。内側から壊せば時間をかける必要もない』
泥に絡まれた時は焦りはなかったわけではないが、呑まれた後この男は非常に冷静であり、素早くて殺せないならば、中から殺せばいいとわざと身を任せていたのだ。
通常であれば、他者の魔力を身体に受ければそれこそ拒絶反応が起きて死ぬものだ。それを迅雷は泥を介して莫大な量を吸い取っていた。最初こそは上手く変換されていたが、途中からは強い毒素を含んだものとなっていたため身体へ大いに負担が掛かっていた。だが、その身に宿らせた黒い血が正常な思考を奪っていたのだろう。
『毒だけでは魔王を殺すことは不可能だが、痛みは残り続け――いくら痛覚を遮断しようと、身体は不調を訴え続ける。そうすれば固有能力を発動する余裕もないだろう。……あとはトドメを刺せば終わる』
毒であると説明したにも関わらず、性懲りもなく触手を伸ばしてヒトを喰らってエネルギーを奪おうと、左方向に今度は巨大な女性の手を造り出す。手のひらには人体の口があり、並んだ歯とどろりと長い舌から黒の唾液が零れ出す。産まれた漆黒の手は地面を這うように動き、起こそうとした。
即座に炎に包まれる巨腕であったが、
――『吸収』か
対魔王用の勇者の能力『吸収』――それは放たれた魔法を自身の体内魔力へ転換するものだ。
勢いよく燃えた黒い塊であったが、その火すら吸い込んでく。炎の魔法だけでは通じないならばと、紅蓮の魔王が大剣の柄を逆手で握りながら飛び上がった。
身体を反るようにして両手で後ろに回した剣を、体重を乗せ、下へ向かって突き刺すように落下し、強襲する。大剣が巨大な手首に刺さり地面へ着く。堅い表皮に傷が入り、黒い泥が血飛沫のように飛散すると迅雷から甲高い絶叫が発せられる。
そこへ紅蓮は、容赦なく右手から火球を生み出し、射出せずにそのまま押し付けた。ボウリングの球よりもずっと大きな火球が触れると、魔力に変えられ僅かに縮んでいくが、紅蓮の魔王はその手に込める力を増やす。
獄炎が泥を干乾びさせ、飛び散っていた血を堰き止める。
その炎の影響で周囲の温度を急激に――陽炎が見えるまでに上昇させた。
それは直ぐに、予兆などなく唐突に起きた。
魔法を吸収し、魔力に変換する――だが、それを解毒する術がない。さらに、膨大な量の魔力を無理矢理流し込まれ、容量限界を超えてしまえば――。
『グルォオオオオオオッ!?』
灼熱の炎により、泥の表皮は焼け爛れるどころか乾燥し切り、変換途中の魔力に引火しては泥は爆ぜ、煙を上げながら後方へ吹っ飛んだ。――小規模ながら爆発を起こしたのだ。およそ三十ムートほど後ろに浮かび飛び、それからゴロゴロと転がっては民家の一つをメリメリと嫌な音を鳴らしながら半壊させ動きが止まった。
熱された空気が、不快な声が乗った乾いた風となって伝播する。
残された手首から先も、焼けて塵となっていた。
『颯汰もどうやら、わかっていたようだぞ。貴様の判断力と各能力の低下を――それに伴い装甲が脆くなっていった事に。ゆえに拳が届いたのだ』
決して届かないはずの頂に、到達しえない人間の子が、招かれざる客――“誰か”に選ばれた少年があらゆる要素――奇蹟を踏まえて、そこに辿り着いたのだと。
『ナゼ……! 何故ェエエッ!?』
もはや思考も既に失われたかと紅蓮の魔王はそう思った矢先、迅雷は続けてゆっくりと歩みながら言う。迅雷であった肉塊――シドナイはただ一つの疑問以外に考えられず、それを声に出して叫ぶ。
『お、オ同ジダろう? お前モ、魔王デ……、勇者ァァるぉ!?』
泥から迅雷の悲痛な表情が浮かび、求めるように小さな手を伸ばすが、周りから無数の腕が伸び、その手を抑え、中に引き込もうと動いていた。
紅蓮の動きが一瞬だけ鈍り、その声音はどこか哀れに思うような感情が含まれているように聞こえた。
『…………確かに、紛い物という点に関しては同じだろうな。だが、魔王でありながら誰かの口車に乗せられてそれを作為的に取り組んだのは失敗だったな』
プロセスも結果も大いに異なるが、今の迅雷の魔王も、この紅蓮の魔王も相反する二つの力を有している。それなのに何故自分だけがこのような結果となったのだろうかと迅雷は呪う様に叫ぶ。
小さな手を呑み込むように、無数のヒトの手が更にその数を増やして紅蓮の魔王へ殺到する。
狂気に満ちたそれは、今まで喰らった全ての人間の手であった。
仲間を増やそうと、或いはただ本能のままにもっとも凄まじいエネルギーを持つ魔王へと伸びて行った。
あと一寸――全身を鎧う紅蓮の魔王に触れる前に、裁きの鉄槌が振り下ろされた。
巨腕――紅い魔方陣から騎士の腕が召喚される。普段は紅蓮の魔王の動きと連動するそれが、自動で右の握り拳を叩きつけたのだ。
巨拳を持ち上げると、腕の山は黒い果実を地面に投げ入ったかのようにグシャグシャに押し潰されていた。
山羊と海魚の顔を浮かべ、奇声を上げながら、男のゴツゴツとした腕を迅雷の魔王は出現させる。そこに大いにリソースを回したのか、紅蓮の魔王が呼び出した紅く黒い騎士の手甲を纏う腕よりも大きいものであった。
石畳を抉り削りながら直進するシドナイの魔手――それを受け止めるのは騎士の左腕、押されるも、すぐさま黒い血を滴らせながら右腕が合流する。
二つの拳すら飲み込まんとシドナイの腕はさらに生々しく腕を形成する泥の細胞が蠢き、肥大化し始めた。その覆い尽くそうとする指先からギョロリと赤い眼球が生成され、そこからまた熱線が照射されようとしたが、紅蓮の手から投げられた星剣が高速で回転しながら指先を切断していったのだ。
怯んだ隙に、紅蓮の魔王が光のように、闇に向かって突き進む。紅い閃光を近づかせまいとシドナイの無数の瞳――本体や、紅蓮が通る空中の真下に伸びていた腕からもギョロリと目が浮かんでは、熱線が周囲に向けて照射されてから建物を焼き切って崩しながら、刹那に迫りくる紅蓮を撃ち落とそうと何十何百の光が集まっていった。
だが、その集まる無慈悲な破壊の光よりも速く、紅い光はすり抜けていく。
そこへシドナイはすぐに光線を狙い撃つ形から、置く形へと変える――足元から伸びる光は敵をこれ以上進攻させまいと阻む光の結界となった。高速でそこを通り抜ければ焼き切れる光線の壁だ。
それを避けようと動きを止めれば正面の本体から狙い撃ちにされ、時間を与えればさらに変形し光線の数が増え攻略は容易なものではなくなるだろう。そう瞬時に判断した紅蓮の魔王は手に持った剣を、数十メルカン先の結界に向けて投げつけたのだ。
大剣は真っ直ぐ突き進み結界に飛び込むと、その煌めく剣身が鏡面となり、熱線を反射する。街も城も焼き切った怪光線がシドナイ自身を襲い始めたのだ。
肉も眼も焼け崩れ、弾けては泥を飛ばす。そして大剣はシドナイへ突き刺さった。だが厚い泥の肉に刀身の半分ほどしか刺さらずにいた。
そして、柔軟に怪光線を潜り抜けた紅蓮の魔王はシドナイの眼前に瞬時に距離を詰めると――、
『!?』
後方にあった騎士の拳たちは消失し、目の前に一瞬で展開された魔方陣から再び現れる。――紅蓮の魔王は拳を握り、連動するように騎士の腕も振るわれる。
地面から突き立てられるように熱き剛腕によって黒い泥の塊が、浮かび上がる。
二つの魔方陣が標的を挟み、動き、回りながら上昇し、肉塊を斜め下方向から殴ってどんどん宙へと昇らせていった。殴る度に山塊から巨岩が落ちて地面に衝突する音にも似た轟音が響き、それが徐々に間隔が短く、早くなっていった。およそ五百ムートほど上空へ飛ぶ。もはや黒い大きな肉塊でも、小さな点へと変わっていった。
それを追う、猛スピードで紅い星も昇って行った。
攻撃が止み、魔方陣が消えた瞬間――まるで炎を背負っているように全速力で地上から紅蓮の魔王が飛行して突っ込んでくる姿を、斜め下からシドナイは捉える。だが、もはや抵抗する間はない。
加速した炎は一度、シドナイを通り過ぎる。腕から発せられた火炎のジェット噴射の幕に呑まれるがそれで終わりではない。
およそ十ムートほど離れた直後、旋回して今度こそシドナイへ直進を始めた。
流星が落ちる――。
炎を背に――否、今も右手から発せられ続けている紅蓮の炎を纏い、左足による足蹴――飛び蹴りが繰り出されたのだ。
その足の到達地点には、半分だけ刺さっている星剣『カーディナル・ディザスター』。その柄頭を踏み込み、一気に蹴り抜いた。
星剣が紅い光を帯びながら、分厚い泥の肉を斬り抜けて突き進む。遠くから見上げる者たちには、黒い点から紅い光が城の方向へ、斜めに直進しているように見えただろう。吉凶禍福の流れ星が空を滑り落ちる。
シドナイの肉を貫き、焼き払って進んだ星剣は地上へ――丁度、古城に向かって落ちていく。
その先に、城の半壊したせいで丸見えとなった中庭で一人の男が佇んでいた。
『――ッ!!』
両手足に黒く輝くガントレットにグリーブ、身体にピッシリと張り付いて覆う黒の装甲と外装を身に着け、背にある創傷からは白銀の光と蒼い炎が燃えている少年――立花颯汰だ。
颯汰は超高速で飛来する星剣の、身の丈を超える巨剣に向かって跳び、その柄を両手で掴み、握り締めた。人間を超えた脚力と動体視力は“獣”の如く。だが、
『――ッツァ!?』
柄を握る手が、装甲の下にあるのにも関わらず、まるで熱した鍋に直接触れるような、煮え湯を手袋の中に入れられたような熱さであった。それを感じながらも、颯汰はその手を緩めない。
『――ッ……! うぉぉおおおおおおッ!!』
剣と呼ぶにあまりにも大きすぎるそれは当然重量もある。加速して飛来した剣の勢いに負けそうになり、すぐに落下しては床に足を埋め、石を削りながら後ろへと下がってしまう颯汰であったが、右腕を包む鎖が砕け、解き放たれると――颯汰は踏み止まる事が出来た。そして、そのまま剣の勢いを活かして身体を捻り、熱く重い大剣を身体全体を上手く使って、横に一振りした。空気を切り裂く音と共に、剣からは紅い衝撃波――真空の刃が撃ち放たれる。
『斬り裂けッ!!』
高速で進む紅い光の衝撃波は遥か上空から落下しているシドナイを捉え、叫んだ直後に手に持っていた熱と共に剣が消える。飛ぶ斬撃はシドナイを真横に切り裂き、
『――終わりだ』
紅蓮の魔王が冷たく言い放つと、掲げた右手に星剣が出現する。その剣から炎が屹立すると、紅蓮はそのままシドナイに向けて縦一閃に斬りつけた。
『グギャ、グギャォオオオオオオオオオン!!』
四分割に切り裂かれた断面は、焼けては焦げて塵に還る。
泥からは様々な生物の悲痛な顔と声が発せられながら、泡のようにブクブクと肉が膨れ上がる。体内に取り込んだ魔力の毒に負け、細胞が膨張しグロテスクな肉塊は更に目を背けたくなる見た目となるがそれもすぐに終わる。膨張し過ぎた肉は臨界点を迎え――爆発する。肉が爆ぜ、黒い血を撒き散らし雨となる。曇天の奥から現れ、差し込み始めた陽光によって降り頻る血の雨の黒さはより一層、黒く映った。
誰もがこの戦いに終止符が打たれたと思っていた。
遅れて申し訳ございませんでした。
次話は来週以降です。
2019/01/28
ルビの追加と一部誤字の修正




