42 覚悟と力
黒く染まった《王権》を纏い、暴獣と化した迅雷の魔王。
叫びと共に全身から迸る雷は赤と黒に染まり、周囲を焼き焦がす。高度五十キロを超えた超高層の雷雲から放電される光『レッドスプライト』――とは異なるだろう。赤い妖精などではなく赤黒く妖しい破滅の光――その雷は邪悪に満ちた魔力で生成された呪いであった。
生きるために牙を研ぎ澄ませた魔物よりも、殺すために呪いを生み出し続ける魔獣よりも、もっと恐ろしい。凶暴性を剥き出しにした獣が天地を揺らす雄叫びを上げ、周囲に災禍を撒き散らす。
絶大なる畏怖と極限の緊張が空間を支配した。
それを目にした瞬間から、途切れる事のない緊迫した空気が更に引き締まる。
頭で考える前に身体がそれを認める――気を抜けば死神が鎌を振り終え、その命を刈り取るのだと。
わかりきっていた。わかりきっていたはずなのに、それは突然訪れた。
何か思考する間もなく、また瞬きすらしていなかったのに関わらず、悪魔は死を運んできたのだ。
「――ッ!?」
余所見をしたわけでもない。目を離すわけがない。油断するはずもない。それなのに、邪悪が音を置き去りにして迫ったのだ。
目に映るものが、黒で覆われる。
黒鎧――《神滅の雷帝・黒血》を身に纏った迅雷が颯汰の眼前――極至近距離まで接近した。すぐ傍に映る顔を覆うマスク――鬼神とも悪魔とも見て取れる邪悪な面相。その奥にある赤く鈍く光る眼が細く、嗤った。
息が止まる。
紅蓮の魔王と戦っていた際の速度と引けを取らない速度を、ここにいる者たちは初めて目の当たりにしたのだ。
例え目で追えたとしても、身体がその速度に追い付けない。
即ち、常人では死以外の終わりはない。
颯汰の背筋に冷たい汗が流れる。たった刹那の合間に脳のニューロンが活発に働き、この脅威を回避する術を探し出そうと足掻く――だがどんな叡智を振り絞っても、最悪の答えしか辿り着けなかった。全神経が死を予見したのだ。
強く激しい光が、死に対する恐怖が、反射的に目を閉じようとするが、その間すら与えない。
激しい音――まさに雷の如く。
天上の神の怒声と共に放たれた裁きの鉄槌が地上に突き刺さる。
だが、その対象は立花颯汰ではなかった。
「――……え」
理解が追い付かず、閉じた瞳を開けて光を追った所を見ると、惨憺な景色が見えた。たった一瞬で命がひとつ、またひとつと短い悲鳴に乗せて、何処か遠くへと失われていったのだ。
首をへし折られて倒れる者。
――視界が真後ろへと変わる。刹那に映った悪魔を恐れたのではなく、物理的に反時計回りに曲げられ、首の骨を折られた。
軍服ごと大穴が開いた者。
――黒の魔爪が赤い電撃を乗せた刺突を繰り出される。肉も血も瞬時に焦げ、零れ出すモノはなかった。
吹き飛ばされ壁のシミとなる者。
――脇腹にめり込む裏拳。痛みを感じた時には既に壁に衝突し、無残な姿となる。
身体が真っ二つ分かれ、床を臓腑と脳しょうの赤で彩る者。
――手刀で身体を引き裂かれ、勢いよく蹴飛ばされ周囲に赤色を振り撒き、最期は床を滑って油絵のような濃さで跡を残す。
落雷に身を焦がした者。
――反射的に軍刀を抜こうとしたが首筋に触れられる。肉が焦げるほどの雷が全身に走り絶命する。
誰もが直視をし難い酸鼻を極める死を迎えていた。吐き気を催す異臭が漂う。
――全滅。合流した兵士たちが全員、呆気なく殺された。そうして転がる遺体を黒い波に向かって放り投げる。その投げられた遺体は地に着くと、貪るように黒い泥たちがにじり寄って殺到した。
それを実行した悪魔は赤い瞳で、少女を庇う様に抱きしめて座っていたエリゴスを見つめて言う。
『女ですら、庇護すべき者を理解して動いたというのに、貴様らは己の身だけで何もしなかった――そんな雑兵なぞ、俺の国に必要ねぇわ』
それは死した者たちへ送る言葉であった。
『さて、俺の気が狂って変わっちまう前にだ。女、勇者を渡せ。そうしたらお前だけは見逃してやろう』
エリゴスは振り向かない。
今にも泣き出しそうな顔で少女をさらに強く抱きしめた。
『女ァ……! てめぇの命なんぞどうなっても結果は変わんねえんだぞ? 生きるために差し出し忠誠を誓うか、そのままあの雑兵たちと一緒に奇怪なオブジェに生まれ変わるかだ。何を迷う事もないだろう?」
踏みしめる石材が焦げて黒ずんでいく。一歩一歩が罪深く、重く、世界を穢す。
ブレスを再度放とうとした白き龍に対し、邪魔だと呟きながら赤黒い電撃を浴びせる。勇者と同上に捕獲するために加減をしていたが、黒く焦げた幼龍は死に瀕していた。それに対して迅雷は特に感情が動くこともなく鼻を鳴らす。自身を追い詰めた攻撃より、己の身よりも少女を守ろうとした女に興味が湧いていたのだろう。
『その勇気を評価しているんだぜ? だが蛮勇さは求めちゃあいねえんだよ。……俺は女には優しいからなぁ。別にただで生かすとは言わんぞ? 望めば俺が寵愛し、快楽をも与えてやろう。だから女、黙って闇の勇者を渡せ』
あくまで上から目線の驕慢さを前面に出し、王は歩み寄る。
だが女は、そこで覚悟を決めたのだ。
エリゴスは少女をそっと離し、立ち上がる。リズも手を突いた姿勢で霞んで今にも途絶えそうない士気の中、彼女を見上げた。大丈夫と呟いたその顔は今にも壊れそうなくらい脆く切ない。だが確かに目の奥に強さが宿っていた。
エリゴスは毅然とした態度で迅雷の魔王に語り掛けた。
「私の顔を、――貴様は覚えていないか?」
怨嗟に振るえる声。それを鼻で笑い、王は答える。
『さぁてな。寝た女の顔なら覚えているやも知れんが、お前は覚えがない。誰だ……? もしかすると、誰かが死んで……それの仇討とかか?』
歩みを遅くしながら嘲るような声音で答える。彼が真に覚えている、いないかはわからない。それでも彼女は叫ばずにいられなかった。
猛々しい声で叫ぶ。己の恐怖を全て払拭なぞ出来ていない。
だが彼女は自分の振るえる手足を必死に動かした。
そうして眼前の敵を睨み、高らかに名を告げる。
「私は……、私の名は……エリゴス・グレンデルッ!」
立ち上がり棍を出現させ、それを憎き仇へ向けた。
「英雄ボルヴェルグの、娘だ――ッ!!」
地を蹴り、駆け、長柄の武器を両手で掴んで一気に間合いを詰める。
迅雷の額も鼻もましてや首さえも装甲に守られているが、急所に強い衝撃を与えればダメージとなると考えたのだ。
『…………死に急ぐか。面白ぇなっ!』
黒い棍から高速の一撃が放たれる。腹部を打ち、そのまま持ち上げ滑るように顎へ棍頂を衝突させる。だがそれでは終わらない。顎まで運んだ棍の先端をそのまま突く――首に向かって強力な打撃を浴びせたのだ。常人であればそこで倒れ込むだろうが、無傷であった悪魔は声に出さずにフルフェイスの奥で嗤う。
迅雷は左手だけで首に受けた棍を迅雷は掴み彼女ごと地面へ叩きつけた。そして、苦悶の表情を浮かべるエリゴスへ思いきり片足を乗せて踏んだのだ。
「ぐあっ……!」
『その反抗的な目、ますます気に入った。屈服させてやりたくなる! 加虐心を刺激させる表情だぞ女ァ!』
エリゴスのまだ折れず、燃える瞳を見て踏みつける足が更に強まり、グリグリと押し当てる。
『案ずるなぁ……、自慢だが俺の責苦で最終的に喜ばなかった女はいない……』
泥の兵特有の粘着質の闇と同じような気色悪さを帯びた声と吐息で、聞く者すべてに怖気を覚えさせるものであったが、それを向けられた当人はそれどころではなかった。溢れ出る恐怖心と痛みで身も心も押しつぶされそうなのを、母から与えられた“名”と父から受け継いだ“重み”で必死に堪えた。
「わた、しは……あぁッ!! ぐっ……うぅ……! 私はぁ! エリ、ゴス、ぅぅ……!」
更に足に加わる重みが増し、ゲシゲシと踏みつけるストピングが加わった。奔る激痛と毒が身を焦がし始める。人が苦しめば苦しむほど愉しさを覚えるように、迅雷は嗤う。一頻り嗤い終えると嘲弄して迅雷は言う。
『どうでもいいが、飽きさせてくれるなよ女ァ? その瞳がすぐに曇れば面白くねえ。どんな辛苦も耐えろよ? 懲罰と快楽を共に堪能し――』
銀の煌めきが言葉を遮った。今までで一番遅く、鋭さも失せた剣閃であったのだが、迅雷はまるで野生動物のように過剰に飛び退いた。
『――まだ動くか、獣……! …………いや、もう“人”か』
雷の悪魔が、剣を振るった颯汰に向けて言葉を吐く。
その声はどこか落胆が混ざっていた。
脚部の激痛に颯汰は息絶え絶えで肩で呼吸をし、剣すら零れそうなほど手には力が入らない。蒼銀に輝く瞳も、元の黒い眼に戻っていた。
横たわり、覚悟を見せた女を守るように、剣を構えて立ちはだかる。
迅雷は反射的に回避をし、足を退けたのたが、もはや恐れる要素もなくなった代わりに興味は湧いている。だがその命の優先度は迅雷にとって依然としてこの中の誰よりも低いのは変わらない。
『てめぇも大して面白いが……、やっと望んでいた大物がやって来たか』
そう言って空を見やる。
見上げた方向から紅い炎が幾つも流星のように降り注いだ――。
爆炎の塊が迅雷の魔王の周りへ幾つも飛来する。それを迅雷は回転するように動き回って避けた。
避けるという知性のないドロイドたちは紅蓮に飲まれ泥を飛び散らせた。
そうして、一番凶悪な魔星が剣を携えて墜ちてきたのだ。
紅い紅い炎を身に纏い、弾丸となって迅雷と激突する。
三数えるほどの時間、それを受け止めていた迅雷であったが、何とか押し切って飛んできたそれを弾いた。
弾かれた流星弾は宙をくるりと舞い綺麗に颯汰の隣に着地をした。
その魔導士や占星術師のようなトーガの上にローブのような外套を身に纏う王――紅蓮の魔王であった。
『随分遅かったじゃねえか。主賓を待たせやがって!』
「…………遅れたのは貴様の兵が襲ってきたからだ。この黒泥の塊どもが見境もなく暴れまわっているという非常時に、どういう教育をしている?」
どうやら城下町にも黒泥兵たちが侵攻していたようだ。
『いや、……お前、自分がこの戦いの主犯で襲撃者って自覚持ってねぇの?』
思わず迅雷が呆れてしまうが紅蓮の何を言っているんだ、という表情にもはや声が出なくなる。
視線こそ眼前の敵から外さないまま、颯汰の方に顔を近づけ、様子から状況まで大体のことを悟った彼は颯汰の頭を軽くぽんぽんと二度叩いた。
驚いた颯汰は思わず高身長の若者を見上げると、紅蓮の魔王は声を掛けた。
「呑まれるな。奴と、お前の中の力に」
憔悴し、今にも光が消え失せそうな顔であった少年が呆然としたままその言葉を脳内で反芻させた。
押し殺した恐怖心と――憎悪と殺意の感情で無理矢理動かし変調を来した身体は熱を失ったせいで、刺すような冷たい殺気を感じ取った。
「怯える必要もない。力は所詮“力”だ」
紅蓮の魔王は前を見据えたままそう言うと、それ以上の言葉は不要だと言わんばかりに踏み出す。
「力は……所詮、“力”……」
その言葉の真意を測るように颯汰はその言葉を呟いた。何か、颯汰の中で暴れ出す未知なる存在を紅蓮の魔王は看破していたのだろう。
紅蓮の魔王は手を翳す。そこへ光が収束し燃え上がり、
――星剣『カーディナル・ディザスター』が顕現する。
『遺言でも済んだか? 続きは天国とかでやってりゃいい――ッ!!』
展開された爪が紅蓮の魔王の大剣を受け止めた。
一度粉々に砕け散ったが今度ばかりはそう上手くいかない。
大地を割るような一撃を耐え、迅雷は放電する。
高圧電気が血管のように幾重に分かれた枝となり――赤黒く、対象の血と混ざろうと求めているように襲い掛かっては鋭く突き刺す。だがそれを掻い潜り、紅蓮はさらに剣で横っ腹から叩き斬る。魔王の膂力に魔力によるブースト、それに加えて魔王を討つために生まれた星剣の一撃であったの関わらず、左脇腹の装甲に一切のヒビすら入らなかった。いくら厚い装甲であろうとも、貫ける威力が無効化されたのを紅蓮は感じ取る。
――……なるほど、そういう訳か
『赫怒・雷閃拳ッ!!』
敵の力の正体に気づいた紅蓮の魔王の頭へ手刀を繰り出す。赤い剛雷を帯びた手刀は空気すら引き裂くように縦に振り下ろされるが紅蓮は剣を捨てて、左下に転がりながら避ける。大剣は地面に落ちて音が響く頃には光に還っていた。そうして回避した後に炎を帯びた右脚で、がら空きの背中右部に蹴りをねじ込んだ。
――……浅い
『オラッ!!』
手応えはあったが、大したダメージとならなかったようだ。
反撃の光速の体当たりを布を揺らしながら闘牛士の如く華麗に避ける。さらに繰り出される百を超える連打。互いの手足が致命傷となる打撃を弾く。
迅雷の右足払いを飛んで避けた紅蓮に、迅雷の左手正拳突きを、最速で放った。
だが、再出現させた星剣で防いだ紅蓮は後方へ飛ぶが、その攻防では浅い切り傷程度で済んでいた。
雷の悪魔は目をギラつかせながら苛つき叫んだ。
『《王権》は出せねえのか? つまんねーぞ!』
「……いいや、もう必要ない」
『はぁ? ――ぬぉ!?』
再度、剣が振るわれる。避ける必要もないと頭で思いつつ、身体がそれを全力で回避に動く。迅雷はその自身の異変に疑問を抱いたが敵の目を見て納得した。
今まで以上に白刃は無駄がなく、早く、鋭さを持っていた。
包む異様は鎮まり瞳も黒のままであるが、疲弊はしつつも活力は宿っている。
立花颯汰が、まだ動く。執念ではなく、生きるために剣を取った。
飛び跳ねて後ろへ後退る雷の悪魔。それに対峙するように二人はまた並び立つ。
「……足の痛みが引いたんだけど、何をしたんすか?」
「少し魔力を与えただけだ。一時的ではあるが痛みはないはずだ。だが、無茶をすると後が怖いぞ?」
「はッ! 今無茶してでも、アイツを倒さねーとその“後”がないでしょうが!」
切っ先を迅雷へ向けて、カラ元気であるが威勢のいい声で言ってみせた。
そして合図も出さなかったが契約者として“繋がり”のある二人は共に地を蹴って、駆け出した。
展開を早めようとしたら無茶苦茶になったので書き直しました。
抑えすぎるとまた停滞するので匙加減が難しいですね。デモカクノタノシー
次話は来週です。
2018/06/24
から元気→、カラ元気
に変更しました。
見辛かったですね、ごめんなさい。




