41 道化師は踊る
魔族の国アンバードを恐怖と暴力で治めた暗君にして暴君――迅雷の魔王。
数々の命を弄び、奪い、他者を睥睨したその赤い眼を以て、兵たちを震え上がらせ、ついには身の自由さえ奪うまでに至った。
耳長族と鬼人族の混血。悲しき生に彩られた人生は、圧倒的な力得たせいで劇的に変化していた。魔王となった彼は逆らう者は力づくで従わせ、悪逆の限りを尽くす。今までの全てを返して貰おうと全力で弱者から強者までをも貪っていた。
かつてはシドナイ・インフェルートという名の優しい少年の面影は、前世の記憶とトラウマと強大な力によって既にすり潰されていたのだ。
転生者――前世の記憶を持ち、その肉体も、放つ魔力も人のそれを遥かに凌駕した災害に人の意思を持たせたような存在。
そんな支配者に兵は恐れから動けなくなった中、刃を向けた少年がいた。
「お前が……俺の敵ぃ? ハハ、フハハハハ!!」
走って剣を振るってきた相手に対し、腹を抱えるほど迅雷は笑う。
「最高の冗談だな! お前ごときが俺に立ち塞がると? 魔力も、それを補えるほどの力も微塵もない愚民風情が?」
全ての攻撃を寸で回避しまだ笑い続ける。回避しなくてもいいがおちょくるためにギリギリで惜しいところで回避して煽り続ける。
体外魔力の減少で既に失われて等しい魔法を何不自由なく行使し、さらに身体の強度は《王権》を纏っていない状態であっても、非常に堅い。
だが、『それがどうした』と彼は叫んだのだ。
少年――立花颯汰の手から振り下ろされた袈裟切りを、迅雷は掴み、値踏みするような目で観察した。怒りに満ちる瞳。どこぞの誰かはわからないが相当に憎まれ、それが彼の動力源であるとすぐに理解できた。だが迅雷はそれに対し特に感情は動かない。この世界で生を受けてから重ねた罪の数は自身でも数え切れず、恨みなんてどこで買ったかなぞいちいち記憶に留めてなどいないのだ。
「良いぜ。遊んでやんよ!」
掴む指から伝わる圧――剣が指の力で折られる前に引き抜き、横一閃に斬りつけた。
素早い斬撃を余裕の表情で無駄な動きもなく容易に躱す迅雷。
その場にいるのに剣が当たらない。魔術の類ではなく、完全に身体能力だけで次々と繰り出される連撃をいなしていた。
「――ハァッ!!」
それでも少年は諦めず、顔面に目掛けて渾身の突きを放った。
当たった感触が異なる。驚くべき事に王はその白い歯で挟んで受け止めていた。
直後に走る悪寒――。颯汰は剣で頬を斬るように振りながら引き抜き、瞬時に無影迅で後方へ距離を取る。地面を滑りながら後ろにいた邪魔なドロイドたち三体を身体を回転させて一度に切り伏せた。
「ほぉ……」
迅雷は感心した。そして自身に手の傷に気が付いた。だがそれでも、まだそこまで特別視をしていた訳ではなかった。
颯汰が数秒前までいた地点――迅雷の周りに先ほどの青白い雷の玉が出現して石材の床を焦がすほどの電撃をバチバチと落としたのだ。
もし、後退しなければ黒焦げとなっていただろう。
少しの間は一方的に攻撃を受けていたが、次からは隙あらば反撃を加えるとその瞳がニィっと嗤い、物語っていた。
――復讐者は刃を握り雷撃と踊る。
まるでその場にいる全てが部外者であるかのように、またそれを見守る観客のように蚊帳の外へと追いやられていた。兵も、悪意から生まれた寄生体たちも、一心に悪魔とギリギリの攻防を繰り広げる劇に見入っていたのだ。いや、ドロイドたちはそこまで知性があるかは不明であるが、どちらか倒れた方を食おうと考えているのやもしれない。兵士たちを襲おうとしていた者たちも、遠くで監視塔を襲っていた輩たちも、その争いに否が応でも気付いてはじりじりと近づくが、ある一定のラインから足を止めていた。彼らのフィールドに足を踏み込めば巻き込まれると理解しているように見えた。
「観客は多い方が盛り上がるっちゅうもんだが、奇異の視線とは感心しねぇな……」
ボヤきながら迅雷が放つ一撃。何度目かの颯汰の斬撃の後、迅雷は相手が壊れないように細心の注意を払って蹴りを入れた。『こんな珍しい遊び道具を壊すのは勿体無い』と心内で呟いていた。颯汰は反射的に剣の腹で受け止め、更に直撃を防ぐために後方へ下がるために地面を蹴ったのだが、迅雷の魔王の足蹴は対象をそのまま兵士たちがいた方向へ蹴り飛ばし、少し壁にめり込ませるくらいの威力はあった。
「ぐ、ガッ……!」
壁に貼り付いた颯汰は口から血を吐き出す。身体の骨が何本かは折れただろう。それで済んだのが奇跡的であった。一瞬、やり過ぎたかと「あっ」と口を開けていた迅雷であったが、すぐに表情を戻し睨んだ先は近くであったが別の人物たちであった。生きるために恐怖と言う鎖を解き放って前へと踏み出し牙を剥いた少年に対し、大人であり鍛えられた兵士たちが全くも動けない現実に憤りを感じたのだ。
「情けねえ……。武を磨いた兵がこの程度で動けなくなるようじゃあ、此の先の生など不要だろ? ――つまんねぇから死んでくれや」
紫色の魔方陣が手に浮かび、破滅の光が煌めいた。
雷の光線が兵士――エリゴスに向けて放たれたのだ。
真っ直ぐと進む雷の矢はそのまま進めばエリゴスの胴と壁を丸く繰り抜いたような穴を空けるだろう。
彼の王が降り立った時――否、それより以前から覚悟を決めていたはずなのに、改めてその死が“突然”向けられて頭の中が迫る光と一緒に真っ白となっていた。
何も無い。
完全な無。
生の終わりが近づくも、感情の波が寄せては返す事もなく、ただ漂白されていた。自身が死ぬという恐怖さえ、消え去っていた。
世界から音が消えてしまった矢先――、
「ッツルァっ!!」
静寂を破る叫び声。
放たれた魔法とは別の光――銀の光がエリゴスの後ろから輝きが漏れた。
迅雷は目を見張る。兵たちの時間も動き出した。
「なッ……ソウ、タ……!」
一瞬意識を失った立花颯汰が剣で『直進する雷を斬り、地面へ落とした』のだ。
頭を打って割れたところから流れた血が額を通り抜け、目の周りや頬まで赤く染まりながら、颯汰は叱責するように睨んだ。
『何をやっている。この程度のヘナチョコ電気、あんたでも防げるだろうが』と嫌味を言おうにも、息を切らし身体が痛みを訴えて、声が出せなくなっていた。身体が酸素を求めている。
「…………こいつぁ、驚いた」
迅雷が言葉を零す。
立花颯汰は呼吸を落ち着かせようと息を吸い吐き出して、ヨロヨロとよろけながらも前へと進み、杖替わりにした剣を懸命に構えた。
「お前……何者だ?」
迅雷は尋ねる。先程とは意味合いが多少異なる質問をぶつけた。
少年は張られた弓から撃たれた矢のように急加速して斬りつけて叫ぶ。
「てめぇを、殺す、敵だよッ!!」
血を吐きながら、もはや絶叫に近い声を出し迫る少年を見て、迅雷の顔から笑いが消えていた。
颯汰の蒼銀の瞳が燃え上がる。
左腕に持ち替えた剣――腕ごと包み込むような薄く黒い靄が掛かっていた。
――いやいや、マジでなんなんだコイツ……?
負傷しているが振るわれる剣の速度が僅かばかり速くなる。
――ヒトで在りながら、ヒトの生命力を越えている……?
魔王特有の強大な魔力の反応もない。勇者特有の死人みたいな“完全な無”でもない。人として小さく微弱な炎であり、それは他の兵……民ともさほど変わらない。
ゆえに混乱が増す。
魔王であるなら脆すぎる。勇者であるなら、もう少しマシだ。それにそこで倒れている少女と同じく全く気配というか何も感じ取れないハズだろう。
いくら曇っているとはいえ魔王の瞳。それなりの識見は持ち合わせている。少なからず「魔王」や「勇者」ではないのは間違いないと迅雷は断じている。何度か掠った斬撃も勇者の『封印』の力を感じられない。
――直撃してないからか……? いや、何か根本的に違ぇ!
違和感を覚えながらも答えには辿り着けなくてヤキモキするが、眼前の敵からの猛攻や、迅雷の身に起きている変化のせいで徐々に鈍り出した思考ではきちんとした解答を得られない。感情に呼応するように細胞が脈動し、瞳の赤が強まっていく。
「死ぃい、ねぇええッ!!」
怨嗟を刃に乗せ、命を奪い取るべく奔る。奪われた者たちの怒りや嘆き、憎しみ――晴らすべき想いが彼の身体を支配していた。
それはもう少年ではなく、怨讐に身を捧げ、ただ対象を殺めるためだけに生まれた哀しき人形であった。
速度が増す。
その度に身体への警告が脳を伝達するも、感情がそれを遮断した。
剣速が更に増す。
肉体が悲鳴を上げ続ける。それでも殺意だけで動き続けようとした。
憎悪が更に増す。
理性などとっくに失った獣は、本能に従うだけだ。
だが当然、それは長くは持たなかった。迅雷の反撃の雷を纏った蹴りを、颯汰が勢いよく中央の方へ下がって避けた時だ。
「――……!?」
身体に力が入らず、立花颯汰は膝を突く。
そこへ急激な痛みが襲い掛かってきたのだ。颯汰は苦悶の表情を浮かべ声を殺して悶えていた事に気づいて迅雷は嘆息を吐く。
「何だ……。さすがにもう限界か」
無影迅を連続使用で酷使し過ぎた足は膝から下にかけてうっ血したように変色し、青くなっていた。
「……その高速移動、相当の負荷が掛かってんのか。はぁ……まぁ、ガキにしちゃあ及第点は優に超えている。誇れよ、俺に剣を抜き放ち歯向かう――さらに加えて最初の一撃でこの身に傷を付けた……生き残ったら歴史書に残るレベルだぜ?」
迅雷はその拳に雷を宿しながらカツカツと足音を立てていた。音が近づくが一定の距離で止まる。その手にはエネルギーが収束していた――先ほど斬って防いだ魔法だろう。規模と威力は今の方が高いと素人目でもわかるほどに強いエネルギーが収束していた。お前の相手はもう飽きた、と迅雷は溜息と一緒に吐き出したあと、
「まぁ、これから死んでそれすらも闇に葬り去られるんだけどな!」
気まぐれで殺す事に決めた迅雷は右手を掲げた。下ろすと同時に放つつもりだ。
彼は勝利を確信していた。いや、最初から負けるはずがないと考えていた。
そしてまさにトドメを刺す場面――、一番の隙が生まれた。
「――シロすけぇえええ!!」
理性すら捨てていた獣が、獣の名を呼ぶ。
最初、迅雷はついにとち狂ったのかと思った。
その叫びに応じ、龍の子が倒れていた勇者リズの外套の中から飛び出していた。
迅雷の魔王は驚き、気配のする方向――左斜め後ろへ振り向くとシロすけが努めて気配を消し《神龍の息吹》を放つ準備をしていた。
風が唸る。口を大きく開き、魔方陣と心臓から生み出された体内の魔力が凶悪な魔力球を生成する。白と薄緑で出来たプラズマは今までで一番大きく、迅雷が放とうとした電撃よりも一回り、二回りも大きい。
「悪いな、お前を殺すためにずっと練習してきた策の一つだ」
わざとだ。わざと過剰にまで派手に動き、叫び、自身の目を向けさせる。
異質であっても、異様であってもいい。
道化のように、獣のように、ただ注意を逸らす。
刹那の間では足りぬ。
己の刃ではなお足りぬ。
歪な不完全な策とも言えぬ奇策――。
生涯、その機会などなかったかもしれない。
だがそれでも求めた。
この切り札をねじ込む。ただ、そんな好機を作り出す術を――。
その身体を支配する憎悪と衝動に身を任せていたのは事実であり、自分の身体が“何にか”に呑まれかけていたが、それすら利用して見せたのだ。
「人に注目されるのは、苦手なんだがな……」
誰に対しても聞こえない程の声音で吐き棄てる。
――以前にも雨の中、姉を攫おうとした傭兵に対し同じ手段を用いた。
高密度のエネルギー弾は善悪問わず、万物を滅ぼす“破壊”という概念そのものとなって標的へ進む。逆巻く暴風が弾丸を押しやり、回りながら恐るべき速度と重圧を以て迅雷を飲み込まんとする。
「――やるじゃん」
小さく舌打ちをして、迅雷の魔王はそう呟いた。
直後、魔法弾が爆ぜた。
激しい明滅と共に凄まじい爆風の衝撃が王都全土へ広がる。強烈すぎる光は、音と闇を全て奪い去って、代わりに死の恐怖を与えた。
強風でドロイドや一部の死兵は吹き飛ばされ、宙を舞ってはグシャリと嫌な音を立てながら地に墜ち潰れて機能を停止する。
颯汰や兵たちは懸命に何かに掴まるか、その場に伏して飛ばされんと身を守った。
エリゴスは少女リズの下へ駆け寄り、彼女を庇う様に抱き寄せた。後ろから襲い掛かる砂礫が首に当たる痛みを無視し、懸命に守った。
そうして暫くすると風が止み、《神龍の息吹》が爆ぜた地点――迅雷の魔王がいた場所を、皆が見やる。
白い煙が辺りを覆い尽くしていた。
「やった、のか……?」
誰かがそう呟く。
塵煙が舞い、一時的に白い闇を作り出す。
白い煙が徐々に晴れていく。
そこへ地面が抉り削られた災禍の爪痕がくっきり残っていた。
幼いとはいえ竜種の一切の加減のない、全力で放った竜術だ。到底ヒトでは耐えられまい。成龍ですらまともに受け止めれば致命傷と成りうる強大な一撃は天を穿ち地を割る威力だ。ブレスには、星輝晶で守られた城壁――大陸弾道弾の何倍もの爆発をも耐えられるそれを、撃ち貫くほどの威力がある。
白煙が消えた先――まともな生物であれば舞う塵と一緒に溶けては、風に流されているハズであった。
その中から『カツン』と石材の床を蹴る音が響き、その場に居合わせた意思のある者たちは皆、背筋に氷塊を押し当てられたように冷たさを感じていた。
『あーあ……。まさか“奥の手”を使う羽目になるとはな』
その他人を小ばかにしたような声は耳朶を越え、脳に直接反響するように届く。
颯汰たちは息を呑む事すら忘れてしまいそうになる。再度、心臓の音が強く速く聞こえ始めた。
『《神滅の雷帝・黒血》………とでも名付けておくか』
それは人の形を則した怪物。
胸など青白い結晶があった部分は赤黒く光り、各装甲部分はドス黒く輝く。髪にように揺らめく金色や関節などの筋線維は血のような紅に染まり、瞳は更に赤々と鈍い輝きを持っていた。
その黒は紛れもなく、辺りで跋扈していたドロイド兵や魔獣――つまりは勇者の血を加工したものと同じ漆黒の色であったのだ。
彼の王は星輝晶が破壊されたせいで《王権》は使用不能である。その事実は揺るがない。だが、現実として目の前の王は姿が変わっていた。
兵たちも見覚えのある姿――色は違えど間違いない。幾度も見た魔王が魔王たる所以の暴虐の魔神がそこにいたのだ。
『――さぁて、お楽しみはここまでだ』
赫雷――絶望が、赤く黒い雷を放ち咆哮する。
互いに切り札……ジョーカーを切っていきますが、
颯汰とシロすけのワンパターン戦法は通じませんでした。
次話は来週




