38 制御不能
人々が空を見上げ、勇者によって星輝晶が破壊されるその決定的な瞬間を目撃していた頃。
その一番の特等席――塔の内部、真下から立花颯汰とエリゴス・グレンデル、龍の子シロすけも例外なく頭天を見上げていた。
見送るしか出来なかった女も、風を運んだ龍も、指示をした少年も湧き上がる様々な感情を瞳にたたえながら結晶が砕け散る様を見つめていた。
だが、一人だけ視線は虚空を見つめ、心はそこにない。
立花颯汰は自身の左手で片目を抑えながら、視線こそ上を向いていたがその光景はさほど映っていない。思考を巡らせていた。
――何なんだ……? こいつは一体……!?
歯ぎしりをして内側を覗くように意識を向ける。痛む脳髄の奥底に潜む“何か”。溢れ出す覚えのない智識。身体が勝手に動く感覚は幾度もあった。その正体、切欠も掴めない。だが、確実に自分の意思とは無関係に知識を引き出している場面が幾つもあった。
――たぶん、自覚してないものもある……そんな気がする……。この異世界に堕とされ――呼び出した何者かが力を与えたのだろうか? その理由は?
その手を広げてみても何も答えは出やしない。彼自身、普段と言動の差異が生じる事に気づかないまま、ごく当たり前のように過ごしていた事もあったが、最近は特にそれが顕著すぎるせいか、さすがに自覚をし始めていた。
――自分の中に何か、特異なモノがあると。
不思議と恐怖はない。いや馴染み過ぎているとさえ思うほど溶け込んでいる。
ゆえにただ知りたい――知らなければならないと思った。
そこへ少女が、そっと風の乗って降りてくるのが見えて思考を中断させた。
それを使いこなしてこの世界から脱するのが試練……と考えるのは安直すぎるなと颯汰は思ったものの、やっと近づいた手掛かりの一つを確かにこの手に収めようと決意した。左手を下ろし、今度こそ砕けた結晶の欠片が消えるのと一緒に、降りてくる少女リズを見上げていた。
図らずもそれが救いとなったことに当人たちは気づいていない。
もし、颯汰があのままそれを探れば――…………。
鎌剣で星輝晶を破壊した少女は重力に引かれながら、止んだように見えた風は優しく少女を塔の床まで運び、降り立った。揺れるマフラーとツインテール。
姿が大いに変わった少女はそっと着地をした後に、不可視の剣を光に還し、颯汰の元へ歩んでいく。
颯汰は少女にどう声を掛けるべきか迷った。
出会った時、上が素っ裸に背は拷問で傷だらけ――そこから颯汰は身に纏っていた外套を被せたが、下は腰布に素足といった悲愴に満ちた恰好であった。
それが今、闇の勇者として相応しい出で立ちとなっている。
元より可憐さはあったものの、緊迫した状況や忙しさに追いやられていない今、改めて思い知る。原石が磨かれてその真の価値に気づいたように、綺麗な装いをして少女は更に華麗に見えたのだ。軽装で有りながら戦乙女、あるいは戦場の舞姫のような装束。いざ落ち着いて見れば身体つきは女性らしさがきちんと主張している。前面こそ露出は少なく映るが、腕や肩、背面は大胆に開き、拷問による傷は再生し一つも残っていないで大理石の彫刻よりも美麗で当然ながら瑞々しい。
だからこそ、このヘタレはどう声を掛けるべきか迷っていた。
クラスメイトの女子から声を掛けられれば何気なく会話は出来るが、自ら声を掛けるのは難易度が異なる。いやジャンルが違うと言っても(彼にとっては)過言ではない。
相手から打たれた打球はその相手が欲しそうな答えに合わせて返せばいいだけだが、自分から言葉を打つのはラグビーとアメリカンフットボール並みに違うのだ。つまりは全然別もの。
労いの言葉、感謝の言葉、誉め言葉などが浮かんではすぐ消えていく。
――『ご苦労だった』? 上から目線すぎないだろうか? 何もやってない癖に
――『ありがとう』? なんか、下から外套の中が見えたみたいに聞こえる。見てないけど! 惜しかったけど!
――『似合っている』? 似合ってるけどこの状況で投げ掛ける言葉か!?
くだらない事で頭を悩ませていると歩いてきた勇者リズがふっと糸が途切れたかのようにふらつく。颯汰は駆け寄り、彼女を今度は正面から押さえた。
全身が紫の光に一瞬包まれると、弾けて恰好が元の小汚い奴隷役の姿に戻っていた。髪飾りもなくなり長い髪が無造作に流れる。
柔らかい感触を触れている部分から味わうような暇もなければ状況でもない。またもやパニックになりかけた所でエリゴスが言う。
「強大な力を使った反動だろうか……わからんが、休んでる暇はない。恐らく既に兵たちにも迅雷自身にも私たちがここにいる事を感づかれているにはずだ。早々に脱出するぞ」
そう言うと、いつの間にか颯汰が投げ捨てた外套――実は強風で飛ばされかけていたのをエリゴスが拾っていたのを颯汰に投げ渡した。颯汰は少女リズを預け、すぐに外套を羽織って奴隷に扮する。
「少し遠回りになるが兵たちと鉢合わせにならないように進むぞ。地下牢が抑えられていなければいいが……厳しいか」
「思いのほか派手にぶっ壊しましたからね。アレしか手段はなかっ――」
塔の繋がる道の奥――即ち玉座のある王の間から何かが崩れるような大音が響く。
「……私が先導する。お前が勇者を背負え」
すぐさま唯一の出入口までエリゴスは走っていった。少女リズを預かった颯汰は背中に乗せて走り出す。
光なき通路を進み、エリゴスが出入口の玉座の裏の垂れ幕からそっと覗く。どうやら出入口が封鎖されたわけではなかったがまだ油断ならないと颯汰は身構えていると、
「…………なんだと」
エリゴスは静かに呟き舌打ちを心の中で留める。その視線の先、敵兵が既に包囲していたならば最悪な状況だろう。ではこの状況は果たして幸運と呼べるのか。
「……どういうことだよ……!」
外の様子を覗き見た颯汰が悪態つく。確かに、敵兵――古城を守る兵はいた。それも七名もいるだろう。だが、彼らは戦っていた。
「黒泥の兵……!」
どういった技術で作成したか詳細は不明であるが勇者の血を加工して生まれた呪詛の塊。それが王の間の扉辺りからぞろぞろと雪崩れ込み、自国の――しかも王城を警備する兵を襲っていたのだ。その数、多数。扉を蹴破ったのか何匹か揺れながら近づいている。おそらく奥にも大勢いるのだろう。
崩れたのは並ぶ石柱らしく。そこに一人の兵が倒れ込んでいたがヨロヨロと軍刀を杖替わりに立ち上がる。襲いくる魔の手により、誰も他人を起こす余裕がなかったのだ。
兵たちは距離を取りつつ急に近づいた敵から切り伏せる。切り裂かれても泥は粘り付き、再生する。
「チクショウ! これじゃあキリがねえ!」
「っ……! こいつらぁあ!!」
「止せッ! 深追いはするな! 呑まれれば終わりぞ!」
若い兵士が押され気味の現状に痺れを切らし、敵の一体に向かって駆け寄って軍刀を振るう。
人型のシルエットを描いた泥の塊は両断されず、途中で刃が止まった。
「くっ! こ、このっ!」
軍刀を振り下ろそうにもコールタールを思わせるほどの漆黒の泥に喰われビクともしない。そこへ割れた泥が大きく開き、兵を呑み込んだ。
「うわああああああ!!」
声もなく呑まれた兵士の代わりに仲間が悲鳴にも似た怒声を上げて弩を撃つ。放たれた矢は仲間だった者の頭の箇所を正確に捉える。呑まれた段階で救出は絶望的であり、先に殺しておけば魔獣化も防げる。冷酷に見えるがそうしなければ自分たちの命が危ういのだ。もし魔獣となれば黒泥兵たちを延々と生み続け、人々に死と猛毒を伝播させる魔の徒となるのだから。
故にこの行動は正しい。
正しいのだが、だからと言って、たった今まで共に過ごした仲間を討つという言いようのない悲しみに心は軋むものだ。
「総員! もう一度距離を取れ!」
指揮をする兵の怒号に我に返った兵たちが敵から離れる。次々と扉の外から揺れる木偶人形たちは留まれる事を知らぬようにどんどん押し入ってくる。数は十や二十を超えようとしていた。
「このままではジリ貧だ……!」
斬りつけても死なず、撃ち抜いても起き上がる。敵に回るとこれほど恐ろしいものはないと改めて兵たちは実感していた。
退路は断たれ、生き延びるには戦って正面扉から脱するしかない。
それしか答えがないのだが、それが一番難しいと誰しも理解している。
兵の中に負傷者もいる。
一人二人が囮になっても扉の奥にいる数を突破する事は容易ではない――いや、不可能と断言できる。
状況からあらゆる生存への道を模索するも、虚しく死という壁にぶち当たる。
為す術なしかと諦めていたところ、女の声が響いた。
「離れろぉぉおおお!!」
声のする方を一度見て、兵たちは訳も分からずに退避すると、斜め上から訪れる龍の羽ばたきによる強風が――圧となって泥の兵を正面扉の方まで吹き飛ばした。
「シロすけ!」
少年の声がすると、そこに小さな生き物――白い龍の子が応え咆えた。
青く透き通った瞳は蠢く邪悪を見据えた。身体中のラインのような模様が緑に光り、顎が開き魔力が収束する。口元から展開された若緑色の魔方陣の前にエネルギーが球状に形成された。その薄緑と白の高密度の魔力の球から電気が奔り、迸っている。
「きゅぅぅううううっ!!」
叫びと共に魔法弾が放たれる。その後ろに尾のように伸び――逆巻いた大気に魔法弾を押し進められながら全てを無に帰す勢いで突き進む。竜種の基本竜術にして圧倒的な暴力の象徴《神龍の息吹》が玉座辺りから正面扉に向けて、宙に浮いているのに関わらず、床を抉りながら飛んでいった。
電撃を撒き散らしながら弾道はブレ、飛び荒ぶる剛弾が集まった敵を巻き込み扉の奥へと追いやると、
――風が光と共に、爆ぜた。
扉の向こうで魔獣やドロイド兵がその衝撃に巻き込まれグチャグチャの肉片へと変貌するがそれを最後まで見る事なく終わる。
轟音の後を追うように石材が上から重なった音を響かせる。
竜術の余波により扉の上の石材が崩れ落ち、瓦礫となって積み重なったのだ。
そこから先は通行止めとなり、先がどうなったか見る事すらかなわなくなった。
口を半開きで目を最大限に開いて、兵たちは瓦礫とそれを破壊した白い龍を交互に見やった。
「よくやった……! だいぶ力のコントロールも出来るようになったな!」
「きゅきゅ~!」
少年――立花颯汰が少女を背負いながら声を掛けた。褒められた龍の子は機嫌が良さそうにその場でくるりと回って見せた。
もしフルパワーで放ったならば、兵たちも巻き込まれてあわや大惨事になっていたやもしれない。だがまた力が足りなければ敵を全て奥へと追いやって倒す事もできなかった。その微妙な力加減のコントロールを、シロすけは会得したようだ。至近距離では自爆してしまうので使えないが、それでもたった一息で敵を殲滅させる強大な力を日に日に己のものにしつつあるのだから恐ろしい事だ。
驚嘆の息すら漏らせない程に驚いた兵の一人に向かって、エリゴスは問う。
「ゴーシュ殿! 何故城の兵士があの化け物どもに襲われていたのですか!」
エリゴスの口振りからどうやらこの魔人族とは顔見知りのようだ。
「貴殿は……ラスアルグルか!? 貴殿こそ何故……、いや、それより――」
ラスアルグルはエリゴスが使っていた偽名だ。
「――おそらくアストラル・クォーツが破壊された影響だろう。急にドロイド兵どもが我々を襲いだしたのだ。それ以外に要因が考えられない!」
「まさか…………敵味方関係なく取り込もうとしていると……? 被害は? 街まで襲われたりは……!?」
その『まさか』の声音には複数の意味が込められていた。星輝晶を壊さなければこの地は永遠に迅雷の魔王に支配されたままであったが、壊すと勇者の血で造られた泥人形どもが制御不能となるとは誰も想像できなかったのだ。颯汰も“まさか星輝晶が黒泥兵を操る核となっていただなんて……!”と心内で叫んでいた。
「いや、おそらくはまだ……だが一刻も早く領民の下へ急がねばならぬ。城内の警備を任された兵たちは他にもいたが、何人かが――……」
「そうですか…………」
それにより死者が少なからず出ていた事を知る。星輝晶を壊さなければ前に進めなかったが、だからと言って他者の死を必要な犠牲であると割り切れるものでもなかった。
――……地下牢はどうなったのだろうか……?
囚われたエルフたちやそこへ残ったアモンを想う。何より改造亜人である名も無きオークは勇者の血を加工したものを流し込まれていた様子であったから、地下牢が安全地帯とはならない。むしろ逃げ場がない危険地帯となっているのではと深刻な顔で考えるがそれを問う事は出来なかった。何故ならそれをすれば、この背で眠るように意識を失った少女の正体が勇者だと知られる。そうすれば、今起きた一連のドロイド兵の暴走はリズが星輝晶を破壊した事が起因であるから、彼らと敵対してしまう恐れがあった。境遇に同情しない訳ではないが、それ以外に選択の余地がなかった。だがそれで納得してもらえるとは限らない。何せ彼らの仲間は、さきほど泥に喰われたのだから。
王の間は狭くはないが、戦うには適しているとは言えないうえに、人数も経験も相手側の方が上だろう。今、事を構えるのは得策ではない。そうとわかっているからこそ言葉を選び慎重に様子を探る必要がある。だが、
「…………? 奴隷……?」
それを考える必要もなさそうである。
兵たちの視線が颯汰――奴隷の恰好をしている二人へと向けられた。
そう、神聖な王の間――更に言えば玉座付近に奴隷がいる事がオカシイのだ。
更に先の騒ぎ――地下牢から囚われていたはずの勇者が空に昇り、星輝晶を破壊したばかり。こうなれば誰だって容易に想像がつくものだ。
「片方が……勇者か!?」
「ラスアルグル、貴殿が、勇者を……?」
「…………」
エリゴスは無言で棍を出現させ臨戦態勢を取る。
するとそれに反応して魔人族と鬼人族の兵それぞれ一人が抜刀する。言葉を発しず、その行動で“主を裏切った”とエリゴスはハッキリ示していた。
「きゅぅぅぅ……!!」
白き龍もまた幼いながらも威嚇で声を呻らせる。
緊迫した空気が辺り一面に流れては息苦しさとじっとりとした汗を滲ませた。




