33 歪な守人
魔族と蔑まされた者たちの国アンバード。そこに佇む古城――ピュロボロス城。現城主たる簒奪者はその名を気に入らず、変えようと考えていたりする。
そこの玉座のある王の間へと立花颯汰一行は辿り着いていた。
ここまで兵との遭遇は二度だけであり、それもすべて迅雷の魔王の命令であると出まかせを言ったのだが兵は信じ切っていたしエリゴスの存在に怪しむ様子は微塵も出さなかった。敵が攻め入っている状況でこの城の警備の甘さは異常だが、その城主たるこの国を統べる王が率先して敵に殴り込んだ辺り、何が正常かの線引きは難しいところだろうか。
城内の廊下は少々古臭いが立派な造りであり、王の間はやはり荘厳であった。
何十もの燭台から火が上がり、暗く広い部屋を照らすが、真昼のようにとはいかない。いや、おそらくわざと光を減らしているのかもしれない。暗い場所にて恐ろしい城主を演出するためだろうか。
石柱や装飾品は、素材も質も最高峰であるのだが、最も目を惹かせるべきもののために敢えて控えめに映るように配慮されていた。
それは、入口から足元に伸びた紅い絨毯が伸びた先、階段を越えた場所にある金色の玉座だ。
全てが“王”の威光を示すために存在する、舞台装置と化していた。
その玉座の裏には紋章が縫われた垂れ幕がある。潜ると隠し部屋があるのだ。
城とは城主が生き延びるために外敵に知られぬよう、幾つも隠し部屋や隠れた機能が存在するのが普通だ。そのため設計者が口封じで殺される事もあったという。
転生者が星輝晶の力を使い単独で創った城であれば話は別だが、この城は普通に人の手で建てられた物であり、迅雷がそれを乗っ取ったに過ぎない。偶然見つけた奥の部屋に、彼は支配の象徴――星輝晶を配置したのだ。
「ついに、見つけた……!」
「これが、……迅雷のアストラル・クォーツ!」
王の間の裏側――少し広い部屋に、入口近くの壁から沿って石の階段が螺旋状に続いていく中、中心にあるそれは日の光を受けて輝いていた。人の背丈より大きい黄玉のような結晶体が浮かんでいたのだ。色は内側から着色したのではないかと思うほど鮮やかで黄色の球体である。その黄色が味気ない石材の壁や床――部屋中を明るく染め上げている。
「もう少しだ。頑張れ……!」
既に奴隷役を止め、自ら鎖を外していた颯汰は隣に立つ少女に声を掛けた。
少女は頷くが目はとろんと緩み、息は荒い。顔は赤く、発熱もしていたのだ。
――やはり、無理をさせるべきでは……
地下牢から出た直後は平気であったが道中から様子がおかしくなっていた。だが目的のある彼らの手前、その素振りを見せないように努めた。そして限界を迎え、王の間の前で倒れた時は颯汰たちは軽くパニックに陥った。
どうにか意識はすぐに戻ったが足はふらついたままであった。
エリゴスは唇を噛み、苦悩をした。撤退はあり得ないが、それを口にし強行する非情さはなかったのだ。
しかし倒れたリズは弱音を吐かなかった。声が出ないからではなく、大丈夫と口を動かし前へと進みここまでやって来れたのだ。
「…………」
人の心を惑わす金色の月のように妖しく光る星輝晶。
あまりに神秘的なそれの存在に思わず心が奪われそうになるほど美しかったからか、颯汰は無意識に手を伸ばした。
心を満たす財宝とは違う、肉体を維持する為に必要な酸素のように身体が求めていた。
手を伸ばしても届かない距離にあるが、その左手に収めたいと足を踏み入れた時だ。
「下賤の者が触れようと望むなッ!!」
怒声と共に一本の槍が階段上から放たれた。
颯汰は紙一重で回避する。
強い殺意と狂ったような怒気を込められた鉄槍は、その膂力を以て石材の床に突き刺さっていた。
放たれた方から槍の穂先まで鎖が伸び、突き刺された槍を伝う様に視線を動かすと、更にもう一本、槍が飛んできた。
「ッ!! 危ないッ!!」
外套で全身を隠した勇者リズに向けて放たれた槍――。
颯汰は、飛び込み覆い被さるように右にいる彼女を押して一緒に転んだ。
リズがいた場所に豪槍が突き刺さる。視線を上げると一人の男がいた。
「憧れる気持ち、焦がれる想いを抱くのは無理もないが、これ以上の狼藉は許せん……!」
足首くらいまで伸びた白い絹の服。一見サイドラインに見える――黒のズボンの左側だけ、黒地に溶け込むほどに濃い紫で龍が刺繍されていた。
中華風の恰好をした男であった。
見た目の年齢は二十代後半くらいか。三白眼で黒髪で左のこめかみ辺りから伸びた髪は三つ編みを垂らしている。
だがそれ以上に彼の特徴は頭から後方へ伸びた角、オオトカゲのような尻尾だろうか。よく見ると背中に蝙蝠のような羽までもある。
彼は竜魔族。それも三つも竜種の特徴を持つには非常に珍しく、諸国では王に選ばれる存在であるのだが、彼は転生者の側近という地位に就いていた。
その姿を颯汰の首裏から頭によじ登った竜種の子であるシロすけは咆えた。
――竜種だと……!?
男は驚きながら右手を突き出すようにして握り締めていた柄を引く。柄の先は鎖が伸び、更に先端は槍の穂先で颯汰がいた場所に突き刺さっていた。引かれた鎖は鞭のようにしなり、鎖は収納されて元の鉄槍に姿を戻した。
――ただの槍じゃない! 鎖で自在に操れるのか!
左手に握るものも同じで、二撃目は勇者を狙っていたのだ。
鎖と槍が引っ張られ、両手に元の槍として収めた男はサっと階段から飛び込み、颯汰たちと同じ高さまで降りた。
スタっと綺麗な着地をした男の瞳は激情に駆られていた。
「やはり、現れたか……」
着地した男は静かに言う。
咄嗟に颯汰は拝借したナイフを鞘から右手で抜いて構える。一瞬だけ刃を向ける少年を見て鼻で笑い視線を先導していたエリゴスへ向けていた。
エリゴスは強張った顔で男を睨み返す。
「ビム・インフェルート……! 迅雷が最も信頼を置いている右腕……!」
ビムと呼ばれた中華服の竜魔族は歓喜の表情で叫んだ。
「ついに牙を剥いたかラスアルグル! いや、愚かなエリゴス・グレンデル!」
「……!」
「気付かれていないとでも? おめでたい奴だ……。我が王は貴様の存在を既に知っていたさ!」
ラスアルグルは彼女がこの国の兵として潜入した際に使った偽名である。
「我が王は暇潰しに貴様を泳がせたに過ぎない! 娘のために首を差し出した愚かな男――その子供がどう復讐を遂げようと行動を起こすかを……」
「黙れッ!!」
張り裂けそうな声音で感情を昂らせた女は棍を握りしめ、突進した。
愚かと笑う男は二槍を振り回しそれを迎撃する。
ぶつかり合う長柄の武器たち。金属音が何度も響き合う。
素早く攻め立て体術を織り交ぜた鋭い攻撃が竜魔の頬を掠めた。さながら中国のアクション映画のように華麗で苛烈な攻防が繰り広げられた。
攻勢に出たエリゴス。しかし、繰り出す棍術を悉くをビムは防ぐ。
武器の長さはほぼ同じ。だが切り裂き、突き刺せば容易に相手を傷つける刃のある槍の方が有利であろう。さらに二本で手数が多く、加えて軽々と二本の槍を扱うビムが有利であった。
切っ先が振るえる距離で戦うには不利だと断じたエリゴスは距離を詰める事を選んだ。
二槍の乱撃の中、気合で突き進むエリゴスであったがビムは女とて容赦なく右脚で顎を蹴り上げ、さらに左脚で腹に追撃した。
「カッ、……ッ――!」
痛みで悶絶し、倒れ込むエリゴス。ビムは槍を突き立てようとしたが、
「フンッ!」
飛んできたナイフ。それをビムは左手に持った槍で弾いたのだ。
邪魔だてをするなと叫びかけたが、既に投げた本人、歯牙にもかけなかった少年――立花颯汰の姿がなかった。
一瞬理解が追い付かずにいると、それは現れた。
投げたナイフは囮で、それを防いで隙を見せた相手に颯汰は奇襲を仕掛けた。以前に颯汰自身が鉄の籠手を持った傭兵に仕掛けられたものと似ているが、こちらは環境が異なり、それが有利に働いた。
常識的に考えれば、ただの少年が縮地の走法で階段を駆け上がり、背面に向かって加速と跳躍を重ねた足蹴を放つなんて想像つかないだろう。
もし颯汰が、剣を突き立てていればここで終われたかもしれない。
「~~ッ! だが、……まだ軽い!」
飛んで背中を蹴り、着地した颯汰に向かって二槍が襲い掛かる。
鍛え抜かれた男の背は鉄壁であり、高所から体重を乗せた一撃すら耐えたのだ。
連撃を死に物狂いで回避しいる中、エリゴスは起き上がり棍を突き出し連撃を止めに入ろうとする。
起き上がった事に気づいたビムは攻撃を止めた。
槍の先の方を持ち、逆手に伸びる柄を振り切ると、鎖が伸びる。
槍の石突は分銅のような錘となっていて、さらに柄は何個も外れ、さながら軟器械と呼ばれる多節鞭のように自在に動くそれは鎖の鞭となり、エリゴスを棍ごと絡みついた。
「ッ!?」
「貴様は生かし、我が王の下へ連れて行く!」
颯汰が弾かれ地面に転がったナイフを拾おうと駆けだしたが、ビムは左手に持った槍で同じように鎖を飛ばした。
「――させるかッ!」
右手に絡まる鎖。そのままビムは左手を思いきり引っ張る事で、颯汰の体勢を崩させて床へと転倒させる。それに続けてエリゴスまで伏せさせた。
龍の子が颯汰の腕を伝いながら飛び出す。案の定、この場所では本気を出せないシロすけはビムの足蹴で呆気なく床に転がった。《神龍の息吹》を使えば容易に勝てるがまずこの場にいる人間が無傷で済まない。例え加減しても、古城は脆く建物は内側から倒壊し、多くの犠牲者が生まれるのだ。
二方向で暴れる男女であるが、竜魔の男は一切ビクともしない。改めて男を見ると、細身に見えたが実のところ、その絹の服の袖の下には太く逞しい筋肉が発達していた事に颯汰は気づく。おそらく背中も、脚も見えないだけでかなり筋肉質であるのだろう。
「あとは手枷も外せないで壁に寄りかかり、今にも倒れそうな手負いの少女のみ、か。……弱い。あまりに弱い。これでは意味がない……」
側近は虚ろな目で黄色に輝く星輝晶を見やる。
颯汰は身体を引きずられながら、鎖の先の男はエリゴスの方へ向かう。その足取りは泥の中で懸命に足を動かすように重く映る。
近づいた側近は嘲るような声で問う。
「いくらなんでも敵が上空で戦っている中、城内の警備が薄すぎると疑問に思わなかったか?」
エリゴスは怨敵を見つめるような目をするが、対した男は呆れた顔で続けた。
「無論、わざとだ。事実は伏せたが別の場所へ警備を回して君たちが通るであろう道は空けさせたんだよ」
疑念の視線を受け止め、何故と問われる前に男は答えた。
「迅雷の魔王――我が友、『シドナイ・インフェルート』には知ってもらわなければならない」
「……インフェルート? ……同じ……?」
話の腰を折った颯汰であったが、殊の外ビムはきちんと答える。いや、むしろ嬉しそうに口角が上がっていた。
「あぁ、彼と私は同じ孤児院で育った。言わば家族だ……。例え彼が前世の記憶を蘇らせたとしてもな」
この世界に転生した者たちは、ある切欠……『自身に迫る死』をトリガーにして前世の記憶――地球に住んでいた際の記憶と共に《魔王の力》を有する。この世界で生きてきた記憶が消える訳ではないが、その人格は前世を基準として再構築され、更に人智を超える強大過ぎる力を得てしまうせいで、人が変わってしまう者も少なくない。
シドナイ・インフェルートはかつて心優しい少年であった。今の暴虐さは億尾も見せない聡明であり弱々しい半魔の子。エルフと鬼人族の間で生まれた混血の忌み子は今、持てる力で他者を締め上げる魔神と化していた。
中身も、あまりに過去の友人と今の王とでは似ても似つかない程に変わりきってしまっていたが、それでもビムは彼と共に歩むと決めたのだ。
「我が王は自由――何者にも縛られない自由さを体現した王である。だが、だからと言って敵にすぐに突っ込めば裏をかかれると知って貰わねばならない。……言葉で注意したところで変わらないなら、一度痛手を負えば理解すると思ってな――だから敵を敢えて招き入れたのだ」
そんな無茶苦茶な、と颯汰は唖然とする。
「彼には私が必要であると認めさせなければならない。もし、私がいなければ勇者とその仲間にアストラル・クォーツは砕かれていたと……」
最早誰も聞いていないが一人で語り続け様子がおかしくなる側近。颯汰は嫌な予感で汗が額に浮かぶ。
「だが、貴様らの体たらくはなんだ!! これでは意味がない! 我が国の兵たちでも処理できるほど他愛もないのか! 私が死ぬ気で挑み、勝てるほどでなければならない!」
ヒステリックに激昂する竜魔の男の視線は再度エリゴスに注がれる。
「…………復讐を掲げ、泥を啜る思いで軍に入り今まで生きていただろうに、弱すぎる……。英雄の子の名が泣くぞ?」
「…………っ!!」
憎むべき敵を前にして、自身の実力では届かない悔しさが彼女の心を揺さぶる。温かな滴が双眸へ溜り出していた。
「…………まぁ、いい。ネタ晴らしは王が自らやりたかっただろうが、勇者を牢から逃がし、更にアストラル・クォーツを壊させようとしたと知れば、それを防いだ私をお褒めになってくださるだろう」
視線を上――星輝晶に向けて男は恍惚の表情で叫んだ。
「他の者ではなく私を……。彼の隣は、私だけの場所なんだ……!!」
――うわこのおっさん気色悪っ!!
思わず颯汰は心の中で叫んだ。
絡みつく鎖と分銅を取りにかかるが鎖を引かれ引っ張られて上手く外せないが、それ以上に男のねっとりとした妄執の気色悪さに参ってしまいそうになっていた。
「――さて、勇者とグレンデルの娘は生かすが、貴様は不要だ」
最早一人ですぐに鎖から逃れられなくなったエリゴスを結ぶ槍を捨て、ゆっくりと颯汰の元へ歩む。
マズイと颯汰は焦るが、すぐに鎖が絡まっている右手を踏まれる。
「ッァア!!」
痛みで声を上げる。まだ本気で踏みつけていないが、それでも激痛が脳に危険信号を送っている。
涙ぐむ目で見上げると男は濁った眼で槍の穂先を向けていた。
颯汰の脳へ送る信号が止まってしまったように頭の中は真っ白になっていた。
「何を想ってここまで来たかは聞かん。興味もない。ここで去ね」
躊躇いもない凶刃が振り下ろされた――。
エリゴス→未熟
そーちゃん→まだ一般人
リズたそ→熱でぶっ倒れる寸前
シロすけ→本気出したら城が壊れて全員死ぬ
壮絶な身内からの足の引っ張り合い。
次話は来週。




