31 地下牢からの脱出(前編)
仄暗い地下牢の恐るべき番人――“闇の勇者の血”を用いて造られた、言うなれば「改造亜人」たる名も無きオークを立花颯汰たちは倒した。
正面からでは到底勝つ事が出来ない巨躯の魔獣を倒すため、そもそもの元凶である迅雷の魔王を苦しめ無力化を図るために用意した毒を喰わせて毒殺するという倫理観などガン無視した方法で勝利を収めた。しかし、相手もまた倫理観や道徳を重んじずにいるし、生きるために綺麗事など言っていられない世界なのだ。
そもそも勇者の血は地下牢で捉えた勇者――まだ齢十五かその辺りの人族の少女を拷問して搾り取ったものであり、それをこの古城のどこかの施設で加工して、墨汁の擬人化のようなドロイド兵のもとを生み出しているのだからモラルの欠如はむしろ敵側の方が重いやもしれない。
捕らえられた紫の長い髪を持つ少女――闇の勇者は天上に付いた円形の金具を通した鎖で吊るされていた。その鎖の先は少し離れて地面の方にあるフック状の金具で引っ掛かっていたが、颯汰は外した。
力が抜けて倒れ込む半裸の少女に、布を被せた女が押さえた。
「……チッ! 手枷の鍵穴が埋められている……! 端から逃がす気はないって訳か」
凛とした声音でエリゴスと名乗った女は言う。勇者の手枷は無骨な金属で出来たものであったが鍵穴らしきものは鉛でも流し込まれたのか穴を埋め、少しだけ盛り上がっていた。
「おい……、無事か……?」
颯汰に向けていたものより、幾分か柔らかな感情を少女に対して向けてエリゴスは喋る。
声を掛けられた少女――闇の勇者と称される彼女も口を開いた、のだが
「――、――、…………!」
様子がおかしい。何事かと近づいた颯汰とエリゴスが首を傾げる。
少女は驚きながら、手枷を付けたまま両手で喉に触れて喋ろうとするも、声が出ない。
勇者は自身の口を抑える仕草を取った。
「…………まさか!」
「アンタ……、声が出ないのかい?」
また少し彼女が口をぎこちなく開閉を繰り返したが、
「…………ァ――、……!」
音が聞き取れない程、小さくて言葉になっていなかった。
「やはり、拷問のショックで……」
(――いや、それだけじゃない)、とエリゴスは声に出さずに続けた。
どこかから連れてこられた人族の少女――つまりはアンバードの外から拉致された可能性が高い。おそらく両親か保護者から無理矢理離されここに連れてこられ、訳も分からず拷問を受けて心が折れてないはずがないのだ。今こそ平静を保っているが、いつ決壊してもおかしくない。
「無理をしちゃダメだ」
颯汰が一言加える。これ程「お前が言うな」という言葉が相応しい相手はないだろうが、少女は顔を上げて颯汰を見つめた。それは敵意とは真逆の顔であった。
ラベンダーのような濃い青紫の髪は立てば腰まであり、今は地面へ着いている。見上げてくる紫水晶の瞳は深く、だが光を得たから乱反射して輝きを取り戻していた。青ざめていた頬は血が通って紅潮し、小さな口の口角が僅かながら上がって見える。穏やかで優し気な瞳から熱を帯びた視線が颯汰へ向かっていた。
ヘタレはその視線を受け止めきれず、慌てて目を逸らす。
その時、少女の目から涙の雫が落ちた。それは目を背けられた悲しみではなく安堵から来る温かい涙であったのだが、当人は殊更に慌て始めた。
「えっ、あっ、ちょ、……ちょちょ、どどど、どうした、どうしよう……!」
「落ち着け馬鹿者」
エリゴスは呆れて嘆息を吐く。
「様子から察するに貴様の知り合いだろう」
「えっ」
驚いた颯汰は彼女を見た。彼女と目を合わせた刹那に眼球だけ横へ流す。
少女は静かに頷くが、颯汰は失礼がないように驚きを億尾も出さずに隠し通そうと考えたが、
「……………………」
「…………ごめんなさぃ」
彼女の目から逃れられず小さく縮こまるように謝る。語尾は消え入るように弱々しかった。
少女は少しだけ悲しい表情をしたが、ため息を一つ吐いて首を横に振った。
彼女は立ち上がり、編み上げ靴の痛みを物ともせず、ふらっと颯汰の元へ歩く。
驚く颯汰の手を、彼女は不自由な両手で掴み胸元くらいの高さまで持ち上げた。
「…………」――ありが、とう
声は一切出ていないが、口の動きではっきりと伝わる
「お、おぉ、おう……」
動揺を隠しきれない颯汰に対し癪に障ったエリゴスは冷たく現実へ引き戻す。
「青春群像劇やってる場合じゃねえぞ」
いつの間にか手から消えていた棍を取り出し、颯汰の肩を小突く。
「ゴフッ」
小突くにしては少し威力が有り余っていたため、ヨロヨロと後退る。手が離れた少女も少し驚いていた。
「アンタもそんな痛いモン付けて歩くんじゃないよ」
そう言いながらまた棍が消え、スタスタと歩いて勇者の足元にある編み上げ靴の紐を解き始めた。
「うわっ……グロっ……両端の鉄板は棘付き……」
可憐な少女の素足に見合わない無骨な板で挟まれ紐で括りつけられたドギツイ乙女コーデを外した先には、直視を避けたい傷と血が生じていた。
棘の大きさはそこそこあり一円玉くらいで何本もある。それに上から鉄の楔を打ち込む事で圧迫し喰い込ませ、流した血を受け皿が受け止め、そこから運ぶ管へと繋がっている構造だ。
颯汰も思わず顔をしかめて本音を零す。
「こんな怪我じゃ、アストラル・クォーツがある場所まで歩けないな……」
そう言った瞬間、エリゴスは振り返り颯汰を睨んだ。颯汰の言っている意味は当然理解できるが、だからと言ってチャンスを無駄にするのか、と瞳が苛立ちを物語る。
酷い剣幕で見つめられた颯汰は無言で両手を再び上げた。
――そうだ。無茶でも、壊してもらわないとダメなんだ……。ディムはまだ無事だろうか……
今、このチャンスを以て迅雷を討たねば戦争でもっと犠牲者が増えるだろう。何より、急がねば親友たるクラィディム王子(とついでに怪しい魔女)が処刑されてしまうのだ。
敵地の中枢に潜入するから、魔女からの連絡を絶っていたためこの少しの間で状況が大きく変化していないとは決して言い切れない。
でも今の今まで監禁され拷問を受けていた少女を、怪我を負ったまま連れ回すべきなのかという迷いが生じる。
どうすべきかと思考を巡らせていた時、
「……――」
少女はふるふると首を横に振った後に『大丈夫』と口を動かし、手は不自由のまま、自由となった足で歩き出す。その歩みはぎこちないが、確かに床を踏みしめて歩き出していた。
「――あっ……」
呆気に取られた颯汰。 颯汰は一瞬手を上げて肩に触れて制止させようと身体が動いたが、途中で留まり、伸ばした腕が下がる。
進む少女は振り返ってまた大丈夫であると頷いた。
俯き、今の自身では決して星輝晶の破壊も、迅雷の魔王を殺す事すら出来ないと理解していたが、それでも拷問で疲弊している少女に縋らなければいけない状況に颯汰は心苦しさを感じていた。
「…………さすが天性の戦闘集団である人族で、《勇者》か」
魔人族の女は含みのある言い方をした。
この世界の人族――地球の一般的な人に見た目だけは近い種族であるのだが差異はある。
この世界はどの種族も普通の人でさえそこそこ丈夫で、僅かでも大気中に残っている体外魔力の影響か傷の治りが早いのだが、人族はフィジカル面が妙に強い傾向にある(情報が独り歩きし“盛られて”他種族に伝わっている事も少なくないが)。
純粋な力だけでは鬼人族、獣化した獣刃族など他種族の方が上回る場合が多いのだが「手先が不器用、スタミナが少ない」などの目だった弱点はなく、瞬発力(瞬間的に発揮できる筋力と即座に反応し対応できる力の両方)に持久力など他の高い平均値から総合的な能力が高い。また戦の申し子とも言われているが、当人たちの中では否定する者も、肯定して自身を鼓舞して力を発揮する者たちもいる。
一般人はそうでもないのだが、鍛えると異様に頑強で腕の大きさと合わないくらい強い力を持てるようになる者もいる。要するに振り幅の差が大きい。
さらに勇者であるとすれば、その身体は驚異的な能力や性能を持つだろうと予想していたが、さすがに既に血が止まっているのにエリゴスはハッと驚いた。
光源が乏しく、真っ赤になっているせいでよく見えないがおそらく傷口もほぼ塞がっているだろう。
――あの処刑人と同じ、いやこっちが本元か……
「アンタが勇者だから私たちは助けた。この意味がわかるか?」
エリゴスの確認に勇者は力強く頷く。どうやら、囚われた彼女自身もその使命を理解しているようであった。
「迅雷の魔王のアストラル・クォーツを破壊してもらう。できるよな? ――いや、やってもらうしかないわけなんだけど、いいな?」
少女は少し迷いながら頷く。
「やった事がないだろうから不安だろうが、やってもらう。そうしなければこの国も、隣国も何万もの人が不要な犠牲が生まれる……。手枷はどうする? その状態で星剣は使えまい。……あの斧で両断しようか?」
床に転がる巨斧へ視線を送りながら、勇者に問うと少女は首を横に振り真っ直ぐエリゴスの目を見て口を動かす。指も動かし何やら説明をするとふむ、と納得した様子で答えた。
「…………そうか……では、ここへ来た時と同じ作戦でアストラル・クォーツのある場所――王の玉座の裏の通路へ向かうぞ。私が先導する。後に続け!」
どうやら思いは伝わったらしい。
その言葉はおそらく颯汰に認知させるために吐いたのだが、極力直接話すのを避けようとしているきらいがあるようだ。他人を見続けた傍観少年は瞬時に察したが、自身から歩み寄るなんて行為は決してしないと心に決めるまでもなく根付いている彼は特にアクションもなく流した。
三人が廊下を歩き出す。静寂に包まれていた牢の奥から騒めきが生まれ出した。
その声に一人だけ全く気にも留めないでエリゴスは直進し、胡坐をかいていた老紳士の前で止まり膝を着き屈んだ。
「私はここでお暇を頂きましょうか」
「あぁ、アモン殿……休んでいてください」
「この身に流れる獣刃族の血はこの程度の怪我で絶えるほどヤワではない――と強がりたいところですが、えぇ、さすがに血を流しすぎました。少し休めば良くなるとは思いますが、これ以上は私が同行した所で足手まといにしかならないでしょう」
エリゴスが軽く会釈をして立ち上がる。あの出血量で休めば大丈夫なのかと颯汰と勇者は心配そうな目をしていたが、医者もいないこの場で何も施しようがないのだ。
「わかりました。くれぐれもお気をつけて……」
怪しい獣刃族のオオカミ男に対して丁寧に畏まり、颯汰は意外そうな顔をすると、どうやら驚嘆の声が漏れていたようで、「あ?」とメンチを切ってくる女ヤンキーにビビる颯汰はサッと視線を逸らした。
視線を逸らした颯汰を睨んだエリゴスは歩み出す。その後ろを付いていきながら颯汰は考えた。
――それにしてもこの人、棍も急に出現したのもそうだけど、服もラウムちゃんから随分変わってるな……。二人がどこか遠くで入れ替わってるとかなのかな?
一見、ゴスロリ幼女からオトナの女軍人へ変化したように映ったが、違うのではと颯汰は推理し始めていた。
性格までも全然違うが姉妹であるのか顔つきはどことなく似ている。
――別の場所で待機していた片方と『互い自身』と『持ち物』を別の場所へ交換できる能力なのではなかろうか。だから武器も即座に……――
だが、どこかしっくりこない。
気になる。非常に気になるが今のエリゴスに直接聞く勇気は颯汰にはなかった。恐れから会話をする気さえ正直起きない。何より会話が続く気もしなかった。罵詈雑言は受け止めて然るべきだと考えているが自ら会話を投げ掛けるのは少し違う。
――あの魔女は間違いなく知っているだろうけど、説明を省いた理由は何だろう。お姉さんの方が俺を憎んでいると知っていたからか?
考える分だけ新しい謎が生まれる感覚にやきもきするが、これが終われば存分に聞けるだろうと颯汰は意識する事を一旦中止した。
長すぎたのでまた分けました。次話は来週の予定です。
40までにはこの章を終わらせたいと思っています(先延ばし)。
遅すぎる正ヒロインの登場(?)
扱いをそこまで雑にしないように心掛けて取り組みたい
とは思っているのですが、ドウナルカナー。
――――――
2018/09/30
エブリスタ及びカクヨム投稿用にルビなど修正。
40までに終わらせたい()




