28 羅刹と悪鬼
迅雷の魔王は己の力を存分に発揮し、襲撃者であるもう一人の魔王――紅蓮の魔王を追い詰めた。
王権――《神滅の雷帝》を発動し、人外の魔帝と化した迅雷の力は固有能力を抜きにしても紅蓮の魔王を優に超えていた。
広場まで伸びる大通りに立ち並ぶ商業施設郡の一画、雨と日除けのテントは烈風に呷られ、木箱は崩れる――紅蓮の魔王が吹き飛ばされた衝撃の影響だ。
地面を穿つクレーターの中に赤の王はいた。
そのクレーターの前で、盛り上がった石材に片足を乗せながら迅雷の魔王は今しがた殴り飛ばした相手を見つめる。
『……あれでも死なねーのか』
その声は残響のようにエコーがかって届く。
迅雷の一撃を受けた紅蓮はピクリとも動かないが、まだ生きている。
――王権を使うと、ツイこうなっちまうのが難点か。……どうにも、キレやすく衝動的になっちまうぜ
自身の黒い腕を見た後に、視線をクレーターの中心にいる男へ向けて言う。
『おいアンタ、俺様と手を組まねえか?』
自身が圧倒的に優位に立った状況である精神的余裕が、彼の心境を変化させた。言葉を投げかけられた紅い男に反応はないが、迅雷は続ける。
『別にいきなり仲良しこよしでヴェルミを潰そうぜって話じゃねえ。もしも思い入れでもあるってんなら、アンタは手を出さなくていい。場合によっちゃあ、ヴェルミにいる誰かを連れて来いよ。生かしてやってもいい』
迅雷はヴェルミを――エルフを残さず蹂躙し尽くすつもりであった。人々の命を奪い弄んだ男であるが、彼の行動には怨讐という理由がある。穢された過去を拭うために彼らの血が必要だと思い込んでいるのだ。
この紅い王が誰の思惑で動いているのかはわからないが間違いなくヴェルミの民を守るために動いているのだろうと迅雷は予想する。戦争を仕掛けた結果、覚醒したのならば、前世の記憶と今までの記憶が混ざり合いながらも、助けたいという傲慢な善行が、他者を押し潰したいという本能に勝ったのやもしれない。それならば場合によっては紅蓮の親しい人物が“忌まわしい事件”に関わっていない場合ならば見逃してやり、彼に恩を売り引き入れる――最悪、利用できる同盟にでも組めればいいと考えたのだ。
『悪い話じゃあないだろう?』
呼吸をしているのかすら怪しいほどに動かない男へ、まだ語り掛ける。
『闘うのは楽しい。だが、アンタは強いからここで終わらせるのは非常に勿体無い。もっと闘いてぇし、ここで殺すのは非常に惜しい。なんたって通常の兵では何万も束になったって勝てねえ。俺たちが最上級の戦力――いや災害だ。万の兵、いや金塊の山より価値がある』
自身の国の――いやそれ以外の千万の軍勢が相手であっても戦える強大過ぎる力を、彼は封じたり消すといった手段を勿体無いと捉えたのだ。
手に収めている勇者もまた“戦力”として使い始めていた彼は、更に自身と並ぶ危険な生きる災害すらも欲しいと思い始めたのだ。
二人が並べばどんな敵でも倒せるだろう。飽きたら全大陸を制覇して、今のところは分け合ってもいいとさえ考えていた。
それでもまだ息を潜める男に対し、表情こそ顔を覆う仮面で見えないが、呆れの溜息を吐いてから、
『まさかアンタ、“あの声”――魔王に覚醒めた時に聞こえた声を鵜呑みにしてるのか? 「魔王と魔王の殺し合いをしろ」って話を』
鼻で笑い吐き棄てるように迅雷は言う。
『「最終的に残った者だけがどんな願いも際限なく叶うっていう奇跡の果実が手に入る」……くだらねえぜ』
欲深の王ではあるが、心底どうでもいいように言う。
『そこまでしなくても俺たちはもうこの力があればどんなモノでも手に入れられるじゃねえか! 前世に戻って蘇る? ――ッハ! 大方この力は失うだろうよ。そこまでして戻りたい程に素晴らしい前世じゃねえよ。ここで好き勝手できる方が何万倍もいい。何しても力があれば許される、サイコーな世界さ!』
それは元いた世界でも同じか、と再び鼻で笑って付け加える紫電の猛獣。だが、あちらでは当然、ここまで常識の範疇を越えた力を有しているはずがない。
『アンタだってそうだろ? この魔王の力さえあれば何だって出来る。わざわざ殺し合いをするより、テキトーに国を治めて、酒を呑み、女を喰らい、贅を尽くす。あっちじゃあ味わえない究極の自由が手に入ったんだ。それをわざわざもう一度、おっ死んじまったら大損だ。…………何より正体を現さねえ奴の言葉なんか信じられねえし、その通りに従うのが癪に障るだろ?』
彼は与えられた力は現実であるから受け入れたが、意外にもその際に聞こえた謎の声に対しては信用をしていないようだ。
それに、彼の願いは既に今、叶っている状態であるのだ。
好きなように生き、好きなように振るえる素晴らしき新世界に立っている。
流れる鬼人の血は闘争を求めるが、わざわざ自分から今の地位を壊すリスクを背負う必要を感じないと理性で考えていた。
言い分はまだあったが、ついに紅蓮の魔王が動き始めた。
ゆっくりとした調子で手を着き、身体を起こす。
「…………い」
ふら付いた身体から小さな声がした。迅雷は聞き取れずにいた。
『あ?』
「そのような声を、聞いた事はない――」
紅き焔がその瞳に、右手に赤い光が宿った。
「この身に聞こえるのは……『魔王を殺せ』『転生者を殺せ』という、憎悪の声だけだ……!」
光は収束し、錆び付いてくすんだ王冠――手のひらに収まる程に小さなモノが形成された。それを見た迅雷は怪訝か顔で目を見張る。
しかし、王冠は次の瞬間、熱された鉄のように赤々と輝き始めた。
「王権……!」
紅蓮の魔王がその王冠を握り潰す。すると握った手から光が零れだした。
熱で焼けた装甲版が彼の周りを回転する。迅雷は攻撃を加えず、それをただ見つめていた。
――やはり、こいつも持っていたか……!
自身だけの特別な力とは驕っていなかったが、改めて魔王は全員これを有していると見て間違いないと認識する。
着装中に余計なちゃちを入れない。それの完成を待ったのだ。
迅雷は思わず口から溢れた唾液を飲み込みながら。
地面の下――クレーター全土から紅い火柱が街の建物を軽く超え、灰色の空を焼き焦がす程に高く、高く、聳えるように立ち昇った。
その火が消え、中から出てきたのは全身を包む紅い鎧姿であった。
身体の全てを覆う紅の甲冑に、兜には鬼を想わす二本角。
血を吸ってきたような襤褸切れのマントが背面から伸びる。
顔も見えない血塗られた炎獄の化身が降臨する。
『《黙示録の赤き竜王》……!』
紅き王は、地上に召喚された時と同じ鎧を身に纏う。右手で出現させた大剣を真っ直ぐに真横へと振るうと、風が淀んだ空気を薙ぎ払い、熱が其処ら中へ拡散する。
クレーターの内部はまさに燃え続けるダルヴァザの『地獄の門』と似通った姿となっていた。地面ごと燃え続け赤く熱い光を発するが、彼の地とは違い、ガスの噴出があるわけでもないので、いずれ止むだろうが、遠目で窓からそれを見た民はもはやこの地に逃げ場所などないのではと恐怖を抱いていた事に当人は知る由もない。
『さぁ、祈れ……!』
最初、迅雷は錆び付いたミニクラウンの宝玉すらも色あせたように見え、そこから相手の実力をつい結びつけてしまっていたが、彼の姿――身体から溢れる力の波動を感じ、その考えをすぐに丸めて屑籠に捨てた。
信仰する神も、或いは悪魔すらもいない唯我独尊の迅雷の魔王は両手で祈るような真似はしない。代わりに今から闘争を始めると体中に紫色の雷を輝かせた。
『ハッ――!! そう、こなくっちゃあなぁ!!』
蹴った地面に電気が奔る。
真っ直ぐと雷光の速度で進むバケモノは拳を突き立てた。
だが、紅き王は左手を前に翳し、開いた手を下ろす動作をすると、
――何ッ!?
迅雷は自身の頭上から迫る存在に、影が濃くなった事で気づいた。
そこへ凄まじい――地を抉り大きく揺さぶる衝撃音が響く。
紅蓮の魔王の左腕の後方から、大きな紅い魔法陣――そこから巨腕が伸び、劫火を纏って現れ、振り下ろされたのだ。
人を持ち上げるのではなく、人がその手のひらに収まる位に大きな手。幻ではなく確実に実体を持って出現したそれは、止まった蚊を叩き潰すが如く情け無用の一撃を放った。
間一髪、跳ねて回避をした悪魔へ魔神の鉄槌は終わらない。
紅蓮の魔王が剣を地面へ刺し置き、次は構えて右腕を振るうと、術者である魔王と連動するように巨大な前腕がもう片腕出現し、全く同じ動きをした。
襲い来る巨拳に驚いた迅雷は、右フックを全身で受けてしまう。
クレーターの燃ゆる土から砂塵を舞い上がらせながら、勢いで斜面を上り、外へと弾き飛ばされた。
放物線を描こうとしていた迅雷――そこへ紅蓮は追撃を掛ける。
すぐに飛んだ彼へと追い付き、圧のある魔神の巨拳は真っ直ぐではなく下へと振り切られ、迅雷は石畳の床へ叩きつけられた。
殴った際の勢いで身体を反時計回りに回転させ、そのエネルギーを乗せた巨大な左拳が槌のように振り下ろした。叩き潰された迅雷は更に地面に埋まる。加えて衝撃が火柱となって。酸素が一気に燃え上がり凄まじい熱量が放たれた。
――また、消えたか
だが、トドメとなる一撃を――逃げ場を消した炎の中であったにも関わらず燃え上がった火柱から一瞬――いや刹那すらない時に脱出して見せたのを炎の揺らぎで紅蓮は気づく。一見一つの大きな火柱であったが、実は三重の層で分けられていた。それが一度に、同時に破られた――僅かにもタイムラグもなく、同時にだ。まさか、と紅蓮の中である仮定が生まれた。
『――!!』
声にならぬ叫びを上げ、雷の悪鬼は獣の如く爪を立てた。
紅蓮の羅刹と迅雷の悪鬼が激突する。
手甲から展開された雷の青い爪と、呼び出した紅い凶星の大剣が火花を散らす。
衝撃により激しい風が王都を駆け抜け、炎や雷と共に飛散する。
拮抗して見えるが、僅かながら飛び込んできた迅雷の方が勢いと王城内の星輝晶によって強化された肉体、さらに王権の力で正面からでも優勢であった。
仮面の奥底でニィっと口角を上げた迅雷。
そこへ、紅蓮の魔王は更なる力を欲した。
――少年、借りるぞ
契約関係にある少年――立花颯汰。彼が何らかの理由で『怒り』を抑えているのが契約者同士の“繋がり”で理解できた。不要であるならばと紅い魔王はその感情を勝手に引き受けたのだ。目に見えぬ繋がりで目に見えぬ感情を奪い取り、王権へ流し込む。
次の瞬間、紅蓮の甲冑の光が迸る。それはさながら、地上の地獄――活火山から溢れ出し、ありとあらゆる物を無慈悲に浸食して喰らう溶岩を思わせる赤と黒が輝き出す。
持っていた大剣からは淡い赤の光が奔り、雷爪を打ち砕いた。
『何いッ!』
王権は転生者が魔王たる所以――無限に魔力を生み出す核たる存在だ。だが、“彼ら”も求めるモノがある。それは人の感情――主に言えば欲である。人が生きるだけで生み出される無尽蔵の“情報”を糧として、主へ魔力を与えるのだ。
立花颯汰が抑えた感情――丁度、地下牢にてオークの後ろで拷問に掛けられた少女の姿を見た時に煮え滾った『怒り』を王権のエネルギーとして使ったのであった。
――有り得ねえ……!
迅雷はここに来て焦る。王権によって造られた爪がたった一度で壊れる事が常識の外の出来事である。金剛石など比ではない程に硬質で、核爆発の数倍のエネルギーを当てられても傷を付ける事自体がまず不可能な王権の魔力装甲――それを引き裂くために用意された最も堅い部位であるこの悪魔の爪がただの大剣で簡単に折れるはずがない。何より、折れる際に離脱しようと能力及び魔法を行使しようとしたのに一切それらが発動しなかった。たった数秒だが、何もかもが封じられたという事実――。
――…………まさかッ!
地面を擦りながら後ろへ飛ばされる足は着いたままでなければマウントを取られていただろう。
どうやら生来、勘が鋭いのか迅雷の魔王は気づく。
競り負け、爪が砕けたのは同じ魔王だからではない。何より彼の赤い王は王権を発動する前からあの剣を使っていた。
『お前……まさか……!』
自身の爪と同じ王権の付属品ではない。だからと言って普遍的な剣であるはずがない。今まで魔法を当たり前のように剣で弾いてきたがそれ自体がおかしいと気付いた。勘が騒ぐ。闘争により沸き立つ血の脈動より、心臓の鼓動が大きく高鳴る。導き出される結論は……。
次話は来週だと思います。




