26 牢の番人
暗闇に包まれた地下牢。目を凝らして見ればかなりの広さがある事に気が付く。
両脇が鉄格子と壁で分けられた牢が並び、その中心には木で造られた長いテーブルに椅子が置いてあった。
牢屋の奥行は暗すぎてどれ程あるか判別できないが、少なくとも牢屋の前の廊下は幅広く五ムートはある。そして奥行きは十数ムート程だろうか。
格子の中は何十人もの女子供が捕らえられ、薄汚い埃塗れの布一枚だけを着せられ、生気の失い全員が立つ気力さえない。彼女たちは連れてこられた奴隷――金髪碧眼、長耳に白い肌を持つエルフばかりであった。
顔は痩せこけやつれ、四肢は細く今にも折れそうである。
その中で誰もが客人に反応を示さない。むしろ息を潜めているようにさえ見えたほどだ。逃走も救出も、希望もあるはずがないと、諦観で目は淀み、光を失っているも同然であった。理由は、ここには凶悪な番人が細い目を光らせているからだ。
奥には巨大な亜人――オークと呼ばれる生物の一匹がいた。
牢屋の番人であり、処刑人、拷問官という役職を迅雷の魔王から与えられた、人ならざる者。トロールの如く巨体を持つ変異種。丸太のような太い腕で拷問を執り行う、牢で閉じ込められた彼女たちの恐怖の対象。
そんな悪魔染みた亜人は、人体の頭部の肉を齧っていたが放り投げ、真正面に向かってくる客人に対し、手を広げた。
「あもん゛、きたのかぁ゛~」
低く遅く拙い濁った声で、やってきた怪しい髭を携える獣刃族の老紳士を迎え入れるような態度であった。
「私を覚えてくれてましたか、名も無き君」
「うん゛、おれ゛、わすれない゛」
身体こそは屈強で肥大した肉の塊は、どんな攻撃も防ぎ、またどんな相手も一撃で踏み潰せそうであるのだが、内面はどうやら子供のそれであった。
「…………今、職務中でしたか」
「うん゛、でも゛、きょうはもう゛、おわり゛!」
三ムートもあるだろう巨体を動かし、その背に隠れたものを露わにする。
「――ッ!!」
途中で歩みを止めた二人――颯汰の表情が引き攣り、ラウムは思わず目を背けた。
蝋燭の光の下、一人の少女は両手を吊り上げられ、拘束されていたのだ。天井の丸い金具を通した拘束具の鎖の先は、オークの後ろの金具に接続され自由は奪われている。少女は力なく項垂れているが上半身裸で壁に向かって立たされ、その背は見るに堪えない生新しい傷が幾つも刻まれていた。打鞭による拷問が彼女の背を穢したのだ。創傷は幾重も重なり、肌を赤く染める。
加えてに両足は各二枚の板で挟まれ、紐で固定されていた。足と板の間に鉄板の楔を打ち込み足を圧迫する『編み上げ靴』とも呼ばれる拷問の一種だ。
まだ肉は裂けていないが、棘も仕掛けてあるのか素足に血が滴り伝っている。
その近くに鉄板を打ち込む小ぶりな――否、巨体のせいで小さく見える鉄槌が置いてあった。
また、オークが持っていた鞭のよく見れば幾つも枝分かれし、さらに先端は小さな鉱石が着いてあり、肉を切り裂く役目を担っていた。
凄惨な光景を見た颯汰は腸が煮えくり返る気持ちで溢れる、が抑える。必死に抑え込む。ここで感情的になれば今まさに拷問を受け終わった少女――“勇者”である彼女を救出する事が困難となるだろうと気づいているからだ。
後ろ姿であるが紫の長い髪を持つ颯汰くらいの歳の少女と聞き及んでいたから彼女が魔王に対するワイルドカード――最強の現地人であると気づいた。
……だが、その身体は今は痛々しく、またあまりに弱々しく疲弊しきっているのが見て取れる。
アモンの話によると、“勇者”として目覚めた直後――まだ何もわからぬ少女を迅雷の魔王自らが捕らえて閉じ込めたようだ。
颯汰は歯を食いしばり怒りを抑える事に必死であったため、隣でラウムが不安そうにのぞき込んでいるのに気づかない。
彼女もまた、彼が再び狂奔するのを恐れていた。
「あもん゛は゛、どうしで、こごにきだの゛?」
「えぇ、私は偉大なる国王陛下のご命令でそこの彼女――勇者を陛下へ送り届けるために引き取りに来ました」
「…………そうかぁ゛」
アモンの嘘に対し、オークはどこか寂しそうな声音で応えた。玩具である勇者との別れが淋しいのだろうかとアモンは想像した。心の中で『全く気色の悪い生き物だ』と見下しながら。
オークは緑色の背を向けた。そこも肥大した筋肉の塊であり刃が通りそうにない。きちんと騙されたのか鎖を外す準備に取り掛かる、と思ったが――、
「――ッ!!」
突如振り向いたオークが右手で握った斬首用の大斧を横向きに振ったのだ。
処刑執行のためのそれは軽く人を両断する事ができるほどの大きさを持っていた。
反射的にアモンは後退し回避を試みたが、肉厚の巨斧が胴にめり込む。
「ガハッ――!!」
おおよそ三ムート程後ろへ下がり、そのまま二分割は避けられたが傷は深く、思わず片膝を突き、口からも血を吐き出す。
何故――? 膝を突くアモンが巨躯の亜人を脂汗をかきながら睨む。その足元には血が滴り落ちる。
「ま゛おうさま、いったぁ……ま゛おうさまいがいに、ゆうしゃ、つれていくやつ゛、うらぎりも゛の! あ゛もん゛!! うらぎりもの゛!!」
「なる、ほど……! あなたの覚えの良さと王の強かさには感服しました……! ならば――!!」
老紳士は立ち上がらない。――だが、覚悟を決めていた。
「グゥルルルルッ……! ウォォオオオオン!!」
そのまま床に伏すのかと手を置いた老いた執事風の男が一瞬の内に変化した。
獣刃族――その身を獣と化す誇り高き種族。彼は雪の民――狼である。
薄闇の中、燕尾服の老執事の姿はなく、蝋の仄かな光に照らされて、チラチラとオレンジと影の色とで明滅させていた灰毛の狼が咆哮する。
この地下牢は、拷問で叫ぶ女声やオークの不気味で大きな笑い声が上の階に届かないほど防音効果が高いのを灰狼――アモンは知っていた。
雄々しく叫ぶオオカミ。だが、その足元へなお出血は止まらず血だまりが広がっていた。
血と床を蹴る音と共に一気に駆け出す。
恐るべき瞬足――死の風を纏い駆け抜ける老狼。幻のように横へブレながら敵を惑わす走法で近づく。鋭い牙と爪を立て、醜い亜人へ四足で迫ったのだ。
だが、オークは斧を立てて置き、素早い身のこなしをする狼の挙動を見切り、
「つかまえだ~!」
「むぅ――ッ!?」
がっちりと捕まえる。
オークは巨体故に動作も遅く見えたが、発達した筋肉から驚異的な速度で狼が飛び掛かる前に、その人の頭を握れるくらい大きな両手の中に収めた。
もし、アモンが本来の力を出せていたならば、たった一度で捕縛される事はなかっただろう。出血で動きが鈍り、アモンはオークに捕まってしまった。
緑の体色の亜人は暴れる狼をその両手の握力だけで押さえつけ、
「あ~ん゛!」
灰色の狼の左首元に大口を開け、齧りついた。
鋭い牙が首筋の肉を抉る。
声にならぬ叫び、噴き出す鮮血が灰色の毛を真紅に染めた。
巨大な豚が狼を喰おうとしている情景に戦慄が走る。
恐ろしく、悍ましい。見ている側も鳥肌が立ち、サーッと血の気が引く。
比べると魔獣の方が見るに堪えないデザインであったが、颯汰は込み上げる憎悪に近い怒りの感情のまま突き進めた。黒い泥人形に対しても同じだ。
だが、颯汰にとって、この生物に関しては恐ろしさしか感じない。
巨体によって気圧されていたのだ。
湧き出た怒りを懸命に抑えたせいか、脚の震えが止まらない。
それでも、狼の――仲間の悲鳴が地下牢に木霊し颯汰の耳朶に届いた時には、身体が勝手に動き出していた。ラウムも恐れで反応が遅れ、手を伸ばした頃には彼は前へと走り出していってしまう。
颯汰に迷いはあった。恐怖は勿論だ。
あんな巨大な化け物にどうやって勝てと言うのだ、と心が叫ぶ。
だけど、ここで退いては勝利はないのだと走りながら気づいてしまったのだ。
アモンが無駄死にし、勇者は助けられず、最悪全員が捕まって殺される。ディムも、魔女も、自身も死ぬ。――最悪のイメージが脳裏に映し出されこびりつく。
もし逃げられ無事だったとしても二度と勝機は訪れないだろう。
ここまで――迅雷の喉元に刃を突きつける――その目前まで迫れない。
だから、少年は走る。
無我夢中ではない。恐怖に支配されながら、でも止まるわけにはいかないと思いひた走る。
アモンに対し信用はしていない。傷ついた少女も見知らぬ人だ。
それでも、『死にたくない』という思いと一緒に並走して『助けたい』という気持ちが身体を突き動かした。
それは踏み出す勇気か、無謀の蛮勇か。
颯汰の中で答えは後者であると叫んでいるのに、以前の自分なら決して取らない行動に出ていた。
その姿を見たオークは手に持っていたアモンを捨て、再び斧を拾い上げ、横に薙ぎ払う。迫りくる凶刃が空を切る音と共に鈍く煌めいた。
死を体現した巨斧の刃。誰の目から見ても絶望的で絶対的な死。
皆がそれによって無残にも肉を切り裂かれ、身体が上下に二分される光景が浮かぶ中、左からやってきた巨斧に対し颯汰は、
「――!?」
その斧面に手を置き、身体を捻りながら真横に振るわれた斧の上を通り抜ける。
間一髪で回避して見せたのだ。
――今しか、ない……、今踏み出すしか、チャンスは、ない!
震える手足、心を鎮めるために大声を吐く。
奴隷役をやっていた二人は万が一のために刃物などの凶器になるものは持っていなかった。そう提案したのはラウム。彼女は颯汰が暴挙に出るのを恐れた――“これ以上あの不気味な力を使えば何かが目覚める”と直感で理解していたのであった。
だが颯汰はこの城に侵入した際、倉庫にあった、長さおよそ二十八メルカン(約二十八センチメートル)の短刀をそっと懐にしまうのをラウムは気づいていなかった。
走りながら黒色の漆塗りの鞘から銀の刃を抜刀する。
勝手に拝借した短刀の鞘を捨て去り、カラン、と空の木が床に落ち、間の抜けた音を発した。
颯汰のアクロバットな動きに驚いたオークは反応が遅れ、
「ハァァアッ!!」
必殺の一刺しが決まった。
自身の首とほぼ同じ位置にある腹部に、短刀を突き立て、捻り、切り上げるように引き抜く。たった数瞬で機械的に傷口を大きく広げた。ただ刺しただけでは、この肉塊を死に至らせるには足りないと身体が判断したのだ。
通常であれば大きく開いた傷口からの出血、この空間の衛生面から発症するであろう感染症によっていずれ確実に殺せるはずであった。
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」
亜人は痛みで叫び暴れまわる。もがいた際に颯汰は大きな手で振り払われ、そのまま扉から見て左側の格子に激突した。
颯汰は全身を自動車に突っ込まれたような衝撃を感じる。
あまりの痛みに気が遠くなり、視界がボヤケ出す。
ここで気を失う事は死も同義だ。必死に身体を立たせようとしたが、巨腕が颯汰を捉えた。
「痛い゛ぃ゛い゛! 痛い゛ぃ゛!! おまえ゛ぇ゛!! よくもぉおおおお゛!!」
外套をつままれ、そのまま引っ張り、捕らえる。
オークは左手で颯汰の身体を押さえ、大きな右手で顔と首へ力を籠めた。
「がッ――!!」
強烈な圧迫感で息が出来なくなる。激しい怒りを宿した凄まじい握力で掴まり全身を持ち上げられ、オークは颯汰を絞め、息の根を止めにきたのだ。掴む手を引き剥がそうと爪に力を入れるがビクともしない。
薄れゆく、死に近づく意識――。
傷だらけの拷問を受けていた少女はその瞳に涙を浮かべ、絞められている颯汰に向かって叫ぶ。
その声は聞こえない。
アモンも失血で遠のく中、驚き叫ぶ。
薄汚れた外套を着た、奴隷役の小さく幼き少女が銀の髪を揺らし、亜人に向かって駆けている姿が目に映ったからであった――。
日曜仕事あった作者「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」
仕事しないで小説書いていたい……。
最初、品種改良した豚さんの台詞のルビにちゃんとした言葉振ろうと思いましたが、見づらいかなと思い中止しました。
今更だけど鬼人族とオーク被るよね。
もっと考えろよと猛省。
次話は来週ですとも。




