25 塔の地下牢
バーレイの古城内部の一室――バタバタと慌ただしく駆けていった音がして、扉の向こうのアモンは作戦通りと頷いた。
静かに、ただし堂々と部屋の扉を開け、立花颯汰とラウムを鎖で引っ張っていく。下手にコソコソ動いた方が却って見つかったときに怪しまれる。そうして部屋を通り、更に奥の廊下へと出た。アモンはこの城の構造を熟知しているのか、動きに迷いがなかった。颯汰たちはただ運ばれている奴隷を演じている。もっとも、ただ鎖に引かれて歩いているだけなのだが。
――外から見たら悪魔が棲んでそうな見た目だったけど、中は全体的に白くて清潔っぽいな……。いや、悪魔が棲んでるに間違いないけど
立花颯汰が外套の深く被ったフードから覗けた僅かな部分だけで城の豪華絢爛さ――外面とのギャップを感じていた。
ガラス張りの窓が非常に大きい――今進んでいる廊下の外側は殆どガラスであり、陽光を充分に取り入れられていた。ガラスではあるが腐っても魔王城であり、星輝晶の力で城の防備は完璧で、砲弾であっても傷は着かないのだ。
また、ここだけ他所と様子が違うのは、かつて迅雷の魔王がこの城を、王位を、国を簒奪する際に盛大に破壊して改修したためであった。
そんな外壁は黒の城の北側の奥に一際大きな塔があり、西側は居館と呼ばれる宮廷まで繋がった大きい館もある。
周りを囲う城壁の凸凹とした狭間からは街まで見渡せて、敵を遠距離から弓矢などで攻撃し、後ろに隠れれば攻撃を防ぐ防壁となる。中央から東側にかけて石床の広場がある造りだ。南側に城門と監視塔もあり、全身黒で固めた魔族の兵たちは皆、弓だけではなく弩も持ち、外からの守りは万全である……はずであった。
彼らは城内の一室、魔族たちが倉庫として使っていた部屋から脱出するための秘密の抜け道があることを知らなかったのだ。
一行が進んだ先は城で最も高さのある北の塔であった。塔の上層は見張り台で、そこからは兵士が常に目を光らせ侵入者がいないかを監視をしている。上から攻撃をするため、いつでも使えるように弓矢も壁に掛けて置いてあった。
しかし、市民の鎮静化と魔王の命令で三名ほどだけ残って、あとは全員、出払っているいる。残った兵もそもそも迅雷を止められるわけがないと忌々しそうに口にしていた。
見張り台から街の方を見ている一人の兵がため息を吐いていた時、
凄まじい音――。
燃ゆる炎が渦を巻き、天へと昇る姿が見えたのだ。
紅い火災旋風が城下町から屹立し、眩い光の後を追う雷鳴が響き渡る。
魔王と魔王――神代の闘争を想わせる神話同士のぶつかり合いが、現在城下町の広場辺りで繰り広げられているのだ。
兵たちは数秒間、己の使命を忘れて見張り台から身を乗り出して――あるいは身を引いてそれらが勃発した地点や、立ち上る災害を凝視してしまうのは自然の摂理だ。そこへ、颯汰たちはササっと塔の内部へ侵入した。兵の怠慢さがここに来て露見された訳だが、此度はある種仕方がないだろう。
颯汰たちの目的は塔の地下にある牢屋である。アモンの話では地下牢に勇者が囚われているそうだ。また、地下牢には様々なところから連れて来られた女性や子供たちが監禁されている。一部、気に入られた奴隷は居館にて幽閉されていると街で噂となっていた。
塔の中に入ると地下へ降りる階段と、上へ昇る螺旋階段の二つがあった。
当然、地下の階段へ足を運ぼうとする一同、だがそこで、
「貴様ら何者だ!! 止まれぇ!!」
ついに巡回していた魔人族の兵に見つかり、後ろから声を掛けられたのであった。
アモン以外――奴隷役の二人がびくりとする。ここでバレたら全てが台無しであるのだが、怪しい髭の老紳士は敵意のない顔で振り返った。
「あぁ、これはこれは兵士さまではありませんか。私です、アモンです」
「宮廷芸術家殿? 何故ここに? そしてその者たちは?」
「えぇ、話すと長くなるので割愛しますが、国王陛下のご命令でございます」
命令? と兵は首を傾げているとアモンは答えた。
「そうです。偉大なる国王陛下の指示で……。今戦っている魔王を討った後の自身へのご褒美の用意です」
偉大なる国王陛下とは言うまでもなく、迅雷の魔王の事であるがそう思っているのは極僅かな人数だろう。
褒美の意味を理解している兵は苦そうな顔をする。
「また美女を呼び込んで欲のままに……」
「はい、いつも通りの肉欲の宴です」
酒池肉林、肉山脯林――贅の極みの宴の主食は、王の性欲を満たすための女性であると、この国では相場が決まっていた。
兵士はそんな据え膳を用意する役割を与えられた事はわかった。
こんな事態であるのに関わらず女を自室に侍らせようとする王の考えは理解できないが、あの王らしいと言えばらしいから納得もしていた。
「なるほど理解し難いがあの王らしい……。だが、何故こんなところに……? それに、そちらの奴隷――小さな子は……まだわかる? いや、わかりたくないが幼すぎて納得はできないし、良くないが、まぁ女性だから今は置いといくとしよう……こっちの奴隷は……男ではないか?」
王の寝室に呼ぶために質のいい(この場合は美貌のある)奴隷を連れるのは理解していた。顔は見えないが王の御眼鏡に適う少女なのだろう。だが、男はおかしい。あの王は乱れた宴を行う時、自分以外の男は絶対に参加させないはずなのだ。だから少女の隣の奴隷の男――奴隷に扮する颯汰の存在に疑問を抱いた。視線を向けられた颯汰の額から冷や汗が伝う。
だが、アモンは全く臆する事もなく平然と答えた。
「えぇ、彼は男娼です」
アモンが何でもないように言い放った言葉。
その言葉を聞いた兵も、男の奴隷役である立花颯汰も数瞬の間の後に、
――お、えぇぇぇぇえええッ!?
「えぇぇぇぇえええッ!?」
颯汰の心の悲鳴と兵の叫びが重なった。
「え、嘘、あの王、そんな趣味あんの……?」
「以前、少年エルフの男娼をお気に召したそうで、次は人族の少年を用意しました」
アモンの言葉に兵は頭を抱え、颯汰も部屋の隅で吐きたい気分となっていた。そんな両名を無視し、男は続けて言う。
「それに加え、自ら地下牢の勇者を(性的な意味で)喰らうと申されたので“彼女”を運ぼうと思いまして、ここまで来ました」
普通に冷静さがあった兵ならば、勇者を地下牢から出すなど魔王が言うはずないと気づいたが、敵の魔王の出現と、暴れまわり街に災害級の被害が生じ、王の聞きたくなかった一面を知り、混乱していたのだろう。
「えー……あー、マジかぁ……」
「はい、そういう訳で私はこれから地下牢へお邪魔しますね」
兵士はアモンの言葉を疑うことがなく、むしろ助言すら吐いた。
「あー……。あ、地下牢の鍵が立てかけてある位置は――」
「あぁ、大丈夫です。以前、陛下に連れられ地下の“彼”を紹介された時に教わりました」
――彼?
「了解した……。ゴホン、……では、芸術家殿、くれぐれもお気をつけてくだされ。あの者の機嫌を損ねればただでは済まない」
「……充分、承知しております」
そんな会話を交わし、兵は外へ足取り重く進んでいき、颯汰たちは地下牢へ進んでいった。石造りで光も入らない地下は両脇に並ぶ燭台の火だけが頼りであった。
階段を下り、少し進んだ先で颯汰が尋ねる。
「おい、男娼ってどういう事だ」
アモンの肩をがっしりと掴み颯汰が凄む。
「この城へ運ばれた男性の奴隷なんて極少数ですからね。いやー、嘘とはいえトンだ御迷惑を」
ハハハ、と笑うアモン。悪気はあるようだがそのお陰で切り抜けたのは事実であっても男娼呼ばわりは思春期の少年にはくるものがある。
また、沈黙を続けていたラウムがアモンに尋ねたのはこれからの事ではなく、
「あの……、迅雷の魔王は、本当にそっちの気が……?」
「それはですねぇ――」
「――いや、そんなのどうでもいいし聞きたくもないからもういいよ!」
女性だけではなく男性もホイホイ構わず喰っちまう雑食大喰いの可能性が浮上したが、それについて深く考えるのは止めようと颯汰は切り上げた。
「…………それで、地下牢の奥に勇者が囚われているんですよね?」
わかりきっているが確認のためと先ほどの会話を流すための問いにアモンが頷いてから口を開く。
「ここから勇者を連れ出せばほぼ完遂したも同然です。いや、ここに着いた段階で達成したと言っても過言ではないでしょう」
貴方は何故そうフラグを立てるのかと颯汰は思ったが口にしない。
実際、勇者を解放すれば魔王を倒しうる存在であるので、そこら辺の兵士に負けるはずもないのだが、そういった油断は足元が掬われるのが世の常だからいただけない。
「でも、地下牢に……」
ラウムが、少し沈んだ声音で言う。何だろうかと尋ねる前にアモンが答えた。
「はい、番人がいます。見た目は非常にインパクトがありますが、二人とも声を出さぬように気を付けてください。彼は頭が弱いですがそれ故に何をするかわからないので」
地下牢の前、木で造られた扉がある。何やら、何かを叩く音が響いていた。
途中の鍵箱から鍵束を持ち出し、鍵を開ける。
ギィイ、っと音を立て開かれた先の部屋は殆ど闇に埋もれていて、先ほどから聞こえる音が大きくなった。
部屋に入ったアモンは手に持った奴隷の鎖を静かに置き、ツカツカと歩いていく。
その一方、番人である“彼”の姿を目撃した颯汰、噂を知っていたが実物を見るのは初めてであったラウム。
扉の両脇で待機し、既に地下室に入った際に首の鎖を外して自由の身となっていた二人とも一歩で互いへと近づき、颯汰は屈みそっとラウムの口へ手を伸ばし、ラウムも小さな手を颯汰の方へ持っていく。
――「きゃああああああっ!!」――「うおぉぉぉおおおッ!?」
互いに悲鳴を表に出させないために手で押さえたが、声は漏れ出るどころか声を出さなかった。そうして意識をし合わなければ喚声を上げていたに違いない。
それは、あまりに悍ましい姿をしていた。
暗がりの先を照らす蝋燭の光。
多くの者が彼にだけ視線を注いでしまうだろう。
巨体。圧倒的な巨体。おおよそ三ムート(約三メートル)を超えているだろう。
がっしりとした肉体であり、逞しい筋肉であるのだが、肥大して体形は引き締まっていない。
それは人ですらなかったのだ。
巨漢の顔がおかしかった。そのようなデザインの被り物ではない本物の顔。
――オーク……!
颯汰はその正体に気づく。
豚鼻どころか、頭がそのまま豚のそれなのである。
亜人種と呼ばれる種族がいる。それは人に近いが人ではない種族。
颯汰が過ごした村のすぐ近くの森の奥にも、亜人と呼ばれる種族がいたが、彼は今まで出会った事はなかったながら、ゲームや本の知識ですぐに理解できた。
だがおかしい。あまりに身体が大きすぎる。頭頂が天井擦れ擦れで、あの身体ではこの部屋から出る事すら不可能――あまりに不可解すぎる。本来のこの世界に住むオークであればここまで巨体を有していないはずなのだ。
薄汚い緑の肌を持ち布一枚を纏うそれの手には革製の鞭が握られていてる。どうやら先ほどから聞こえた音は鞭により発せられたと気づく。
彼がこの牢屋の番人であり処刑人――名も無きオーク。
鞭はその使用者の膂力により振るった先端が音速を超え、鋭い衝撃音を放つ。そんなもので打たれれば……想像に難くない。
そして颯汰たちは気づく。彼のもう片手に握られたもの――齧りつかれた肉の正体を知り、急激な吐き気を催す。
亜人種が人に満たないと言われる所以は知性の差ではない。
その醜い容姿だけでもない。
彼らは、人を、文字通り喰らうのだ。
オークはやって来た客人に気づき、食い飽きた人の頭をそこら辺に投げ放った。
耳に残る鈍い音が広がった。
前半部分などを大幅にカット。
次話は来週
2018/08/05
ルビの修正。




